ページ

2015年1月26日月曜日

「愛」の気配-『夜汽車』 [ここはどこ?-物語を読む8]

 新宿から中央線に乗って甲府に帰るとき、空いていれば必ず進行方向左の窓側に座る。これまでこうして何度車窓の人となっただろう。たいがいは夜、終列車のことも多かった。
 東京のどこまでも続く町並みやビルがとぎれがちになると、列車は暗い山の中を這うように進む。途中いくつものトンネルを抜ける。慣れてはいてもトンネルに入るとやはりどこか窮屈で、逃げ場のないような不安な心持ちがする。笹子トンネルという長い長いトンネルを抜けると、突然左手に甲府盆地の夜景が広がる。今までが闇であった分、その灯の瞬きは息をのむほど美しい。その瞬間、「ああ、帰ってきた」と思う。生まれ育った田舎の町の人々の営みの中に戻ってきた実感がある。


 『夜汽車』(ファーストアルバム『フジファブリック』の最後の曲)を聴きながら私が思い浮かべているのは、そんな中央線の光景だ。もっとも、高円寺に住んでいたことがあるという志村正彦が中央線で故郷の富士吉田に帰るとしたら、笹子トンネルまでは行かずに手前の大月駅で富士急行線に乗り換えることになる。だから、これはあくまで私の描く夜汽車で、聴く人によって思い浮かべる車窓の光景は違うだろう。けれど夜汽車には何か独特な風情があることは共感してもらえるのではないか。車内の人々は言葉少なで、多くの人は目を閉じ、ひとときの眠りについている。その中で目覚めているものは、窓に映る己と対話をするように深い物思いに沈んでいく。

 『夜汽車』は夜汽車の持つ独特の雰囲気を叙情的に歌った一曲と言えるかもしれない。しかし、どうも引っかかってしまうのだ。

  夜汽車が峠を越える頃 そっと
  静かにあなたに本当の事を言おう


 

 「本当の事」って何だろう。 恋心の告白なのか、逆に別れを切り出すのか、あるいは普段は思っていても言えないこと、それともずっと隠してきたことなのか。おそらくこの曲を聴く人の多くが気にかかることではないだろうか。そしてそこに多くの物語が紡ぎ出されることになる。二人はどんな関係なのか。何のためにどこへ向かおうとしているのか。その先に何があるのか。とても幸福な物語を描くこともできる。とても悲しい物語を語ることもできる。どの物語が正しいということではない。

 私自身はこの歌の語り手には何か屈託があるように感じてしまう。目の前にいる人(この場合、座席はすべて進行方向を向いているのではなく、四人が向かい合わせに座るボックス型であってほしい)はその人にとって救いのような人である。恋人でなくてもいい。友達でも、その日初めて会った人でもかまわない。語り手の心の奥深いところに届くものを持っている人。だから、その人に「本当の事」を言おうとする。普段表面を取り繕ったりごまかしたりして、内側に隠してきたことを言おうとする。それは語り手自身が傷を負う結果を招くかもしれない。それでも、語り手は静かに決意する。「あなたに本当の事を言おう」と。

 この曲の中には穏やかな時間が流れている。この二人がつらい旅の途中であったとしても、このひとときだけは安らかに過ぎている。それは語り手が「あなたの眠り」を護っているからだ。私はそれを「愛」と呼びたい。これから愛の告白をしようという場合だけではなく、たとえこれから別れを切り出すことになったとしても、この時間を成り立たせているのは「愛」である。
 志村正彦は「愛」などと口にはしないだろうが、『夜汽車』が心に迫ってくるのは、そこに確かに「愛」の気配があるからなのだ。

0 件のコメント:

コメントを投稿