ページ

2024年12月31日火曜日

2024年/NHK甲府「……志村正彦がのこしたもの~」 [志村正彦LN359]

 一週間前、今年最後の「山梨学Ⅱ」の授業で、NHK甲府「若者のすべて~フジファブリック・志村正彦がのこしたもの~」を受講生に見せた。

 山梨英和大学の2年次前期必修科目「山梨学Ⅰ」では、行政機関や博物館などの実務担当者や専門家を招聘講師として招いて、「行政と地域活性化-富士吉田市ハタオリフェスの試み」(富士吉田市富士山課)、「世界文化遺産-富士山ー信仰の対象と芸術の源泉」(山梨県富士山世界遺産センター)、後期の選択科目「山梨学Ⅱ」では「山梨ハタオリ産地の歴史とブランディング活動」(山梨県産業技術センター富士技術支援センター)という特別講義を行った。受講生は、地域、観光、行政、歴史、信仰、芸術、技術、広報という様々な観点から、富士吉田を中心とする富士北麓地方について学びんできた。さらに「山梨学Ⅱ」では、10月に富士吉田の「ハタオリマチフェスティバル」に行き、いろいろな方へのインタビューを通してハタフェスについての報告をSLIDEにまとめて、グループ別に発表した。知識だけでなく、実践的で探求的な活動を試みているが、年間を通じて富士北麓という地域が大きなテーマの一つとなっている。

  今回は、志村正彦・フジファブリックの音楽を広めていく地域の活動に焦点をあてて、志村正彦の同級生たちの活動、地域や地域を越えていく彼の影響力の広がりという観点を設定した。


 学生たちがNHK番組について書いた文章を六つほどここで紹介したい。


  • 彼の魅力が今も語り継がれているのは、志村さんが作る音楽が素晴らしいだけでなく、その人柄や思いが深く周囲に影響を与え続けているからだと感じた。それと同時に、多くの人に愛された志村正彦という存在と彼の作った曲は今後も決して忘れられることなく、人々の心に生き続けると確信した。
  • 番組で語られていた地元山梨に対する志村さんの想いや、音楽を通じて表現しようとした人間的な温かさに触れ、音楽だけでなくその背後にある彼の人生観や価値観にも魅了されました。地元に根差しながらも、広く世界に向けて発信していくその姿勢は、山梨という地域の誇りでもあると感じます。
  • 本人が亡くなってしまった後でも、本人のために何かをしてあげたい、こういう人がいたということを残してくれる人がいるということは、何よりも本人が生きて頑張った証なのだというように思った。

 志村正彦の「人柄や思い」が周囲に深く影響を与え続けていること、地元山梨に対する「想い」、音楽を通じて表現しようとした「人間的な温かさ」、「人生観や価値観」に魅了されたというように、志村正彦の存在そのものを受けとめようとする意見が多かった。また、彼の音楽が聞き続けられ、人柄が語り継がれる今日の状況は「何よりも本人が生きて頑張った証」だとされたことには、このブログの書き手としてとても共感した。

  • 私がフジファブリックを初めて知ったのは小学生の頃で、志村さんが亡くなられた後に志村さんを除いたメンバーが音楽番組に出演されていたのをたまたま目にして、それが非常に印象に残っていました。亡くなられてからもたくさんの人々に愛されていたお方なんだろうなあというのはその際から印象として持っていました。
  • 志村正彦さんの曲は中学生のときに担任の先生がギターで演奏してくれて知りました。歌詞一言一言に山梨の景色や空気、思い出など詰まっていて、聞いているだけで山梨の街並みが浮かんでくるような思いにさせられます。
  • フジファブリックのことを初めて知ったのは今年の前期で受講した山梨学だった。志村正彦さんの作った曲がその時にやった講義の中で一番心に残った。なぜなんだろうと思ったがおそらく僕は志村正彦さんの歌詞や志村さん自体の世界観が今までに出会った人たちとは全く違うからだと考える。


 小学生の頃に見た番組、中学生の時の担任のギター演奏、そして大学での講義、と出会い方は様々だが、志村正彦・フジファブリックとの出会いの機会は増えているようだ。もちろん、受講生の八割は山梨で生まれ育った学生だということがあるだろう。最後の文章には「志村正彦さんの歌詞や志村さん自体の世界観が今までに出会った人たちとは全く違う」と書かれている。そのような捉え方をさせる力が志村正彦という存在とその作品にはある。


 授業終了後、中国からの留学生が声をかけてくれた。9月の末に、新倉山浅間公園に行くために下吉田駅で下りたときにある曲が流れていたが、誰の曲かどうして駅でその曲を流すのかを分からなかったが、この番組を見てあの時の曲が「若者のすべて」や「茜色の夕日」だと分かり、志村正彦という人を知ることができて良かった、と語ってくれた。このような出会い方もあるのだ。


 今年2024年を振り返ると、まず第一に7月にフジファブリックが2025年2月で活動を休止することが発表されたことが挙げられるだろう。一つの時代が終わり、フジファブリックという円環が閉じられる。

 それに関連して、8月に、フジファブリック 20th anniversary SPECIAL LIVE at TOKYO GARDEN THEATER 2024「THE BEST MOMENT」が開かれた。志村家の協力によって、これまでにない素晴らしい演出となった。『モノノケハカランダ』『陽炎』『バウムクーヘン』『若者のすべて』では、志村正彦の音源・映像とステージでの生演奏がミックスされた。アンコールの『茜色の夕日』では画像はない代わりに、志村の歌う声が強く響いてきた。

  6月にNetflix映画『余命一年の僕が、余命半年の君に出会った話。』が配信された。劇中歌として『若者のすべて』が使われたが、物語そのものに深くこの歌が関わっていた。(そのことはこのブログで数回に分けて書いた)

 『若者のすべて』の優れたカバーが続いた。映画『余命一年の僕が、余命半年の君に出会った話。』主題歌のsuis from ヨルシカ、大島美幸・こがけんのデュエット、ガチャピン。その他、YouTubeでもいくつもカバーがアップされている。すべてを追えないくらいだ。

 この曲が人びとに聴かれて、ますます広がり、知名度も上がっていることを実感した。


2024年12月20日金曜日

アンコール放送・全国配信、NHK甲府「若者のすべて〜フジファブリック・志村正彦がのこしたもの〜」[志村正彦LN358]

 今夜12月20日の午後7時半から、NHK甲府の「金曜やまなし」枠で、2019年12月13日に放送されたヤマナシ・クエスト 「若者のすべて〜フジファブリック・志村正彦がのこしたもの〜」のアンコール放送があった。「アンコール放送」とされているのは、たくさんのファンからの要望があったからだろう。


 初回放送から五年が経っている。すべてが懐かしい。そんな想いにとらわれた。志村正彦という存在も、その歌も、彼の故郷も、彼の友人たちも、この番組自体も、五年の時が流れているのだが(五年の時しか流れていない、というべきかもしれないが)、そのすべてがもはや懐かしい。あたかも、志村正彦が関わる世界のすべてがつねにすでにある種の懐かしさにつつまれているかのように。いまここで、つねにすでに、懐かしい。


 番組冒頭で、1stアルバム『フジファブリック』のプロデューサー片寄明人が、志村正彦・フジファブリックについてこう語っていた。

聴いたことのない音楽だなあってのは思いましたね

ノスタルジックな感情がわーっと湧きあがってくる

十年後二十年後に聴かれても古くならないような 普遍的としか言いようがない言葉が込められていると思いますね


  ノスタルジックな感情とは、まさしく、懐かしさや郷愁を感じることである。志村正彦は、言葉と楽曲によってノスタルジックな抒情を歌いあげた。片寄の言うように、その作品は十年後二十年後でも古くはならない。実際に、この番組で取り上げられた「陽炎」「赤黄色の金木犀」はリリースからすでに20年が経っている。「茜色の夕日」はそれ以上、「若者のすべて」は17年の時間を経ている。しかし古びてはいない。そもそものはじまりから懐かしいものは決して古びることがない。おそらくそうなのだろう。懐かしいものは、逆説的ではあるが、つねに新しい。


 この番組はNHKプラスで見逃し配信しているので、全国どこでも視聴できる。期限は「12/27(金) 午後8:15 まで」である(当初は「1月3日午後8:15まで」と表示されていたので、「通常は1週間だが、その倍の期間、来年の1月3日午後8:15まで可能のようだ。この配慮はありがたい」と書いたのだが、その後変更されたのでこの文も修正した)

 来年2月でフジファブリックが活動休止になる節目だからこその企画かもしれないが、NHK甲府局での再放送、そしてNHKプラスによる全国配信は、志村正彦・フジファブリックのファンにとっては朗報である。

 しかしそれでもできることなら、新しい番組を見たかったというのが本当のところである。まだまだ、もっともっと、深く深く、志村正彦・フジファブリックを掘りさげていくことはできる。その未来の番組に期待したい。


2024年11月22日金曜日

Genesis『The Lamb Lies Down on Broadway』の半世紀

 50年前の1974年11月22日、Genesisの『The Lamb Lies Down on Broadway』というダブルアルバムがリリースされた。半世紀の時間が流れたことになる。

 日本での発売は翌年1975年2月、邦題は『幻惑のブロードウェイ』だった。すでにジェネシスのファンだった僕は甲府のレコード屋「サンリン」で購入した。それ以来、このアルバムは僕の愛聴盤となった。愛聴盤というよりも次第に絶対的な音盤、存在となっていた。

 2枚のLPレコードに全23曲が収録され、ジャケットのインナースリーブはピーター・ガブリエルが書いた物語が載っていた。ジャンルとしてはロック・オペラになるだろう。物語の主人公はニューヨークのプエルトリコ人「Raelレエル」。歌詞と物語は、おそらくピーター・ガブリエルが実際に見た夢(夢というよりほとんど悪夢なのだが)を基にして、様々な文学作品や宗教・神話のテクストを織り交ぜて書き上げられていったと推測される。「Rael」という名はもちろん「Real現実」の綴りを変えたもの。10曲目の「Carpet Crawlers」の歌詞の一節に「We've got to get in to get out 外に出るためには中に入らなくてはならない」とあるように、レエルは自らの無意識の内部に入り込み、最終的には再び、現実という外部へと出て行く。

 youtubeの「Genesis」公式サイトにこのアルバムの全曲がある。冒頭曲、「The Lamb Lies Down On Broadway (Official Audio)」を紹介したい。




 ピーター・ガブリエルは、「Rael」から「Real」への旅の物語を歌った。このアルバムを聴いた当時、その物語の意味はあまり分からなかったのだが、ピーター・ガブリエルの声、歌、囁き、叫び、歌詞や物語の断片、言葉の韻やリズムから、それこそ幻惑のようにしてこのロック・オペラを繰り返し聴いた。微かに物語の断片が浮かんできた。

 1974年の当時、ピーター・ガブリエルは、妻や家庭のこと、バンドメンバーとの軋轢などで精神的に行き詰まり、フロイトやユングなどの精神分析の本をよく読んでいたそうだ。その苦難の痕跡がこの作品に現れている。ダブルアルバムだからというわけでもないのだろうが、物語には「Rael」の兄「John」も登場し、「Rael」と「John」とは分身、二重身、ダブルの関係でもある。分身は精神分析が探求したテーマだ。


 今振り返ると、このダブルアルバムから僕は決定的な影響を受けたようだ。ロック音楽そして文学へと深く入り込んでいった。ここ数年、芥川龍之介や志賀直哉の夢をモチーフとする作品を分析する論文を書いていることも、このアルバムとの出会いが重要な契機になっているのかもしれない。


2024年11月10日日曜日

2024ハタフェスと「赤黄色の金木犀」の黒板画[志村正彦LN357]

 もう三週間前になるが、10月19日、「山梨学Ⅱ」という授業で30人の学生と一緒に富士吉田の「2024ハタオリマチフェスティバル」に行ってきた。地域活性化の先進的な試みを学ぶための現地見学と調査だ。ここ数年の間、行っている。朝9時にバスに乗って大学を出発。心配していて天気も何とかもちそうで、御坂トンネルを越すと、富士山がその美しい姿を現した。少し雲はかかっていたが、まだ雪はなかった。夏山の富士だった。10時に富士吉田市役所の駐車場に到着。バスを降りて会場に向かった。引率教師と学生たちが集団で歩く姿は、まるで小学生の遠足のように見えただろう。

 ハタフェスは富士吉田の秋祭り。二日間、本町通り沿いの各会場でハタオリの生地や製品を販売したり関連のイベントをしたりする街フェスだ。昼までは五人ずつの六つのグループに別れて見学し、インタビューなどを通して調査を行い、見学報告のSLIDEを作成するのが課題だ。午後は各自の自由見学という流れだ。僕もいくつかのスポットを廻った。ところどころで学生たちとも出逢った。


 まずはじめに、KURA HOUSEで開催の「私のハタオリマチ日記展」。イラストレーターのmameさんが描いてきたRIHO、SACHI、AOIの物語とそのイラストが展示されていた。mameさんの絵のキャラクターはとにかく愛らしいのだが、状況や背景もしっかりと描かれているので、その場の雰囲気がよく伝わる。富士吉田という街と人の物語が浮かんでくるのだ。志村正彦ゆかりの喫茶店と言われる「M2」の前で佇むイラストも飾られていた。ポスターやポストカードのプレゼントもあったのが嬉しかった。


 今年はフードコートのようなエリアが充実していた。甲府のAKITO COFFEEの店があったので、フィルターコーヒーを深煎りで注文した。出来上がりまでの時間、このエリアにいる人びとを眺めると、各々がゆっくりとこの場にいることを楽しんでいるようだ。一息つくことができた。コーヒーで身体が温まる。チョコレートのマフィンも美味しかった。

 次は小室浅間神社。ここに来るといつもポニーを見に行く。可愛い眼が和ませる。こういう場もあるのがハタフェスのよいところだ。



 この後、中村会館を目指して本町通りを上がっていく。途中で驚くことがあった。M2近くにある謎の古書店「不二御堂」が何とオープンしているではないか!ここは何度も通ったことがあるが、いつも閉まっていた。初めて入り、高速に眼を動かして、書籍を物色。僕の趣味に合う本が多い。懐かしい本もたくさんあった。「現代詩手帳」のバックナンバーに掘り出し物があったので購入した。

  中村会館のエリアには黒板当番さんのコーナーがある。毎年ここに寄るのを楽しみにしている。志村正彦の黒板画をプリントした小さな絵が並んだパネルが立っていた。何度見てもあきることがない。


 

 さらに、富士山駅まで歩いていく。ゆるやかだが上り坂なのでけっこうしんどい。目指すは、駅ビル『ヤマナシハタオリトラベル』にある、志村正彦・フジファブリック「赤黄色の金木犀」をテーマとした黒板画だ。

