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2020年7月31日金曜日

夏の歌-オンライン授業[志村正彦LN260]

 今日で7月が終わる。梅雨が長く続いたせいかなんだか時が進むのが早い、といった感覚だ。

 一昨日7月29日 の朝日新聞朝刊2面に「コロナ禍、受験生減少を警戒 朝日新聞・河合塾共同調査」という記事が掲載されていた。その中で勤務先の山梨英和大学のコメントが紹介されている。(山梨および長野と静岡以外ではほとんど知られていない大学なので、「全国紙」に名が出るのはきわめて珍しい)


 経済状況の悪化が、学生に深刻な影響を及ぼすと予想する大学も多い。「経済的理由による退学・休学の増加」を夏休み以降に予想する大学は、国立13%、公立6%に対し私立は35%。「家庭の経済状況やアルバイト収入減少の影響により、学生が大学継続の意欲を失い大学から離れていく」(山梨英和大)など、懸念する大学は多い。


 この通りの状況であり、コロナ危機は多くの学生に経済的な危機をもたらした。本学では5月に「自修環境整備補助」として主にオンライン授業のための通信費整備のために、全学生に5万円を支給した。これは緊急クローズ宣言以降、来校が一切出来なくなったことから、施設設備整備の目的で徴収している教育充実費から一部を還元するという意味合いもあった。文部科学省より「学びの継続」のための『学生支援緊急給付金』があった。ただしいくつかの条件があり、すべての学生に給付できるものではなかった。この危機が長期化すれば、後期そして来年度に経済的困難から学業継続が困難となる学生が顕在化する可能性はある。

 同記事には、オンライン授業についての立命館大学のコメントがある。


 立命館大は「対面でなければならない授業の価値が、厳しく問い直される。オンラインの広がりと対面の有効性の問い直しは、大学のキャンパスが持つ意味の再考も促すことになる」と予測する。 


 山梨英和大は7年前から学生全員にモバイルPC(Macbook)を貸与している。学内wi-fi環境も整備されていて、学内のどの場所でもインターネット接続ができる。その充実した環境を利用して、僕は昨年から通常の対面授業の中で、Googleの「G suite for education」という学習支援プラットフォームの「Classroom」を使ってきた。そのきっかけは受講生が150人近くいる「山梨学」という科目だった。学生アシスタントがつかない科目なので、すべてを教員一人でやらねばならない。資料の配付や学生の振り返りペーパーの回収をすると、時間のロスが甚だしい。
 そこで、Classroomの質問機能を使って、講義の振り返りや感想を200字程度書いて提出させた。150人ほどの受講生の提出文章から20~30ほど選んで編集して、PDF文書にしてClassroomの資料配付機能を使って配信した。オンラインのネットワークを活用した学生へのフィードバックである。効率の良い方法で学生からも好評だった。通常の対面授業とオンラインの方法とのハイブリッド的形態の一つである。

 この経験があったので、幸いにして、4月からのオンライン遠隔授業にもスムーズに移行できたのだ。しかし、今年はすべてがオンライン遠隔授業となった。専門ゼミナール、文学講読、国語科教育法、それぞれ固有の目標や内容がある。それぞれに最適化した方法を見つけるのは難しい。4月からこれまで試行錯誤してきたと言ってよい。
 特に、今年度からスタートした「日本語スキル」という初年次教育科目は、学生の読解力、思考力、表現力を育成するという重要な目標がある。論理的な思考の構造を図示して理解を深めるために準備段階では紙媒体のワークシートを活用する計画であったが、オンライン授業では当然、紙媒体のワークシートを利用することは不可能である。また、教室の講義でワークシート内容を説明することもできない。

