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2015年1月18日日曜日

『満月の夕』-書物と番組-

 半年ほど前から、石田昌隆氏の『ソウル・フラワー・ユニオン 解き放つ唄の轍』(河出書房新社 2014.1)を断続的に少しずつ読んできた。
 写真家である氏の写真と文章で、ソウル・フラワー・ユニオンの1993年から2013年までの20年間の足跡を描き出している、320頁の労作。阪神淡路大震災と東日本大震災の後で彼らが成したこと。ダブリン、釜山、辺野古、様々な「マージナルな場所」での活動。彼らの「旅」の丹念な記録と共に、「日本語のロックと歌」についての深い問いかけもあるこの書は、日本のロックに関心のあるものにとって読むべき作品だ。

 ソウル・フラワー・ユニオンの20年間の軌跡、そして石田昌隆氏の書物の中心にあるのは、必然的に『満月の夕』となる。この歌について、昨夜のNHKで、『「満月の夕」~震災が紡いだ歌の20年~』という番組が放送された。

 『満月の夕』を私が初めて聴いたのは、東日本大震後のドキュメンタリーを通じてだった。二つの震災の現場を直接経験していない私のような者が、この歌を「一つの歌」としてあれこれと語ってはならないという気持ちが強くある。それでも、番組で伝えられたこの歌の共作者の一人、山口洋(HEATWAVE)の言葉について考えたことをこの場で記したい。たくさんの人が少しずつ「刻む」ことが大切だからだ。

 そもそもこの『満月の夕』には、ソウル・フラワー・ユニオンとHEATWAVEの二つのversionがあることは、石田氏の書物を読むまで全く知らなかった。その経緯についてこの番組は丁寧に触れていた。山口は次のように語っている。(番組のテロップと実際の言葉には少し違いがあるので、音声から文字を起こした)

あの時日本人には 実際行動した人と 心を痛めながらもテレビを見ていることしかできなかった日本人ていう風に 2種類だと思いますね そういう意味でいえば 僕はどちらかというと後者のタイプで ならばもう少し距離を離れて いろんなことを見ていた ほぼテレビを見ていた立場に近い方から 僕は歌詞を書いた

 二つの歌詞を読み比べると、確かに、「時を超え国境線から 幾千里のがれきの町に立つ」(中川敬)、「夕暮れが悲しみの街を包む 見渡すながめに言葉もなく」(山口洋)というように、現場に「立つ」と現場を「見渡す」という二つのあり方が、重要な差異となっていることが分かる。二つの歌は共に「現場」に対する視点が、各々のあり方として誠実で正確だ。現場のことを全く知らない者にとって、この山口洋の発言は記憶すべき言葉だろう。

 石田昌隆氏の書物の最後の最後のところで、中川敬との会話の言葉が紹介されている。彼らのような活動に対して、すぐにある種のレッテルが貼られる日本の現状に対する、痛烈にしてユーモアのある、深く深い言葉。「解き放て いのちで笑え」とも受け止められる発言。痛切に動かされた。そして、大いに肯定したい。その言葉を引き、この稿を閉じよう。

 「右か左かと聞かれたら、俺は下や」  (中川敬)

                                             (1/20 誤記訂正)

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