ペソアの没後、27543枚の原稿、ポルトガル語、英語、仏語で書かれた韻文や散文が大型の収納箱に遺されていた。ペソアが彼のすべてを注いで書いたテクストがそこに存在していた。
生前から散文の主だったものは『不安の書(Livro do Desassossego)』という題で刊行する予定だったが、果たせなかった。膨大なテクストの調査研究の結果、1982年、ようやくこの書物が世に出た。詩と同様に、ペソアの「異名」ベルナルド・ソアレス(Bernardo Soares)、リスボン在住のある事務員の綴る手記という形式で、断章のテクストが集められている。序文には、ペソアがソアレスに出会ったことが語られている。実名と異名との遭遇。眩暈のような出来事からこの書は始まる。
2007年、高橋都彦氏によって翻訳書が刊行された。649ページの大著で、企画から十数年要したそうだ。この労作のおかげで今、私たちはペソアの散文を読むことができる。邦訳『不安の書』(新思索社)は460の断章を収録している。未整理の遺稿という性格上、オリジナルの書にもいくつかの編集版があり、章の数も一定しないようだ。文字通りの「未完の書」である。
この書の舞台はリスボンの街。話者ソアレスは路地を歩き、小さな公園を訪れ、事務所の窓から街を眺め、部屋で眠りにつく。書名の「Desassossego」という言葉には「動揺」という意味もあるようだ。街の風景を見つめ、街のざわめきを聞きとり、小さな出来事に遭遇する。主体は揺れ動き、何かを感受する。その感性が凝縮された思考と結びつくとき、断章が生まれる。日付のあるもの、ないもの。日記風のもの。散文詩的な作品。哲学的断章。創作めいたもの。純粋な断片。そして彼の生には倦怠と疲労の主調音が流れる。
ここ二年ほど、休日に時々『不安の書』を読んできた。断章であるゆえに、ある日は250章から、ある日は100章からというように、部分、部分を読みすすめ、それを何度か繰り返した。このような読み方の方がこの書にはふさわしいだろう。
ジェロニモス修道院の回廊の内側には中庭があった。
その中庭に降り注ぐ光。芝の緑。通路の白。空の青。回廊のベージュ。その色合いがおだやかな調和をなしていた。周囲の喧騒をよそに、静けさに包まれていた。
中庭を囲む回廊の一階にペソアの棺と碑がある |
今回の文を書くにあたり、『不安の書』を読み返した。89章が目にとまった。なんとなく、あの回廊と中庭の風景につながるような気がした。この章には1931年9月16日という日付がある。ペソア、43歳。彼の生涯からすると、もう晩年だといえる。この章の全文を引用したい。
去りゆく日がくたびれた深紅色に染まって流れるように消滅する。わたしが誰なのか、言ってくれる者は一人もいないだろうし、わたしが誰だったのか知る者もいないだろう。わたしは未知の山から、やはり知らない谷に下り、穏やかな午後、わたしの足跡は、森に開いた空き地に残した痕跡だった。わたしの愛した人はみなわたしを忘却の陰のなかに残して去った。誰も最終の船について知った者はいない。郵便局には、誰も書くはずがないので便りが届いている知らせはなかった。
しかしながら、何もかも偽りだった。ほかの者たちが語ったかも知れない物語は語られず、当てにならない乗船に望みを託した以前出発した者、未来の霧ときたるべき逡巡の子については、確かなことは分からない。わたしは、遅れてくる者のうちに名前を連ねており、その名前はあらゆるものと同様に幻だ。 九月一六日
「遅れてくる者」の名、「幻」の名が、ペソアの碑に刻まれている。
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