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2020年7月10日金曜日

永遠の現在の中 『Surfer King』[志村正彦LN259]

 今日、7月10日は志村正彦の誕生日。

 1980年の生まれ。存命であれば四十歳を迎えた日である。twitterでは誕生日を祝う呟き。富士吉田では『若者のすべて』のチャイム。地元紙や地元局での報道もあった。四十歳というのは節目の年なのだろう。

 自分の四十歳を振り返る。男子の寿命はやはり八十歳くらいである。四十歳はその半ばまでたどりついてしまったことになる。人生の半分が去って、残された時間が半分。その中間の位置にいて過去と未来のことを考えている。そういう意味では中間の年齢、まさしく中年、ミドルエイジである。
 僕の場合、過ぎてしまった半生の時間と残された半生の時間との間に挟まれて、現在という時間がなんだか縮んでしまうような、手応えのないような、そんな日々を暮らしていたようにも記憶する。三十歳代まではかろうじて「若者」の感覚があったのだがそれが失われる。それでも成熟にはほど遠い。

 四十歳の志村正彦は全く想像できない。作品の中に存在する彼は年齢を重ねることがない。夭折の詩人は永遠の現在の中にいる。

 今日は彼のミュージックビデオをこのブログに添付して、誕生日を祝したい。
  youtubeの「フジファブリック Official Channel」でMVを探す。現在のフジファブリックの映像がすごく増えていて、分量的には、志村正彦の映像が少なくなっている(再生回数は圧倒的に多いのだが)。これは残念である。志村時代のライブ映像などもアーカイブとして加えるべきだろう。

 「永遠の現在の中にいる」というモチーフで、Official ChannelからあるMVを選んでみた。

  『Surfer King』である。

 サーファーソングを解体し、新たに構築したような歌詞。しかも高度な批評性を併せ持つ。「脱構築ロック」の傑作である。
 スミス監督によるMVは奇妙奇天烈、奇想天外。過去作品『銀河』からの「引用」がある。壊れかけた日本が描かれる。
 「フフフフフ…」の口笛のようなサビ。「メメメメメリケン!!」のシャウト。左足を少し伸ばしてリズムを取りながら弾くエレクトリックギター。大きく動かす唇。正面を見据える眼差し。でもいつものように遠くを見つめているようでもある。城戸紘志の波打ちドラムに乗って、「サーファー気取り アメリカの…」の「…」のエンディングまでクールに激しく歌い続ける。ロック的なあまりにロック的な志村の姿がある。この姿は永遠だ。撮影時2007年の志村の現在が凝縮されている。




 映像の中の志村正彦は、永遠の現在の中にいる。
 現在という時がここにあるかのように、ここにしかないように、歌い、叫んでいる。



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