ページ

2016年5月7日土曜日

ある桜守の話-『桜の季節』3[志村正彦LN127]

 今日の夕方、NHK「NEXT 未来のために」の番組『桜守 心をつなぐ 佐野藤右衛門 88歳の春』を見た。(5月10日(火) 午前1時30分再放送の予定)

 佐野藤右衛門さんは枯れていく桜の命をつなぐ「桜守」だ。88歳の今も、全国各地から桜の枝を持ち帰り、枯れかけた桜に接ぎ木をして育てていく。この番組は、京都円山公園の「祇園しだれ桜」を東日本大震災の被災地に植樹する姿を追う。このしだれ桜の樹齢は千年となる可能性があるそうだ。桜守は千年という時を守る始まりにいる。
 佐野さんが祖父、祖母、父のことを思い出し、次のように語る。
  
  小さいころは桜の下に おじいが連れて行ってくれても 桜そのものは 全然気にならへん 一緒に行って 握り飯を食わしてもらえる方が楽しかった おじいが言うてた おばあが言うてた おやじが言うてたという話を 桜に引っかけて そのときの情景を思い浮かべると 自分がそうして大きくなってきた
 みな 人は変わっていく 変わっていくけれど伝えてくれるのは 桜 そういうふうにして 次の世代に いろいろな物語が伝わっていく

 佐野さんの孫が桜守の仕事を継ぐ。引用した言葉はこの家の代々に、そして、私たちの記憶の中でも引き継がれていくだろう。

 前回、志村正彦の『桜の季節』について、水面に広がる波紋の像を想い描いて、「桜の季節が過ぎたら」という表現の行き着く先に「桜が枯れた頃」という言葉と遭遇した、と書いた。この捉え方をすれば、この歌は、桜の花の季節を過ぎた頃から桜の葉が枯れた頃までの時間、春から晩秋、初冬へと至る時間を舞台とすることになる。「桜が枯れた頃」は、一年の春夏秋冬の循環の中に位置づけられる。

 しかし、この水の輪の動き、波紋がことのほか大きくなり、ある水面の境界線を超えていくと想像したらどうだろうか。一年という時間の区切り越え、何十年という時を超えてていくのだとしたらどうなるのか。ありえないことではあるが、ここではありえることとして考える。
 そうなれば、「桜が枯れた頃」は、桜の樹木そのもの死、桜の枯死という「像」が想い描けてくる。すべては想像の世界の出来事だが、切り取る時間の枠組によって、その像が変容していく。そして、『桜の季節』という歌の像も変化していく。

 現実の世界では、佐野藤右衛門さんのような桜守がいる。枯れかけた桜がよみがえることもある。その桜は次の世代に伝わる。
 『桜の季節』の歌の世界では、「桜が枯れた頃」は永遠に「桜が枯れた頃」のままである。それでも、それであるがゆえに、この歌は、歌として、物語として、次の世代に伝わる。
 私たち聴き手も、桜守ならぬ「歌守」のような存在として、志村正彦・フジファブリックの作品を伝えていくのだろう。

0 件のコメント:

コメントを投稿