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2019年10月27日日曜日

槇原敬之『若者のすべて ~Makihara Band Session~』[志村正彦LN238]

 10月23日、朝刊を読んでいると、ある全面広告が目に飛び込んできた。槇原敬之『The Best of Listen To The Music』。そろそろリリースされるかと思っていたところ、この日が発売日だった。(朝日新聞で見たのだが、他の全国紙や地方紙で掲載されたかは分からない)2020年にデビュー30周年を迎える記念として初のカバー曲のベストアルバムであり、志村正彦・フジファブリックの『若者のすべて』がカバーされると告げられていた作品である。

 紙面の上半分は槇原の写真。ウェリントン型のメガネをかけておだやかに微笑んでいる。ブルーのコーデュロイジャケットに白いシャツとネクタイ。カジュアルな正装だろうか。背景には落ち着いた山吹色の幕。髭には白いものが混じている。1969年生まれということは今年五十歳。年齢にふさわしい落ちついた彩りの写真だった。
 視線を下に移すと、収録曲のクレジットがあった。すぐにあの曲を探した。


  14. 若者のすべて ~Makihara Band Session~
          作詞・作曲:志村正彦


 「作詞・作曲:志村正彦」という記載があった。カバー曲の場合、広告などではオリジナル曲の歌手や演奏者が書かれるだけのことが多いが、作詞・作曲者名も記されるべきだということをこのブログでくりかえし主張してきた筆者にとっては非常にうれしい記述だった。小さな文字ではあったが、「志村正彦」という名が全国紙の全面広告の中にある。

 早速、『The Best of Listen To The Music』初回限定盤を注文して聴いてみた。
 『若者のすべて』は「Makihara Band Session」と付記されているように、完璧なバンドサウンドになっている。もともと、アルバム『Listen To The Music 3』のライブのバンドメンバーによるセッションの音をもとに完成したそうだ。このライブ映像は『Listen To The Music The Live ~うたのお☆も☆て☆な☆し 2014 』としてDVD化されているが、今回の音源はストリングスも加えられて練り上げられた音になっている。



 これから聴く人もいるだろうから、感想を簡潔に述べたい。
 志村正彦の『若者のすべて』には、「ない」という不在の感覚が通奏低音のように響いているが、槇原敬之の『若者のすべて』では、「ある」ことへの期待や希望が描かれている。そのように僕には聞こえてきた。かつて志村正彦が語ったように、同じ歌詞でも解釈が異なってくる。歌い手や歌い方によって歌の世界は多様に広がっていく。槇原の五十歳という年齢が、「ある」ことへの希求を歌に込めていったのかもしれない。

 オリコンニュース2019-10-26「カバーソングから考察する歌手・槇原敬之の魅力の真髄」という記事で、槇原の言葉が紹介されている。


 槇原自身は「本当はカバーよりも本人の歌っているバージョンが一番良いとは思います」としながらも、「カバー・アルバムを作るときはちょっと角度が違いまして。僕自身の「音楽好きの歴史」というのは50年になるわけです。そちらの(音楽好きの)自分が、『なんでこの人はこんな良い曲を作ったんだ』とか、『この曲作るなんて本当に天才だな』とか、『本当にこの曲に救われたな』という曲ばかりを集めて、自分で勝手に尊敬の気持ちを込めてカバーさせていただいているんです」と、カバー曲に取り組んできた姿勢を語っている。


 『若者のすべて ~Makihara Band Session~』はとても丁寧に緻密にそして想いを込めて制作されている。槇原敬之のこの曲への「尊敬の気持ち」が自然に伝わってくる。
 なお、この記事には、オリコンモニターリサーチによって10~50代以上のモニターの男女1365名に全15曲のダイジェスト版を聴いてもらって作成した「好きな曲ランキング」が掲載されている。『若者のすべて ~Makihara Band Session~』は総合7位となかなか健闘している。最近この曲の知名度が上がったことも影響しているのだろう。

