2025年12月27日土曜日

〈出来事が 僕をしめつける〉-『陽炎』草稿1 [志村正彦LN374]


 志村正彦の命日12月24日の夜、片寄明人氏がX(@akitokatayose)でこう呟いていた。


メリークリスマス🎄 ハンバーガーを食べて、コーラを飲みながら、君のことを思い出す。21年前、一緒にレコーディングした時の紙を見つけたよ。
僕はいま連日のリハーサルのため、ホテルに泊まってGREAT3の新曲に歌詞を書いてる。こんな素晴らしい言葉が書けるかわからないけれど。 pic.x.com/yup0INW9Fc


 〈君〉は志村正彦。〈21年前、一緒にレコーディングした時の紙〉というのは、21年前の2004年、フジファブリックのメジャーデビューアルバム『フジファブリック』や「四季盤」のシングル4枚の録音時の資料のことだろう。そう思って添付されていた画像を見てとても驚いた。ノートの罫線の枠外上部に『陽炎(かげろう)』とルビが振られていた。その下に志村が『陽炎』の歌詞をノート用紙に手書きで記していた。そこにはある言葉が削除され、新たな言葉が書き込まれていた。その漢字一字の言葉に釘付けになった。画像から文字に起こしてみたい。


  出来事が をしめつける  
       胸

       *〈〉という形で抹消線を記したが、実際には二重の×で〈僕〉が消されている。


 この箇所は完成された歌詞では〈出来事が 胸を締めつける〉となっている。その元の形(の一つ)が〈出来事が 僕をしめつける〉だったことがこの画像で分かる。〈僕〉という字が消され、その下に〈胸〉という字が記されている。また、〈締めつける〉の表記も〈しめつける〉だった。志村正彦の歌詞やその生成について考察する上で、この資料は非常に貴重なものとなる。

 志村はアルバム『フジファブリック』についてのBARKSのインタビュー (取材・文:水越真弓)で、『陽炎』の成立についてこう語っている。


「陽炎」は、けっこうすんなりできましたね。この曲を作った翌日に、新曲用の“デモテープ発表会”を控えていて(笑)、「ヤバイ…、新曲がない」って言いいながら夜中に家で一人でピアノを弾いてたんですよ。そしたら、30分くらいでこの曲のメロディが降りてきて、歌詞も同時にスラスラできました。


 『陽炎』のメロディと歌詞が同時に30分位で出来上がったというのはきわめて珍しいことだったろう。楽曲や歌詞作りにはかなりの時間をかけたことが、彼の書いた文章や記録された発言から読み取れるからだ。また、「夜中に家で一人でピアノを弾いてた」という状況も興味深い。ピアノを演奏するなかで楽曲も歌詞も同時に浮かび上がってきたのだろう。それでも志村が作品の完成度を高めるための作業を惜しまなかったことも確かなので、実際に録音して完成するまでの過程で、〈出来事〉が〈僕をしめつける〉のか〈胸を締めつける〉のかという歌の中心軸にもなるモチーフについてあれこれと考えたのではないだろうか。


 『陽炎』についての個人的経験を振り返りたい。

 2010年の夏、「陽炎」を聴いたことが志村正彦・フジファブリックの歌との出会いだった。そして2012年の12月、富士吉田で開催された「路地裏の僕たち」主催の志村正彦展のために、この〈出来事が 胸を締めつける〉の箇所を中心に書いた「志村正彦の夏」という題のエッセイを書いたことが、結果として、〈志村正彦ライナーノーツ〉の原点となった。すでにこのブログで紹介しているが、今回の論の展開のために必要なので、この文章をあらためて記しておきたい。


 夏の記憶の織物は、フジファブリックの作品となって、ここ十年の間、私たちに贈られてきた。なかでも『陽炎』は志村にしか表現しえない世界を確立した歌である。

  あの街並 思い出したときに何故だか浮かんだ
  英雄気取った 路地裏の僕がぼんやり見えたよ  (『陽炎』)

 夏は、想いの季節である。夏そのものが私たちに何かを想起させる。「街並」「路地裏」という場。「英雄」、幼少時代の光景。楽しかったり、寂しかったりした記憶が「次から次へ」と浮かんでくる。
 夏は、ざわめきの季節でもある。人も、物も、風景も、時もざわめく。「陽」が「照りつけ」ると共に、何かが動き出す。そのとき、「陽炎」が揺れる。

  窓からそっと手を出して
  やんでた雨に気付いて
  慌てて家を飛び出して
  そのうち陽が照りつけて
  遠くで陽炎が揺れてる 陽炎が揺れてる   (同)

 『陽炎』はここで転調し、詩人の現在に焦点があてられる。

   きっと今では無くなったものもたくさんあるだろう
   きっとそれでもあの人は変わらず過ごしているだろう

   またそうこうしているうち次から次へと浮かんだ
   出来事が胸を締めつける          (同)  

 今では「無くなったもの」とは何か。特定の他者なのか。風景なのか。十代や青春という時間なのか。あるいは、過去の詩人そのものなのか。そのすべてであり、すべてでないような、つねにすでに失われている何かが「無くなったもの」ではないのか、などと囁いてみたくなる。

 喪失という主題は青春の詩によく現れるが、大半は、失ったものへの想いというより、失ったものを悲しむ自分への想いに重心が置かれる。凡庸な詩人の場合、喪失感は自己愛的な憐憫に収束するが、志村の場合は異なる。
 彼の詩には、そのような自己憐憫とは切り離された、失ったものそのものへの深い愛情と、失ったものへ、時に遠ざかり、時に近づいていく、抑制された衝動がある。そして、喪失を喪失のままに、むしろ喪失を生きなおすように、喪失を詩に刻んでいった。それは彼の強固な意志と自恃に支えられていたが、「胸を締めつける」ような過酷な歩みでもあった。



 この〈失ったものそのものへの深い愛情と、失ったものへ、時に遠ざかり、時に近づいていく、抑制された衝動〉という〈愛情〉と〈衝動〉、〈喪失を喪失のままに、むしろ喪失を生きなおすように〉して刻んだ〈喪失〉の表現というところが、僕の志村正彦論の原点となるテーマでありモチーフである。


 この『陽炎』草稿ノートに記された〈僕〉から〈胸〉への修正はこの歌詞に大きな変化をもたらしたと考えられる。歌詞の解釈を変える可能性すらあるだろう。特に〈失ったものへ、時に遠ざかり、時に近づいていく、抑制された衝動〉というかつての捉え方についてはさらに考えを深めなければならない。

 2014年7月に開催された「ロックの詩人 志村正彦展」では、志村家が所蔵している「若者のすべて」の歌詞の草稿ノートを展示させていただいた。その草稿から完成版までの歌詞の変遷過程についての試論を展示室内の解説パネルに書いた。

 今回、片寄明人氏がXの呟きで添付した『陽炎』草稿の画像は誰もがインターネット上で閲覧できるので、このブログで四回に分けてこの重要な資料について書いていきたい。

   (この項続く)


0 件のコメント:

コメントを投稿