 今年はいつもと違い、エレベーター近くの目立つ場所に飾られていた。
 絵の全体が赤黄色の色合いに溶け込んでいる。金木犀が香ってくるようだ。チョークの綺麗な点描で志村正彦の表情が繊細に描かれている。黒板当番さんがたくさん描かれてきた志村画のなかで、この絵がもっとも好きになった。




 見学から一週ほど後に、授業で六つのグループによる「ハタフェス見学報告」SLIDEの発表会を行った。全グループをまとめると120枚のSLIDEが出来上がった。いろいろな観点からハタフェスの魅力を語り、地域活性化のためのアイディアを考えた。課題や改善点も探った。

 あるグループが「YOUは何しにハタフェスへ」と題して、海外から来た人へのインタビューをまとめた。このユニークなテーマが大好評だった。フランス人夫婦(40代)、台湾人カップル(30代)、ドイツ人女性(30代)、オーストラリア人女性(40代)、マレーシア人男性(20代)と、国際色がほんとうに豊かだ。
 ハタフェスについては、「民泊のところに置いてあったチラシで知った」「泊まってるホテルから教えてもらった」「富士山や新倉山浅間公園を見に来たら、たまたまやっていた」という回答。みんな、雰囲気が素晴らしいと答えてくれたそうだ。

 これから、富士吉田の「ハタオリマチフェスティバル」が世界に知られるようになるのかもしれない。この街にはそのようなパワーがある。

2024年10月17日木曜日

「赤黄色の金木犀」と「金麦〈帰り道の金木犀〉」[志村正彦LN356]

 僕の住む甲府では、毎年、九月の下旬には金木犀が香り出すのだが、今年はまったくその兆しもなかった。金木犀は気温があるところまで下がってくと、花が開花し、香り始める。今年はあまりにも猛暑が続いた。その影響で全国各地で金木犀の季節が遅れているようだ。

 もしかすると今年はもう香らないなのかもしれない。そんな心配をしていたところ、一昨日から、家の周りからあの特別な香りが微かに漂い始めた。例年より二十日以上遅いことになる。暑い季節と寒い季節の二つが巡っているような季節感が定着しだした。秋は束の間に過ぎ去っていく。


 毎年、金木犀が香り始めると、志村正彦・フジファブリックの『赤黄色の金木犀』の音源をあらためて聴くことにしている。大学の日本語表現の授業では、短い時間を使って曲の歌詞を分析して、日本語の詩的表現の特徴を伝えることがある。一昨日、この授業があった。このタイミングしかないと思って『赤黄色の金木犀』を取り上げた。学生に音源を聴かせた後で、特に〈赤黄色の金木犀の香りがして たまらなくなって/何故か無駄に胸が 騒いでしまう帰り道〉の箇所について次のようなことを語った。


  • 香りというものは我々の記憶の深いところに作用する。意識にも上らない何かの出来事と金木犀の香りが結びつき、無意識の底に張り付いているのかもしれない。
  • 〈何故か〉〈無駄に〉〈胸が〉〈騒いでしまう〉。一つひとつの言葉は分かりやすいものであっても、この配列による表現はなかなか解読しがたい。言葉の連鎖のあり方が単純な了解を阻んでいる。〈胸が〉〈騒いでしまう〉想いの内実は明かされることなく、言葉の間に隠されているが、〈何故か〉〈無駄に〉という修飾語が痛切に響く。
  • 歌詞の全体に三拍の言葉によるビート感があり、〈強・弱・弱〉の反復がリズムの区切りとなっている。特に〈何故か無駄に胸が騒いでしまう帰り道〉の〈なぜか・むだに・むねが・さわい・で・しまう・かえり・みち〉というフレーズは、三拍の頭の〈な・む・む・さ・し・か・み〉の強い響きが、何かに急き立てられるような感覚を打ち出す。


 この九月サントリーが発売した発泡酒「金麦〈帰り道の金木犀〉」が、志村ファンの間で話題になった。そのWEBには〈アロマホップを使用し、上面発酵酵母を用いて醸造することで、甘く爽やかな香りを実現しました〉とある。〈帰り道の金木犀〉という命名は、〈帰り道〉〈金木犀〉という語を各々使うことはあるかもしれないが、〈帰り道〉〈の〉〈金木犀〉という言葉の連鎖になると、おそらく、「赤黄色の金木犀」の歌詞から着想を得たものだと思われる。あるいはむしろ、この歌に対するオマージュのような気もする。9月のアルコール飲料売上ランキングの1位はこの〈帰り道の金木犀〉だったという記事を読んだ。商品名のセンスが良いことも売れている要因だろう。



 販売開始後まもなくスーパーで買ってきたのだが、僕は酒がまったく飲めない。缶を眺めるだけの日々が続いたが、昨夜、甘い香りがする酒を飲む夢を見た。これまで酒を飲む夢を見たことは一度もない。間違いなく、金木犀の香りがしたことにも触発されて、僕の無意識が〈帰り道の金木犀〉を飲みたいという欲望を成就させたかったのだろう。


 今夜、10月17日のNHK「クラシックTV」という音楽番組を見た。テーマは「音楽会議ふたたび! エモいって何?」。〈最近よく耳にする「エモい」ってどういう意味?に音楽から迫る「音楽会議シリーズ」第2弾!エモい感情を生み出す音楽とは?おすすめの「エモ曲」と共にひも解きます〉という趣旨だった。

 この番組で〈世の中には「これはエモい!」と感じるエモ曲があります〉というナレーションとともに、フジファブリック「若者のすべて」のMV映像が一瞬だけ流れた。志村の声も聞こえてきた。「エモ曲」の代表曲としての扱いだが、時間が短すぎて「エモい」感じに浸れなかった。他にいくつもの曲が紹介されていたが、音楽はそもそもエモいものである。


〈エモい〉の辞書的な意味は〈感情が揺さぶられて何とも言い表せない気持ちになること〉だと説明されていた。このような意味合いであれば、志村正彦のかなりの、というよりもほとんどすべての曲は、エモいと言える。「若者のすべて」は、当然、エモい。しかし、エモい感情や感覚が最もあふれている曲は、「赤黄色の金木犀」ではないだろうか。

 この曲は聴き手の感情を揺さぶる。イントロとアウトロの志村によるアルペジオのギター音が流れ、歌詞の言葉は繊細に情緒深くつながる。曲が金木犀の香りを想起させる。音と言葉、様々な要素が複雑に共鳴して、感情を揺さぶり続け、何とも言えない気持ちにさせる。まさしく、〈何故か無駄に胸が/騒いでしまう帰り道〉にいるようなエモい想いに聴き手は包まれる。


  金木犀が香りはじめた。「赤黄色の金木犀」に耳を澄ました。「金麦〈帰り道の金木犀〉」の缶を眺めていた。甘く香る酒の夢を見た。何故か、無駄に、僕の無意識が騒いでしまった。


2024年9月29日日曜日

『若者のすべて』カバー、suis from ヨルシカ/大島美幸・こがけん/ガチャピン。[志村正彦LN355]

 2024年の夏は、suis from ヨルシカによる『若者のすべて』カバーが、映画『余命一年の僕が、余命半年の君と出会った話。』の主題歌として話題を集めたが、大島美幸・こがけん、ガチャピンによる素晴らしいカバーが続いた。今日はこの三つのカバーについて触れたい。


 まず、suisのコメントから始めたい。suisは、10代後半の頃、あるアーティストの「若者のすべて」弾き語りカバーをライブ配信で聴いて、すごくいい曲だと衝撃を受けたそうだ。『suis from ヨルシカ 特集|フジファブリックの名曲「若者のすべて」カバーで描く“未知への希望”』という記事で、当時の想いについてこう述べている。

歌詞やメロディ、志村さんの歌声に“青春の延長”みたいなニュアンスを感じたんです。その頃の私は青春時代を過ごしていたんですけど、「これはいつか過ぎ去るものなんだ」と思っていて。「若者のすべて」には、過ぎ去ってしまった青春を未来から見ている感覚があったんだと思います。

 この歌を〈過ぎ去ってしまった青春を未来から見ている感覚〉として受けとめたというのが興味深い。志村正彦のかなりの作品には、未来から現在そして過去へと遡っていく視線があるからだ。時間への独特な眼差しが彼の歌に深みと広がりを与えている。

 suisが歌う『若者のすべて』には Music Videoがある。映像は、映画「余命一年の僕が、余命半年の君と出会った話。」ではなく、新たに制作された。監督は映画と同じ三木孝浩。二人の女の子は、映画で早坂秋人(永瀬廉)の妹夏海を演じていた月島琉衣と豊嶋花。キャスティングのつながりがあるので、あたかも早坂夏海の世代の物語のように見えてくる。

 suis from ヨルシカ 「若者のすべて」 Music Vide【2024/06/28】



 以前、「若者のすべて」の「僕ら」について次のように書いたことがある。

 「僕ら」とは誰なのか。
 『若者のすべて』の物語の鍵となる問いだ。「最後の花火」系列では、「会ったら言えるかな まぶた閉じて浮かべているよ」と「まいったな まいったな 話すことに迷うな」という二つの対比的なモチーフが要となっている。「まぶた」を閉じた「僕」は「まぶた」の裏の幻の相手に対し「会ったら言えるかな」と、「まぶた」を開けた「僕」はその眼差しの向こうの現実の相手に対し「話すことに迷うな」と、心の中で語り出す。
 「僕ら」という一人称代名詞複数形によって指示されるのは、歌の主体「僕」と、「僕」の眼差しの対象である相手との二人であろう。「僕」の強い欲望の対象となっている相手であるから、恋愛の対象とみるのも自然だ。「僕」にとってその相手は、恋愛の関係である、あった、あるだろう、あるいはありたい、という枠組みで括られると読むのが普通なのだろう。しかし、恋愛の物語としての『若者のすべて』というのは動かしがたい解釈なのだろうか。
 「恋愛」という関係性は、その本質からして閉じられていくものだが、「僕らは変わるかな」という問い、「同じ空を見上げているよ」という眼差しからは、閉じられていくというよりも、開かれているような、そして、おだやかに変化しつつある関係性のようなものが伝わってくる。微妙ではあるが、その実質には「友愛」のような関係性も入り込んでいるように、私には感じられる。
 この場合の「友愛」とは、「愛」と呼ばれる関係からエロス的なものを排除したものであり、友人、仲間、同じ世代や同じ志を抱く共同体にゆるやかに広がっていく。そのような関係に基づく「僕ら」は、『若者のすべて』が収録されている『TEENAGER』のコンセプトにもつながるような気がする。十代の若者たち、今その世代に属する者も、かってその世代に属していた者も、これからその世代に属することになる者にとっても、「僕らは変わるかな」という問いはリアルなものであり続けるだろう。


 三木孝浩監督による「若者のすべて」Music Videoの「僕ら」は、月島琉衣と豊嶋花が演じる二人の女の子である。

 冒頭、花火のシーン。豊嶋花「ね」、月島琉衣「うん」、豊嶋花「来年もまた花火を一緒に見れるかな」。月島琉衣は返事をしないで少しだけ微笑む。豊嶋花は不安そうな表情。映像の最後では季節が冬へと変わり、二人はひとりひとりで別の場所にいる。この二人に何があったのかは、見る者の想像に委ねられているが、「僕らは変わるかな 同じ空を見上げているよ」というフレーズに収斂していくことは間違いないだろう。


若者のすべて/フジファブリック/Miyuki Oshima/ Kogaken【2024/07/26】

  


 大島美幸[森三中]とこがけん(古賀憲太郎)のデュエットによる『若者のすべて』。このカバーの「僕ら」は、この歌を愛する同志、芸人仲間のことになるだろう。二人の生まれは1980年と1979年。志村正彦と同年、同世代である。同世代の「僕ら」が同じ空を見上げているかのように、美しいハーモニーで歌っている。


【最後の花火に今年もなったな】フジファブリック - 若者のすべてをガチャピンが歌ってみた。 Fujifabric - Wakamono No Subete 【2024/09/01】



 あのガチャピンが『若者のすべて』を歌う。これには驚いたが、聴いた後でその質の高さにさらに驚いた。東京お台場のフジテレビ本社などを背景に、ビルの屋上で佇みながら一人で孤独に歌う姿。夕方から夜にかけてのウォーターフロントの灯りがとても美しい。

街灯の明かりがまた 一つ点いて 帰りを急ぐよ
途切れた夢の続きをとり戻したくなって

 ガチャピンの〈途切れた夢の続き〉は何だろうか。そんなことを想う。ここからそう遠くはない場所で、フジファブリック20周年記念「THE BEST MOMENT」ライブが開かれたことも想い出す。いろいろな想いが浮かんでくる歌であり、映像である。


  志村正彦・フジファブリック 『若者のすべて』のカバーのすべては、すぐにはたどりきれないほどの数となっきたが、そのひとつひとつのすべてが愛おしい。夏の終わりの季節のこの歌は、つねにすでに懐かしくなる。


2024年9月22日日曜日

歌を創り歌う者、歌を歌い継ぐ者。[志村正彦LN354]

 映画『余命一年の僕が、余命半年の君と出会った話。』について断続的に四回書いてきたが、五回目の今回で完結させたい。(後半の重要な台詞についての引用があることをお断りしたい)


 映画の題名どおり、春菜と秋人は各々の余命を生き、各々が旅立っていく。しかし、二人の死があからさまに描かれることはない。むしろ、その死のあとに遺されたものに焦点があてられる。

 明菜が亡くなると、スケッチブックが遺される。そのなかの言葉が春菜の声で語られる。

(春菜)秋人君へ ここが 今の私にとっての天国です 秋人君は つらいばかりだった この場所を あたたかで まぶしい場所に変えてくれたんだ ここで 私はたぶん 一生分 笑えました ここで 一生分の涙を流しました 早く死にたいと思ってた私が 一日でも長く生きたいと思えるようになりました  秋人君のおかげで 本当に幸せだったよ だから秋人君も 私の分まで長生きして ーもっともっと幸せになってー もっともっと すてきな絵を描いてね 

  《回想シーン》(秋人)それ 何描いているの?(春菜)内緒

(春菜)そしていつか 空の向こうで おじいちゃんになった秋人君と再会できる日を 楽しみにしています そのときは 君のこと “親友”って呼んでもいいよね

最後に 数えきれない お花のお返しに 私も お花を贈るね

 春菜のスケッチブックには三本のガーベラが描かれていた。

 この後、秋人は懸命に絵を描き、出術を受けて、美大に合格し、家族と旅行に出かけ、綾香を良き友にして、余命を生き続けようとする。


 数年後、綾香は社会人となる。再入院した秋人の見舞いに行く途中で花屋に寄ると、あるSNSのサイトを見つける。秋人が春菜にあげたガーベラの画像があった。

 病院の屋上で秋人は、〈人生最後の絵〉いや〈春菜にもらった第二の人生最初の絵〉を描いている。秋人の腫瘍は転移し、死が迫っていた。綾香はガーベラの画像のあるSNSのことを秋人に教える。そこには限定公開のエリアがあった。秋人はパスワードを探しあてる。そこには、

