志村正彦の歌詞には、〈音〉の効果を活かした言葉、擬態語、擬声語、オノマトペ的な言葉が少なくない。おそらく、意味にならない言葉を追い求めていくことが彼の歌詞作りの原点だったのではないか。
「追ってけ追ってけ」の〈追ってけ追ってけ追ってけよ/ほら手と手 手と手〉を聴くと、アストロノウツ「太陽の彼方に」の日本語カバー曲の〈乗ってけ乗ってけ乗ってけサーフィン/波に波に波に乗れ乗れ〉〈notteke notteke notteke/namini namini namini nore nore〉というフレーズを思いだす人も少なくないだろう。
アメリカのバンド、アストロノウツのインストゥルメンタル曲「太陽の彼方に」にタカオカンベによる日本語歌詞を載せたカバー曲「太陽の彼方に」は、1964年、藤本好一・寺内タケシとブルージーンズによるシングルが最初にリリースされたが、僕等の世代にとっては1972年のゴールデン・ハーフの「ゴールデン・ハーフの太陽の彼方」が印象に残る。その音源と歌詞を引きたい。
乗ってけ 乗ってけ 乗ってけ サーフィン
波に 波に 波に 乗れ乗れ
揺れて 揺られて 夢の小舟は
太陽の彼方
60年代のエレキサウンドに合わせた譜割りの歌詞が心地よいリズムを奏でる。今この曲を聴くと、あのPUFFYのサウンドの原型がここにあるのではないかとも思ってしまう。
もっと時代を遡ると、ある曲のフレーズが浮かんでくる。「オッペケペー節」の〈オッペケペー オッペケペ/オッペケペッポーペッポッポー〉だ。
「オッペケペー節」は明治時代の流行歌。川上音二郎が「オッペケペー節」(三代目桂藤兵衛作)を寄席で歌い、大評判となり、1900年に欧米に行った際にイギリスのグラモフォン・レコードで録音し、SP盤を発売した。これが日本人初のレコード録音だったとされている。また、そのリズミカルで奔放な歌詞から、日本語ラップの最初の歌とも言われている。歌詞を読むと、明治時代の社会や政治に対する皮肉や批判が込められている。
youtubeにはオリジナル録音からカバーヴァージョンまでいろいろな音源があるので聴いてみるとよいだろう。あるヴァージョンの歌詞にはこうある。〈心に自由の種をまけ〉というところは、きわめてロック的でもある。
貴女に紳士の出で立ちで 上辺の飾りはよけれども
政治の思想が欠乏だ 天地の真理がわからない
心に自由の種をまけ
オッペケペー オッペケペッポーペッポッポー
「追ってけ追ってけ」は〈otteke otteke ottekeyo/hora tetote tetote〉。「オッペケペー節」は〈oppekepe oppekepe/oppekepeppo peppoppo〉。《oppeke⇒otteke》《peppoppo⇒tetote》というあたりに、僕は音の響きやリズムの対応関係を感じてしまう。
志村が「オッペケペー節」の〈otteke otteke〉や「太陽の彼方に」の〈notteke notteke〉のフレーズを意識して作詞作曲したのではないだろうが、どこか無意識の領域で影響を受けている可能性がないとはいえない。〈音〉の反復フレーズの作用は強く、印象深い言葉のシニフィアンは連鎖するからだ。
そうは言っても、「追ってけ追ってけ」には、「オッペケペー節」の社会への痛烈な批判が込められた自由で愉快な世界や「太陽の彼方に」のどこまでも明るく突き抜けたような夢の世界の感触はない。やりきれない閉ざされた世界から飛び出したいという鬱屈した願望が伝わってくる。
志村正彦的なあまりに志村正彦的な世界である。
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