2025年8月11日月曜日

「海のほとり」の夢 [芥川龍之介の偶景 2]

 作家の書簡を読んでいると、その日付に目がとまることがある。ある作品が書かれた日付から特定の周年、例えば十年後、五十年後、百年後に当たる日に、その作品について想いをめぐらすことがある。

 今日からちょうど百年前の1925(大正14)年8月11日に、芥川龍之介は次の手紙を当時の「中央公論」編集長の高野敬録に送っている。

冠省今夕は失礼仕り候明日夕刻お出で下され候やうに申上候へどもそれにては気がせき候間明後日の朝にして頂きたく、ねてゐてもわかるやうに致す可く候間何とぞ右様に願ひ度候 頓首 

 この手紙で言及されている作品は「海のほとり」。芥川はその原稿を11日に高野に渡す予定だったが、完成させられなかったので、明後日13日の朝まで延期することをお願いしている。「ねてゐてもわかるように」とあるのはおそらく夜遅くまで原稿を書くので、朝は起きられないので原稿を所定の場所に置いて家族に托すことことを想定したのだろう。

 8月12日の渡辺与四郎宛書簡に次の歌が書かれている。

ウツシ身ハ恙ナケレドモ汗ニアヘテ文作ラネバナラヌ苦シサ

 〈文作ラネバナラヌ苦シサ〉とあるが、この〈文〉とはこの時取り組んでいた「海のほとり」を指すだろう。芥川はこの作品にかなり難儀したようだ。12日には再度高野敬録に〈明朝と申上げ候へどもどうもはかどらず候間明夕までお待ち下され度候。間に他の仕事などはまぜずに書きつづけ候〉という手紙を出している。執筆は〈どうもはかどらず〉ということで13日の夕方まで再度延期することを伝えている。〈間に他の仕事などはまぜずに書きつづけ〉とあえて記しているのは、一月に三四扁の作品を仕上げることもあった芥川が「海のほとり」に専念することを誓ったのだろう。

 このように芥川龍之介は苦労して「海のほとり」を完成させたが、この短編小説は彼の転機となった重要な作品である。芥川は晩年の二年間、1925(大正十四)年8月から1927(昭和二)年7月にかけて、一人称の語り手が自らの夢を語る一連の短編小説を発表したが、この「海のほとり」がその最初の作品である。1925(大正十四)年9月発行の雑誌「中央公論」に掲載された。


    * * *


 「海のほとり」は、1916(大正5)年の晩夏、芥川が友人の久米正雄と千葉県の一宮海岸で過ごした日々が素材となっている。二人は7月に東京帝国大学を卒業。8月17日から9月2日まで海岸近くの宿に泊まり、海で泳ぎ、小説も書いた。芥川はまだ二十四歳の若者であった。〈ボヘミアンライフ〉だと自ら述べているように、大学卒業から就職までの間の束の間の自由気儘な生活を謳歌した。その夏の体験を素材にして、九年後の1925(大正14)年の夏、この小説は書かれた。芥川の分身である〈僕〉と久米をモデルとした友人の〈M〉が一宮海岸の宿と海岸で過ごしたある一日の出来事が、三つの章に分けて語られている。以下、あらすじを示す。


 一章では、雨が降って外出できない〈僕等〉(〈僕〉と〈M〉)は宿で創作や読書をしている。そのうち〈僕〉は眠りに落ち、〈鮒〉が現れる夢を見る。覚醒後にその〈鮒〉が〈識域下の我〉であり、無意識の自分が夢に現れたものだと考える。二章で〈僕等〉は海に泳ぎに行く。〈嫣然〉と名付けられた少年の話をしたり、〈ジンゲジ〉と呼ばれた少女の姿を眺めたりして、海辺で時を過ごす。三章では晩飯の後に〈僕等〉は友人〈H〉と宿の主人〈N〉と四人でもう一度浜へ出かける。〈ながらみ取り〉や〈達磨茶屋の女〉の印象深い話を聞く。〈僕等〉は宿に戻りながら東京に帰ることを決める。


 このブログの第2回目で書いたことだが、ブログ名の〈偶景〉はロラン・バルトの《INCIDENTS》の邦訳『偶景』から借りてきたものである。〈INCIDENT〉は〈出来事〉〈偶発事〉などと訳されるが、訳者の沢崎浩平氏は〈偶景〉という造語を作り、書名とした。

 バルトは、〈偶景〉を〈偶発的な小さな出来事、日常の些事〉、〈人生の絨毯の上に木の葉のように舞い落ちてくるもの〉を描く〈短い書きつけ、俳句、寸描、意味の戯れ〉のような〈文〉であると記している。

 「海のほとり」の夢の中の光景も海辺の出来事の光景も、作者芥川の人生に〈舞い落ちてくる〉光景とその断片である。芥川のこれらの表現をバルトの言う〈偶景〉だと捉えてみたい。晩年は特にそのような〈偶景〉の戯れを書くことを芥川は試みた。戯れとは言っても、軽やかなものではなく、幾分かは不安に彩られた戯れではあるのだが。


 作品の夢の中で〈鮒〉が現れる部分を引用したい。

 僕は暫く月の映つた池の上を眺めてゐた。池は海草の流れてゐるのを見ると、潮入りになつてゐるらしかつた。そのうちに僕はすぐ目の前にさざ波のきらきら立つてゐるのを見つけた。さざ波は足もとへ寄つて来るにつれ、だんだん一匹の鮒になつた。鮒は水の澄んだ中に悠々と尾鰭を動かしてゐた。
 「ああ、鮒が声をかけたんだ。」

 夢の中の〈僕〉の眼差しは〈月〉〈池〉〈海草〉〈潮入り〉〈さざ波〉を捉えていく。〈さざ波〉は寄って来るにつれて次第に一匹の〈鮒〉に変わり、〈水〉の中で悠々と動く〈鮒〉の〈尾鰭〉に眼差しが注がれる。夢の中で多様に変化し動いていく〈偶景〉との遭遇。〈僕〉はその〈偶景〉から〈鮒〉の〈声〉を聞き取る。

 この〈鮒〉が象徴しているものは何だろうか。〈鮒〉の〈声〉は何を伝えようとしているのか。

 この問いに応答するために書いた論文が筆者にはある。 「山梨英和大学紀要」23 巻 (2025)に掲載され、電子ジャーナルプラットフォームのJ-STAGEにも公開されている「芥川龍之介「海のほとり」の分析」(小林一之)という研究ノートである。ジークムント・フロイトとジャック・ラカンの精神分析と夢解釈の理論と方法に依拠して、夢の象徴や言葉・シニフィアンの連鎖を分析した。文学作品の夢の分析に関心のある方に読んでいただければ幸いである。


 「海のほとり」は、芥川が晩年に追求した〈「話」らしい話のない小説〉の一つとも言われている。確かに、物語らしい物語はなく、様々な〈偶景〉、夢とその連想、海辺での何気ない出来事や会話の断片から構成されている。〈「話」らしい話のない小説〉は、作中の夢の表現や主体の無意識が露呈されていく叙述によって構成されている。〈話〉のある小説は作者の意識によって統御され、閉じられていくのに対して、〈話らしい話のない小説〉はその統御が解除され、無意識が開かれていく。そして、作者の無意識が生み出した〈偶景〉は読者にも作用していく。



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