  余命半年と宣告された私が、余命一年の彼と出会った話

という題名のもとに、一連の記述が続いていた。春菜の視点からのもう一つの物語が展開していく。この映画では、秋人による〈余命一年の僕が、余命半年の君と出会った話〉と春菜による〈余命半年と宣告された私が、余命一年の彼と出会った話〉の二つの物語が重層的に織り込まれる。

 春菜の言葉のなかで大切なところを引用する。

(春菜)秋に生まれた君へ 

秋人君がくれたガーベラの写真と 私の思いをつづっておくことにしました

この記述から、春菜は秋人の余命のこともすべて知っていたことが、秋人に伝わる。そして、大切なことが記されていた。

そして私が先に死んで 空の上から君を見守るから

花火の夜 言えなかったことは 伝えないままでいくね

《8月20日花火の夜、回想シーン》

(春菜)あのね 私ね (花火の音)本当のこと言うと 秋人君のことが…

 ここでも、春菜の〈本当のこと〉は言葉として書かれることはなかった。 

(春菜)だけどもし 巡り巡って 君がこれに気づいてくれたら 信じたい それが ずっと意地悪だった神様が 最後に私にくれた贈り物なんだって ねえ 君はきっと 6本のガーベラの意味を知って届けてくれていたんだよね 長い間 病院暮らししてるとね 見舞い花の花言葉は ひととおり 覚えちゃうもんなんだ 秋人君も知ってると信じて 私は 3本のガーベラの花言葉を 君に贈ります

 春菜のスケッチブックに描かれた三本のガーベラの絵の画像がスマホの画面に映し出される。三本のガーベラの花言葉〈あなたを愛しています〉という意味だ。春菜から秋人へ、花の絵が、花の言葉が贈られる。

 秋人は余命宣告から3年半後に亡くなった。綾香が三本のガーベラの花束を二つ抱えて墓参りに行くシーンで映画は終わる。秋人と春菜だけでなく、綾香の物語もあることを忘れてはならない。この映画では、秋人、春菜、綾香の三人の物語が語られる。


 物語の終了後、エンドロールに、suis(ヨルシカ)が歌う『若者のすべて』が聞こえてくる。やがて、展覧会場のある絵がクローズアップされてくる。その絵のキャプションにはこうある。

  二科展入選作
  早坂秋人・桜井春奈共作
  ふたりの空 (油彩/キャンパス)

 この絵はもともと、春奈が自分のスケッチブックに描いていたものだ。その絵を秋人が油絵として完成させた。だから、二人の共作であり、題名も「ふたりの空」となったのだろう。

  エンドロールには次の表示があった。

  劇中使用曲
  「若者のすべて」フジファブリック 作詞・作曲 志村正彦

  主題歌
  「若者のすべて」suis from ヨルシカ 作詞・作曲 志村正彦 編曲 亀田誠治

 原曲とカバー曲は、劇中使用曲と主題歌として位置づけられている。そして、『若者のすべて』の作詞・作曲者が志村正彦であることを明確に記している。このようなクレジット表記にも、監督をはじめとする制作者側の志村正彦・フジファブリックへのリスペクトが感じられた。

 今回は、〈映画『余命一年の僕が、余命半年の君と出会った話。』予告編 - Netflix〉を添付する。suis(ヨルシカ)が『若者のすべて』を歌うヴァージョンの予告編だ。
 同じ映像を背景にしても、志村の声と歌い方、suisの声と歌い方とではずいぶん印象が異なる。それでも、映画本編には劇中使用曲として志村正彦の歌を使い、終了後の主題歌としてsuisの歌を使ったのは、“残す者、残される者”、“歌を創り歌う者、歌を歌い継ぐ者”というモチーフを徹底させたからだろう。



 
 あらためて、映画を見て、この二つの歌を聞き比べた。

 劇中の志村の歌は、あたかも志村が空の彼方から春菜と秋人を見守るかのように聞こえてくる。終了後のsuisの歌は、あたかも映画の鑑賞者の私たちの視点から、春菜と秋人の二人、そして志村正彦のいる空を見上げているかのように聞こえてくる。


 志村正彦は『若者のすべて』で、〈僕らは変わるかな 同じ空を見上げている〉と歌った。この歌詞の意味を受けとめると、三木孝浩監督映画『余命一年の僕が、余命半年の君に出会った話。』は、制作者が意図したように、死ではなく生を描こうとした作品であることが伝わってくる。

2024年9月8日日曜日

《小説の世界》《歌詞の世界》《現実の世界》 [志村正彦LN353]

 8月2日の記事〈虚構内の現実としての『若者のすべて』[志村正彦LN349]〉で、映画『余命一年の僕が、余命半年の君と出会った話。』の虚構の世界のなかで『若者のすべて』の作詞作曲者であり歌い手である志村正彦、フジファブリックの音楽が現実に存在していると書いた。一月ほど間が開いたが、再び、この映画について語りたい。

 なぜこの映画のなかに『若者のすべて』が存在しているのか。原作小説の森田碧『余命一年と宣告された僕が、余命半年の君と出会った話』でも花火に関する出来事は語られているが、『若者のすべて』との関係は特にない。映画の方はこの曲を劇中使用曲にしたのだが、三木孝浩監督はその理由と経緯についてSTARDUSTのインタビューでこう述べている。


新たに作るのではなくて「みんなが知っている思いを乗せられる楽曲をモチーフにしたいね」という話が最初からあって、いろんな楽曲の候補が出た中でプロデューサーからフジファブリックの「若者のすべて」を提案してもらいました。僕もすごく好きな曲で、ヨルシカのsuis(スイ)ちゃんにカバーしてもらっているんですけど、志村さんが亡くなられた後もみんなが歌い繋げてきたという部分と、秋人と春奈の2人の思いをその先に生きていく人が引き継いでいく部分と同じだなと思う側面があって「これだ!」と思いました。この曲は夏の終わりの切なさを歌っているんですけど、僕はむしろ今この瞬間のエモーションを大切にしたいという曲の持っているポジティブなメッセージを2人の距離が近づいていくシーンで流したいという意図があって、この映画の切なさより力強さを表すことができたと思いました。


 『若者のすべて』を〈みんなが知っている思いを乗せられる楽曲〉として採用したようだが、この〈みんな〉には、現実の世界でこの歌を知っている〈みんな〉だけでなく、〈春菜〉を中心とする映画内の虚構の人間も含まれている。また、〈志村さんが亡くなられた後もみんなが歌い繋げてきたという部分〉と〈秋人と春奈の2人の思いをその先に生きていく人が引き継いでいく部分〉とを重ねあわせる意図があったようだ。監督をはじめとする制作者側は、『若者のすべて』の曲としての運命のようなものをこの映画の主題にも関わらせようとしている。現実と虚構の架橋をする効果も考えたのかもしれない。

 三木監督はWEBザテレビジョンのインタビューではこう語っている。


フジファブリックの志村正彦さんが作った曲で、志村さんは29歳の若さで亡くなっています。それでも、彼の音楽はいろんな人がカバーしていますし、引き継がれている。それがこの作品の“残す者、残される者”という部分にリンクしているな、と。


 つまり、志村正彦は亡くなったが作品は引き継がれている、という現実を強く意識し、その現実をこの映画の“残す者、残される者”というモチーフと結びけたことを率直に述べている。そのような意図があれば、志村正彦の声によるオリジナルの音源を劇中使用曲にするのは必然だった。


 この映画には、原作小説『余命一年と宣告された僕が、余命半年の君と出会った話』の《小説の世界》、『若者のすべて』で歌われる《歌詞の世界》、夭折した志村正彦の作品が歌われ聴かれ続けているという《現実の世界》という三つの世界が織り込まれている。《小説の世界》《歌詞の世界》《現実の世界》という三つの世界をつなけるのは、“残す者、残される者”というモチーフである。

 三つの世界を重ね合わせるという構想を実現させるのは、端的に言って難しい。この映画は、8月20日の花火をめぐる出来事までの前半とそれ以降の後半とに大きく分けられる(より正確に言うと三つに大別されるが、これについては後述したい)。秋人(永瀬廉)と春奈(出口夏希)が出会い、互いに対する想いを深めていく前半で、春奈が大切にしている歌として『若者のすべて』が流れる。歌詞にある〈最後の花火〉〈最後の最後の花火〉というモチーフが映画と密接な関係を持つ。しかし、後半では《花火》のモチーフは遠景に遠ざかり、《空》とその彼方というモチーフが強まっていく。歌詞のなかの言葉で言えば、最後のフレーズの〈僕らは変わるかな 同じ空を見上げているよ〉が前面に出てくる。


 前半と後半との間で一貫したモチーフとして登場しているのは、絵画と絵を描くこと、ガーベラの花とその花言葉である。そもそも、スケッチブックの絵が二人を結びつける契機となった。Netflix の一連の映像には、二人の出会いとスケッチブックの絵に焦点をあてたものがある。

その〈秋人を照らした春奈の無邪気な笑顔 | 余命一年の僕が、余命半年の君と出会った話。| Netflix Japan〉を紹介したい。




 この絵を描くことが、映画の後半とラストシーンにつながっていく。花火を見ることから、空を見上げること、さらに空の彼方を見つめることへとモチーフが展開していく。
 《花火》と《空》。この二つは『若者のすべて』の中心のモチーフである。
 
   (この項続く)

2024年8月31日土曜日

〈還らぬと知っているからこそ祈る〉[志村正彦LN352]

 今日は8月31日。台風のために雨が降り続いている。ときに激しい雨や雷雨になる。酷暑が続いたが、気温は低くなってきた。ようやく、真夏のピーグが去っていくのだろう。この夏を振り返りたくなった。近いところから遡っていきたい。

 昨夜、8月30日、たまたまテレビのチャンネルをつけると、志村正彦・フジファブリックの「若者のすべて」が流れていた。テレビ朝日「ミュージックステーション」の「国民的夏の終わりラブソングtop10」という特集でこの歌が第六位に選ばれていた。夏の終わりになるとテレビやラジオからこの歌が聞こえてくる。気がつかないだけで、いろいろな夏の場面で「若者のすべて」が使われているのだろう。


 8月18日、アラン・ドロンが亡くなった。僕の世代だと洋画の美男俳優はアラン・ドロン一択だった。彼の出演作ではルキノ・ヴィスコンティ監督の『若者のすべて』(1960年、イタリア)が最も印象深い。貧しい南部からミラノやってきた母と五人兄弟の一家の物語。アラン・ドロンが演じる三男のロッコは、都会の生活には合わず、故郷に帰りたいと思っている。家族を深く愛しているが、そのためにと言うべきだろうか、残酷な悲劇が起きる。アラン・ドロンの美しい眼差しがギリシャ悲劇のような純度をこの映画に与えている。三時間近い作品だが、必見の映画だ。

 イタリア語の原題は『ROCCO E I SUOI FRATELLI』。直訳では『ロッコと彼の兄弟』だが、『若者のすべて』という邦題が付けられた。原題とはかなりの隔たりがある邦題になった理由や経緯は不明だが、五人の兄弟、五人の若者たちの様々な人生の光と影を描いたという意味で、〈若者のすべて〉という題が付けられたのかもしれない。 

 『若者のすべて』の映像作品というと、1994年のフジテレビ制作のテレビドラマが有名だが、ヴィスコンティ監督『若者のすべて』の方が本家である。志村正彦が映画『若者のすべて』、ドラマ『若者のすべて』を実際に見ているのか分からない。今ではもう〈若者のすべて〉という言葉は作品名を超えて普通の名詞のようにも使われている。


 最後はやはり、8月4日のフジファブリック20周年記念ライブ「THE BEST MOMENT」。

  『モノノケハカランダ』『陽炎』『バウムクーヘン』『若者のすべて』は志村正彦の歌と映像、『茜色の夕日』は志村の歌とステージの生演奏を合わせた演出が記憶に強く刻まれている。

 そのスクリーンとステージのことを思いだしても、その時の感情を言葉ではなかなか表現できなかった。今日、この文章を書いているうちに、学生時代に読んだ小林秀雄の『本居宣長』の最終章の言葉が浮かんできた。小林はこう書いている。


 万葉歌人が歌ったように「神社(もり)に神酒(みわ)すゑ、禱祈(いのれ)ども」、死者は還らぬ。だが、還らぬと知っているからこそ祈るのだ、と歌人が言っているのも忘れまい。神に祈るのと、神の姿を創り出すのとは、彼には、全く同じ事(ワザ)なのであった。死者は去るのではない。還って来ないのだ。と言うのは、死者は、生者に烈しい悲しみを遺さなければ、この世を去る事が出来ない、という意味だ。それは、死という言葉と一緒に生れて来たと言ってもよいほど、この上なく尋常な死の意味である。


 生前の志村正彦をまったく知らない僕は、この〈烈しい悲しみ〉を抱く身ではない、と言える。そのような間柄があるわけではない。しかし、ここで書かれた〈死者は去るのではない。還って来ないのだ〉という言葉は、僕のような身にも強く響いてくる。

 あの日、志村の映像の姿を見て、志村の音源の声を聴いて、身に迫ってきたのはおそらく、彼は永遠に還って来ない、ということだと、今は振り返ることができる。


 春は〈桜の季節過ぎたら/遠くの町に行くのかい?〉(「桜の季節」)、夏になると〈真夏のピークが去った/天気予報士がテレビで言ってた〉(「若者のすべて」)、そして秋は〈もしも 過ぎ去りしあなたに/全て 伝えられるのならば〉(「赤黄色の金木犀」)と歌われる。

 春、夏、秋と、過ぎていく時間、去っていく季節、過ぎ去った人、というように、志村正彦は、過ぎ去る、過ぎ去ってしまった、何か、誰かへの想いを繰り返し歌ってきた。それはまた、そのすべてが還って来ない、ということでもある。そして、小林秀雄が言うように、〈還らぬと知っているからこそ祈る〉のであるだろう。


2024年8月11日日曜日

Xの呟きから 「THE BEST MOMENT」ライブ[志村正彦LN351]

  フジファブリック20周年記念ライブ「THE BEST MOMENT」から一週間が過ぎた。あの夜、なかなか眠れないなかでXの呟きを読んだ。4日と5日の呟きのなかで心を動かされたものについて触れてみたい。


 はじめは、メジャーファーストアルバムのプロデューサー片寄明人氏@akitokatayose。


Aug 5 ひっそり参加するつもりでしたが、金澤くんのMCでまさかの紹介をして頂いたので…1stアルバムのプロデュース以来、20年ぶりにお手伝いをさせて頂きました。2024年のフジファブリックのステージに志村正彦を呼んで共に祝おうと、志村家、メンバー、スタッフ、みんなで考えた選曲、演出、映像でした。

Aug 5 志村くんの歌とギターは、EMI期ディレクター今村くんに相談し、志村くんが当時OKを出したマスターを借り、エンジニアの上條雄次と2人でMIX用に施されたエフェクトや調整を外し、歌った瞬間、弾いた瞬間を封じ込めた生々しい処理に仕上げました。そこに今のフジの演奏が重なった時、それは魔法でした。


 志村は片寄氏を音楽的にも人物的にもとても慕っていた。その片寄氏が演出に加わったことが「THE BEST MOMENT」の成功につながった。彼の呟きから、志村正彦をステージに呼んで共に祝うという意図があったこと、志村家、メンバー、スタッフ、そして、片寄明人氏、今村圭介氏、上條雄次氏(山梨県出身のレコーディングエンジニア。志村日記にも登場する)が協力したことが分かる。

 具体的な作業としては、録音マスターテープからMIX用のたエフェクトや調整を外して音源を作成した。確かに、8月4日の志村正彦の声にはある種の生々しさがあった。まさにその場で生で歌っているような臨場感と言ってもよい。山内総一郎・金澤ダイスケ・加藤慎一と二人のサポーターメンバーの演奏との重ね合わせもかなりリハーサルが必要だっただろう。さらに、編集された映像とのタイミングの調整もある。丁寧に時間をかけて演出されたステージは確かに魔法をかけられたようだった。魔法ではあるのだが、極めてリアルな魔法、現実のような魔法であった。

 今村圭介氏 @KeisukeImamura の呟きも記しておきたい。

Aug 4 フジファブリックのデビュー20周年記念スペシャルライブへ。感情が溢れすぎて止まらなかった。終演後、同じくライブに来てたエンジニアの川面さんとKJと合流して色々語り合ったら少し元気になりました笑   またいつか! 

