昨夜、「フジファブリック LIVE at NHKホール」のオンライン生配信を視聴した。活動休止前の最終公演だった。
我が家の場合、オンライン配信では中程度の大きさのモニター画面を「見る」そして小さなスピーカーからの音を「聞く」ことになる。会場での体験と違って、ホールの雰囲気も人の熱気も、何よりも音の圧力も振動も伝わらない。当然ではあるが、配信のためにミックスされた画像や音声を受けとめるだけである。ライブの様子を「眺める」ような視線になってしまう。やはり、どうにもならない一種の隔たりがある。どこか一歩引かざるをえないような、客観的ともいえる眼差しからメンバーの様子を追いかけることになった。
この日の山内総一郎は、どこか疲れているというか体調があまり良くないように見うけられた。あるいは、活動休止時前の最後のライブという重圧や緊張のせいだろうか。ところどころ、歌の音程や声の強弱がやや不安定になっていた(あくまでも僕の受け止め方だが)。ときどきクローズアップされる映像からは、金澤ダイスケと加藤慎一も山内の調子を気にしているような感じがあった。そのことを心配した。オンライン生配信ゆえの感覚かもしれないが、実際はどうだったのだろう。
それでも時間が経つにつれて、演奏に力が入ってきた。特に、「KARAKURI」「Water Lily Flower」「ブルー」と続いた三曲の流れは、山内・金澤・加藤によるフジファブリックの達成を明確に伝えていた。
明るい叙情性を持つ山内の詞と奇想天外な加藤の詞という二つの歌詞世界。イントロは抑え気味にしながら、次第に、転調や変拍子を加えながら煌びやかで重厚なリフで楽曲を盛り上げ、それに合わせるようにして山内の声が広がり、ときにコーラスが響いていく。簡潔に記すとこうなるだろうか。現在の日本語ロックのシーンのなかでは、質の高い優れたサウンドを作り上げてきたバンドであることは間違いない。
演奏では「ブルー」のギター・ソロが圧巻だった。ギタリスト山内総一郎の技術やセンスが発揮されていた。ギタリストとしての彼の力が再認識できたことはこのライブの収穫だろう。金澤ダイスケの多彩で繊細なキーボード、加藤慎一の柔軟で抑制されたベースも光っていた。サポートの伊藤大地のドラムと朝倉真司のパーカッションも力強くリズムを敲きだしていた。このようなフリースタイルのプログレッシブ・ロックを、今、この日本で聴けたこと自体が大きな驚きだった。
全23曲、3時間近くをかけた、現在のフジファブリックの集大成ライブだった。
最後に、フジファブリックに関わった「すべての人」に対する感謝、「ありがとう」の言葉が伝えられたことは心に残った。ただし、オリジナルの富士ファブリック、インディーズ時代のフジファブリックの存在への言及が全くないことには違和感を覚えた。彼らを含めてのフジファブリックの歴史である。メジャー初期のオリジナルメンバーであった足立房文の名が呼ばれることもなかった。「すべての人」のなかに含まれているという理由からなのだろうか。
活動休止ということだが、サウンド面の中心を担ってきた金澤ダイスケが今月末で脱退するので、実質的には解散あるいはそれに近いものだと考えられる。最後の彼らの表情は、フジファブリックがその円環を閉じるというこの選択を、寂しさや哀しさと共に、静かに穏やかに受けとめているように見えた。
本編からアンコールまですべての曲が2010年以降の作品であった。つまり、志村正彦の作品は演奏されなかったことになるが、これは事前に予想したとおりだった。昨年8月の〈フジファブリック 20th anniversary SPECIAL LIVE at TOKYO GARDEN THEATER 2024「THE BEST MOMENT」〉での志村曲を映像と共に演奏するという特別な演出によって、志村への感謝とリスペクトを表現したからだろう。
昨夜のライブは、「フジファブリック LIVE at NHKホール」というタイトルであり、20周年記念のなかには位置づけられてなかった。活動休止前の最後という点も特別に強調されてはいなかった。おそらく、この規模のホールでのワンマンライブで2010年以降の楽曲だけが演奏されることはこれまでなかったと思われる。
つまり、2025年2月6日のライブは、山内・金澤・加藤によるフジファブリックの作品のみで構成された、最初で最後のコンサートホールライブだった。
志村曲を演奏しなかったこの判断は尊重されるべきだろう。同時にそのことは、2010年以降に彼らの歩んだ道が、様々な評価を伴うような困難な軌跡を描いたことも表している。
0 件のコメント:
コメントを投稿