台風が過ぎた。いつも見ている桜の樹の葉がもう半分近く散っている。夏が過ぎ去り、秋への歩みが速くなる。この狭間の季節、ある授業でフジファブリック『若者のすべて』を三十人ほどの生徒に聴かせた。
CDをかける前に『若者のすべて』を聴いたことがあるかと尋ねた。手を挙げたのは五人ほどだった。この数は多いのか少ないのか。そんなことを思いながらCDをスタートさせた。教室という場で皆が一緒にこの曲を聴く。その雰囲気には独特のものがある。窓外の風景を眺めながら、曲が終わるまでの時間を過ごした。その後でもう一度この曲を以前聴いたことがあるかと尋ねると、二十人近くの生徒が挙手した。要するにこの曲を聴いたことはあるのだ。記憶にも残っている。つまり、志村正彦、フジファブリック、『若者のすべて』という固有名は知らなくても、この曲自体はかなり若者の間に浸透していることになる。
『若者のすべて』についてはすでに三〇回ほど断続的に書いている。この歌そのものへの深い関心と共に、この歌がどう受容されていくかについても興味があり、時々ネットを検索してきた。最近、今年になってさらに夏の定番の歌としてテレビやラジオで流されることが多くなったという呟きを見つけた。確かなことは分からないが、肯ける気がする。
僕は見逃してしまったが、テレビ朝日の番組『長島三奈が見た甲子園 野球が僕にくれたもの』のエンディングでも流されたそうだ。三年前、高校野球決勝中継のダイジェスト映像のBGMにもなっていた。anderlustによるカバーが使われたアニメ『バッテリー』も野球物である。志村正彦が野球少年だったことは知られているが、『若者のすべて』と野球という取り合わせは不思議なほど調和している。
また最近、この曲を好きだったが誰の曲か知らなかった、やっとそれが分かった、というtweetを読んだ。『若者のすべて』が広まることで、志村正彦、フジファブリックの存在を知る。これはファンとしては嬉しい。逆に、誰が歌っているのか、誰が作ったのか分からないまま、この曲をずっと好きでいる。作者の名を知らない、ある意味では和歌の「詠み人知らず」のよう に、歌そのものの魅力によって人々に愛されていく。これもまた、曲の運命としては光栄なことに違いない。
この作品が誕生してすでに九年近くになる。この間、草野正宗、櫻井和寿(Bank Band)、藤井フミヤ、柴咲コウ、槇原敬之と、名のある歌い手がカバーしている。志村正彦と交流のあった人にとっては追悼の意味合いも当然あったように思うが、近年のこの歌の広がりはその言葉と楽曲の力による。若手アーティストの場合は、志村正彦という存在へのリスペクトも込められている。プロを目指している若者たちが歌うことも多いようだ。聴き手がふと口ずさむこともあるだろう。
2016年の夏はanderlustによる音源がリリースされた。ライブで歌われることも多い。五月のことになるが、UNISON SQUARE GARDENの斎藤宏介が「VIVA LA ROCK」というロックフェスで歌ったそうだ。その際「もしこの曲を初めて聴く人がいたら、その人にもちゃんと伝わるように歌います」と話したというレポートがあった。三月、クボケンジが歌ったことは以前このblogで書いた。
先日、WOWOWの番組「ROCK IN JAPAN FESTIVAL 2016 DAY-3後編」で、フジファブリックの『虹』『若者のすべて』が放送された。山内総一郎が力を込めて歌っていた。山梨の山中湖で開催された「SPACE SHOWER SWEET LOVE SHOWER 2016」でも演奏されたそうだ。夏のフェスのエンディングにふさわしい曲だろう。
2000年代以降に作られたロックやポップソングでこれほどカバーされているものは他にない。志村正彦はリリース後にこの曲が「意外と伝わってないというか……正直、その現状に、悔しいものがあるというか…」と述べていたことは繰り返し記しておくべきだろう。
時と共に、この曲は確実に伝わってきた。当時、このような歌の伝わり方を想像できた者はいないだろう。
先週の土曜日、下岡晃(Analogfish)と堕落モーションFOLK2(安部コウセイ×伊東真一)が「m社会議Vol.2」というライブで共演し、そのアンコールで安部と下岡が『若者のすべて』を歌ったそうだ。
聴いてみたかった。音源や映像はないかな。そう欲してしまう。だが、その時その場で歌われ、そして消えていくからこそ、歌は美しくあるのだろう。
夏の終わりの季節にこの歌は人々に愛され、そして、その儚げな季節は閉じられていく。それでもまた来年その季節を迎える。年々、この歌は季節の循環のような時を生きていく。そのことを「運命なんで便利なもの」で語ってみたいのだが、どうだろうか。
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