  KJとは上條雄次氏のことだと思われる。今村氏は志村在籍EMI時代の4枚のアルバムの制作を担当し、志村を支えた方なので、いろいろな感情が溢れてきたのだろう。


 音楽関係者が多いなかで、映画監督の塚本晋也氏のX@tsukamoto_shiny  が目にとまった。

Aug 4 ふとした機会を得、フジファブリック20年記念ライブに。『悪夢探偵』で蒼い鳥を作ってもらった。映像の志村正彦と生のバンドがうまくミックスされ、そこに志村がいるようだった。画面の下を見るとメンバーは激しく動いているが、マイクの前は無人。あの頃から若い人が亡くなることへの恐れが強くなった


 塚本晋也監督は志村正彦の音楽を深く理解していた。『悪夢探偵』のエンディングテーマ曲『蒼い鳥』の制作を依頼した。二人は『QRANK』という雑誌で対談しているが、音楽と映画、その関係について考える上で非常に貴重なものである。(後日、この対談について書いてみたい)

 塚本監督の代表作『鉄男』はリアルタイムで見ている。とにかく衝撃だった。それ以来ほとんどの作品を見てきた。映画監督として異能を発揮してきたが、俳優としても独自の存在感を持つ。


 ライブの翌日、新宿のシネマカリテでピエール・フォルデス監督のアニメ映画『めくらやなぎと眠る女』日本語版を見てから甲府に帰った。

 この作品は、村上春樹の六つの短編「かえるくん、東京を救う」「バースデイ・ガール」「かいつぶり」「ねじまき鳥と火曜日の女たち」「UFOが釧路に降りる」「めくらやなぎと、眠る女」を自由に組み合わせて作られた。今年度は前期のゼミナールで、「UFOが釧路に降りる」「かえるくん、東京を救う」を含む連作短編集『神の子どもたちはみな踊る』を学生と一緒に読んできたこともあって、ぜひ見てみたい作品だった。

 中心人物は「UFOが釧路に降りる」の小村だが、それに続く重要人物が「かえるくん、東京を救う」の片桐だ。片桐はある信用金庫新宿支店の係長補佐を勤める中年男性。原作では〈私はとても平凡な人間です。いや、平凡以下です〉と述べているが、かえるくんが東京を地震から救うことに協力する重要な役割を持つ。私のゼミでも学生たちは、この片桐という存在をどう捉えるか、活発に議論していた。

 このアニメには字幕版と日本語版の二つのヴァージョンがあるが、日本語で吹き替えて制作された日本語版で、片桐の声優を担当したのが塚本晋也だった。その声と語りは片桐のイメージに重なるところが多かった。難しいキャラクターの微妙な心の陰影を塚本は的確に表現していた。声優としての才能も抜群であることが分かった。


 塚本監督のXを読み、特に〈あの頃から若い人が亡くなることへの恐れが強くなった〉という言葉に心を動かされた。その翌日、声優としての声を存分に聞くことができた。片桐がリアルな存在として迫ってくるような魔法の声だった。その偶然が心のなかに深く刻まれた。


2024年8月6日火曜日

〈フジファブリックという大切な場所〉20周年ライブ「THE BEST MOMENT」 [志村正彦LN350]

 一昨日8月4日、フジファブリック 20th anniversary SPECIAL LIVE at TOKYO GARDEN THEATER 2024「THE BEST MOMENT」を見てきた。熟考したいことがあるのだが、それは後日に譲ることにして、一昨日の余韻が残るうちに書いておきたいことを記す。

 東京での夜のライブの場合、いつもは日帰り。時間を気にしながらあわただしく甲府に帰るのだが、この日はゆっくりとライブを味わいたかった。会場隣のホテルを予約して午後3時にチェックイン、ひとやすみしてから開演間近に会場に向かった。壁面の大型画面に、山内総一郎・金澤ダイスケ・加藤慎一の画像が表示され、三人のやわらかい微笑みが来場者を迎え入れた。



 会場のキャパシティは八千人。チケットは売り切れたそうだ。年齢層が広い。親子連れもいる。二代にわたるファンなのだろう。僕と妻の年齢でもあまり疎外感はなかった。

 座席は、バルコニー3のHというステージに面してかなり右側に寄ったエリアにあった。かなり高い位置から斜め下のステージを見下ろす。傾斜がきつすぎるが、会場のほぼ全体がサイドの側から見渡せた。視野のなかに八千人の観客がいたのは壮観だった。ライブが始まると、記念のペンライトの光が輝いた。曲にあわせて色合が変化していく。


 2000年、志村正彦はフジファブリックを始めた。2004年のメジャーデビュー、2009年の志村逝去を経て、2024年の現在、八千人ほどの観客がこの場に集っている。7月3日発表の「大切なお知らせ」のなかで、志村を失った後、〈フジファブリックという大切な場所を音楽を作り続けながら守っていくという覚悟〉という言葉がある。山内・金澤・加藤の三人にとって、フジファブリックは大切な場であったと同様に、ファンにとっても大切な場であった。この日の東京ガーデンシアターという会場自体が大切な場として可視化されていた。

 山内・金澤・加藤の三人は、フジファブリックという大切な場を〈音楽を作り続けながら守っていく〉ことを選択した。ギター担当だった山内総一郎をメインボーカル、フロントマンに起用して音楽を作り続けた。バンドを解散し、新しいバンドを作り、周年や特別な機会にあわせて、ゲストボーカル方式で志村の作品を演奏していくという選択肢もあっただろう。しかし、彼らはフジファブリックとしての新作をリリースしていくかたちでフジファブリックを存続させようとした。


 僕自身は2019年の〈「15周年」への違和感〉という記事で、〈フジファブリックは2009年12月でその円環が閉じられた〉〈志村正彦のフジファブリックと2010年以降のプロジェクト・フジファブリックとの間には、作品そのものの根本的な差異がある〉と書いた。現在もこの考え方は基本的には変わらない。その時点では2010年以降のフジファブリックを「プロジェクト・フジファブリック」と名付け、その目的が〈志村正彦の作品を継承すること〉〈山内総一郎のフジファブリックを確立すること〉だと捉えていた。


 フジファブリックのバンドとしての継続が、『FAB BOX』のⅠ・Ⅱ・Ⅲなどの音源や映像のリリースや新しいファンの獲得につながり、結果として〈志村正彦の作品を継承すること〉に大きな役割を果たしたことは間違いない。このライブを通じて〈山内総一郎のフジファブリック〉のファンもかなりの数に上っていることが実感できた。〈山内総一郎のフジファブリックを確立すること〉というプロジェクトもある程度まで成功したのだろう。

 「プロジェクト・フジファブリック」のそのような展開のなかで、活動休止が告げられた。なぜこの時期なのか、という問いへの答えがこのライブで伝えられるかもしれないという期待はあった。この点に関しては、金澤ダイスケが、フジファブリックの活動に区切りをつけると言いきった。大型モニターには硬い表情をした金澤が映し出された。彼の脱退の意思が活動休止につながった。そのことに対する複雑な気持ちもあっただろう。しかし、彼は静かに毅然として区切るという意思を示したことが心に強く残った。金澤にとってこれからもフジファブリックは大切な場であり続けるのだろうが、〈音楽を作り続けながら守っていく〉場であることには区切りをつけたのだ。

 ここ十数年の間でも『若者のすべて』が示すように、志村正彦・フジファブリックの作品は広く浸透していった。『若者のすべて』は夏の定番ソングの一つとなり、数多くの歌い手からカバーされ、高校音楽の教科書に掲載されるようになった。最近では、映画『余命一年の僕が、余命半年の君と出会った話。』の劇中歌となり、映画の重要なモチーフを支えた。フジファブリックが独自で特異な世界を創造したことが、日本語ロックの歴史のなかで高く評価された。三人が〈音楽を作り続けながら守っていく〉必要は薄れていったと言える。このことが金澤の決断の理由の一つだと推測する。

 ライブ前の数日、三人体制後のアルバム、特に2016年から2024年までの『STAND!!』『F』『I Love You』『PORTRAIT』を繰り返し聴いた。〈山内総一郎のフジファブリック〉だけでなく、〈金澤ダイスケのフジファブリック〉〈加藤慎一のフジファブリック〉も存在し、各々が時を追うごとに進化していることに気づいた(この四枚のアルバムを断片的にしか聴いていなかったのは自分の不明だった)。〈山内総一郎のフジファブリック〉〈金澤ダイスケのフジファブリック〉〈加藤慎一のフジファブリック〉という言い方をしたのは、彼らの作品の根柢には志村正彦の歌詞と楽曲があるように感じられるからだ。ここでは具体的に指摘しないが、言葉やモチーフには意識的無意識的に志村の世界の痕跡があることは確かだろう。

 さらに踏み込めば、〈フジファブリック〉という枠組から離れても、三人の作品が作品として自立する可能性も出てきた。三人のソングライターとしての能力が上がってきた。逆説的だが、フジファブリックとしての〈音楽を作り続けながら守っていく〉ことはむしろ、彼ら自身の音楽を成長させた。活動休止後は、山内総一郎・金澤ダイスケ・加藤慎一は各々が自分の音楽を創造していけばよい。このことが活動休止の第二の理由となったのではないだろうか。


 金澤は、志村正彦に対する感謝とこのライブの企画に関わった志村家への感謝を語った。御家族は、志村正彦の尊厳と彼の作品を大切に大切に守ってきた。振り返ってみれば、2010年のフジフジ富士Qライブや周年ごとの記念ライブの会場で、このような感謝の言葉が観客に向けて率直に語られたことはなかった。この感謝の明確な表明は重要なことだったと考える。


 ライブの内容については後日書いてみたいが、『モノノケハカランダ』『陽炎』『バウムクーヘン』『若者のすべて』と、志村正彦の音源・映像とステージでの生演奏を複合させた演出。志村正彦の画像や映像をこのライブのテーマである「THE BEST MOMENT」の瞬間としてつなげていく演出は見事だった。画像ではあるが、彼の表情とその変化に魅了された。時には強い眼差しで、時には憂いを秘め、時には笑顔で見つめている。これまで公開されたことがない画像(記憶違いでなければ)もあった。


 『陽炎』の志村の声が聞こえてくると、涙腺がゆるんできた。この歌は、聴き手の感覚や記憶に直接作用する。そのまま、過去の時や場へと持って行かれる。〈きっと今では無くなったものもたくさんあるだろう/きっとそれでもあの人は変わらず過ごしているだろう/またそうこうしているうち次から次へと浮かんだ/出来事が 胸を締めつける〉のところで涙が落ちてきた。〈無くなったもの〉と〈変わらず過ごしている〉もの。この二つの対比はそのまま、志村正彦とこの場にいる者たちを表している。この日の『陽炎』は特にそのように迫ってきた。アウトロのラストが金澤ダイスケが実際に弾くピアノ音で終わったことにも心を動かされた。


 結成十周年の武道館ライブの際は、志村の歌う声に演奏を重ねるものであり、画像はなかった。この日のアンコールでの『茜色の夕日』も同様の演出だったが、冒頭で富士吉田市民会館での志村の〈この曲を歌うために僕はずっと頑張ってきたような気がします〉というMCが入った。『茜色の夕日』以外の四曲で志村の画像が大型モニターに映し出されたことはまったく予想していなかったので、この演出には驚いたが、それ以上に、この演出は最初でおそらく最後のものなのだろうとも思った。

 ほんとうにフジファブリックの活動は終わるのだ。しかし、音源や映像のなかの志村正彦・フジファブリックはこれからも生き続ける。言葉の真の意味において、志村正彦が創造した作品は永遠である。この会場にいる八千人の聴き手、この場には来られなかった数千、潜在的には数万に上る聴き手、そして未来の無数の聴き手にとって。


 演奏は2時間40分に及んだ。密度の濃いライブを集中して見て聴いたので、心も体も重いものを受けとめたように疲れきった。このところの酷暑や年齢のせいもあるだろう。終了後すぐに隣のホテルに戻れたのは幸いだった。だが、なかなか眠ることができないので、Xをリアルタイムで検索して様々な呟きを読んだ。

 フジファブリックとしての活動、音源のリリースやライブの開催という〈場〉は失われる。これからは、聴き手一人ひとりが自ら〈場〉となって、フジファブリックを聴き続ける。そんなことを思い浮かべながら、ようやく眠りにつくことができた。


2024年8月2日金曜日

虚構内の現実としての『若者のすべて』[志村正彦LN349]

 映画『余命一年の僕が、余命半年の君に出会った話。』で、志村正彦・フジファブリックの『若者のすべて』が流された後で、二人は8月20日の花火大会を病室で一緒に見る約束をする。しかし、秋人が映画館で倒れてしまう。その直後(というか時間的には同時の設定なのだろうが)春菜が『若者のすべて』を鼻歌で歌うショットに切り替わる。春菜は花火の日の晴天を願って作ったてるてる坊主を見つめながらこのメロディを鼻歌で歌うのだ。

 つまり、映画『余命一年の僕が、余命半年の君と出会った話。』という虚構内の現実で、『若者のすべて』という歌が存在していることになる。花火を秋人と一緒に見たい春菜にとって、この歌は特別な歌であったと想像される。そして、『若者のすべて』の作詞作曲者であり歌い手である志村正彦が、虚構の世界の中で存在していることになるだろう。


 結局、二人が一緒に花火を見る約束は果たされなかった。秋人は心臓に機械を埋める手術をするために緊急入院し、意識が戻ったのはちょうど8月20日だった。春菜は秋人に電話をかけ続けたのだが、やっと電話が通じた。花火が打ち上がる音。二入は別々の病室で、花火を、同じ空を見上げている。『若者のすべて』の〈ないかな ないよな〉のフレーズのメロディが流れる。

  春菜は〈もう少しだけこの電話を切らないで〉と言う。〈花火見るの これが最後かな〉と言う。このシーンを中心に編集した〈叶わなかった8月20日の花火の約束 | 余命一年の僕が、余命半年の君と出会った話。〉というタイトルの映像がある。



これに続く場面が重要である。二人の台詞を紹介する。


秋人君 あのね 私ね 本当のこと言うと…

(フィナーレの連発、花火の音)
何? なんか言った?

