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2016年5月14日土曜日

クルバは歌うぜ 甲府の歌を

 残念無念だった。

  今夜のヴァンフォーレ甲府VS名古屋グランパス戦。甲府が2:0とリードしていたが、後半35分に失点し2:1に。終了5分ほど前に甲府の保坂選手が怪我で退場。交代枠が残っていなかったので10人となってしまった。守り切ろうとしたが、結局ロスタイムに追いつかれ、2:2の引き分けで終わった。ホイッスルが吹かれると、選手は倒れこんだ。佐久間悟監督は天を仰いだ。ここ数年ロスタイムに追いつかれたのは記憶にない。

 怪我人が多く、チームの状況が悪い中、ここ数試合は健闘していた。それでも引き分けが多く、どうしても勝ちきれない。終了間際まで、今日こそは勝利できるかもしれないという期待があった。いやもっと切実だった。今日はどうしても勝ちたかった。最後は名古屋の猛攻にあったので、なんとか引き分けで終わったという見方もできるが。
 サッカーの神様はなかなか微笑んでくれない。

 僕と家族はいつもバックスタンドの自由席で応援している。終了後、選手たちがバックスタンドでの挨拶を終え、ゴール前の方に歩き始めた時に、ゴール前のコアサポーターたちの集団、甲府のクルバたちがある歌を歌い始めた。鳴物もなく、メガホンも使わずに、斉唱のようにして、声を合わせて大きく歌い出した。これまでになく、歌が力強かった。

  俺らはここに居る 君は一人じゃない
  クルバは歌うぜ 甲府の歌を

 その瞬間、心が動かされた。かなりグッと来た。
 歌詞がまっすぐに届いてきた。選手たちにもまっすぐに伝わった。純粋な声援、応援の歌だった。聞きなれている歌なのだが、この日は別の歌のように響いた。言葉そのものが歌から立ち上がってきた。

 実は、名古屋の監督、小倉隆史は、2003年から2005年までJ2の甲府に在籍していた。それまでの甲府には、日本代表歴があり知名度が高い選手が加入することはなかった。J2で低迷し、観客も少なく、資金力もなかった。だから小倉の加入が当時のサポーターにとってどれだけうれしかったことか。誇りでもあった。彼は期待通りフォワードとして活躍し、甲府の発展に大いに貢献した。2005年、大木武監督の指揮の下で次第に出場機会を失った。その年、甲府はJ1に昇格したが、戦力外通告を受け、引退を決めた。
 もともと 「レフティモンスター」小倉隆史は、日本のサッカーの将来を担うフォワードとして高く評価されていた。しかし靭帯断裂など大怪我が続き、オリンピックにもワールドカップにも出場できなかった。日本のサッカーの歴史において最も悲運な選手だと言える。

 2006年3月5日、甲府のJ1ファーストゲーム、清水エスパルス戦の前、引退セレモニーが行われた。ユニフォームでなくスーツを着た小倉だった。甲府サポだけでなく清水サポからも大きな拍手が起きた。甲府にとっても最も晴れやかな日が、皮肉なことに、小倉の引退日となった。彼にとっては不本意な引退だったろう。いつか指導者になって「捲土重来」してほしい。あの日、そんなことを思った。心の中で感謝し、激励した。

 あの日から10年が経つ。名古屋の監督に就任して、小倉が甲府のホームスタジアムに帰ってきた。試合前の相手チーム紹介で小倉監督の名が呼ばれると、大きな拍手が起きた。あの日と同じようにスーツを着ていた。今度は監督としてのスーツ姿だ。小倉にとっても、甲府の古くからのサポーターにとっても、今日の試合は特別な意味を持っていた。

 帰宅後、スカパーの録画で試合終了後の監督インタビューを見た。小倉は紹介時の拍手に対して「相変わらずあたたかいサポーターでとてもうれしかった」と述べた上で、だからこそ監督として目指しているサッカーを、自分の志すスタイルを甲府のサポーターに見せかったと語っていた。それを見て、もう一度僕はグッと来てしまった。小倉のこの十年の想いが伝わってきた。今日の引き分けは彼の強い想いが手繰り寄せたのかもしれない。

 たかがサッカーされどサッカー。

 選手、監督、サポーターやファンの想い、歴史に絡まった様々な出来事、輝かしい日々や挫折の日々の記憶。スタジアムにはそれらが渦巻いている。

 そしてそこには歌がある。
 

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