宮沢和史氏の講演会について追記したいことがある。
講演終了後、生徒からの声を募った。
沖縄でなく山梨のことを歌ったものがあるかという質問があった。宮沢さんはいくつもあるとした上で特に『星のラブレター』『中央線』の二曲の名を挙げた。軽音楽同好会の部長は、私も音楽を作るのですけど音楽を人に伝えるためにどのようにしていますかと尋ねた。宮沢さんは、観客が数千人の時も五十人位の時もあるが、どんな時でも一人ひとりに向けて歌を伝えていくように心がけていると語った。
聴き手の一人ひとりに伝える。あの日の体育館には九百人ほどの生徒、保護者、教師がいたのだが、あの『島唄』はまさしくその一人ひとりに届けられた。そのような感触が確かにあった。
最後に生徒会代表の生徒が御礼のあいさつをした。
生徒は静かに話し出した。私には沖縄の血が流れている。祖父は沖縄で生まれて小さい頃に沖縄戦を経験し、本土に移住してきた。祖父からは沖縄の話をたくさん聞いてきた。私が今ここで生きている。その命のことを宮澤さんの講演からあらためて考えた。そのような話だった。
この事実は講演会を企画した私たちも全く知らなかった。偶然だった。
沖縄にルーツがある生徒と『島唄』の歌い手。かけがえのない講演会となった。
0 件のコメント:
コメントを投稿