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2020年7月5日日曜日

この十年。「運命」なんて便利なもので。[志村正彦LN258]

 志村正彦・フジファブリックの音楽に出会ってちょうど十年になる。今日はそのことを書いてみたい。

 十年前の2010年。五月から七月まで、僕は術後の療養のために自宅で静養していた。安静にしていなければならないので自宅に籠もりきりだった。何もすることがなく、ただひたすら回復を待つ。少し読書をしたり、BSやCS放送の音楽番組を見たり聞いたりの日々。スカパーには邦楽ロックや洋楽ロックの音楽番組がいくつもあった。映像をBGM風にして部屋に流していた。

 六月頃だった。フジファブリックの特番が「スペースシャワーTV」「MUSIC ON! TV」「MTV」などで放送されていた。番組を録画して、代表曲のミュージックビデオを繰り返し見た。
 なかでも『陽炎』のMVが深く染み込んできた。
  その視線がどこに向けられているのか分からないような眼差しで、やや暗い表情をした青年が歌っている。

 その青年が、志村正彦だった。


  あの街並 思い出したときに何故だか浮かんだ
  英雄気取った 路地裏の僕がぼんやり見えたよ


 冒頭の語り出しが秀逸だった。「あの街並」「路地裏の僕」の現れ方が独自だった。物語が動き始めて、心の中のスクリーンに様々な風景が登場する。
  真夏の季節。路地裏の街を女性が彷徨う。通り雨、雲の流れ、空、部屋のカーテン、向こう側の海辺の光景。時計の針の逆転、時計の落下。MVの風景が刻まれていった。


  そのうち陽が照りつけて
  遠くで陽炎が揺れてる 陽炎が揺れてる   


 一気に最後のイメージに収束していった。完璧な歌詞と楽曲、言葉がこちら側に伝わる「声」と巧みな演奏があった。それまで知っていた日本語ロックのいずれとも似ていない。これは日本語ロックの最高の達成ではないか。その時の直観だった。フジファブリックというバンドは山梨出身の青年が作ったということを地元紙の記事で読んでうっすらと知っている程度だった。もっと前に聴くべきだったという残念な後悔するような気持ちになった。

 志村正彦・フジファブリックとの出会いの後、CD・DVD・書籍を入手し、ネットの記事を探した。半年前、2009年12月に急逝したことを知った。故郷が富士吉田であること、7月に富士急ハイランドで「フジフジ富士Q」が開催されること、スカパーの特番は彼の追悼のためだったことも分かった。

 2011年、あることを契機に勤め先の高校で、志村正彦・フジファブリックの歌詞について語り合う授業を始めた。地元紙に掲載された縁で、その年の12月、彼の同級生が富士吉田で開催した志村正彦展に生徒の書いた志村論が展示された。その際に僕も「志村正彦の夏」というエッセイを書いた。その文章が原点になって、2012年末にこの「偶景web」を立ち上げた。その後の展開はこのブログに書いてある通りである。2013年夏の富士吉田でのイベント、地元放送局でのニュース番組。2014年の甲府での「ロックの詩人志村正彦展」。この十年間の前半は色々なイベントに関わった。自らも主催した。

 この十年間の後半は、「偶景web」を書くことに集中した。テーマを広げ、モチーフを掘りさげていった。志村と関わりの深かった音楽家たちも取り上げるようになった。2016年、志村正彦の作品を教材にした授業実践をある書籍に収録して発表した。2018年、大学に移り、前回の記事に記したように志村正彦の歌詞を講義のテーマにして、日本文学や日本文化を考察している。今年の担当ゼミではロックの歌詞を研究したいという学生も出てきた。

 今年度から「日本語スキル」という科目を新たに作り、読解力、思考力、表現力を育成する初年次教育に取り組んでいる。先日、基礎スキルの一つとして、「は」と「が」の違いについて講義した。事前の準備で教科書的ではない用例を探していたところ、『虹』の歌詞に「は」と「が」の区別についての良い事例があることに気づいた。例えば、


