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2024年7月3日水曜日

フジファブリック、活動休止。

  今日、「2024.07.03 フジファブリックからの大切なお知らせ」が発表された。

 すでに、ネットのいろいろなところでこのお知らせが紹介されているが、このブログは、志村正彦、フジファブリックに関する記録を残すことも役割としているので、ここでも全文を引用したい。


いつもフジファブリックを応援していただき、ありがとうございます。
この度フジファブリックは、2025年2月をもちまして、活動を休止させていただく事となりました。
20周年イヤーが進む中、突然このような報告をさせていただくことをどうかお許しください。

2000年に志村正彦によって結成されたフジファブリックは2009年に大切な志村正彦を失いました。彼と共に歩んだ時間、共に育んだ思いや一緒に見た景色は、かけがえのない宝物だと思っています。
その思いをメンバー3人が胸に刻み、フジファブリックという大切な場所を音楽を作り続けながら守っていくという覚悟を持って2011年に活動継続を決め、多くの方々に支えられながらこれまで歩んで参りました。

今年2月にリリースされた12枚目のアルバム「PORTRAIT」を制作中の2023年、金澤ダイスケより、自分のすべてをこのアルバムに注ぎ込み、20周年イヤーを全力で駆け抜け、その後バンドを脱退したいとの申し入れがありました。メンバー、スタッフ間で何度も話し合いを行いましたが、この20年間でバンドに対してすべてを出し尽くしたという金澤の意思は固く、バンドとしての活動継続は困難という判断に至り活動休止という決断をしました。
今後、メンバー3人それぞれが新たな道を進みます。その道がフジファブリックという場所に繋がっているのか、今後の活動の中で見つけられるかどうか、現時点では正直なところ分かりません。今は残されたLIVEの1本1本、1曲1曲に全身全霊を捧げていきたいと思います。
これまでフジファブリックを守り抜くという使命を幾度となく自らに問い、「絶対に解散しないバンド」という信念を持って活動してきました。今回の決断でファンの皆さまに残念な思いをさせてしまう事を大変申し訳なく思っています。
どうか受け止めていただきたいと思います。

フジファブリックにたくさんの愛情を持って応援し、支えてくださったファンの皆さま、全国のメディアの皆さま、そしてバンドを何度も救ってくださったアーティストの皆さまには心から感謝を申し上げます。
来年2月以降のメンバーの活動につきましては、現在のところ未定となりますが、新たな一歩を踏み出した際には、温かく見守っていただけますと幸いです。

2024年7月3日

フジファブリック
山内総一郎
加藤慎一
金澤ダイスケ


  今年2月リリースの 『PORTRAIT』は、この十年ほどの間では最も力の入ったアルバムだった。金澤ダイスケが、〈自分のすべてをこのアルバムに注ぎ込み〉という意志を持っていたことが、このお知らせで明らかとなったが、そのことも肯けるような気がする。

 一曲目の「KARAKURI」。作詞は加藤慎一、作曲は山内総一郎。1970年代の英国プログレッシブロックを今日的解釈によって解体構築した作品。前奏からはEmerson, Lake & Palmer、間奏からはGenesisの雰囲気が濃厚に漂ってくる。後半からは次第に、志村正彦のフジファブリックそのものが浮かび上がってくる。サウンドの要は金澤ダイスケのキーボードだ。そして、加藤慎一の歌詞には奇妙なリアリティがある。中頃の〈ただ僕は祈ってる解放の時は来ると言ってくれ/出してくれ籠から食い破れば鳥のように飛びたって〉から最後の〈大体奴ら籠の中/もしや己も籠の中〉へと、〈籠〉のモチーフを追いかけている。

 四曲目の「プラネタリア」。作詞は山内総一郎、作曲は金澤ダイスケ。金澤ダイスケらしい明るい輝きのある作品。題名からも曲調からも「星降る夜になったら」(作詞:志村正彦、作曲:金澤ダイスケ・志村正彦)を想起させる。山内総一郎の〈ほら あなたの言葉も 笑顔の魔法も/僕には失くせない宝物さ/見えるものはポケットに 見えないものは心に〉という歌詞の一節、それを歌う声も綺麗に響いてくる。

 この二曲は、フジファブリックのサウンドのパフォーマンスの質がきわめて高いことを示している。2024年という今日、この日本において、このようなロックのサウンドは稀有なものといってよい。


 アルバム『PORTRAIT』を聴いた時は、フジファブリックは、あのユニコーンのように今後は、山内総一郎、加藤慎一、金澤ダイスケの三人のソングライター、作詞者、作曲者が作品を創り出すユニットのようなバンドになっていくのかもしれないとも考えたのだが、今日の発表では活動の休止を選択したことになる。活動休止とはいっても、他のバンドの事例からして、解散と名のらない解散という意味合いが強いのだろう。

 僕にとって、この活動休止はそれほど意外だったわけではない。いつかはそうなるという予感があったからだ。しかし、このタイミング、2024年7月の時点での決断と発表は予想外だった。

 「大切なお知らせ」にある〈2000年に志村正彦によって結成されたフジファブリックは2009年に大切な志村正彦を失いました。彼と共に歩んだ時間、共に育んだ思いや一緒に見た景色は、かけがえのない宝物だと思っています。〉という言葉はそのままに受けとめたい。僕たち聴き手にとっても、彼の作品は〈かけがえのない宝物〉であった。これからも宝物であり続ける。

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