ページ

2016年4月19日火曜日

豊田勇造@桜座cafe

 先週の金曜日、4月15日、甲府の桜座cafeで豊田勇造の弾き語りを聴いた。
 彼の歌はかなり前に代表曲『大文字』を聴いたことがあるだけだった。浜野サトル氏が彼のことを書いた『新都市音楽ノート』の中のエッセイで関心を持った。桜座に来ることを知り、この日を楽しみにしていた。

 あまり知らない歌い手のライブに行くときには、音源を入手したりネットで探したりして、少し「予習」して臨むことが多いが、今回はあえてそれをしなかった。知らないままで桜座に寄り、豊田勇造に出会ってみたい。そんな気がした。

 桜座cafeには三十人ほどが集い、ほぼ満員の入りだった。
 前座の「ベイヴ松田&フレンズ」が終わり、豊田勇造が登場。『住所録』という歌が始まる。もちろん初めて聴く歌で、耳を澄まして言葉を追いかける。住所録から消えていく人々。時の流れ、人との別れを主題とする定番的な歌詞かと思ってしまったが、途中でその予想は覆った。「この人とは一緒に花を見た」と歌われたときに、その言葉が心にすっと入り込んできた。それに続く歌詞も良かった。(記憶だけでは心許ないのでネットで探した音源で補った歌詞を記したい。正確ではないかもしれないが)

  この人とは一緒に飯を食った
  この人とは一緒に花を見た
  この人とは仲たがいしてしまった
  この人とは一緒にギターを弾く

 「一緒に花を見た」その光景の像が僕の中で広がる。
 誰にも、僕にも、そんな光景があったような、いやなかったのかもしれないが、それでもなにかあったような、懐かしいような不思議な感じがした。もっと硬質の言葉や歌い方を予想していたのだが、やわらかい感触の言葉がとても丁寧な歌い方で届けられた。彼の歌の世界に少し近づけた。

 豊田勇造が、今日は竹中労(ルポライター・評論家、美空ひばり、琉歌、『ザ・ビートルズレポート』など音楽についての著書も多い)の妹さんがいらっしゃってますと話し始めた。彼は若い頃竹中労によくご飯をご馳走になった。その縁で妹さんが桜座に来たようだ。竹中労と英太郎への想いも込めて、ある敬愛する画家についての歌を披露した。

 この場で竹中労のことを少し書かせていただきたい。彼とその父、江戸川乱歩・夢野久作などの挿絵画家として有名だった竹中英太郎にとって、甲府は第二の故郷のような場所だ。英太郎は戦時中に甲府に疎開し、山梨日日新聞社に入り、そのまま戦後もこの地で暮らした。労も甲府中学(現、甲府一高)で学んだ。校長退陣を求めてストライキをした話は有名だ。現在、妹さんは甲府の湯村にある「竹中英太郎記念館」の館長をされている。
 僕は山梨県立文学館の仕事をしている頃に一度だけそれもほんの短い間だが、竹中労に会ったことがある。1989年、英太郎の回顧展をしていた甲府のギャラリーだった。「反骨の闘士」というイメージがあり、少し身構えて行ったのだが、控えめで優しい語り口の方だった。その二年後、六十歳で亡くなられた。英太郎展での穏やかな表情を今でもよく覚えている。(たまたま、昨日4月18日付の「朝日新聞」文化・文芸欄に『今こそ 竹中労』と題する記事が掲載された。できれば読んでいただきたい。彼の「怨筆」の軌跡が描かれている。)

 この日はもう一人特別なゲストがいた。甲府出身の映画監督、富田克也氏(映像制作集団 空族)だ。山梨を舞台とする『国道20号線』『サウダーヂ』が高く評価されている。二作品共に、甲府の、山梨の(それはどの地方都市でも同じようなものなのだろうが)この時代特有の荒廃と空虚がリアルに描かれている。地元民としては分かりすぎるほど分かるのだ。
 今年11月公開予定の映画『バンコクナイツ』はその名が示すように、タイが舞台となっている。豊田勇造はタイを拠点にした活動もしているので、そのような縁から、彼の『満月』という歌が富田監督の新作で使われることになった。タイの有名な原曲に歌詞をつけた作品らしい。
 この『満月』も歌われた。とても懐かしいような、それだけでなく、抑制されてはいるがある種の意志の熱を感じさせた。『バンコクナイツ』のどのようなシーンで歌われるのだろうか。公開が待ち遠しい。

 豊田勇造の桜座初LIVEは、竹中労の妹さん、富田克也監督という甲府ゆかりの二人も加わり、特別な夜となった。

0 件のコメント:

コメントを投稿