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2024年12月31日火曜日

2024年/NHK甲府「……志村正彦がのこしたもの~」 [志村正彦LN359]

 一週間前、今年最後の「山梨学Ⅱ」の授業で、NHK甲府「若者のすべて~フジファブリック・志村正彦がのこしたもの~」を受講生に見せた。

 山梨英和大学の2年次前期必修科目「山梨学Ⅰ」では、行政機関や博物館などの実務担当者や専門家を招聘講師として招いて、「行政と地域活性化-富士吉田市ハタオリフェスの試み」(富士吉田市富士山課)、「世界文化遺産-富士山ー信仰の対象と芸術の源泉」(山梨県富士山世界遺産センター)、後期の選択科目「山梨学Ⅱ」では「山梨ハタオリ産地の歴史とブランディング活動」(山梨県産業技術センター富士技術支援センター)という特別講義を行った。受講生は、地域、観光、行政、歴史、信仰、芸術、技術、広報という様々な観点から、富士吉田を中心とする富士北麓地方について学びんできた。さらに「山梨学Ⅱ」では、10月に富士吉田の「ハタオリマチフェスティバル」に行き、いろいろな方へのインタビューを通してハタフェスについての報告をSLIDEにまとめて、グループ別に発表した。知識だけでなく、実践的で探求的な活動を試みているが、年間を通じて富士北麓という地域が大きなテーマの一つとなっている。

  今回は、志村正彦・フジファブリックの音楽を広めていく地域の活動に焦点をあてて、志村正彦の同級生たちの活動、地域や地域を越えていく彼の影響力の広がりという観点を設定した。


 学生たちがNHK番組について書いた文章を六つほどここで紹介したい。


  • 彼の魅力が今も語り継がれているのは、志村さんが作る音楽が素晴らしいだけでなく、その人柄や思いが深く周囲に影響を与え続けているからだと感じた。それと同時に、多くの人に愛された志村正彦という存在と彼の作った曲は今後も決して忘れられることなく、人々の心に生き続けると確信した。
  • 番組で語られていた地元山梨に対する志村さんの想いや、音楽を通じて表現しようとした人間的な温かさに触れ、音楽だけでなくその背後にある彼の人生観や価値観にも魅了されました。地元に根差しながらも、広く世界に向けて発信していくその姿勢は、山梨という地域の誇りでもあると感じます。
  • 本人が亡くなってしまった後でも、本人のために何かをしてあげたい、こういう人がいたということを残してくれる人がいるということは、何よりも本人が生きて頑張った証なのだというように思った。

 志村正彦の「人柄や思い」が周囲に深く影響を与え続けていること、地元山梨に対する「想い」、音楽を通じて表現しようとした「人間的な温かさ」、「人生観や価値観」に魅了されたというように、志村正彦の存在そのものを受けとめようとする意見が多かった。また、彼の音楽が聞き続けられ、人柄が語り継がれる今日の状況は「何よりも本人が生きて頑張った証」だとされたことには、このブログの書き手としてとても共感した。

  • 私がフジファブリックを初めて知ったのは小学生の頃で、志村さんが亡くなられた後に志村さんを除いたメンバーが音楽番組に出演されていたのをたまたま目にして、それが非常に印象に残っていました。亡くなられてからもたくさんの人々に愛されていたお方なんだろうなあというのはその際から印象として持っていました。
  • 志村正彦さんの曲は中学生のときに担任の先生がギターで演奏してくれて知りました。歌詞一言一言に山梨の景色や空気、思い出など詰まっていて、聞いているだけで山梨の街並みが浮かんでくるような思いにさせられます。
  • フジファブリックのことを初めて知ったのは今年の前期で受講した山梨学だった。志村正彦さんの作った曲がその時にやった講義の中で一番心に残った。なぜなんだろうと思ったがおそらく僕は志村正彦さんの歌詞や志村さん自体の世界観が今までに出会った人たちとは全く違うからだと考える。


 小学生の頃に見た番組、中学生の時の担任のギター演奏、そして大学での講義、と出会い方は様々だが、志村正彦・フジファブリックとの出会いの機会は増えているようだ。もちろん、受講生の八割は山梨で生まれ育った学生だということがあるだろう。最後の文章には「志村正彦さんの歌詞や志村さん自体の世界観が今までに出会った人たちとは全く違う」と書かれている。そのような捉え方をさせる力が志村正彦という存在とその作品にはある。