 オンライン授業化のために、根本的に授業展開と教材を変える必要があった。いくつかの方法を検討したが、結局、ワークシートの構成を分割して、Googleの「SLIDE」で資料を作り、「Meet」というビデオ会議ツールの「音声」機能を使って、説明をすることにした。教室でスライドをプロジェクタでスクリーンに投影して、教員が地声で説明する対面授業の方法のオンラインヴァージョンである。
 この方法での授業は密度が濃くなる。時間あたりの情報量が多い。オンライン授業は、授業内容の凝縮度という観点では効率的で有効な方法である(入念にデザインされることが条件だが)。コロナ危機はそのような発見をもたらした。もちろん、対面の授業の方が有効な場合もある。だからこそ、立命館大のコメントにあるように、対面そしてオンラインを含めて大学の授業と大学のキャンパスの意味が問われる。

 来週半ば前期の授業がようやく終わる。振り返れば、全く新規にスライドを作成するのにはかなりの時間がかかった。一回の授業で20~30枚の枚数が必要となる。週にそれが数本。この4ヶ月の間ほぼ毎日、スライド作成に追われていた。ずっとPC画面に向き合っての作業で特に眼が疲れる。心身共に疲労の色が濃いというのが正直なところである。

 担当の専門ゼミナールには、国語教育、文学、山梨に関心を持つ学生が集まっている。詩や歌詞を研究テーマにする学生も数人いる。前期の後半は学生のレポート発表をしたのだが、オンラインであるゆえに変化を持たせた方がよいので、20分ほどのミニ講義を取り入れた。あれこれと考えたのだが、やはり、志村正彦・フジファブリックの音源、歌詞をテーマにすることに決めた。
 学生も自宅に閉じ込められているので、「夏」の季節感を大切にしたい。すでにこのブログで少し触れたが、志村正彦・フジファブリックの夏の歌を集めることにした。『虹』『NAGISAにて』『Surfer King』『陽炎』『若者のすべて』の5曲を取り上げ、5本のスライドを作った。各スライドは6~10シートで構成した。その一部を「日本語スキル」の授業でも活用した。日本語表現の分析になるからである。

 スライドを2枚ほどjpeg画像にして添付する。あまり鮮明でないが、スライドによるオンライン授業の雰囲気が少しだけ伝わるだろうか。
 
志村正彦『虹』

志村正彦『陽炎』

 各回共に、事前にyoutubeなどで音源や映像を聴くことを指示した。授業では、Googleの「ドキュメント」ファイルに各自の感想を書きこむ。共有ファイルなので互いの感想を読むことができる。オンライン授業でも受講生同士のつながりを作るための工夫でもある。他者の考えに触れることは刺激になり、発見をもたらす。
 それから講義時間に移る。スライドで歌詞の枠組やモチーフを図示して説明した。これは歌詞の構造であり、そこに意味を吹き込み、解釈を行うのはあくまでも学生である。歌詞分析のスライド作成は大変だったが、愉しみでもあった。どこかに愉しみの要素がないとオンライン授業は辛いものになってしまう。もちろん、授業自体は学生の思考力や表現力を育てることを目的としている。

 ようやく梅雨明けとなるようだ。
 今年は花火のない夏。時が進むのが早い、短い夏となるのだろうか。


2020年7月10日金曜日

永遠の現在の中 『Surfer King』[志村正彦LN259]

 今日、7月10日は志村正彦の誕生日。

 1980年の生まれ。存命であれば四十歳を迎えた日である。twitterでは誕生日を祝う呟き。富士吉田では『若者のすべて』のチャイム。地元紙や地元局での報道もあった。四十歳というのは節目の年なのだろう。

 自分の四十歳を振り返る。男子の寿命はやはり八十歳くらいである。四十歳はその半ばまでたどりついてしまったことになる。人生の半分が去って、残された時間が半分。その中間の位置にいて過去と未来のことを考えている。そういう意味では中間の年齢、まさしく中年、ミドルエイジである。
 僕の場合、過ぎてしまった半生の時間と残された半生の時間との間に挟まれて、現在という時間がなんだか縮んでしまうような、手応えのないような、そんな日々を暮らしていたようにも記憶する。三十歳代まではかろうじて「若者」の感覚があったのだがそれが失われる。それでも成熟にはほど遠い。