(春永が鼻をすする音)
ううん 花火 終わっちゃったね


 春菜は《ほんとうのこと》を言うことが、やはり、できない。〈始まる前から終わりがある恋〉が怖いという想いでいるのかもしれない。〈終わりがある恋〉が怖いという気持ちは誰にもあるだろうが、〈始まる前から終わりがある恋〉が怖いというのは、余命という現実を生きる者にしか分からない。春菜が《ほんとうのこと》を言えないまま、8月20日の花火は終わってしまう。あるいはこの日に、春菜は病室で秋人と一緒に過ごし、花火を見ながら《ほんとうのこと》を言うつもりでいたのかもしれない。この一連の場面の脚本と演出には、『若者のすべて』の〈会ったら言えるかな まぶた閉じて浮かべているよ〉というフレーズが影響している可能性もある。


 さらにこの場面から、映画からは離れてしまうが、志村正彦・フジファブリックの『夜汽車』という歌を思いだした。

話し疲れたあなたは 眠りの森へ行く
夜汽車が峠を越える頃 そっと 静かにあなたに本当の事を言おう
   

 夜汽車の車中で、歌の主体は〈あなた〉に〈本当の事〉を言おうとする。しかし、〈あなた〉に〈本当の事〉が伝わることはないだろう。〈夜汽車〉が峠を越えても、おそらく〈あなた〉は〈眠りの森〉の中にいる。そもそも〈本当の事〉が声として語られることはないように思われる。〈本当の事〉を言うことができないというモチーフは志村正彦が繰り返し歌ってきたものだ。あるいは、このようなモチーフがどこかでこの映画に影響を与えているのかもしれない。

    (この項続く)

   

2024年7月30日火曜日

二人の《ほんとうのこと》、現在と未来への歌 [志村正彦LN348]

 Netflix制作の映画『余命一年の僕が、余命半年の君に出会った話。』の開始40分後のシーンで、志村正彦・フジファブリックの『若者のすべて』が流れてくる。前々回でも書いたが、今回はそのシーンをより詳しくたどっていきたい。

 このシーンは、二人の恋愛についての問答が中心となっている。

 秋人が「春菜はどうなんだよ。好きな人とか」と問いかける。以下、字幕つきの映像に基づいて、秋人のセリフは青、春菜のセリフは赤、状況の説明は黒で記す。    

怖いの 期限つきの恋

え?

始まる前から終わりがある恋をするの
いいな 明人君は 片思いでも何でも未来があって


秋人は独り言のように小声で呟く。

違う 俺も未来なんてないよ 俺だって……

君は長生きすること その恋を諦めないために

明人君が どんな人を好きになって どんな家族を持って どんなおじいちゃんになるのか 天国から眺めていたいから
明人君は長生きしなきゃダメだよ


春菜がスマホで秋人を撮影する。シャッターの音がする。

それが私の今の願い事 かなえてくれる?

(秋人の内心の言葉)余命のことは 言わないと決めた

毎日来るよ

え?

毎日来るから

うん 待ってる 毎日待ってる

 この後『若者のすべて』のイントロが始まる。

“もうすぐ死ぬと分かっていたら何をしますか”
その答えは 残された時間を彼女のために使うことだ”


 秋人のセリフをはさんで、志村の声が聞こえてくる。


真夏のピークが去った 天気予報士がテレビで言ってた
それでもいまだに街は 落ち着かないような 気がしている

夕方5時のチャイムが 今日はなんだか胸に響いて
「運命」なんて便利なものでぼんやりさせて

最後の花火に今年もなったな
何年経っても思い出してしまうな

ないかな ないよな きっとね いないよな
会ったら言えるかな まぶた閉じて浮かべているよ


 ここまで紹介した場面は、〈若者のすべて - 2人が過ごしたささやかで特別な日常 | 余命一年の僕が、余命半年の君と出会った話。 | Netflix Japan〉という映像になっている。この映画で使われた志村正彦・フジファブリックの『若者のすべて』のすべてを聴くことができる。この映像を添付したい。




 この二人の対話の場面をもう一度振り返りたい。


 春菜は、〈期限つきの恋〉すなわち〈始まる前から終わりがある恋をするの〉が〈怖いの〉と語る。〈いいな 明人君は 片思いでも何でも未来があって〉という言葉に対して、秋人は〈違う 俺も未来なんてないよ 俺だって……〉と独り言のように小声で呟く。

 春菜は秋人の人生を〈天国から眺めていたい〉、〈秋人君は長生きしなきゃダメだよ〉と率直に伝え、〈それが私の今の願い事 かなえてくれる?〉とまで述べることによって、秋人は〈余命のことは 言わない〉と決める。

 このシーンでは、二人は各々の《ほんとうのこと》を相手に伝えることを禁じてしまう。春菜は、〈始まる前から終わりがある恋》が怖いと伝えることで秋人への想いを告げることを止めてしまう。秋人は、自らが長生きすることが春菜の願いであるであることを受けとめざるをえなくなって、自らの余命が一年であるという《ほんとうのこと》を伝えないことを決める。

 この《ほんとうのこと》を伝えないという決断によって、逆説的ではあるが、二人は各々の余命を共有するように生きていこうとする。そのような展開によって、このシーンの背後に流れる『若者のすべて』は、ある種の明るい色合いを帯びることにもなる。背景の映像は、病室での二人、病院の屋上での春奈、学校での秋人、スマホでのやりとり、教室、病室、花屋、ガーベラの花と続いていく。明るい光と色彩の感覚に満ちている。

 『若者のすべて』は、〈すりむいたまま 僕はそっと歩き出して〉いくという現在の決意と〈僕らは変わるかな 同じ空を見上げているよ〉という未来への想いを表現している。現在と未来に向かって歩んでいく歌である。


 そしてこの場面の後で、二人の《ほんとうのこと》、特に春菜にとっての《ほんとうのこと》を伝える重要なシーンが現れる。

   (この項続く)


2024年7月21日日曜日

フジファブリック活動休止、山梨での報道。[志村正彦LN347]

 7月3日、フジファブリックの活動休止が発表され、いろいろなメディアでその事実が報道されたが、特にその続報となるものはなかったようだ。今日は地元山梨での報道についてここで記しておきたい。


 7月4日の山梨日日新聞で次の記事が掲載された。

 フジファブ活動休止へ 「残されたライブに全身全霊」
 ロックバンド「フジファブリック」は3日、2025年2月で活動を休止すると公式サイトで発表した。「残されたライブの一本一本、一曲一曲に全身全霊をささげたい」とコメントしている。
 バンドは00年、富士吉田市出身の志村正彦さんを中心に結成され、04年にデビユ-。09年に志村さんが急逝した後、3人で活動を続けてきた。
 志村さんの誕生日と命日に合わせ、富士吉田市は代表曲「若者のすべて」「茜色の夕日」のメロディーを市防災行政無線の夕方のチャイムで流している。


  7月11日、NHK甲府の朝のニュース番組で「若者のすべて」のチャイムの報道があった。甲府局のHPには映像もある。その記事を紹介するが、最後に〈来年2月で活動休止することを公式ホームページで発表しています〉とある。

 志村正彦さん「若者のすべて」夕方チャイムで流れる 富士吉田
ロックバンド「フジファブリック」で活躍し15年前に亡くなった志村正彦さんの誕生日にあわせ、地元の富士吉田市では10日、ふだん、夕方に流れるチャイムが代表曲の「若者のすべて」に変わりました。
志村正彦さんは富士吉田市出身のミュージシャンで、ロックバンド「フジファブリック」のボーカルとして世代を超えて愛される曲を発表しましたが、15年前に29歳の若さで亡くなりました。
地元の富士吉田市は、志村さんの音楽の魅力や功績を語り継ごうと誕生日の7月10日の前後に毎年、ふだんの防災行政無線で流す夕方のチャイムを、代表曲のひとつ「若者のすべて」に変更しています。
志村さんが育った下吉田地区にある富士急行線の下吉田駅には10日、地域の人や全国から訪れたファンなどおよそ40人が集まりました。
そして午後6時が近づいて降り続いていた雨がやみ、曲が流れ始めると、集まった人たちはチャイムの音色を動画に収めたり、じっくり聴き入ったりしていました。
東京から訪れた20代の男性は「志村さんの曲は学生時代から10数年聞き続けているので、人生を一緒に歩んできたように感じている。志村さんの出身である富士吉田市でチャイムが聞けたことに感動しています」と話していました。
「若者のすべて」のチャイムは今月13日まで夕方6時に流されます。
フジファブリックは志村さんの死後も活動を続けていましたが、来年2月で活動休止することを公式ホームページで発表しています。


 7月16日のYBSワイドニュースでは「フジファブリック活動休止へ  志村正彦さん 時を超え愛される歌」と題して、7分弱の特集が放送された。

 富士吉田のゆかりの地、同級生のコメント、下吉田駅のチャイムの様子などが紹介された。曲は、「茜色の夕日」「陽炎」「若者のすべて」が流された。ファンの一人が〈今年のチャイムは休止の発表もあってちょっと複雑な感じはするんですけど、でも歌は消えないので変わらず応援したいなっていう気持ちでここに来ると志村君になんか会えるような気がしたので来ました〉と語っていた。フジファブリック活動休止という発表を受けて、今年の夏のチャイムは特別な響きがあったのかもしれない。


 このような状況があり、このところ自然にフジファブリックの軌跡を振り返ることになった。アルバムに関して言えば、2004年のメジャーデビューから2024年まで12枚がリリースされたことになる。

 1. 2004年11月10日   『フジファブリック』
 2.   2005年11月 9日    『FAB FOX』
 3.   2008年1月23日    『TEENAGER』
 4.   2009年4月 8日     『CHRONICLE』
 5.   2010年7月28日    『MUSIC』
 6.   2011年9月21日    『STAR』
 7.   2013年3月6日      『VOYAGER』
 8.   2014年9月3日      『LIFE』
 9. 2016年12月14日  『STAND!!』
10. 2019年1月23日  『F』
11. 2021年3月10日  『I Love You』
12. 2024年2月28日  『PORTRAIT』


 志村正彦が中心となって制作した『フジファブリック』『FAB FOX』『TEENAGER』『CHRONICLE』および『MUSIC』までの5枚と、それ以降の山内総一郎・金澤ダイスケ・加藤慎一の3人体制の『STAR』『VOYAGER』『LIFE』『STAND!!』『F』『I Love You』『PORTRAIT』の7枚に分けられるのだが、僕は『STAND!!』以後のアルバム、つまりこの十年間に制作されたアルバムについては断片的にしか聴いてこなかった。

 いくつかの理由があって、8月4日開催の〈フジファブリック20th anniversary SPECIAL LIVE at TOKYO GARDEN THEATER 2024「THE BEST MOMENT」〉に行くことに決めた。2014年の「フジファブリック 10th anniversary Live at 日本武道館」以来のフジファブリック体験になる。

 そこで最近は、『STAND!!』『F』『I Love You』『PORTRAIT』を中心に、3人体制のフジファブリックの作品を時間軸にそって聴いている。いろいろと感じること、考えること、気づいたことがあるのだが、それについては「THE BEST MOMENT」ライブの終了後に書いてみたい。


【追記 7.30】7月16日のYBSワイドニュースの内容が、〈【特集】フジファブリック志村正彦 バンドは休止発表も…故郷に息づく“変わらぬ記憶” 山梨県〉というweb記事になっています。

2024年7月10日水曜日

『若者のすべて』と映画『余命一年の僕が、余命半年の君に出会った話。』[志村正彦LN346]

 今日7月10日は志村正彦の誕生日。彼が存命であれば44歳になる。ちょうど一週間前、フジファブリックの活動休止が発表された。メジャーデビュー20年という節目の決断なのだろう。

 十年前の2014年7月、山梨県立図書館を会場に「ロックの詩人 志村正彦展」を開催した。もう十年というのか、まだ十年というべきなのか、時の感覚をどう受けとめたらよいのか混乱する。年齢や周年の積み重ねは、ただただ、時の流れをあからさまに示す。

  そういうこともあってか、最近、志村正彦やフジファブリックの話題が多い。今日は、『若者のすべて』のドルビーアトモス版がApple MusicとAmazon Musicで配信されたと報じられた。

 6月27日には、Netflix映画『余命一年の僕が、余命半年の君に出会った話。』が配信された。劇中歌にフジファブリック『若者のすべて』が使われたと知って、配信開始日の夜にさっそく鑑賞した。(以降の記述には所謂「ネタバレ」があることをお断りします)


 映画は冒頭の病院屋上シーンから、『若者のすべて』のアレンジされたメロディが流れる。この美しく繊細なメロディは劇中で時々流れる。通奏低音のように全篇を貫いているともいえる。オープニングのタイトル表示の際には、「ないかなないよな」「同じ空を見上げているよ」のメロディが融合されていた。音楽担当の亀田誠治のアレンジだろう。開始40分経過した頃に、志村正彦の声が聞こえてくる。フジファブリック『若者のすべて』のオリジナルヴァージョンだ。エンディングのタイトルバックで流れる主題歌は、ヨルシカのsuis による『若者のすべて』のカバーだった。

