メレンゲ『火の鳥』とフジファブリック『若者のすべて』は共に再会を求めて旅する歌だ。
『火の鳥』の主体は「世界中」を見に行く。青い空、青い海を越えて「ツンドラ」のもっと向こうに旅する。そこであれば「君」との再会が可能となる。「言えなかった事言おう 言えなかった事を言うよ」と自分に言い聞かせている。
『若者のすべて』の主体は「街」を越えて「最後の花火」を見に行く。「ないかな ないよな きっとね いないよな」。そこで誰かと再会したとしても「会ったら言えるかな」「話すことに迷うな」と自らに呟いている。
『若者のすべて』の主体は「最後の最後の花火が終わったら/僕らは変わるかな 同じ空を見上げているよ」と歌い終わる。『火の鳥』の主体は「優しくなれるかい 人は変われるって言うよ?/同じように僕も 他人事じゃなくて 他人事じゃなくて/ツンドラのもっと向こう」と歌って閉じる。
「僕」と「君」、「僕ら」の再会への旅、何かを言おうとする願望や決意、その逆の躊躇や逡巡。「変わるかな」「変われるって言うよ」、変化についての問い。具体的な背景や文脈は異なるが、歌のベクトルの方向が似ている。何よりも、立ち止まるのではなく、歩き出そうとするモチーフが共通している。
志村正彦は、『音楽と人』2007年12月号掲載の『若者のすべて』に関するインタビューでこう述べている。
一番言いたいことは最後の「すりむいたまま僕はそっと歩き出して」っていうところ。今、俺は、いろんなことを知ってしまって気持ちをすりむいてしまっているけど、前へ向かって歩き出すしかないんですよ、ホントに
両国国技館でのライブMCでも「止まってるより、歩きながら悩んで」いくことが大切だと語りかけている。
意識してのものではないかもしれないが、クボケンジはこの志村の言葉に「そっと」支えられたのではないだろうか。
アポリア、行き詰まりに直面して立ちすくむのではなく、とりあえず、そっと、歩き始めること。クボは『アポリア』の特設サイトでこう語っている。
個人的にも僕のいろんな想いの詰まった渾身の作品です。そしてメレンゲ的にも今までよりもさらに魂のこもった作品になりました。僕らには音楽しかないのでやっぱり僕らの音楽を聴いてもらいたい。その中でみんなと共有し合える何かがあると確信しています!後ろを気にしながら前に進もう。
『若者のすべて』と『火の鳥』。
『若者のすべて』は2007年11月、『火の鳥』は2011年4月に発表された。この二つの作品の間、2009年12月、志村正彦は旅立った。
二つの歌の個々の文脈や背景を越えて、時系列も何も越えてみたらどうなるだろうか。
例えば、『若者のすべて』の「僕ら」は志村正彦とクボケンジだと想像してみてはどうか。「僕ら」が見る未来の光景が、『火の鳥』の「人」と「鳥」だとするのはどうだろうか。
「僕ら」は同じ青い空を見上げている。
「人」と「鳥」が対話している。
「僕ら」は僕らである。
解釈としては有り得ないが、非現実の出来事、時を越える出来事としては有り得るかもしれない。
3月2日、新宿ロフトで「クボノ宵」という弾き語りライブがあった。ドラムは城戸紘志。自ら参加したいと言ったそうだ。(彼は『若者のすべて』音源のドラムを敲いている。サポートドラマーというより、あの時期の準メンバーだった)
ネットの情報によると、アンコール前の本編最後で『火の鳥』が歌われたようだ。
「クボノ宵」は29日大阪、30日京都でも開かれる。
(この項続く)
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