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2019年5月20日月曜日

2009年5月20日、『CHRONICLE』リリース。[志村正彦LN219]

 十年前の今日、2009年5月20日、フジファブリック4thアルバム『CHRONICLE』が発売された。
 初の海外レコーディング音源(スウェーデン・ストックホルム)を中心に全15曲で構成され、「ストックホルム“喜怒哀楽”映像日記」という80分強の映像(『ルーティーン』レコーディングセッションなどを含む)を収録したSpecial DVDが付いた意欲作だった。

 雑誌『音楽と人』2019年2月号に「フジファブリック クロニクル ~アルバム・セルフライナーノーツ~ これまで発表したアルバム/ミニアルバムをバンドの歴史とともに振り返る」という記事(文=樋口靖幸)が掲載されている。
 『CHRONICLE』について、山内総一郎・金澤ダイスケ・加藤慎一の三人が次のように語っている。(雑誌発売から数ヶ月経ったので、この箇所を全て引用させていただく) 


実は僕……この時期に「このアルバムを作り終わったらバンドを辞めようかと思ってて」という相談を加藤さんにしたことがあって……というのも前の反動なのか、志村君がたくさん曲を作ってきたんですけど、これからのフジファブリックは志村君が作った曲にプレイヤーとして関わっていくだけのスタンスになりそうな感じがしたんですよ。(山内) そうそう。志村のギアがものすごく高回転になってる時期でしたね。アクセルがベタ踏み状態というか。誰も止められない、みたいな。(金澤) バンドとしてはけっこう険悪な空気もあった時期で。でもそこからみんなで話し合って、これからも一緒に頑張っていこうっていう気持ち作ったアルバムですね。(山内) そんなひと悶着があってからのストックホルムでのレコーディングだったんですよ。あそこからまたバンドの空気がいい感じになっていったんで、あの海外レコーディングは必然だったんだなって思います。(加藤)


 『CHRONICLE』の制作時期に(発言内容からするとレコーディングというよりその前の準備段階だろうが)、フジファブリックはある「危機」を迎えていた。これまでのいくつかの記事や発言から推測されていた状況が、現メンバーの三人によって証言されている。山内の「バンドを辞めようか」と思っていた発言とその理由にも驚かされる。
 かなり正直にある意味では赤裸々に語られているのは、「デビュー十五年」関連記事という性格の所産かもしれない。そうであるからこそ、僕たちファンはこの発言をそのままに受けとめるべきなのだろう。だが、フジファブリックの創始者、この発言で言及されている志村正彦本人はここにはいない。そのような振り返りである以上、限定的な証言にすぎないということは確認しておきたい。

 「けっこう険悪な空気もあった時期」はストックホルムでのレコーディングで解消されていったようだが、それでも「険悪」という言葉には強い意味合いがある。平穏なものからはほど遠い。バンドは仲良しクラブではないので、様々な葛藤や軋轢もあるだろう。それがどういうものだったか、具体的には想像できないが、『CHRONICLE』の音源、志村の歌の言葉の中に、その痕跡のようなものがある程度まで刻み込まれているかもしれない。

 『CHRONICLE』発売後の6月から7月にかけて「CHRONICLE TOUR」が行われた。今年7月、その映像が『FAB BOX III』、「Official Bootleg Live & Documentary Movies of “CHRONICLE TOUR"」DVDとしてリリースされる。
 この記録映像も、フジファブリックにとって、というよりも、志村正彦にとって『CHRONICLE』がどのような作品であったのかという「問い」に対する「答え」の一つになるのだろうか。

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