 11月2日(土)午後11・00~11・30の『SONGS』(NHK総合)に槇原が出演する。すでにご存じの人も多いだろうが、松任谷由実『Hello, my friend』、フジファブリック『若者のすべて』、エルトン・ジョン『Your Song』が歌われるそうだ。この三曲の選曲だけで僕は胸がいっぱいになった。
 「運命」なんて便利なもので、文脈は異なるが、そのように語ってみたい気もした。『若者のすべて』のこれまでとこれから、その軌跡そしてその運命を、まぶた閉じて浮かべている。

2019年10月22日火曜日

金木犀の香り、ふたたび。 [志村正彦LN237]

 一週間ほど前からだが、ほのかに金木犀の香りがする。九月の下旬に香り始めたと以前書いた。でもすぐに消えてしまった。今年はほんの短い間だけなのかと思っていたら、このところふたたび金木犀の香りが漂う。どういうことなのか。花についても植物についても知識がないが、一部の花が咲き始め、遅れて、別の花が咲いたということなのか。とにかく例年にない現象だ。不思議である。

 20日、フジファブリック 15th anniversaryのSPECIAL LIVE at 大阪城ホール2019「IN MY TOWN」が成功のうちに終わったようだ。フジファブリックのファンにとって特別なライブだったのだろう。そのことは祝福したい。12月にwowowで放送されるのでそれを待ちたい。

 今日は朝から冷たい雨が降っていた。祝日で一日家にいたが、冬物を取り出した。ついこの前まで夏の暑さが続いていた。台風が来て、悲惨な災害が起きた。山梨は東京方面の交通が断絶した。季節の変調が続いている。
 夕方、「富士山で初冠雪 例年より22日遅く」とニュースが伝えていた。一日でかなり雪を被った富士山の映像。これまでは夏山のような富士山だったのに、一日で景色が変わった。

 金木犀の香りに戻りたい。今年の不思議な香り方は、金木犀がその香りの名残を惜しんでいたのかもしれない。過ぎ去ってしまわないようにと。
 志村正彦・フジファブリックの『赤黄色の金木犀』は、時間や季節の流れ方を歌っている。過ぎ去ったものを追いかけていく。


  もしも 過ぎ去りしあなたに 全て 伝えられるのならば
  それは 叶えられないとしても 心の中 準備をしていた


 「過ぎ去りしあなた」に伝えることは「叶えられない」。時を遡ることは不可能だが、そうだとしても「準備をしていた」「心の中」は何を追い求めていたのか。準備するのは時間との対話でもある。


  冷夏が続いたせいか今年は なんだか時が進むのが早い
  僕は残りの月にする事を 決めて歩くスピードを上げた


 「時が進むのが早い」ことに気づいた「僕」は「歩くスピード」を上げて、「残りの月」にする何を決めたのか。歩行の速度がその何かを追いかけていく。

 すべては「冷夏が続いた」せいなのか。季節の変調に呼応するかのように、「僕」は時の速度を感じ、時の流れを想う。「僕」は「過ぎ去りし」ひとやものやことを追いかけようとする。ほんとうは逆転していて、「過ぎ去りし」ひとやものやことが「僕」を追いかけてくるのかもしれない。


  赤黄色の金木犀の香りがして たまらなくなって
  何故か無駄に胸が 騒いでしまう帰り道


 一度消えてからふたたび香り始めた金木犀。香りがその香りを想起させるためにもう一度、いや何度も漂いだすかのように。なんだかたまらなくなった。追いかけていくもの。追いかけてくるもの。過ぎ去っていくもの。回帰してくるもの。

 今年の秋は、金木犀がふたたび香り、「たまらなくなって 何故か無駄に胸が 騒いでしまう」ような経験をした。そのことをこれからも想いだすだろう。
 秋は短く、もう冬が訪れる。

2019年10月13日日曜日

『別冊 音楽と人×フジファブリック』[志村正彦LN236]

 10月初旬、『別冊 音楽と人×フジファブリック』という増刊号が出された。雑誌増刊号ではあるが、フジファブリック単体を対象とする一冊の刊行物としては、単行本『FAB BOOK』フジファブリック(2010/6)以来のことだろう。主な記事を次に掲げる。

