志村正彦の聴き手であれば、一人ひとり、忘れることのできない『茜色の夕日』があるだろう。この曲との出会いの時。この曲の想いが真に迫ってきた時。その《時》あるいはその《時々》において、聴き手はこの曲に触発される。〈少し思い出すものがありました〉という志村の声に誘われるようにして、何かを少し思い出す。
僕にとってのその《時》は、2014年11月28日だった。日本武道館のフジファブリック・ライヴで『茜色の夕日』を聴いた。
オープニングから十曲ほど演奏した後、志村のハットがマイクスタンドにかけられて、演奏が始まった。イントロのオルガン音に続いて、志村の声が武道館に響きわたる。予期していなかった驚きと共に心に込みあげてくるものがあった。ここにはいない志村正彦の音源と、現メンバーの金澤ダイスケ・加藤慎一・山内総一郎、サポートの名越由貴夫・BOBOによる生演奏の共演による『茜色の夕日』。当時のブログで書いたことをここに引きたい。
彼は無くなってしまった。だがしかし、そうであるがゆえに、よりいっそう、彼は《声》そのものになった。《声》という純粋な存在になった。聴くという行為が続く限り、いつまでも、彼の《声》は今ここに現れてくる。
あの日の『茜色の夕日』は、歌の音源と生演奏によるもの、というよりも、志村正彦・フジファブリックの歌と演奏を聴いたという記憶となって、僕の中に強く残っている。その記憶を大切にしたいので、日本武道館ライヴのDVDの映像も一度見ただけで、それ以上見ることはしなかった。
今日、これを書くにあたって、八年ぶりにライブ映像を見た。こみあげてくるものがあった。それでも志村の声を聴くことに集中した。〈僕じゃきっと出来ないな/本音を言うことも出来ないな/無責任でいいな ラララ そんなことを思ってしまった〉という箇所にやはり惹かれた。
この一連のエッセイでは、この箇所をユニットⅣに位置づけた。このユニットⅣがユニットⅠ・Ⅱ・Ⅲの枠組の外側にあり、現在時の歌の主体〈僕〉の心の中の呟きの声が表出されている、という点を中心に論じてきた。武道館の音源は〈2005年9月シングル版・2005年11月アルバム〉収録のものを使ったようで、〈無責任でいいな〉は、やはり、〈責任でいい〉と歌われているように聞こえる。〈無責任でいい〉という言葉には、自分自身に対する深い問いかけがある。志村の声がそう伝えている。
志村正彦のように、高校を卒業後、東京に出て行く山梨の若者は少なくない。僕もそうだった。山梨の空の星は美しい。もともと星を見るのが好きだったので、山梨の夜空をよく見ていたのだが、東京に出てからはそれがほとんどなくなった。空を見ることを忘れてしまったとも言える。そういう経験をしてきた者には、「茜色の夕日」の〈東京の空の星は見えないと聞かされていたけど/見えないこともないんだな。そんなことを思っていたんだ〉という言葉が迫ってくるかもしれない。
この表現は、〈東京の空の星〉も〈見えるんだな〉ではなく、〈見えないこともないんだな〉と語っているところが志村らしい。〈ある〉という単純な肯定ではなく、〈ない〉ことも〈ない〉という二重否定を使っている。一度、その現実が〈ない〉と否定された後で、その否定自体をくつがえす何らかの契機によって、否定が否定され、その現実が肯定される。その過程の中で、何かを見出すという時が流れている。
〈ないこともない〉という感覚と論理が志村の歌の根柢にある。
そもそものはじめには〈ない〉がある。「茜色の夕日」でも「若者のすべて」でも、〈ない〉という声がこだましている。彼の声がこれほどまでに〈ない〉を繰り返したのは、端的に言って、彼の《喪失》の深さを表しているのだろう。何かが、誰かが、あるいは、時や場そのものが失われていく。志村はおそらく物心がつく頃から、失われていくものに鋭敏だったのではないだろうか。
失われていくものは、そのままそこに不在となる。無いものとなる。しかし、無いものは記憶の痕跡としてはそこに有りつづける。無いものとなったが、そこに痕跡として有りつづけるもの。志村がそれを歌うことによって、聴き手にもそれが浮かび上がる。それを《痕跡として有りつづける、無いもの》と名付けてみたい。
この《痕跡として有りつづける、無いもの》は、〈ない〉と繰り返し歌われることによって、二重に否定される。《無いもの》が〈ない〉と二重否定され、結果として肯定されると、《無いもの》が《有るもの》へと変換される。《痕跡として有りつづける、無いもの》が、不思議なことではあるが、《痕跡として有りつづける、有るもの》とでも名付けられるものへと変わっていく。錯綜とした分かりにくい論理ではあるが、そのような論を呈示したい。
〈東京の空の星〉はもともと有りつづけたものであるが、〈見えない〉とされることによって《無いもの》とされてしまう。しかし、その《無いもの》が〈見えないこともない〉という二重否定によって、《有るもの》として肯定される。〈東京の空の星〉は《痕跡として有りつづける、有るもの》として、眼差しに浮上する。
志村正彦には、《痕跡として有りつづける、無いもの》を《痕跡として有りつづける、有るもの》へと変えたいという想いがあったのではないだろうか。《痕跡として有りつづける、有るもの》を希求する想いと言ってもよい。「茜色の夕日」にもその想いが貫かれている。
昨年の八月から半年の間、断続的に番号を付けながら『茜色の夕日』について書いてきたが、今回でひとまずの区切りを付けたい。
0 件のコメント:
コメントを投稿