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2020年9月19日土曜日

「神明花火 ~平和への祈り~」と『若者のすべて』[志村正彦LN264] 

  9月16日、山梨の地元局、テレビ山梨UTYで『世界に届け「神明花火」平和への祈り』が放送された。以前からこの番組の宣伝の際に、志村正彦・フジファブリック『若者のすべて』がBGMになっていたので、もしかするとどこかで使われるのかと思ってこの番組を見た。

 「神明の花火」(しんめいのはなび)は、毎年8月7日、山梨県の市川三郷町で開催される花火大会である。公式HPにその歴史が記されている。

甲州市川の花火は、武田氏時代の「のろし」に始まるといわれています。武田氏滅亡後、徳川家康は信玄のすぐれた技術を積極的に取り入れました。市川の花火師たちも徳川御三家に仕え、花火づくりに専念したといわれています。(中略)神明の花火は江戸時代の元禄・享保(1688~1736年)頃から、いっそう盛んになり日本三大花火の一つとされ、賑わいました。「七月おいで盆過ぎて 市川の花火の場所であい(愛・会い)やしょ」とうたわれ、恋人たちの出会いの場としても親しまれてきたそうです。市川で一緒に花火を見ると幸せになれると言い伝えられています。

 その後、「神明の花火」の歴史は途絶えてしまったが、平成元年8月7日、山梨最大の規模の花火大会として復活して現在に至っているが、今年はコロナ禍で中止となってしまった。

 このUTYの番組は地元の花火業者、齊木煙火本店・マルゴーの方をゲストに呼んで、2019年の映像を紹介していたが、最後に現地の市川三郷町の笛吹川河川敷からの生中継があった。どうやらサプライズで花火が打ち上げられるらしい。もしかするとその音楽に『若者のすべて』が使われるのかもしれないという期待がよぎった。

 現地では市川三郷町長がこの花火に寄せるメッセージを述べていた。カウントダウン後に、打ち上げ花火の映像が流れた瞬間に『若者のすべて』のイントロが流れた。しかし、すぐに音が消えてしまった。生中継には時にこういうトラブルがある(困ったアナウンサーが、本来なら音楽に合わせてだったがという断りを入れた)。そうこうしているうちに、志村正彦の声が聞こえてきた。やはり『若者のすべて』だ。嬉しかった。それ以上にホッとした。このハプニングもかえって現場の臨場感があったようにも思う。

 花火の終了後、フジファブリックの『若者のすべて』の曲に乗せて花火を打ち上げたというアナウンスが入った。曲はほぼフルコーラスに近かったが、「ないかな ないよな なんてね 思ってた/まいったな まいったな 話すことに迷うな」の箇所はカットされていた。

 後日、UTYのyoutubeチャンネルでこの映像が流されるという知らせがあった。今朝起きて探してみるとすでにyoutubeにUPされていた。「神明花火 ~平和への祈り~ 令和2年特別打ち上げ」という映像を早速再生。神明の花火の煌びやかな映像と共に『若者のすべて』の音源が綺麗に聞こえてきた。繰り返し、見て聴いた。神明花火の「七月おいで盆過ぎて 市川の花火の場所であい(愛・会い)やしょ」という言い伝えのように、夏の花火大会は恋人たちの出会いや再会の場でもあるのだろう。『若者のすべて』の歌詞の物語につながるようにも感じた。



 説明にはこう書かれていた。

  32回目を迎えるはずだった「神明の花火」大会が新型コロナウィルス感染拡大の影響で中止に。地元の花火業者を助けたいと多くの協賛社が支援をしてくれました。その支援に感謝するために市川三郷町と花火業者が9月16日にお礼の花火を打ち上げました。フジファブリックの「若者のすべて」に合わせて500発以上の花火が夜空を彩りました。

 昨年は、志村正彦の故郷近くの「河口湖湖上祭」の花火大会、山形県の「赤川花火大会」でこの曲が流された。NHKの番組でも取り上げらた。コロナ危機の今年は思わぬかたちで、甲府盆地の南の地、市川でサプライズ花火の音楽としてこの曲が使われた。

 昨年の河口湖「湖上祭」も、今年の市川「神明花火」もそうだったが、この山梨の地で打ち上げられる花火に『若者のすべて』の志村正彦の声が響き合うのは格別である。

 花火には悪疫退散の意味合いがあるという。コロナ禍の退散の祈りを込めて、この映像と音源を今年の最後の最後の花火として受けとめたい。


2020年9月6日日曜日

夏の終わり-『線香花火』3[志村正彦LN263]

