1階に降りる。書籍や記念品を並べた売店があった。ペソア人形のワイン栓などのグッズを買う。これも分身かもしれない。コエーリョ・ダ・ローシャ通りに出る。振り返ると、入口上の垂れ幕の赤、空の青のコントラストが綺麗だ。ここで1時間以上過ごしたが、充実した時間だった。ペソアが晩年を過ごした家がそのまま博物館になっていることが貴重だ。寝室は残し、その他は大胆に改築し、現代的な展示とイベントの場に造りかえた空間デザインも個性的だ。
遅い昼食を取ることにした。ガイドブックで調べておいたのだが、この通りを西の方へ10分ほど歩くと、カンポ・デ・オウリケ市場がある。1934年に開設された古い市場だが、数年前にフードコートがつくられた。中に入ると、こじんまりとしているが食べもののコーナーが並んでいた。「Casa do Leitão」という店で、焼いた豚肉(レイタオン・アサード)をマデイラ島のパンでサンドイッチしたものを買う。見た目はハンバーガーだが、皮がパリッとしていてとても美味しい。
店内を回ると、ポルトガル名物バカリャウ(干しダラ)の缶詰屋が目にとまる。色とりどりで可愛いパッケージ。お土産に数個買った。
カンポ・デ・オウリケ市場を後にする。このあたりは中心街からは西側に離れている郊外の住宅地として人気があるそうだ。市電28番線も通っているので便利な場所なのだろう。
近くの停車場から、「Elétrico 28」、路面電車のエレクトリコ28番線に乗る。1901年に電化されたそうだが、テクノロジーは当時のままのようだ。振動も多く、建物の壁面間際を走っていく。道路工事の砂がはみ出していたり、車が突っ込んできたりで、はっきり言って怖い。遊園地の乗り物のようなスリルが味わえる。
夏のバカンス時期なので、私たちを含め観光客が多い。
『不安の書』の主体は路面電車内で「細部」に集中する。101章にこうある。
わたしは路面電車に乗り、いつもの習慣にしたがって、前にいる人たちをあらゆる細部にわたってゆっくりと気をつけて見ている。わたしにとって、細部とは物、声、言葉だ。
「感受する人」ペソア。物を見て、声を聴き、その言葉を読みとる。彼はその細部からはるか遠くにあるものを想像し、それが増殖していく。
わたしは眩暈を感じる。丈夫で細い籐で編んだ路面電車の座席はわたしをはるか遠い地方へ運び、工場、職工、職工の家、暮らし、現実、あらゆるものとなったわたしのなかで増殖する。疲れ果て、夢遊病者のようになって下車する。精いっぱい生きたのだ。
「想像する人」ペソア。車内で「疲れ果て」、「夢遊病者」と化す。百年以上前、この28番線で、詩人は「眩暈」を感じる時間を、ひとつの日常として、過ごしていたのだろうか。
この路線は人の乗降が多く、途中から座席に座れた。中心街へ入り、アルファマを過ぎる。さらに席が空いたので移動してみると、車窓の風景が変わる。そうこうしているうちに終点に着いた。30分ほどのエレクトリコの旅だった。
しばらく歩いて、フィゲイラ広場に戻る。この広場の名はペソアの散文にも時々登場する。あの当時は大きな市場があったそうだ。昼前にここからタクシーに乗り、ペソアの家に行き、28番線に乗りここへ戻ってきた。この日の午後、夏の日差しは眩しかった。広場に面した店でアイスクリームを食べる。一息つけた。
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