映画『余命一年の僕が、余命半年の君に出会った話。』で、志村正彦・フジファブリックの『若者のすべて』が流された後で、二人は8月20日の花火大会を病室で一緒に見る約束をする。しかし、秋人が映画館で倒れてしまう。その直後(というか時間的には同時の設定なのだろうが)春菜が『若者のすべて』を鼻歌で歌うショットに切り替わる。春菜は花火の日の晴天を願って作ったてるてる坊主を見つめながらこのメロディを鼻歌で歌うのだ。
つまり、映画『余命一年の僕が、余命半年の君と出会った話。』という虚構内の現実で、『若者のすべて』という歌が存在していることになる。花火を秋人と一緒に見たい春菜にとって、この歌は特別な歌であったと想像される。そして、『若者のすべて』の作詞作曲者であり歌い手である志村正彦が、虚構の世界の中で存在していることになるだろう。
結局、二人が一緒に花火を見る約束は果たされなかった。秋人は心臓に機械を埋める手術をするために緊急入院し、意識が戻ったのはちょうど8月20日だった。春菜は秋人に電話をかけ続けたのだが、やっと電話が通じた。花火が打ち上がる音。二入は別々の病室で、花火を、同じ空を見上げている。『若者のすべて』の〈ないかな ないよな〉のフレーズのメロディが流れる。
春菜は〈もう少しだけこの電話を切らないで〉と言う。〈花火見るの これが最後かな〉と言う。このシーンを中心に編集した〈叶わなかった8月20日の花火の約束 | 余命一年の僕が、余命半年の君と出会った話。〉というタイトルの映像がある。
これに続く場面が重要である。二人の台詞を紹介する。
秋人君 あのね 私ね 本当のこと言うと…
(フィナーレの連発、花火の音)
何? なんか言った?
(春永が鼻をすする音)
ううん 花火 終わっちゃったね
春菜は《ほんとうのこと》を言うことが、やはり、できない。〈始まる前から終わりがある恋〉が怖いという想いでいるのかもしれない。〈終わりがある恋〉が怖いという気持ちは誰にもあるだろうが、〈始まる前から終わりがある恋〉が怖いというのは、余命という現実を生きる者にしか分からない。春菜が《ほんとうのこと》を言えないまま、8月20日の花火は終わってしまう。あるいはこの日に、春菜は病室で秋人と一緒に過ごし、花火を見ながら《ほんとうのこと》を言うつもりでいたのかもしれない。この一連の場面の脚本と演出には、『若者のすべて』の〈会ったら言えるかな まぶた閉じて浮かべているよ〉というフレーズが影響している可能性もある。
話し疲れたあなたは 眠りの森へ行く
夜汽車が峠を越える頃 そっと 静かにあなたに本当の事を言おう
夜汽車の車中で、歌の主体は〈あなた〉に〈本当の事〉を言おうとする。しかし、〈あなた〉に〈本当の事〉が伝わることはないだろう。〈夜汽車〉が峠を越えても、おそらく〈あなた〉は〈眠りの森〉の中にいる。そもそも〈本当の事〉が声として語られることはないように思われる。〈本当の事〉を言うことができないというモチーフは志村正彦が繰り返し歌ってきたものだ。あるいは、このようなモチーフがどこかでこの映画に影響を与えているのかもしれない。
(この項続く)
0 件のコメント:
コメントを投稿