 ティーザー予告編では、志村の声によるオリジナルヴァージョンが使われていた。この映像をまず紹介したい。

映画『余命一年の僕が、余命半年の君と出会った話。』ティーザー予告編 - Netflix

  



 この映画は、三木孝浩監督が森田碧の同名小説を映画化したものだ。脚本は吉田智子。主役「早坂秋人」は永瀬廉が演じた。NHKの2021年前期の連続テレビ小説『おかえりモネ』での「及川亮」役の演技が印象深かった。眼差の中に若者らしい力と孤独な翳りがあった。もう一人の主役「桜井春奈」は出口夏希。「春奈」の親友「三浦綾香」役は横田真悠。「花屋の娘」の「実希子」役は木村文乃。

 映画鑑賞後、小説『余命一年と宣告された僕が、余命半年の君と出会った話』 (ポプラ文庫)も読んだ。映画と原作との差異を把握するためだ。映画タイトルの末尾には句点「。」が添えられていることに、初めて気づいた。予想していたよりも、映画は原作に忠実だった。出来事の順番の入れ換えや設定の変更などはいくつかあるが、重要な場面やその台詞はほぼ原作通りだった。注目していた花火をめぐる物語も原作にあったが、これに関しては『若者のすべて』を使うことによって演出上の変更が加えられている。


 物語は題名通りに展開する。余命一年の秋人が春奈と出会い、同じ時と場を分かち合い、そして各々の時を終えていく話である。

 作中人物には、春奈、秋人、夏美(秋人の妹)と季節の名が付き、ガーベラの花が物語の鍵を握っている。季節と花。原作、映画、そして志村正彦の作品にも共通する重要なモチーフである。「花屋の娘」実希子は秋人に、ガーベラ全体の花言葉が希望だと教えていた。実希子の名自体が「希望が実る」という意味を持っているのだろう。


 開始40分のシーンを振り返りたい。秋人が春奈に病院に「毎日来るよ 毎日来るから」と約束し、春奈が「うん 待ってる 毎日待ってる」と応える場面の直後から、志村正彦の歌が聞こえてくる。優しく、美しい声だ。場面に透き通っていく。儚げだが、内に秘めるもののある、力強い声でもある。『若者のすべて』の1番、次の部分が歌われる。


真夏のピークが去った 天気予報士がテレビで言ってた
それでもいまだに街は 落ち着かないような 気がしている

夕方5時のチャイムが 今日はなんだか胸に響いて
「運命」なんて便利なものでぼんやりさせて

最後の花火に今年もなったな
何年経っても思い出してしまうな

ないかな ないよな きっとね いないよな
会ったら言えるかな まぶた閉じて浮かべているよ


 『若者のすべて』と共に、病院での春奈と学校での秋人の日常が映像に映されていく。花屋のガーベラの花のクローズアップのシーンで、曲が終わる。

 (この項続く)


2024年7月3日水曜日

フジファブリック、活動休止。

  今日、「2024.07.03 フジファブリックからの大切なお知らせ」が発表された。

 すでに、ネットのいろいろなところでこのお知らせが紹介されているが、このブログは、志村正彦、フジファブリックに関する記録を残すことも役割としているので、ここでも全文を引用したい。


いつもフジファブリックを応援していただき、ありがとうございます。
この度フジファブリックは、2025年2月をもちまして、活動を休止させていただく事となりました。
20周年イヤーが進む中、突然このような報告をさせていただくことをどうかお許しください。

2000年に志村正彦によって結成されたフジファブリックは2009年に大切な志村正彦を失いました。彼と共に歩んだ時間、共に育んだ思いや一緒に見た景色は、かけがえのない宝物だと思っています。
その思いをメンバー3人が胸に刻み、フジファブリックという大切な場所を音楽を作り続けながら守っていくという覚悟を持って2011年に活動継続を決め、多くの方々に支えられながらこれまで歩んで参りました。

今年2月にリリースされた12枚目のアルバム「PORTRAIT」を制作中の2023年、金澤ダイスケより、自分のすべてをこのアルバムに注ぎ込み、20周年イヤーを全力で駆け抜け、その後バンドを脱退したいとの申し入れがありました。メンバー、スタッフ間で何度も話し合いを行いましたが、この20年間でバンドに対してすべてを出し尽くしたという金澤の意思は固く、バンドとしての活動継続は困難という判断に至り活動休止という決断をしました。
今後、メンバー3人それぞれが新たな道を進みます。その道がフジファブリックという場所に繋がっているのか、今後の活動の中で見つけられるかどうか、現時点では正直なところ分かりません。今は残されたLIVEの1本1本、1曲1曲に全身全霊を捧げていきたいと思います。
これまでフジファブリックを守り抜くという使命を幾度となく自らに問い、「絶対に解散しないバンド」という信念を持って活動してきました。今回の決断でファンの皆さまに残念な思いをさせてしまう事を大変申し訳なく思っています。
どうか受け止めていただきたいと思います。

フジファブリックにたくさんの愛情を持って応援し、支えてくださったファンの皆さま、全国のメディアの皆さま、そしてバンドを何度も救ってくださったアーティストの皆さまには心から感謝を申し上げます。
来年2月以降のメンバーの活動につきましては、現在のところ未定となりますが、新たな一歩を踏み出した際には、温かく見守っていただけますと幸いです。

2024年7月3日

フジファブリック
山内総一郎
加藤慎一
金澤ダイスケ


  今年2月リリースの 『PORTRAIT』は、この十年ほどの間では最も力の入ったアルバムだった。金澤ダイスケが、〈自分のすべてをこのアルバムに注ぎ込み〉という意志を持っていたことが、このお知らせで明らかとなったが、そのことも肯けるような気がする。

 一曲目の「KARAKURI」。作詞は加藤慎一、作曲は山内総一郎。1970年代の英国プログレッシブロックを今日的解釈によって解体構築した作品。前奏からはEmerson, Lake & Palmer、間奏からはGenesisの雰囲気が濃厚に漂ってくる。後半からは次第に、志村正彦のフジファブリックそのものが浮かび上がってくる。サウンドの要は金澤ダイスケのキーボードだ。そして、加藤慎一の歌詞には奇妙なリアリティがある。中頃の〈ただ僕は祈ってる解放の時は来ると言ってくれ/出してくれ籠から食い破れば鳥のように飛びたって〉から最後の〈大体奴ら籠の中/もしや己も籠の中〉へと、〈籠〉のモチーフを追いかけている。

 四曲目の「プラネタリア」。作詞は山内総一郎、作曲は金澤ダイスケ。金澤ダイスケらしい明るい輝きのある作品。題名からも曲調からも「星降る夜になったら」(作詞:志村正彦、作曲:金澤ダイスケ・志村正彦)を想起させる。山内総一郎の〈ほら あなたの言葉も 笑顔の魔法も/僕には失くせない宝物さ/見えるものはポケットに 見えないものは心に〉という歌詞の一節、それを歌う声も綺麗に響いてくる。

 この二曲は、フジファブリックのサウンドのパフォーマンスの質がきわめて高いことを示している。2024年という今日、この日本において、このようなロックのサウンドは稀有なものといってよい。


 アルバム『PORTRAIT』を聴いた時は、フジファブリックは、あのユニコーンのように今後は、山内総一郎、加藤慎一、金澤ダイスケの三人のソングライター、作詞者、作曲者が作品を創り出すユニットのようなバンドになっていくのかもしれないとも考えたのだが、今日の発表では活動の休止を選択したことになる。活動休止とはいっても、他のバンドの事例からして、解散と名のらない解散という意味合いが強いのだろう。

 僕にとって、この活動休止はそれほど意外だったわけではない。いつかはそうなるという予感があったからだ。しかし、このタイミング、2024年7月の時点での決断と発表は予想外だった。

 「大切なお知らせ」にある〈2000年に志村正彦によって結成されたフジファブリックは2009年に大切な志村正彦を失いました。彼と共に歩んだ時間、共に育んだ思いや一緒に見た景色は、かけがえのない宝物だと思っています。〉という言葉はそのままに受けとめたい。僕たち聴き手にとっても、彼の作品は〈かけがえのない宝物〉であった。これからも宝物であり続ける。

2024年6月26日水曜日

リーガルリリー「1997」アコースティックとライブのヴァージョン

 前回紹介した〈リーガルリリー 『1997』Music Video〉の視聴回数は先ほど確認すると、1,706,841 回。2020.1.18の映像アップから四年半ほどでこの数字は素晴らしい。若い世代を中心にこの作品は確実に浸透しているのだろう。 

 この作品にはアコースティックバージョンの映像がある。図書館での弾き語りLiveだ。


   たかはしほのか (リーガルリリー)『1997』Live in Library


透き通るように聞こえてくる、たかはしの声。アコースティックギターが共鳴を広げていく。

 youtubeのライブヴァージョンには、〈Live Video @Zepp Tokyo (2020.12.10 リーガルリリーpresents「1997の日」〜私は私の世界の実験台〜)〉と〈Live at 日比谷野外大音楽堂(2023.7.2)〉の二つがある。ここには、最新の日比谷野外の映像を添付したい。右上に小さい字ではあるが、縦書きで歌詞が表示されている。


  リーガルリリー - 『1997』Live at 日比谷野外大音楽堂(2023.7.2)  


 たかはしほのかはMCでこう述べている。


1997年の12月10日に私はこの世界の空白をひとつ奪いました
そしていつかまたその空白を返すまでのお話しです

むかしむかし あるところに


 歌詞の〈なくなった空白 1997年の12月〉とは、この世界からひとつ奪いった〈空白〉であること、そして、この世界にいつかまた返す〈空白〉であることが明かされている。

 この世界から〈空白〉を奪い、世界に〈空白〉を返すまでの時間が、生きることであること。それは〈片道切符〉の往路というよりもむしろ帰路であること。

 もしかすると、このような生存の感覚が、意識的あるいは無意識的に、現在の若者のすべてに共有されているのかもしれない。

 〈むかしむかしあるところに〉という語り出しで、この歌が、この旅が始まる。



2024年6月23日日曜日

リーガルリリー「風をあつめて」、「1997」と「若者のすべて」

 リーガルリリー。ここ数年で聴いたバンドのなかで最も気に入っている。今日、こういうロックが存在していることへの驚きとともに。

 たかはし ほのか(ボーカル・ギター)、海(ベース)、ゆきやま(ドラムス)の三人編成。ただし、ゆきやまはこの3月に脱退。これからはサポートドラムを入れて活動するようだ。

 出会いは、はっぴいえんど「風をあつめて」のカバー曲を探したときだった。2021年の映画『うみべの女の子』(監督:ウエダアツシ、原作:浅野いにお)の挿入曲として、「風をあつめて」をカバーしたのがリーガルリリーだった。ミュージックビデオには歌詞がテロップで映されてゆく。映画の映像が断片的に流れるシーンに、たかはしほのかが「それで ぼくも/風をあつめて 風をあつめて/蒼空を翔けたいんです/蒼空を」を歌うシーンが織り交ぜられ、最後は「風をあつめて」をめぐる主役二人の会話のシーンで閉じられる。秀逸な出来映えのMVだった。「風をあつめて」の歌詞の世界と映画の物語とは重ならないのだが、たかはしの声による「風をあつめて/蒼空を翔けたいんです」のフレーズが入れ小型の役割を担って、若者たちの風をあつめて青空を駆けたいという欲望をさりげなく支えているようにも聞こえてくる。映像を添えたい。


リーガルリリー『風をあつめて』×映画『うみべの女の子』Collaboration Music Video


 リーガルリリーの映像や音源はyoutubeにアップされている。どの作品も歌詞、楽曲、演奏ともに高い質を持っている。なかでも、「1997」はきわめて優れている。まだまだ日本語ロックには可能性が残っている。そんなことを感じさせられた。MVを添付して、歌詞も引用したい。 


リーガルリリー   『1997』Music Video


「1997」詞・曲:たかはしほのか

降り立った東京 1997年の12月
始まった東京 1997年の12月

私は私の世界の実験台 唯一許された人

あの坂を越えて 私に会えたらいいなんて
思わせないでほしい。
最終列車飛び乗って 降り立った世界で
片道切符に気付いた

なくなった空白 1997年の12月

私は私の世界の実験台 唯一愛した人

あの坂を越えて 私になれたらいいなんて
思わせないでほしい。
最終列車飛び乗って 降り立った世界で
片道切符を失くさないように

あの坂の意味が 私に分かる時だって
あなただけがいいなって。
最終列車飛び乗って 孤独だった世界で
片道切符を失くさないように

1997年の友達を集めてチョークの粉を集めた
何をしているのかなぁ私たちは
催涙弾で流した涙が光の反射で集まった
人々は目を眩ませた
私は泣くことしかできなかった
私は泣くことしかできなかった


〈降り立った東京 1997年の12月〉というのは、作者たかはしほのかの誕生を示すのだろう。そして誕生は〈なくなった空白 1997年の12月〉というように、ある空白をなくすことにつながる。誕生した〈私〉は〈私の世界の実験台〉であり、〈降り立った世界〉で持つものは〈片道切符〉でしかない。このような生存の感覚はかなり独自なものである。特異なものといってもよい。この特異なもの。かけがえのないもの。

 イントロのベース、ギター、ドラムス。すべて遠くから〈降り立った〉ように響いてくる。何かが始まる予兆のような音群。言葉としての声が聞こえてくる。〈実験台〉のロックだ。


 実はこの「1997」の誕生には、志村正彦・フジファブリックの「若者のすべて」が関わっている。「spice」のインタビューで〈この曲のインスピレーションはどこから生まれたんですか?〉という問いに対して、たかはしはこう語っている。


アルバムの曲を作っている時、一番最後に生まれた曲なんです。スタジオで個人練習に入った時に……その時は夏が終わりそうだったので自分のためにフジファブリックの「若者のすべて」を一人で弾き語りしてたんですよ。そこで生まれた、なんか気持ち悪くて気持ちいいギターがあって。そのギターフレーズから2番のAメロのギターが生まれて、別の日にスタジオに持って行ったらすぐにこの曲が完成したんです。


  このようなプロセスで曲が生まれることは珍しいのだろうが、「若者のすべて」が「1997」に作用したのは現実だ。

 「1997」も、今この時代に生きる若者たちのすべてを語っているようにも聞こえてくる。リーガルリリーの生存の感覚が今日的である。

2024年5月5日日曜日

青柳拓監督『フジヤマコットントン』山梨上映会

  昨日、青柳拓監督の新作『フジヤマコットントン』を甲府で見ることができた。

 青柳監督は1993年、山梨県市川三郷町で生まれた。2017年、日本映画大学卒業制作のドキュメンタリー映画『ひいくんのあるく町』が公開されて高い評価を受ける。2021年公開の『東京自転車節』は、コロナ禍の緊急事態宣言下の東京で自転車配達員として自ら働く姿を記録したドキュメンタリー作品。社会への鋭い批評性と働くことへの問題提起によって、国内だけでなくドイツ、フランス、イギリスでも上映された。

