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2017年9月17日日曜日

「鮮やかな花を咲かせよう」-『蜃気楼』5[志村正彦LN165] 

 フジファブリック『蜃気楼』の次の第4連に、「鮮やかな花」がなぜ出現したのだろうか。


  おぼろげに見える彼方まで
  鮮やかな花を咲かせよう


 前回述べたように、映画に内在するものというよりも映画から触発された作者志村正彦のモチーフから来たものだと考えられる。この「鮮やかな花」に込められた思いとはどのようなものだろうか。
 
 志村正彦は「花」というモチーフを繰り返し歌ってきた。『蜃気楼』以外で「花」という言葉が登場する作品を幾つか引用してみる。「桜」や「金木犀」のような具体的な花の名や「花束」というような語彙のある歌詞は除くことにする。


  そのうち消えてしまった そのあの娘は
  野に咲く花の様
    『花屋の娘』

  どうしたものか 部屋の窓ごしに
  つぼみ開こうか迷う花 見ていた

  花のように儚くて色褪せてゆく
  君を初めて見た日のことも
    『花』

  だいだい色 そしてピンク 咲いている花が
  まぶしいと感じるなんて しょうがないのかい?
    『ペダル』

  帰り道に見つけた 路地裏で咲いていた
  花の名前はなんていうんだろうな
    『ないものねだり』


 「野に咲く花の様」「花のように儚くて色褪せてゆく」という比喩の対象として使われたり、部屋の窓ごしに見る花、路面の脇や路地裏に咲く花など、見つめるあるいは見かける対象として表現されたりしている。歌の主体そして作者志村正彦の「花」に対する眼差しには、思いがけないもの、かけがえのないものと遭遇したような感触がある。

 それに対して、『蜃気楼』の「鮮やかな花」は今ここで見ているものではなく、これから見ようとしている花である。「おぼろげに見える彼方まで」「咲かせよう」とする「鮮やかな花」はあくまで意志と想像によって描こうとしている花である。他の花の歌にはない特徴である。志村はどうしてそのような想像の花を咲かせようとしたのだろうか。

 前回紹介した『プラスアクト』2005年vol.06(ワニブックス)の志村のコメントから参考となる個所を再度引用してみる。


(映画のテーマ曲を)やりたいと思えたのは、実際に映画を観てからですね。希望もあるんだけど、でも迷って、思いもよらない方向に物事が転がっていく、そのもがいて進んでいく感じがバンドの活動や日々の生活していく上で自分が感じていることと、通じるものがあるなと思ったんです。

その時浮かんでいたのは、霞がかかった何もない所で、映画の主人公なのか僕なのかわからないですけれどウロウロしてる時に、色んな人が来たり、色んな風景が通り過ぎて”どうしよう”という感じ。『スクラップ・ヘブン』を観終えた時、”ちょっとどうしよう…”って感覚が自分の中にあって、でも、そう思う中にも、おぼろげだけど希望が見えている。希望とは言っても、具体的な何かじゃないから生々しくてリアルだなぁと思ってたんですよね。


 この二つに分けた引用個所のどちらも「希望」という言葉がキーワードになっている。『スクラップ・ヘブン』の物語の結末、シンゴが登場するラストシーンは、一般的には「希望」を抱けるようなものではない。しかし、志村は「おぼろげだけど希望が見えている」と受けとめた。
 
 志村が感じた「希望」について、筆者は完全に同意できるわけではない。しかし確かに、映画の主人公たちが追い求めていた「世界を一瞬で消す」欲望は成就しなかった。欲望はあっけなく横取りされたかのように消え去った。劇的な何ものも起こらなかった。破局は訪れなかった。主人公の三人はみな生き残った。「絶望」とは明らかに異なる。だから、この結末にある種の希望を感じとることは可能だ。監督の意図もおそらくこの映画を観る者が自由に考えることにある。

 志村は「おぼろげだけど希望が見えている」という自身の感性と解釈に忠実にエンディングテーマを作ろうとした。彼は「希望とは言っても、具体的な何かじゃないから生々しくてリアルだなぁと思ってたんですよね」と補うことも忘れていない。
 「希望」は具体的にこういうものだと言葉で説明することはできない。『スクラップ・ヘブン』にふさわしい「生々しくてリアル」なものとして心に浮かぶものだ。そのように考えた志村は、「月を眺めている」「降り注ぐ雨」「新たな息吹上げるもの」という自然の風景や景物を展開した上で、「この素晴らしき世界」の「おぼろげに見える彼方」に「希望」を象徴的に描こうとして「鮮やかな花」を出現させようとしたのではないだろうか。

 この「鮮やかな花」は、映画の主人公シンゴやテツ、サキにとっての希望であると同時に、それ以上に、作者志村正彦にとっての希望、おぼろげなものではあるが希望と名付けられる何かの「息吹」を上げる「花」であろう。

  (この項続く)

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