 9月になった。残暑が厳しいが、暦の上では夏が終わった感がある。

 今日の午前中にも再放送があったが、9月3日、NHKサラメシ シーズン10の「まるごと富士山スペシャル」が放送された。これまでの富士山サラメシをまとめた番組ということなので、もしかしたらと思って録画しておいた。やはり、最後にフジファブリック『若者のすべて』が使われていた。(確か、2013年、サラメシの富士山取材の回で『茜色の夕日』が使われた。その記述が見つからないのでここで正確に書けないのだが)

 番組で1分40秒ほど流れた『若者のすべて』の歌詞は次の部分である。


  真夏のピークが去った 天気予報士がテレビで言ってた
  それでもいまだに街は 落ち着かないような 気がしている

  夕方5時のチャイムが 今日はなんだか胸に響いて
  「運命」なんて便利なものでぼんやりさせて


  最後の最後の花火が終わったら
  僕らは変わるかな 同じ空を見上げているよ


 付言すると、この番組のBGMが凄い選曲だった。歌ものは、Bruce Springsteen『Born to Run』、Bob Dylan『Like a Rolling Stone』と『若者のすべて』の三曲だった。オープニングが Springsteen、中ほどにDylan、エンディングが志村正彦だった。この三つの選曲に特別な意味はないのだろうが、「Springsteen、Dylan、志村」というロックの詩人の並び。ここに書くだけでも、「僕は読み返しては 感動している!」という気分だ。

 今年はコロナ禍のために富士山の登山道が閉鎖された。山開きはなく、吉田の火祭りもなかった。富士の夏はそのまま閉じられることになった。
サラメシの番組では『若者のすべて』とともに富士の映像が閉じられた。富士北麓の短い夏の季節も終わった。

 志村正彦・フジファブリック『線香花火』に戻ろう。


『アラカルト』ジャケット(『線香花火』収録)


 前回、『線香花火』には、《悲しさ》の表出があり、《悲しさ》が凝縮されているが、《悲しさ》の終わり、《悲しさ》からの分離があるようにも思われると書いた。青春特有の《悲しさ》の季節があるが、この《悲しさ》と対比されるのが、次の『茜色の夕日』の一節である。


  短い夏が終わったのに
  今 子供の頃のさびしさが無い    



 「短い夏が終わったのに/今 子供の頃のさびしさが無い」の一節が、僕にとって『茜色の夕日』の中でもっと染み込んでくる言葉である。子供の頃は夏の終わりに、なんだかとてもさびしくなった記憶がある。子供心に、夏が終わってしまう、もう夏の時が戻ることはない、そんな想いが浮かんできた。それでも少し経つと、そのさびしさは忘れてしまうのだが。

 青年になると、その「さびしさ」を感じることはなくなる。


  悲しくったってさ 悲しくったってさ
  夏は簡単には終わらないのさ


 むしろ、この『線香花火』の《悲しさ》のようなものを感じるようになる。青春時代の劇は必然的に《悲しさ》をもたらす。
 少年時代のさびしさと青年時代の悲しさ、この二つには、生の歩みにともなう普遍的な感情がある。『茜色の夕日』の主体「僕」は、少年時代のさびしさが失われたことに気づく。『線香花火』の主体は、青年時代の悲しさの只中にはいるがそこから少しずつ離れてゆく感覚を掴む。

 志村は、『茜色の夕日』の「短い夏が終わったのに」に対して、『線香花火』では「夏は簡単には終わらないのさ」と歌う。終わらない夏はむしろ夏の終わりという季節の感覚を描き出す。そもそも「夏は簡単には終わらないのさ」という表現は、夏の終わりの方にアクセントがある。終わらない夏もいつか終わるのだ。そうなると、「線香花火」そのものが、その変化と消滅の姿が、終わらない夏が終わることの象徴とも考えられる。

 『茜色の夕日』と『線香花火』をそのような観点から捉えると、『若者のすべて』の「真夏のピークが去った」という季節の時間が響き合ってくる。この三つの曲の夏は「終わった」「簡単には終わらない」「去った」と歌われる。終わる季節、去りゆく季節とともに、終わるもの、去りゆくものが現れてくる。

 志村にとって『茜色の夕日』と『線香花火』は、詩的世界の資質が開花した作品である。サウンド面でも、『茜色の夕日』はスローテンポのバラード、『線香花火』はアップテンポのロックのそれぞれ原型と位置付けられる作品である。夏の終わりの季節とともに、夏の感情と感覚の極まるところから離れてゆく。このモチーフを『若者のすべて』は引き継いでいる。この曲はミディアムテンポの傑作でもある。

 各々の作品の夏の終わり、その流れ方が、歌詞の時間、楽曲のテンポを形作っているのかもしれない。