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2024年6月26日水曜日

リーガルリリー「1997」アコースティックとライブのヴァージョン

 前回紹介した〈リーガルリリー 『1997』Music Video〉の視聴回数は先ほど確認すると、1,706,841 回。2020.1.18の映像アップから四年半ほどでこの数字は素晴らしい。若い世代を中心にこの作品は確実に浸透しているのだろう。 

 この作品にはアコースティックバージョンの映像がある。図書館での弾き語りLiveだ。


   たかはしほのか (リーガルリリー)『1997』Live in Library


透き通るように聞こえてくる、たかはしの声。アコースティックギターが共鳴を広げていく。

 youtubeのライブヴァージョンには、〈Live Video @Zepp Tokyo (2020.12.10 リーガルリリーpresents「1997の日」〜私は私の世界の実験台〜)〉と〈Live at 日比谷野外大音楽堂(2023.7.2)〉の二つがある。ここには、最新の日比谷野外の映像を添付したい。右上に小さい字ではあるが、縦書きで歌詞が表示されている。


  リーガルリリー - 『1997』Live at 日比谷野外大音楽堂(2023.7.2)  


 たかはしほのかはMCでこう述べている。


1997年の12月10日に私はこの世界の空白をひとつ奪いました
そしていつかまたその空白を返すまでのお話しです

むかしむかし あるところに


 歌詞の〈なくなった空白 1997年の12月〉とは、この世界からひとつ奪いった〈空白〉であること、そして、この世界にいつかまた返す〈空白〉であることが明かされている。

 この世界から〈空白〉を奪い、世界に〈空白〉を返すまでの時間が、生きることであること。それは〈片道切符〉の往路というよりもむしろ帰路であること。

 もしかすると、このような生存の感覚が、意識的あるいは無意識的に、現在の若者のすべてに共有されているのかもしれない。

 〈むかしむかしあるところに〉という語り出しで、この歌が、この旅が始まる。



2024年6月23日日曜日

リーガルリリー「風をあつめて」、「1997」と「若者のすべて」

 リーガルリリー。ここ数年で聴いたバンドのなかで最も気に入っている。今日、こういうロックが存在していることへの驚きとともに。

 たかはし ほのか(ボーカル・ギター)、海(ベース)、ゆきやま(ドラムス)の三人編成。ただし、ゆきやまはこの3月に脱退。これからはサポートドラムを入れて活動するようだ。

 出会いは、はっぴいえんど「風をあつめて」のカバー曲を探したときだった。2021年の映画『うみべの女の子』(監督:ウエダアツシ、原作:浅野いにお)の挿入曲として、「風をあつめて」をカバーしたのがリーガルリリーだった。ミュージックビデオには歌詞がテロップで映されてゆく。映画の映像が断片的に流れるシーンに、たかはしほのかが「それで ぼくも/風をあつめて 風をあつめて/蒼空を翔けたいんです/蒼空を」を歌うシーンが織り交ぜられ、最後は「風をあつめて」をめぐる主役二人の会話のシーンで閉じられる。秀逸な出来映えのMVだった。「風をあつめて」の歌詞の世界と映画の物語とは重ならないのだが、たかはしの声による「風をあつめて/蒼空を翔けたいんです」のフレーズが入れ小型の役割を担って、若者たちの風をあつめて青空を駆けたいという欲望をさりげなく支えているようにも聞こえてくる。映像を添えたい。


リーガルリリー『風をあつめて』×映画『うみべの女の子』Collaboration Music Video


 リーガルリリーの映像や音源はyoutubeにアップされている。どの作品も歌詞、楽曲、演奏ともに高い質を持っている。なかでも、「1997」はきわめて優れている。まだまだ日本語ロックには可能性が残っている。そんなことを感じさせられた。MVを添付して、歌詞も引用したい。 


リーガルリリー   『1997』Music Video


「1997」詞・曲:たかはしほのか

降り立った東京 1997年の12月
始まった東京 1997年の12月

私は私の世界の実験台 唯一許された人

あの坂を越えて 私に会えたらいいなんて
思わせないでほしい。
最終列車飛び乗って 降り立った世界で
片道切符に気付いた

なくなった空白 1997年の12月

私は私の世界の実験台 唯一愛した人

あの坂を越えて 私になれたらいいなんて
思わせないでほしい。
最終列車飛び乗って 降り立った世界で
片道切符を失くさないように

あの坂の意味が 私に分かる時だって
あなただけがいいなって。
最終列車飛び乗って 孤独だった世界で
片道切符を失くさないように

1997年の友達を集めてチョークの粉を集めた
何をしているのかなぁ私たちは
催涙弾で流した涙が光の反射で集まった
人々は目を眩ませた
私は泣くことしかできなかった
私は泣くことしかできなかった


〈降り立った東京 1997年の12月〉というのは、作者たかはしほのかの誕生を示すのだろう。そして誕生は〈なくなった空白 1997年の12月〉というように、ある空白をなくすことにつながる。誕生した〈私〉は〈私の世界の実験台〉であり、〈降り立った世界〉で持つものは〈片道切符〉でしかない。このような生存の感覚はかなり独自なものである。特異なものといってもよい。この特異なもの。かけがえのないもの。

 イントロのベース、ギター、ドラムス。すべて遠くから〈降り立った〉ように響いてくる。何かが始まる予兆のような音群。言葉としての声が聞こえてくる。〈実験台〉のロックだ。


 実はこの「1997」の誕生には、志村正彦・フジファブリックの「若者のすべて」が関わっている。「spice」のインタビューで〈この曲のインスピレーションはどこから生まれたんですか?〉という問いに対して、たかはしはこう語っている。


アルバムの曲を作っている時、一番最後に生まれた曲なんです。スタジオで個人練習に入った時に……その時は夏が終わりそうだったので自分のためにフジファブリックの「若者のすべて」を一人で弾き語りしてたんですよ。そこで生まれた、なんか気持ち悪くて気持ちいいギターがあって。そのギターフレーズから2番のAメロのギターが生まれて、別の日にスタジオに持って行ったらすぐにこの曲が完成したんです。


  このようなプロセスで曲が生まれることは珍しいのだろうが、「若者のすべて」が「1997」に作用したのは現実だ。

 「1997」も、今この時代に生きる若者たちのすべてを語っているようにも聞こえてくる。リーガルリリーの生存の感覚が今日的である。