 授業終了後、中国からの留学生が声をかけてくれた。9月の末に、新倉山浅間公園に行くために下吉田駅で下りたときにある曲が流れていたが、誰の曲かどうして駅でその曲を流すのかを分からなかったが、この番組を見てあの時の曲が「若者のすべて」や「茜色の夕日」だと分かり、志村正彦という人を知ることができて良かった、と語ってくれた。このような出会い方もあるのだ。


 今年2024年を振り返ると、まず第一に7月にフジファブリックが2025年2月で活動を休止することが発表されたことが挙げられるだろう。一つの時代が終わり、フジファブリックという円環が閉じられる。

 それに関連して、8月に、フジファブリック 20th anniversary SPECIAL LIVE at TOKYO GARDEN THEATER 2024「THE BEST MOMENT」が開かれた。志村家の協力によって、これまでにない素晴らしい演出となった。『モノノケハカランダ』『陽炎』『バウムクーヘン』『若者のすべて』では、志村正彦の音源・映像とステージでの生演奏がミックスされた。アンコールの『茜色の夕日』では画像はない代わりに、志村の歌う声が強く響いてきた。

  6月にNetflix映画『余命一年の僕が、余命半年の君に出会った話。』が配信された。劇中歌として『若者のすべて』が使われたが、物語そのものに深くこの歌が関わっていた。(そのことはこのブログで数回に分けて書いた)

 『若者のすべて』の優れたカバーが続いた。映画『余命一年の僕が、余命半年の君に出会った話。』主題歌のsuis from ヨルシカ、大島美幸・こがけんのデュエット、ガチャピン。その他、YouTubeでもいくつもカバーがアップされている。すべてを追えないくらいだ。

 この曲が人びとに聴かれて、ますます広がり、知名度も上がっていることを実感した。


2024年12月20日金曜日

アンコール放送・全国配信、NHK甲府「若者のすべて〜フジファブリック・志村正彦がのこしたもの〜」[志村正彦LN358]

 今夜12月20日の午後7時半から、NHK甲府の「金曜やまなし」枠で、2019年12月13日に放送されたヤマナシ・クエスト 「若者のすべて〜フジファブリック・志村正彦がのこしたもの〜」のアンコール放送があった。「アンコール放送」とされているのは、たくさんのファンからの要望があったからだろう。


 初回放送から五年が経っている。すべてが懐かしい。そんな想いにとらわれた。志村正彦という存在も、その歌も、彼の故郷も、彼の友人たちも、この番組自体も、五年の時が流れているのだが(五年の時しか流れていない、というべきかもしれないが)、そのすべてがもはや懐かしい。あたかも、志村正彦が関わる世界のすべてがつねにすでにある種の懐かしさにつつまれているかのように。いまここで、つねにすでに、懐かしい。


 番組冒頭で、1stアルバム『フジファブリック』のプロデューサー片寄明人が、志村正彦・フジファブリックについてこう語っていた。

聴いたことのない音楽だなあってのは思いましたね

ノスタルジックな感情がわーっと湧きあがってくる

十年後二十年後に聴かれても古くならないような 普遍的としか言いようがない言葉が込められていると思いますね


  ノスタルジックな感情とは、まさしく、懐かしさや郷愁を感じることである。志村正彦は、言葉と楽曲によってノスタルジックな抒情を歌いあげた。片寄の言うように、その作品は十年後二十年後でも古くはならない。実際に、この番組で取り上げられた「陽炎」「赤黄色の金木犀」はリリースからすでに20年が経っている。「茜色の夕日」はそれ以上、「若者のすべて」は17年の時間を経ている。しかし古びてはいない。そもそものはじまりから懐かしいものは決して古びることがない。おそらくそうなのだろう。懐かしいものは、逆説的ではあるが、つねに新しい。


 この番組はNHKプラスで見逃し配信しているので、全国どこでも視聴できる。期限は「12/27(金) 午後8:15 まで」である(当初は「1月3日午後8:15まで」と表示されていたので、「通常は1週間だが、その倍の期間、来年の1月3日午後8:15まで可能のようだ。この配慮はありがたい」と書いたのだが、その後変更されたのでこの文も修正した)

 来年2月でフジファブリックが活動休止になる節目だからこその企画かもしれないが、NHK甲府局での再放送、そしてNHKプラスによる全国配信は、志村正彦・フジファブリックのファンにとっては朗報である。

 しかしそれでもできることなら、新しい番組を見たかったというのが本当のところである。まだまだ、もっともっと、深く深く、志村正彦・フジファブリックを掘りさげていくことはできる。その未来の番組に期待したい。