・インタビュー「僕とフジファブリック」山内総一郎・加藤慎一・金澤ダイスケ
・音楽と人アーカイブpart1 志村正彦記念館
・音楽と人アーカイブpart2 フジファブリック
・居酒屋でゆるいかトーク

 このうち、3万字に及ぶインタビュー「僕とフジファブリック」は、長年の間フジファブリックの良き取材者である「音楽と人」編集部の樋口靖幸氏による(と思われる)三人のメンバーへのインタビュー記事だ。山内・加藤・金澤の三氏が志村正彦・フジファブリックとの出会いや加入の経緯、自らの性格、作品作り、これからのフジファブリックについて述べている。特にあまり単独の取材対象にならない加藤氏・金澤氏の発言を読むことができる。
 「僕とフジファブリック」というテーマが示すように、三人各々が個人「僕」という視点で「フジファブリック」を語っていて興味深い。志村正彦の関わりについても貴重な証言がある。

 まだ発売されたばかりの雑誌増刊号であるので、「僕とフジファブリック」というテーマに特にかかわる箇所だけ簡潔に引用したい。-以下は樋口氏の問いかけである。


・山内総一郎
-アニバーサリーなのにね。大阪城ホールでワンマンやるし、どんだけ花火が打ち上がってるアルバム[『F』]と思いきや(笑)。
「派手ではないですよね。でも今もフジファブリックっていうバンドをもっと理解したいと思ってますし、自分も裸にならないといけないし、そのために戦わないといけない。それでどうにか、僕らの音楽が誰かの勇気とか喜びとかに繫がっていくのかなって。で、その繰り返しが人生なのかなって」
-でも、今日のこの会話もそうだけど、志村くんが作った曲も含め、総くんはこのバンドで歌を唄うことでしか、裸になれないような気がします。もっと言うと、人生をフジファブリックの曲に導かれてるというか。
「導かれてる……そういうところもあるかもしれないですね」

・加藤慎一
 -フジファブリックらしさって、最初は志村くんが持ってたもので。
「そうですね」
-それを受け継いでるのとは違うけど、もともと加藤さんの中にも同じ〈らしさ〉があるってことなんじゃないか……と、今話をしてて思いました。
「まあでも、それは志村の曲がすごく面白くて、好きだから。そこに惹かれてこのバンドに入ったっていうのもあるし……」

・金澤ダイスケ
-これからフジファブリックの一員として、どうなっていきたいですか?
「やっぱりもっともっと矢面に立てるような存在にならないといけないなと思います。もともと目立ちたがり屋なんだし」
-大阪城ホールっていう大きな舞台に立つわけだし。
「そう。ちゃんと胸を張れるようにしなければいけないですね。そのためにはもっと自分と向き合って、もっと自分を表現できるようになりたいし、そういう曲がもっと書けるようになりたいですね」


 樋口靖幸氏の「人生をフジファブリックの曲に導かれてる」という的確な指摘は山内氏に対すものだが、加藤氏・金澤氏にも当てはまる。この文脈での「フジファブリックの曲」はその多くが志村正彦の作品を指すのだろう。そして、山内氏の「今もフジファブリックっていうバンドをもっと理解したい」という気持ち、加藤氏自身の持つ「フジファブリックらしさ」、金澤氏の「フジファブリックの一員」としての存在への抱負、それぞれが、「志村正彦のフジファブリック」に導かれて歩んできた「僕」の現在を語っている。そして三人ともに、作品作りへの強い想いと自分を自分らしい形で表現することへの決意を述べている。「フジファブリック」は志村正彦の作った「作品」であるのだからそれは必然である。

 この増刊号には二つのアーカイブが収録されている。「音楽と人アーカイブpart1 志村正彦記念館」は2009年までの「音楽と人」記事再録と未公開写真、「音楽と人アーカイブpart2 フジファブリック」は2010年以降の記事再録。特に「志村正彦記念館」には入手困難な記事が再録されているので大切な保存版となる。記念館の扉の33頁に「音楽と人」2004年12月号未掲載カット(撮影:磯部昭子)の横顔の写真が載っている。遠くを見つめている志村の眼差しが印象深い。