 四十歳の志村正彦は全く想像できない。作品の中に存在する彼は年齢を重ねることがない。夭折の詩人は永遠の現在の中にいる。

 今日は彼のミュージックビデオをこのブログに添付して、誕生日を祝したい。
  youtubeの「フジファブリック Official Channel」でMVを探す。現在のフジファブリックの映像がすごく増えていて、分量的には、志村正彦の映像が少なくなっている(再生回数は圧倒的に多いのだが)。これは残念である。志村時代のライブ映像などもアーカイブとして加えるべきだろう。

 「永遠の現在の中にいる」というモチーフで、Official ChannelからあるMVを選んでみた。

  『Surfer King』である。

 サーファーソングを解体し、新たに構築したような歌詞。しかも高度な批評性を併せ持つ。「脱構築ロック」の傑作である。
 スミス監督によるMVは奇妙奇天烈、奇想天外。過去作品『銀河』からの「引用」がある。壊れかけた日本が描かれる。
 「フフフフフ…」の口笛のようなサビ。「メメメメメリケン!!」のシャウト。左足を少し伸ばしてリズムを取りながら弾くエレクトリックギター。大きく動かす唇。正面を見据える眼差し。でもいつものように遠くを見つめているようでもある。城戸紘志の波打ちドラムに乗って、「サーファー気取り アメリカの…」の「…」のエンディングまでクールに激しく歌い続ける。ロック的なあまりにロック的な志村の姿がある。この姿は永遠だ。撮影時2007年の志村の現在が凝縮されている。




 映像の中の志村正彦は、永遠の現在の中にいる。
 現在という時がここにあるかのように、ここにしかないように、歌い、叫んでいる。



2020年7月5日日曜日

この十年。「運命」なんて便利なもので。[志村正彦LN258]

 志村正彦・フジファブリックの音楽に出会ってちょうど十年になる。今日はそのことを書いてみたい。

 十年前の2010年。五月から七月まで、僕は術後の療養のために自宅で静養していた。安静にしていなければならないので自宅に籠もりきりだった。何もすることがなく、ただひたすら回復を待つ。少し読書をしたり、BSやCS放送の音楽番組を見たり聞いたりの日々。スカパーには邦楽ロックや洋楽ロックの音楽番組がいくつもあった。映像をBGM風にして部屋に流していた。

 六月頃だった。フジファブリックの特番が「スペースシャワーTV」「MUSIC ON! TV」「MTV」などで放送されていた。番組を録画して、代表曲のミュージックビデオを繰り返し見た。
 なかでも『陽炎』のMVが深く染み込んできた。
  その視線がどこに向けられているのか分からないような眼差しで、やや暗い表情をした青年が歌っている。

 その青年が、志村正彦だった。


  あの街並 思い出したときに何故だか浮かんだ
  英雄気取った 路地裏の僕がぼんやり見えたよ


 冒頭の語り出しが秀逸だった。「あの街並」「路地裏の僕」の現れ方が独自だった。物語が動き始めて、心の中のスクリーンに様々な風景が登場する。
  真夏の季節。路地裏の街を女性が彷徨う。通り雨、雲の流れ、空、部屋のカーテン、向こう側の海辺の光景。時計の針の逆転、時計の落下。MVの風景が刻まれていった。


  そのうち陽が照りつけて
  遠くで陽炎が揺れてる 陽炎が揺れてる   


 一気に最後のイメージに収束していった。完璧な歌詞と楽曲、言葉がこちら側に伝わる「声」と巧みな演奏があった。それまで知っていた日本語ロックのいずれとも似ていない。これは日本語ロックの最高の達成ではないか。その時の直観だった。フジファブリックというバンドは山梨出身の青年が作ったということを地元紙の記事で読んでうっすらと知っている程度だった。もっと前に聴くべきだったという残念な後悔するような気持ちになった。