  週末 雨上がって 街生まれ変わってく

  週末 雨上がって 僕生まれ変わってく


 の二つにおいて、「街が」の「が」と「僕は」の「は」が使い分けられている。この差異を表現的観点から考察してみた。志村の表現は一つ一つの単語の水準で非常に優れている。助詞の使い方一つをとっても正確である。歌詞で描かれる世界は、彼の的確な表現力に支えられている。授業ではスライドを作って図示して説明したのだが、学生たちもかなり関心を持った。自分が好きな歌詞について、表現的な観点から読み直してみたい、分析したいという声もあった。志村正彦の歌詞から日本語の表現を考える。ミニレッスン的な講義だが、そのような手法も開発していきたいと思っている。

 この授業を構想したときに「偶景web」で『虹』について書いた記事が参考となった。結果として、このブログが「研究ノート」のようなものになった。「偶景web」を「研究ノート」として大学での講義に活用する。このブログを始めたときには想像もできなかった展開である。

 今朝から、フジファブリックのシングルA面集とB面集のCDを再生している。『若者のすべて』の次のフレーズが「なんだか胸に響いて」きた。


  夕方5時のチャイムが 今日はなんだか胸に響いて
 
  「運命」なんて便利なものでぼんやりさせて


 この十年の歩みを、 「運命」なんて便利なものでぼんやりさせて、というように語りたい気持ちにもなった。
 2010年から2020年までの十年。志村正彦の音楽との出会いがなかったら、全く異なる十年になっただろう。それは確かなことである。
 でも、「運命」なんて言葉を使うことには、ためらいがある。自らが選択する言葉ではないように思われる。それでも、その便利なもので「ぼんやりさせて」であれば、使うことが許されるだろうか。

 この十年を、「運命」なんて便利なもので、振り返る。想いを巡らす。

 今日はやはり最後に、そう記しておきたい。

3 件のコメント:

  1. 小林先生、こんにちは。
    今日7月10日は、志村君のお誕生日。全国のファンが想いを馳せる日ですね。
    先生が志村君の音楽と出会ってからの10年間の歩みを読ませていただき、とても感慨深く感じています。
    私が志村君と出会ってからは、まだ2年間なのですが、大きく人生を変える出会いとなりました。もしも、出会っていなかったら、今後の人生も全く違ったものになっただろうと思います。
    まさに「運命」なんてものを考えずにはいられないほどにです。
    そして、私と同じように人生を変えるほどの影響を受けたファンの方も、私が知っている限りでも、少なくはありません。
    唯一無二の歌詞とメロディー、完璧なアレンジと演奏。そこに志村君の声が加わると、魅力は無限に深まります。さらに、聴き手の中にある「何か」と共鳴したら、まるで新たにエネルギーが生まれるかのような、音楽を越えた何かになっているような気がします。
    こうやって、本物は、心の中に生き続けるのでしょうね。
    外は大雨ですが、夕方のチャイムの時刻には、配信を聴きながら、空を見上げたいと思います。
    ありがとうございました。

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  2. 確かに、志村正彦に出会った者にとって、彼の音楽は「運命」のように響くことがあります。僕もそうです。あなたにとって、そして多くのファンにとっても、かけがえのない音楽になったことでしょう。それがどうしてなのかを考えるためにこのブログを始めました。

    10日にUPした記事では『Surfer King』を取り上げましたが、こういう曲もあれば『若者のすべて』のような曲もある。この幅広さ、ユニークさが志村正彦・フジファブリックらしいところです。

    彼の作品は深さという垂直方向も、広さ、豊かさという水平方向も持っています。曲は聴いて味わうだけでよいのですが、何か考えたくなるような作用があることが大きな魅力です。

    コメント、どうもありがとうございました。

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    1. 小林先生
      返信ありがとうございました。

      先生の返信をいただいて、自分の状況が腑に落ちました。
      私も、どうしてこれほどまでに志村君の音楽は特別なのか、人生を変えるほどの力を持っているのか、を考えずにはいられません。
      音楽を楽しむだけでなく、それらを考え、探っていくことが、私のライフワークにも繋がっています。
      そして、僅かずつでも、気づきや発見があると、志村君と一緒に時を重ねていると感じられます。
      7月10日の先生の「永遠の現在の中にいる」という言葉を噛みしめています。
      ありがとうございました。

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