「路地裏の僕たち」は志村正彦の同級生たちの集まりで、地元富士吉田で色々と重要な活動をしてきた。その彼らがこの五月から、「エフエムふじごこ」というコミュニティーFM局で、志村正彦・フジファブリックや富士吉田の情報を発信する番組「路地裏の僕たちでずらずら言わせて」を始めた。
「ずらずら」は何かを列挙する時に使う副詞だが、甲州弁の「ずら」と掛けているのだろう。「ずら」は文末表現。語源は「つ・らむ」(古文文法的には、強意+現在推量の助動詞)らしい。確かに「推量」の意味もあるが、どちらかというと、話し手がある事を言う際に聞き手の同意を求めるような場合に使う。「そうずら」は「そうだろう」ではあるが、「そうだよね」「そうにちがいないよな」というように聞き手に働きかける。
毎週日曜日の14時00分~14時30分にオンエア。日曜日の昼過ぎは外出することが多く、なかなか聞けなかったが、今日初めて聞くことができた。甲府では受信できないが、幸いにして、インターネットサイマルラジオで配信されている。(できれば、アーカイブのような形でネット上に保存していつでも聞けるとありがたいです。)
今日は、「路地裏の僕たち」Tシャツを着ての放送ということだった。「茜色」の地に縦書三行で「路地裏/の/僕たち」の文字が記されたこのTシャツは、彼らが主催するイベントで着用されることがあるので、ご覧になられた方もいるだろう。これを着て『茜色の夕日』を歌ったNHK「のど自慢」の予選(三年前の7月、富士吉田市民会館・ふじさんホールで行われた)に出た話が続き、フジファブリック『陽炎』が放送された。
歌詞にある「あの街並 思い出したときに何故だか浮かんだ/英雄気取った 路地裏の僕がぼんやり見えたよ」が「路地裏の僕たち」という名の典拠だ。歌詞中の「駄菓子屋」、「隣のノッポ」の話と地元ならではの話が続いた。「正彦」と名で呼ぶのが同級生らしくていい。(「渡辺」をはじめとして同じ「姓」が多い富士北麓では、「名」で呼び合うことが一般的ではあるが)
彼らの中で「正彦」は確実に生きている。
前回、妻夫木聡の大切な人へ「贈る」曲が『茜色の夕日』だったことを書いた。誰かが誰かへ「贈る」。「贈る」という行為は志村にとって本質的なものだ。
その文脈で考えると、『陽炎』は、志村正彦が、少年時代の「僕」自身に、「路地裏」で一緒に遊んだ幼なじみや同級生たちに、富士吉田の「あの街並」に、贈る曲である。そうであるからこそ、この曲はすべての人々に何か大切なものを贈る力を持つ。
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