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2025年2月23日日曜日

解放のベクトルの差異

 2月6日のフジファブリックNHKホールライブのアーカイブ配信を何度か視聴しているうちに、2014年11月の武道館ライブのことを思いだした。

 志村正彦の音源の声による「茜色の夕日」と山内総一郎の声による「若者のすべて」に続いて、山内が作詞した「卒業」が歌われた。「卒業」はアルバム『LIFE』の15曲目、最後の曲であり、この歌を逆回転させて作られたのが1曲目「リバース」、再生という意味を持つ曲である。『LIFE』というアルバム全体が〈生〉〈再生〉というメッセージを持つ。

  「卒業」の作詞・作曲者は山内総一郎。歌詞の全文を引用する。


扉風ふわり立つ ぼくらの体を包み込む
沢山の思い出はこっそり鞄に詰め込んだから

ゆらゆらゆらり滲んで見えてる空は薄化粧
それぞれ道を歩けばいつかまた会えるだろう

さなぎには触れるなよ もうすぐ羽ばたく時が来て
殻の中もがいてる心を大きく解き放つでしょう

静かな丘に登れば 出て来た街を見渡そう
暗い夜道に迷えば 思い出し灯火燃やそう

春の中ぽつり降る ぼくらの足跡消して行く
悲しみは 悲しみはこのまま雨と流れて行けよ


 『卒業』の歌の主体〈ぼくら〉は、山内総一郎、金澤ダイスケ、加藤慎一を指しているだろう。〈ぼくら〉は〈沢山の思い出〉を鞄に詰め込み、〈それぞれ道を歩けばいつかまた会えるだろう〉と自らに言い聞かせる。その再会の相手は、意識としても無意識としても、志村正彦その人だと解釈できるかもしれない。

 〈さなぎ〉は、〈ぼくら〉の〈殻〉の中でもがいている〈心〉の象徴である。その〈さなぎ〉に〈触れるなよ〉と強く禁じているのは、もうすぐ〈羽ばたく時〉、〈心〉を〈大きく解き放つ〉卒業の時が訪れるからだろう。そのことを〈ぼくら〉は望んでいる。

 〈静かな丘〉〈出て来た街〉〈暗い夜道〉〈灯火〉〈春の中〉。これらの情景や季節には、志村正彦の故郷富士吉田の風景と歌詞の世界が反映されているように感じる。しかし、〈雨〉が〈ぼくらの足跡〉を〈消して行く〉。その〈悲しみ〉に対して、〈このまま雨と流れて行けよ〉と命じている。

 〈僕ら〉の〈心〉を解き放つこと、〈僕ら〉の〈悲しみ〉を消していくこと。この二つの心の在り方が「卒業」では歌われている。2014年という時点であらためて、山内・加藤・金澤の三人によるフジファブリックの誕生を宣言している。


  2月6日のNHKホールでのライブでは、2024年2月リリースの12枚目のアルバム『PORTRAIT』収録の「KARAKURI」が演奏された。「KARAKURI」の作詞は加藤慎一、作曲は山内総一郎。歌詞の全文を引用する。

えー皆様これからお見せしますのは 世にも
珍しくってこんな様子だって何にもない 策謀
お目が高いね おさわりはダメね
お会計はこちらね 後悔させないからね それでは 始めよう

軽快に太鼓鳴って稀有なタップ踏んでみな 渇望
外連味だってそうさ性に合って造作もない されど
限界なんて超えて 衝動をたぎらせろ
他で得られんぜ ここまで来たら

真っ赤かにと燃えて
真っ赤かにと染めた
真っ赤かにと燃えて
どんな遠慮なんてせんぞ何も

ただ僕は祈ってる解放の時は来ると言ってくれ
出してくれ籠から食い破れば鳥のように飛びたって

どれだけ島越えて彼の地を目指すんだ
逢いたい者皆 そう宝
三年待った石の上望めば修羅になれ
殺気立った牙を剥け それから

さらけ出せよ どこまでも
やり場ないこの 怒りをさ
再会の日 待ち侘びて
すがり付いても 祈ろう祈ろう
神よ仏よ

いや 本当ならばsave/load
傀儡らしく怠惰遂げろよ
土竜のように咽び泣いて
相対そうね哀を止めなよ
神楽模して眺めたいぜ

えー皆様これからお見せしますのは 世にも

大体奴ら籠の中
もしや己も籠の中


 加藤らしい奇想天外な歌詞の世界。まさしく〈KARAKURI〉のように言葉が乱雑に組み合わされているので、この歌詞を読み解くのは難しい。

 ただし、〈僕〉が〈籠〉からの〈解放〉の時が来ることを、〈籠〉から〈鳥〉のように飛びたつことを祈っていることは確かだろう。そして、〈彼の地〉を目指し、〈再会〉の日を待ち侘びている。

 〈すがり付いても 祈ろう祈ろう〉は、歌詞の主体の真正な祈りだろうが、その反面、この祈り自体が〈KARAKURI〉のように作られた見世物の〈籠〉の中の出来事かもしれない、という懐疑もある。〈奴ら〉も〈己〉も所詮は〈籠〉の中にいるのかもしれない、という醒めた認識もある。

 あるいは、この〈籠〉は、現在のフジファブリックそのものを表しているのかもしれない。『PORTRAIT』というアルバムタイトルは肖像画、それもセルフポートレート、自画像という意味を伝えているのだろう。


 2014年リリースの山内作詞「卒業」と2024年リリースの加藤作詞「KARAKURI」。作詞者も楽曲の雰囲気も異なるが、〈解き放つ〉と〈解放〉という共通するモチーフがある。

 山内・加藤・金澤の三人によるフジファブリックが、志村正彦を失った後に、意識的無意識的に自らに問い続けてきたのは、この解放というモチーフだろう。その解放は、志村正彦への解放と志村正彦からの解放という相反する方向性を持っていたと考えられる。

 志村正彦への解放とは、志村が創造したフジファブリックの世界を再解釈することにによって新たに構築していくことである。志村の世界へと深く入り込むことが、逆説的だが、山内・加藤・金澤の三人の世界を見つけ出すことにつながる。

 これに対して、志村正彦からの解放は、文字通り、志村の世界から解き放たれることである。この方向を進んでいけば、志村が創ったフジファブリックの世界と次第に遠く離れていくことになる。


 志村正彦への解放と志村正彦からの解放では、そのベクトルの方向がまったく異なる。2010年から2025年までの時の流れの中で、山内・加藤・金澤の三人のフジファブリックがどのような解放のベクトルを描いたのかは、聴き手の一人ひとりが判断することだろう。

 金澤の脱退とフジファブリックの活動休止という選択は、この解放のベクトルに対する考え方の差異から生じたのではないかと、僕自身は推測している。 


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