 志村正彦・フジファブリックとの出会いの後、CD・DVD・書籍を入手し、ネットの記事を探した。半年前、2009年12月に急逝したことを知った。故郷が富士吉田であること、7月に富士急ハイランドで「フジフジ富士Q」が開催されること、スカパーの特番は彼の追悼のためだったことも分かった。

 2011年、あることを契機に勤め先の高校で、志村正彦・フジファブリックの歌詞について語り合う授業を始めた。地元紙に掲載された縁で、その年の12月、彼の同級生が富士吉田で開催した志村正彦展に生徒の書いた志村論が展示された。その際に僕も「志村正彦の夏」というエッセイを書いた。その文章が原点になって、2012年末にこの「偶景web」を立ち上げた。その後の展開はこのブログに書いてある通りである。2013年夏の富士吉田でのイベント、地元放送局でのニュース番組。2014年の甲府での「ロックの詩人志村正彦展」。この十年間の前半は色々なイベントに関わった。自らも主催した。

 この十年間の後半は、「偶景web」を書くことに集中した。テーマを広げ、モチーフを掘りさげていった。志村と関わりの深かった音楽家たちも取り上げるようになった。2016年、志村正彦の作品を教材にした授業実践をある書籍に収録して発表した。2018年、大学に移り、前回の記事に記したように志村正彦の歌詞を講義のテーマにして、日本文学や日本文化を考察している。今年の担当ゼミではロックの歌詞を研究したいという学生も出てきた。

 今年度から「日本語スキル」という科目を新たに作り、読解力、思考力、表現力を育成する初年次教育に取り組んでいる。先日、基礎スキルの一つとして、「は」と「が」の違いについて講義した。事前の準備で教科書的ではない用例を探していたところ、『虹』の歌詞に「は」と「が」の区別についての良い事例があることに気づいた。例えば、


  週末 雨上がって 街生まれ変わってく

  週末 雨上がって 僕生まれ変わってく


 の二つにおいて、「街が」の「が」と「僕は」の「は」が使い分けられている。この差異を表現的観点から考察してみた。志村の表現は一つ一つの単語の水準で非常に優れている。助詞の使い方一つをとっても正確である。歌詞で描かれる世界は、彼の的確な表現力に支えられている。授業ではスライドを作って図示して説明したのだが、学生たちもかなり関心を持った。自分が好きな歌詞について、表現的な観点から読み直してみたい、分析したいという声もあった。志村正彦の歌詞から日本語の表現を考える。ミニレッスン的な講義だが、そのような手法も開発していきたいと思っている。

 この授業を構想したときに「偶景web」で『虹』について書いた記事が参考となった。結果として、このブログが「研究ノート」のようなものになった。「偶景web」を「研究ノート」として大学での講義に活用する。このブログを始めたときには想像もできなかった展開である。

 今朝から、フジファブリックのシングルA面集とB面集のCDを再生している。『若者のすべて』の次のフレーズが「なんだか胸に響いて」きた。


  夕方5時のチャイムが 今日はなんだか胸に響いて
 
  「運命」なんて便利なものでぼんやりさせて


 この十年の歩みを、 「運命」なんて便利なものでぼんやりさせて、というように語りたい気持ちにもなった。
 2010年から2020年までの十年。志村正彦の音楽との出会いがなかったら、全く異なる十年になっただろう。それは確かなことである。
 でも、「運命」なんて言葉を使うことには、ためらいがある。自らが選択する言葉ではないように思われる。それでも、その便利なもので「ぼんやりさせて」であれば、使うことが許されるだろうか。

 この十年を、「運命」なんて便利なもので、振り返る。想いを巡らす。

 今日はやはり最後に、そう記しておきたい。