ある曲のワンフレーズがなんとしても頭から離れないことがある。その部分だけが無限にぐるぐるめぐって、そうなるとお皿を洗っていても車を運転していても、どうにも止まらない。無意識に口ずさんでいて、自分ではっと驚くこともある。
この「無限ぐるぐる」の経験で強烈に覚えているのは、たぶん誰かがカヴァーしていたのだと思うが、子供の頃に聴いたPeter,Paul&Maryの『Puff』である。「Puff the magic dragon lived by the sea」のフレーズが取り憑いたように・・・・・・見栄を張ってしまった。正確に言うと、ぐるぐるしていたのは「パフ・ザ・マジック・ドラゴン・ランランラララ」であった。英語が聞き取れなかったからである。
さて、志村正彦の曲はこの「無限ぐるぐる」を引き起こしやすい。しかも、この曲がというのではなく、日替わりのように次々違う曲がぐるぐるする。
最初は『TAIFU』だった。
飛び出せレディーゴーで踊ろうぜ だまらっしゃい
これは止まらなかった。三日くらいは回り続け、今でも突然回り始めることがある。
ちなみに私はこの「だまっらしゃい」が大好きなんである。あまりにも唐突だし、大体、今どき誰が「だまらっしゃい」なんて言うものかとは思う。でも、「だまらっしゃい」を聴いた後で他のどんなことばを当てはめてみても到底物足りない。少なくとも私の中でこのことばは不動である。小気味いいというか、すかっとする感じ、そしてメロディーと不可分であるかのようなことばの響きは、ちまちました意味や理屈や物語さえも超越する。私は理屈っぽい性格なので、もしかしたらそんなふうに感じたのは生まれて初めての経験かもしれない。
その後もいろんな曲がぐるぐるした。ある時は「チェッチェッチェうまく行かない チェッチェッチェそういう日もある」(『バウムクーヘン』)だったり、ある時は「チョコレートでFly Away」(『Chocolate Panic』)だったり、またある時は「どうしてなんだろう どうしてなんだろう なんだろう」(『笑ってサヨナラ』)だったりした。「環状七号線を何故だか飛ばしている」(『環状七号線』)日もあったし、「悲しくたってさ 悲しくたってさ 夏は簡単には終わらない」(『線香花火』)時もあった。
なぜその曲のその部分なのかはわからないが、どれもリズミカルで印象的なメロディーを持っていること、歌詞も聞き取りやすくあまり複雑ではないことが共通していて、それから私の場合は特に繰り返しがあるとはまりやすいようだ。子供が志村正彦の曲を気に入ってよく歌っているという話をあちこちから聞いたが、子供が気に入ることと「無限ぐるぐる」を引き起こすことは同じ要素からきているのだと思う。そして、それはすなわちその曲が名曲だということに違いない。確かに世の中には複雑なアレンジが効果的な名曲もたくさんあるだろうし、志村正彦がどれほど細部にまで心を配って曲を仕上げていったかは残された彼自身のことばや周囲の人々の証言によっても明らかなのだが、それを充分尊重した上で、素人があえて言うならば、メロディーとリズムと歌詞という素朴な三つの要素に還元される名曲の芯の太さのようなものがあるように思う。志村正彦の歌にはそれがある。
一週間ほど前、気がついたら『浮雲』の「独りで行くと決めたのだろう」がぐるぐるしていた。「おお、これは相当なものだぞ」と私は思った。どう考えてもこれまでのパターンからは外れているこの「フレーズ」までが回っていたということは、どうやら私の頭の中には本格的に志村正彦が住みついてしまったらしい。
さて、明日はどんな曲がぐるぐるするのだろうか。
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