今日7月10日は志村正彦の誕生日。彼が存命であれば44歳になる。ちょうど一週間前、フジファブリックの活動休止が発表された。メジャーデビュー20年という節目の決断なのだろう。
十年前の2014年7月、山梨県立図書館を会場に「ロックの詩人 志村正彦展」を開催した。もう十年というのか、まだ十年というべきなのか、時の感覚をどう受けとめたらよいのか混乱する。年齢や周年の積み重ねは、ただただ、時の流れをあからさまに示す。
そういうこともあってか、最近、志村正彦やフジファブリックの話題が多い。今日は、『若者のすべて』のドルビーアトモス版がApple MusicとAmazon Musicで配信されたと報じられた。
6月27日には、Netflix映画『余命一年の僕が、余命半年の君に出会った話。』が配信された。劇中歌にフジファブリック『若者のすべて』が使われたと知って、配信開始日の夜にさっそく鑑賞した。(以降の記述には所謂「ネタバレ」があることをお断りします)
映画は冒頭の病院屋上シーンから、『若者のすべて』のアレンジされたメロディが流れる。この美しく繊細なメロディは劇中で時々流れる。通奏低音のように全篇を貫いているともいえる。オープニングのタイトル表示の際には、「ないかなないよな」「同じ空を見上げているよ」のメロディが融合されていた。音楽担当の亀田誠治のアレンジだろう。開始40分経過した頃に、志村正彦の声が聞こえてくる。フジファブリック『若者のすべて』のオリジナルヴァージョンだ。エンディングのタイトルバックで流れる主題歌は、ヨルシカのsuis による『若者のすべて』のカバーだった。
ティーザー予告編では、志村の声によるオリジナルヴァージョンが使われていた。この映像をまず紹介したい。
映画『余命一年の僕が、余命半年の君と出会った話。』ティーザー予告編 - Netflix
この映画は、三木孝浩監督が森田碧の同名小説を映画化したものだ。脚本は吉田智子。主役「早坂秋人」は永瀬廉が演じた。NHKの2021年前期の連続テレビ小説『おかえりモネ』での「及川亮」役の演技が印象深かった。眼差の中に若者らしい力と孤独な翳りがあった。もう一人の主役「桜井春奈」は出口夏希。「春奈」の親友「三浦綾香」役は横田真悠。「花屋の娘」の「実希子」役は木村文乃。
映画鑑賞後、小説『余命一年と宣告された僕が、余命半年の君と出会った話』 (ポプラ文庫)も読んだ。映画と原作との差異を把握するためだ。映画タイトルの末尾には句点「。」が添えられていることに、初めて気づいた。予想していたよりも、映画は原作に忠実だった。出来事の順番の入れ換えや設定の変更などはいくつかあるが、重要な場面やその台詞はほぼ原作通りだった。注目していた花火をめぐる物語も原作にあったが、これに関しては『若者のすべて』を使うことによって演出上の変更が加えられている。
物語は題名通りに展開する。余命一年の秋人が春奈と出会い、同じ時と場を分かち合い、そして各々の時を終えていく話である。
作中人物には、春奈、秋人、夏美(秋人の妹)と季節の名が付き、ガーベラの花が物語の鍵を握っている。季節と花。原作、映画、そして志村正彦の作品にも共通する重要なモチーフである。「花屋の娘」実希子は秋人に、ガーベラ全体の花言葉が希望だと教えていた。実希子の名自体が「希望が実る」という意味を持っているのだろう。
開始40分のシーンを振り返りたい。秋人が春奈に病院に「毎日来るよ 毎日来るから」と約束し、春奈が「うん 待ってる 毎日待ってる」と応える場面の直後から、志村正彦の歌が聞こえてくる。優しく、美しい声だ。場面に透き通っていく。儚げだが、内に秘めるもののある、力強い声でもある。『若者のすべて』の1番、次の部分が歌われる。
真夏のピークが去った 天気予報士がテレビで言ってた
それでもいまだに街は 落ち着かないような 気がしている
夕方5時のチャイムが 今日はなんだか胸に響いて
「運命」なんて便利なものでぼんやりさせて
最後の花火に今年もなったな
何年経っても思い出してしまうな
ないかな ないよな きっとね いないよな
会ったら言えるかな まぶた閉じて浮かべているよ
『若者のすべて』と共に、病院での春奈と学校での秋人の日常が映像に映されていく。花屋のガーベラの花のクローズアップのシーンで、曲が終わる。
(この項続く)
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