 主要な作品としては三作目となる『フジヤマコットントン』は、山梨県の中巨摩郡昭和町にある障害福祉サービス事業所「みらいファーム」に集う人びとを描いたドキュメンタリー映画。連休中の5月3日・4日の2日間、甲府駅にも近い「やまなしプラザ」のオープンスクエアで、山梨では初めての上映会が開かれた。2月の東京での公開以降各地で公開されたが、なかなか見る機会がなかったので、この上映会はありがたかった。

 2日間で合計6回の上映。各会定員が150名。私は4日の第1回目に行ったのだが、予約客だけで満員となった。会場は貸しホールなのでフラットな形状、座席もパイプ椅子と、映画を見る環境としては恵まれてはいない。本来は映画館での上映が望ましいが、現在、山梨県内の映画館は、シネコンの「TOHOシネマズ 甲府」(イオンモール甲府昭和内)しかない。甲府市内の唯一の映画館「シアターセントラルBe館」は昨年12月以来休館している。(この映画館での上映作品はこのブログでも何度か書いたことがある。甲府のミニシアターとでも言うべき貴重な場だったので、再開されることを願っている)

 地方では映画を見る環境自体が衰退している。しかし、この『フジヤマコットントン』の山梨初上映はこの「やまなしプラザ」のような場所でよかったのかもしれない。この施設は山梨県防災新館という山梨県庁の建物の一階にある。言うならば、甲府中心街のちょっと洒落た「公民館」のような所。この映画を見たい人びとが集う場としては良い選択だったとも思う。

 この映画の予告編を紹介したい。




 会場では、青柳監督の挨拶の後、映画が始まった。公開してまだ三か月ほどの映画なので、内容そのものについてここで触れることは差し控えるが、冒頭とその直後のシーンについて少し書かせていただきたい。


 冒頭のシーン。一人の男性が畑の中の道をゆっくりと歩いて行く。

 その向こう側に、御坂山地の山々とその稜線の上に富士山が見える。フジヤマ、富士山がこの映画の舞台を見つめる、見守るような位置にあることが暗に示される。

 『ひいくんのあるく町』では、ひいくん(渡井秀彦さん)が山梨の市川の町を歩いた。『東京自転車節』では、青柳監督自身が自転車で東京の街を疾走していた。『フジヤマコットントン』では、甲府盆地の南にある畑道を歩く。歩く、移動する男はこの三作の共通のモチーフだろう。

 そしてこの冒頭には「甲府盆地のど真ん中 山はゆりかごのように 囲んでゐる」というテロップが表示される。『フジヤマコットントン』の充実したパンフレットの中で監督は、「山梨出身の歌人・山崎方代さんの短歌を参考にしてオリジナルで作成しました」と述べている。

 方代は、1914年山梨の右左口村で生まれた。「漂泊の歌人」として知られる。戦争で右目を失明。晩年は鎌倉で過ごし、1985年に亡くなった。「ふるさとの右左口邨は骨壺の底にゆられてわが帰る村」が代表作。この歌にあるように、方代は山梨に帰郷しなかった、帰郷できなかった出郷人である。

 映画の幾つもの場面で監督作の短歌風のテロップが流れる。この手法は、木下恵介監督の『二人で歩いた幾春秋』(1962年)へのオマージュであろう。この作品は、戦後の山梨で野中義男(佐田啓二)・とら江(高峰秀子)の夫婦と一人息子の利幸(山本豊三)が苦労に苦労を重ねながら懸命に生きていく家族の物語。原作の歌集『道路工夫の歌』の河野道工の短歌がテロップとして効果的に使われている。また、青柳監督の故郷市川大門の町やその周辺が舞台となっている。以前、この作品について語ったtweetを読んだ記憶があるので検索すると、次の呟きが見つかった。

青柳 拓 Aoyagi Taku @otogisyrupz Apr 27, 2021
歌集『道路工夫の歌』(河野道工著)は地元山梨・市川大門を代表する労働歌。佐田啓二と高峰秀子主演で木下監督作『二人で歩いた幾春秋』の原作。現代の労働映画『東京自転車節』をこれから語っていく上で自分のルーツを読んでおかねばと思い購入。これが刺さりまくってる…いずれ少しずつ紹介します

 私が『二人で歩いた幾春秋』を初めて見たのは、二十数年前にNHKBSで放送されたときだった。木下作品の中ではあまり知られていないが、きわめて優れた映画である。昔の市川大門の町や道、市川の花火、路線バス、甲府一高の講堂、もう解体された岡島百貨店など、山梨の人にとっては懐かしい映像が映し出される。

 河野道工(本名  河野利和)は、1909年山梨県市川大門町で生れた。戦争から復員後、市川土木出張所に入り、道路工夫となる。短歌を山梨時事新聞「山時歌壇」に投稿。後に歌誌「樹海」同人。1960年、第一歌集『道路工夫の歌:河野道工歌集』、1969年、第二歌集『雑草の歌 : 自選歌集  続・道路工夫の歌』(共に甲陽書房)刊行。1972年に亡くなった。

 木下恵介監督『二人で歩いた幾春秋』と河野道工『道路工夫の歌』については別の機会に書いてみたい。


 『フジヤマコットントン』は記録映像を主とするものだが、青柳拓が親しんできた映画や文学に対する細やかな愛やそれを活かす技法が、ファブリックのように織り込まれている。


 ふたたび映画に戻りたい。冒頭シーンのすぐ後で施設内部の風景に、「バラバラの人たちの バラバラのリズムが 鳴り響く場所」というテロップが表示される。その後の映像はまさしくこのテロップ通りに展開していく。2022年から約1年かけて1か月2回、1回につき3~4日集中して撮影されたそうだが、カメラとインタビューが丁寧に繊細に「バラバラの人たち」の施設での生活や労働を追っていく。彼らの「バラバラのリズム」は時に融合して、美しい音楽も奏でていく。95分の上映時間はそのように流れていく。

 『ひいくんのあるく町』の「ひいくん」の歩行のリズムと祭り囃子の音、『東京自転車節』の自転車のペダルのリズムとテーマの節、『フジヤマコットントン』の綿繰り機や織り機のリズム、というように、青柳作品からはいつも働く人間のリズムや音が聞こえてくる。


 上映後、監督と出演者二人の挨拶とトークがあった。その時のフォトセッションの写真を添付したい。左から、けんちゃん(木内賢一さん)、青柳拓監督、たつなりさん(小林達成さん)。監督が両手に持っているのは、二人がプレゼントした花。「みらいファーム」で育てられたものである。




 『フジヤマコットントン』は各地で上や上映予定があるので、ぜひ見ていただきたい。劇場情報は公式webにある。ドキュメンタリー映画という枠を超えた独創的な作品である。このような映画はかつて存在しなかった。そして、これからも存在しないであろう。この映画については考えてみたいことがたくさんある。上映が一段落したあたりで、再びこのブログに書きたい。


2024年4月27日土曜日

葉桜の季節、小さな旅 [志村正彦LN345]

 一昨日、妻と二人で富士吉田へ出かけた。

 車で甲府を9時半頃に出て11時に吉田に到着。道が混んでいつもより時間がかかった。すぐに「白須うどん」へ。もう三十数年前になるが、ここで初めて「吉田のうどん」というものを食べた。かけうどんが三百円以下だったと記憶している。コシがしっかりとして、キャベツがたくさん入っていた。当時は民家そのものの店だった。生活感のある風情があったが、数年前にリニューアルして普通の食堂風になった。少し残念だが、大勢のお客さんに対応するためには仕方がなかったのだろう。今、かけうどんは五百円。小麦粉高騰のせいで値上がりしているが、それでもリーズナブルな値段。美味しかった。記憶にかすかにある味と変わらない。「吉田のうどん」の原点とでもいうべき味ではないだろうか。

 お腹がいっぱいになって白須うどんを出た後、シフォンケーキが有名な「シフォン富士」に寄った。定番の「ふじフォン」をお土産に買う。軽やかな食感と爽やかな甘みが良い。それから富士山駅に向かって、Q-STAヤマナシハタオリトラベルmill shop店内にある黒板当番さんの絵を見た。彼のXに「フジファブリック 志村正彦メジャーデビュー20周年記念」のために、『唇のソレ』『桜の季節』の2曲をイメージした黒板絵でお祝いしているとあったからだ。二つの黒板絵の他に、小さな志村正彦が並んでいるコーナーがあった。九つの絵がとても可愛らしい。(その写真を掲載させていただきます)





 この後、新倉富士浅間神社へ。おそらくもう葉桜になってしまったのだろうが、その景色を見たいと思った。すでに「桜まつり」は終了していて、駐車場が使えるはずだったが、けっこう車もたくさん走っていて、少し遠い臨時駐車場に何とか駐車できた。そこから歩いて神社へ向かったのだが、想像をはるかに超える人が押し寄せていた。そのほとんどは海外からの方だ。異国の言葉が飛び交う。ニュースで知っていたが、自分の目で目撃するのは初めて。なんだか別の世界に迷い込んだような気がした。

 神社に参拝した後、階段近くの桜を眺めた。やはり、葉桜になっていた。葉桜のその向こう側には、雲がかかってしまった富士山と青い空、吉田の街が広がる。桜の色はないが、緑と青と白の色のハーモニーが美しい。枝の形は文字のように見えた。




 志村は「桜の季節」でこう歌っている。

  oh その町に くりだしてみるのもいい
  桜が枯れた頃 桜が枯れた頃      

 歌詞の〈その町〉がこの地を指しているわけではないのだろうが、通常の解釈を超えて、〈その町〉とはこの地、新倉富士浅間神社とその公園の桜が咲く地であるような気がする。つまり、〈その町〉とはこの町、この地である。
 この日のこの地の現実の景色からは、引用した歌詞の一節にあるような情緒や感慨はまったく感じられなかったが、それでも、葉桜の光景には、過ぎ去っていくもの、枯れてしまうかもしれないものの、微かな残響のようなものもあった。

 志村はまた「浮雲」でこの地を「いつもの丘」と呼んでいる。当時の「いつもの丘」はいつもではないような丘になった。特にこの桜の季節、異次元の丘に変わっている。日本ではあるのだが、世界への通路にもなる不思議な場所への変貌。時には、この町にくりだしてみるのもいい。そう呟いた。


 四月なのに夏日という天候もあって、帰り道を急いだ。その途中、御坂で山梨県立博物館で開催中の「富士川水運の300年」展を見た。

 富士川は、山梨県の大きな二つの川、笛吹川と釜無川とが甲府盆地の南端で合流して、静岡県へと流れていく川である。その水運は、江戸時代から明治そして昭和初期まで、山梨と静岡を結ぶ「川の道」として発展した。この展示会は、17世紀初頭から20世紀前半に至るまでの富士川水運の300年間の歩みを振り返るものだった。

 展示資料は地味だが非常に充実していた。最後のコーナーの「富士川下り疑似体験コーナー!」が格別だった。正面、左側面、右側面の三面にプロジェクターによる映像が映し出されて、まるで富士川を舟下りしているような疑似体験ができる。このような手法の展示映像を初めて見たが、とても効果的な方法である。

 展示室を出て、二月にオープンしたばかりの「Museum café Sweets lab 葡萄屋 kofu」に寄った。五十層ものパイに旬の果実、山梨の桃と苺をのせたケーキを堪能した。フルーツ王国山梨ならではのスイーツ。この店には博物館の外の公園側からも入ることができる。お洒落で美味しいカフェでおすすめである。

 甲府から富士吉田へ。白須うどん、ふじフォン、志村正彦の黒板画、新倉富士浅間神社の葉桜。帰り道、御坂の県立博物館での「富士川下り」の疑似体験、旬の果実のケーキ、そして甲府へ。
 葉桜の季節の小さな旅を楽しんだ一日だった。

2024年4月14日日曜日

二十年目の「桜の季節」[志村正彦LN344]

 2004年4月14日、志村正彦・フジファブリックの「桜の季節」がメジャー・デビュー・シングルとしてリリースされた。すでにこの年の2月、ミニアルバム『アラモルト』がメジャーのプレデビュー盤として発売されているが、これはインディーズ時代の既発曲の再録音盤だ。新曲の「桜の季節」によって、フジファブリックはメジャーデビューを果たした。今日はその二十年目の日となる。

 「桜の季節」についてはすでに30回ほどエッセイを書いてきた。今日はそのすべてを読み直してみた。この曲に初めて言及したのは志村正彦ライナーノーツの第4回。2013年3月18日の日付である。「志村正彦の歌の分かりにくさ」と題したそのエッセイの冒頭部を引いてみたい。


 志村正彦の歌、その言葉の世界には、ある特有の分かりにくさがある。言葉の意味をたどっていっても、その意味がたどりきれない。その言葉が展開される文脈、背景が理解しにくい。歌が繰り広げられる舞台が明瞭でない。通常「僕」「私」という言葉で指示される、歌の話者や歌の世界の中の主人公としての主体の把握が難しい。そのような想いを抱いたことがある聴き手が多いであろう。少なくとも私にとって、彼の歌はそのように存在している。例えば、『桜の季節』はその代表ともいえる歌であろう。


 志村の言葉の世界のある特有の分かりにくさの代表例として「桜の季節」があげられているが、この捉え方は基本として今も変わらない。ただし、分かりにくいというよりも、むしろ、言葉の世界を捉えようとしてもその向こう側に言葉が遠ざかっていくような感覚とでもいうべきかもしれない。分かる/分からないという対立ではなく、その対立を言葉自体が超えていってしまう。

 そうは言っても、「桜の季節」の世界を何とかして捉えてみたいという気持ちもある。二十年を迎えた機会にその試みをあらためて書いてみよう。


 この歌は〈桜の季節過ぎたら/遠くの町に行くのかい?〉という二人称に対する問いかけと〈桜のように舞い散って/しまうのならばやるせない〉という一人称へ回帰する想いとがループのように綾をなす。このループがグルーブとなって楽曲を貫いていく。この問いかけや想いのループには具体性がほとんどない。具体性が欠如しているからこそ、聴き手は「桜の節」の世界に召喚される。

 しかし、ある程度具体的な出来事が描写されている、ひとまとまりの場面がある。


  坂の下 手を振り 別れを告げる
  車は消えて行く
  そして追いかけていく
  諦め立ち尽くす
  心に決めたよ


 〈坂の下〉と示された場がこの場面の舞台となる。歌の主体〈僕〉は手を振る、別れを告げる。〈車〉は消えて行く。〈僕〉は追いかけていく、諦め立ち尽くす。〈僕〉の一連の動作が現在形で叙述されている。〈僕〉が別れを告げた相手は車に乗って視界から消えてゆく。

 この場面は〈心に決めたよ〉という完了の助動詞〈た〉と相手に対する呼びかけの助詞〈よ〉で終わっている。この〈心に決めた〉ことは何であるのか。この歌のすべてがその回答であるような気もするが、歌そのものはつぎのように展開していく。


  oh ならば愛をこめて
  so 手紙をしたためよう
  作り話に花を咲かせ
  僕は読み返しては 感動している!


 歌の進行からすると、〈心に決めた〉ことはすぐ次のフレーズ、〈oh ならば愛をこめて/so 手紙をしたためよう〉が該当すると考えるのが自然だろう。〈oh〉と〈so〉という間投詞的な表現から始まるこの二つのフレーズは、この歌の中でも最もエモーショナルな部分だ。まさしく、〈心に決めたよ〉という声の残響が聞こえてくるようだ。


 歌の主体〈僕〉は別れの相手に対して〈手紙〉をしたためることを決意する。その〈手紙〉には〈愛〉がこめられている。ここで終わればよくある恋愛物語になるだろう。しかし、志村の場合、物語は折れ曲がる。〈僕〉は屈折する。〈作り話に花を咲かせ/僕は読み返しては 感動している!〉とあるように、〈手紙〉のなかでは〈作り話〉が〈花〉を咲かせている。作り話とは志村が作る物語だ。つまり、物語の花が咲く。その花は舞い散ることも、枯れることもある。「桜の季節」は、「手紙の、作り話の、物語の季節」のことでもある。

  

2024年3月6日水曜日

Eric Andersen「Blue River」[S/R010]

 年齢を重ねるにつれて、自分が聴いてきた過去の音源を振り返ることが多くなった。ほとんど自分のために、というようなものだが、あまり顧みられることのない素晴らしい作品についてこのブログで紹介することが、新しい聴き手をつくりだすこともあるかもしれない。そう考えて、《Songs to Remember[S/R]》の投稿を再開したい。前回は2020年6月だったので、四年近いブランクを経てのリスタートになる。

 Eric Andersen、エリック・アンダースンは、1943年、アメリカのピッツバーグで生まれた。シンガー・ソングライターの先駆者で、1972年2月リリースの「Blue River」は彼の代表曲である。青い川の流れに人生を重ね、〈Keep us safe from the deep and the dark  深い暗闇から私たちを守れ〉という想いが繊細な声で歌われる。この純度の高い抒情が彼の持ち味だ。

 ネットにある当時の音源を添付して、歌詞も引用する。




Old man go to the river
To drop his bale of woes
He could go if he wanted to
It's just a boat to row, you know
Listen to me now

Blue river keep right on rolling (blue river keep right on rolling)
All along the shore line
Keep us safe from the deep and the dark (keep us safe from the deep)
'Cause we don't want to stray too far

Spent the day with my old dog Mo
Down an old dirt road
And what he's thinking, Lord, I don't know
But for him, I bet the time just goes so slow
Don't you know

Blue river keep right on rolling (blue river keep right on rolling)
All along the shore line
Keep us safe from the deep and the dark (keep us safe from the deep)
'Cause we don't want to stray too far

Young Rob stands with his axe in his hand
Believing that the crops are in
Firewood stacked ten by ten
For the wife, the folks, the kids
And all of the kin
And a friend, listen to me now

Blue river keep right on rolling (blue river keep right on rolling)
All along the shore line
Keep us safe from the deep and the dark (keep us safe from the deep)
'Cause we don't want to stray too far

No, we don't wanna stray too far


 70歳代になったエリック・アンダースンの映像がネットにあった。

  Eric Andersen - Blue River (Live on eTown)



 ヴァイオリンの調べを聴いて、もしかしたらと思ったらやはり、Scarlet Rivera スカーレット・リヴェラだった。70年代のボブ・ディランとの共演が有名だ。あの「Hurricane ハリケーン」(1975)での音色はロックの歴史に残る。


 〈Old man go to the river〉という冒頭のフレーズ。〈Old man〉となったエリック・アンダースンのこの映像とオリジナル音源とのあいだには五十年ほどの歳月が流れている。歌い方やアレンジが変化している。何よりも声が異なる。声の年輪が深く刻まれている。

 Eric Andersenの音楽家としての人生の流れについて書くことができるほど、彼について知っているわけではない。おそらく、おだやかな流れではなかったように思われる。

 だからこそというべきだろうか、〈Keep us safe from the deep and the dark   深い暗闇から私たちを守れ〉というフレーズが祈りのように響いてくる。


2024年2月29日木曜日

妄想的なあまりに妄想的な……「花屋の娘」[志村正彦LN343]

 フジファブリック『花屋の娘』は、志村正彦的なあまりに志村正彦的な歌である。フジファブリック Official Channelにある楽曲をまず聴いて、歌詞も読んでみよう。



    花屋の娘(作詞・作曲:志村正彦)


  夕暮れの路面電車 人気は無いのに
  座らないで外見てた
  暇つぶしに駅前の花屋さんの娘にちょっと恋をした


  どこに行きましょうか?と僕を見る
  その瞳が眩しくて
  そのうち消えてしまった そのあの娘は
  野に咲く花の様

  その娘の名前を菫(すみれ)と名付けました

  妄想が更に膨らんで 二人でちょっと
  公園に行ってみたんです
  かくれんぼ 通せんぼ ブランコに乗ったり
  追いかけっこしたりして

  どこにいきましょうか?と僕を見る
  その瞳が眩しくて
  そのうち消えてしまった そのあの娘は
  野に咲く花の様

  夕暮れの路面電車 人気は無いのに
  座らないで外見てた
  暇つぶしに駅前の花屋さんの娘にちょっと恋をした


 歌の主体は路面電車の中から外へと眼差しを向けている。その視界に〈駅前の花屋さんの娘〉が現れる。実際に見ているというより、心の中のスクリーンで見ているのだろう。電車の窓がスクリーンの枠となる。ここまでなら、主体が外の風景を見て何らかの想像をするという歌で終わっていただろう。これはよくあるパターンでもある。しかし、志村はそのようなパターンを超えていく。

 歌の主体は〈暇つぶし〉に花屋の娘に〈ちょっと恋をした〉。恋をしたというように〈た〉という完了形が使われているので、すでに刹那の瞬間に、恋は成立したのだ。だからこそ、花屋の娘が〈どこに行きましょうか?〉と声をかける。

 花屋の娘の〈瞳〉は眩しく、その眼差しは幾分か誘惑的だ。僕の欲望は昂じるのだが、娘はそのうち消えてしまう。〈そのあの娘は〉というフレーズが秀逸だ。志村は、所謂「こそあど言葉」の使い方が巧みだ。〈その娘〉から〈あの娘〉へと眼差しの対象が変化し、娘の像は消えていく。歌の主体と娘の眼差しは、結局、すれちがいに終わったようだ。恋は消滅した。

 その結果、想像というよりも妄想的な世界が広がっていく。〈娘〉は〈野に咲く花〉のようであり、さらに、〈菫(すみれ)〉と名付けられる。妄想はさらに膨らみ、二人は〈公園〉に行く。〈かくれんぼ 通せんぼ〉する二人。〈ブランコに乗ったり/追いかけっこしたり〉する二人。妄想の世界では二人の眼差しが互いを見つめあう。


  ロフトプロジェクトの「現時点で最高の音が詰まった2ndミニ・アルバム『アラモード』、遂にリリース!」というインタビューで、志村は〈今回の歌詞で特に思い入れがあるのは?〉という問いにこう答えている。

志村 1曲目の「花屋の娘」ですね。これはなんか勝手に、とある女子を見て、その人が気になって妄想して…今まで割と格好つける感じの「悲しくったってさ」とか強がるのがあったんですけど、それとは別に「はかない」って言ってるのも別の軸でありつつ、あんまり考えずに、気持ち悪いとか、人間の誰しもある、人には見せられない恥ずかしい部分というか、そういうのもやってしまおうと。もっと気持ち悪いのもたくさんあります(笑)。


 妄想とは確かに〈人には見せられない恥ずかしい部分〉でもある。だからこそ、妄想はその人が隠し持つ享楽に触れる。「花屋の娘」は志村の享楽も解放しているのだろう。


 ここで『FAB LIST I  2004~2009』のファン投票の1位から10位までの作品を振り返ってみよう。

   1 .赤黄色の金木犀
   2. 星降る夜になったら
   3. 若者のすべて
   4. 茜色の夕日
   5. バウムクーヘン
   6. 虹
   7. 陽炎
   8. サボテンレコード
   9. 銀河 (Album ver.)
  10. 花屋の娘


 一般的な知名度は低いのだろうが、「花屋の娘」は10位に輝いている。妄想的なあまりに妄想的なこの歌を愛する人が多いのだろう。人はみな妄想する、とジャック・ラカンも語っている。

 楽曲、アレンジ、演奏もすばらしい。最後の「恋をした」でピシッと終わるのも良い。妄想を断ち切るようにして、歌が閉じられていく。


2024年1月28日日曜日

ケモ/ノノ/オレ/トド/ロケ/モウ/モノ/ノケ/ノケ/ノケ[志村正彦LN342]

 フジファブリック「モノノケハカランダ」は、2005年11月9日、メジャー2ndアルバム 『FAB FOX』の冒頭曲としてリリースされた。作詞・作曲は志村正彦である。

  掛川康典監督による素晴らしいミュージックビデオがある。まずこの映像を見て、聞いて、言葉と戯れてほしい。

  フジファブリック (Fujifabric) - モノノケハカランダ(Mononoke Jacaranda)



 収録時のメンバーは、Gt. / Vo.志村正彦、Key.金澤ダイスケ、Ba.加藤慎一、Dr.足立房文、Gt. 山内総一郎。日本語ロックのなかでは最高水準の演奏力だ。歌詞にはギター演奏によるデッドヒートを思わせるフレーズがあるが、志村と山内によるギターのバトルもある。

 歌詞をすべて引用する。


  遠くなってくサイレンと見えなくなった赤色灯
  カーブになってるアスファルトが夜になって待ってる

  横並んで始まった ダンスにだって見えた
  思いのほかデッドヒート 止まるなって言ってる

  獣の俺 轟け! もうモノノケ ノケノケ!

  コードEのマイナー調で陽気になってマイナーチェンジ
  リズムの束 デッドヒート 止まれなくなってる

  獣の俺 轟け! もうモノノケ ノケノケ!

  焦げてしまったハカランダのギターが唸っている
  思いのほかデッドヒート 止まれなくなってる

  獣の俺 轟け! もうモノノケ ノケノケ!


 歌の主体〈俺〉は、車によるデッドヒート、ギターによるデッドヒートを止めることができない。〈俺〉は〈獣〉になって疾走し、車の轟音もギターの爆音も世界に轟けと叫ぶ。

 三度繰り返される〈獣の俺 轟け! もうモノノケ ノケノケ!〉は、2音による音節に分けると、〈ケ/ノ/オ/ト/ロ/モ/モ/ノ/ノ/ノ〉となり、2音のうちの後ろの音が跳ね上がるように轟く。歌う者、演奏する者、そして聴く者を急き立てていく。言葉が意味になるものと意味にならないものとに二重化されていく。


 この独創的な作品はどのようにして作られたのだろうか。志村は「フジファブリック 『FAB FOX』インタビュー」でこう語っている。

この曲は一番初めにメロディが出来た曲なんですけど、ドカーン!とか、ドバー!とか、ウリャー!とか(笑)、そういうような気持ちを曲にしたかったというか。Aメロとかもあんまり意味ないんですよ。ただ勢いのある言葉を並べてドリャー!っていうのが伝わったらいいなって。ハカランダーで作ったギターがケモノなのかモノノケなのか、それに化けてロックンロールを鳴らしているイメージ。このアルバムを象徴する曲としてPVも熱い物を撮りたいなと思いますね。

 歌詞については、ギターの木材である〈ハカランダー〉から〈ケモノ〉〈モノノケ〉という言葉を連想して作ったようだ。自由な連想と言葉の音による遊びを駆使している。〈モノノケハカランダ〉はMVの題名の表には〈Mononoke Jacaranda〉とあり、〈モノノケ〉〈ハカランダ〉を複合した言葉である。

 〈モノノケ〉は〈物の怪〉〈物の気〉であろう。試みとして、この言葉の分節の仕方を変えてみよう。〈モノ〉を〈ノケ(ル)〉に分ければ、〈物退け(除け)〉と記すことができ、物を離れさせる・物との間を隔てるという意味を作り出せる。また、〈モノノケ〉をアナグラム的に綴り直すと、〈ケモノノ〉という音が作られ、〈獣の〉という意味が取り出せる。

 〈ハカランダ〉は(Jacaranda〉、ギターの木材の名。正式にはブラジリアンローズウッドというそうだ。立ち上がりが早くて抜けの良い音とうねって絡みあうような木目が特徴だが、現在では希少な材料となり、輸出入が禁止されているそうだ。この歌詞では楽器や楽曲の象徴として位置づけられるだろう。

 音の遊びのようなものだが、〈モノノケハカランダ〉というフレーズの分節の仕方をあれこれと変えて、言葉を思い浮かべてみた。〈/〉スラッシュが区切りを示す。

  • モノノケ/ハカランダ → 物の怪ハカランダ
  • モノノケ/ハ/カランダ → 物の怪は絡んだ
  • モノノケ/ハ/カラ/ン/ダ → 物の怪は空(ん)だ
  • モノノケ/ハカランダ → 物の怪謀らんだ
  • モノノケ/ハ(→ワ)カランダ → 物の怪分からんだ

 こう並べていくと、いろいろな意味が生成されてくる。〈モノノケ〉を〈物の怪〉ではなく別の言葉に綴ってみれば、もっと多様な言葉が出現するだろう。〈ハカル〉にはさらに他の字をあてることもできる。精神分析家ジャック・ラカンは言葉の音そのものをシニフィアンと呼び、シニフィアンが集まり、多重に折り重なることによって無意識が作られると考えた。つまり、無意識はシニフィアンのファブリック、織物として形成される。シニフィアンは次々と生成されて、それらが連鎖していく。


 志村正彦も意識的、無意識的に、〈ドカーン!ドバー!ウリャー!〉という情動を〈勢いのある言葉を並べてドリャー!〉というように多様な言葉の音に変換させて、歌詞を創作していった。

  /ノ/オ/ト/ロ/モ/モ/ノ/ノ/ノ

 志村は叫ぶ。音の反復や連鎖を駆使し、シニフィアンと戯れて、意味を超えたものを歌っている。