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2019年9月30日月曜日

《ロックの歌詞》出張講義 [志村正彦LN235]

 勤め先の山梨英和大学では高校生対象の出張講義を実施している。専任教員が27名ほどの小さな大学だが、一人ひとりがテーマを設けて出張講義の冊子を作り、県内や近県の高校に送付している。
 僕の設定したテーマは「ロックの歌詞から日本語の詩的表現を考える」。志村正彦・フジファブリックの『若者のすべて』を教材にして、詩的表現を鑑賞して分析する授業である。

 今回、長野県の駒ヶ根市にある高校からこのテーマでの出張講義を依頼された。高校1年生と2年生のグループに対して60分の授業を二回行う。昨年この授業を甲府市内の高校で実施した時は80分だったので、その時使用した資料やワークシートを60分用に再編集したが、新たに書き加えた部分も多かった。最近の『若者のすべて』カバーの盛況を伝えるためのDVDも作成した。長野の高校生に授業ができる大切な機会なのでいろいろと準備した。

 9月27日の金曜日、資料・DVD・PC等の機材を車に乗せて大学を出発した。その時に偶然、『赤黄色の金木犀』がFM-FUJIから流れてきた。DJはこの季節の曲だという紹介をしていた。なんだかこの出張講義への声援のようにも聞こえてきた。この曲のミュージックビデオは長野県上田市で撮影されたことも思い出した。

 甲府から駒ヶ根までは車で2時間近くかかる。往復で4時間。それなりの長旅だ。地図上の感覚では南アルプスを超えた向こう側に位置しているが、車のルートでは中央自動車道で大きく迂回していく。この日は天気が良く、フロントガラス越しに山々の稜線が美しく見えた。山梨の反対側から南アルプスを眺めることになった。

 高校に無事到着。教室に案内される。生徒は第1回目が14人、2回目が7人。僕の授業は、生徒や学生が読んだり聴いたり書いたり話し合ったりという所謂「アクティブラーニング」のスタイルなのでちょうどよい規模の数だった。本題に入る前に好きな音楽、歌手やバンドを質問してみた。RADWIMPS、back number、米津玄師の名が上がる。残念ながらフジファブリックはない。『若者のすべて』という曲を知っているかという問いに対しては一人だけ返事をした。8月のミュージックステーションでの演奏を見たそうである。山梨の高校生ならもっと知っているだろうが、隣県とはいえここは長野だ。知名度としては低いのだろう。

 今回の展開は、
1.『若者のすべて』のミュージックビデオを聴いて、心に浮かんだことを自由に言葉で表現していく。
2.三つの観点から『若者のすべて』の詩的表現を分析していく。
3.最初の感想と分析を通して得たものを総合させて考察文を書く。
 というものだった。授業であるからには展開を組織して、生徒の考察を深めていかなくてはならない。これは容易なことではなく、いつもその難しさと闘いながら実践を続けている。

 生徒は『若者のすべて』の物語内容について関心を持った。自分で読み解いたストーリーをグループで話し合う。解釈の違いが浮かび上がるのが楽しいようだった。表現面については、いつもは生徒自身が興味を持った表現を選んで自由に考察させるのだが、この日は全体で60分という時間の制約があったので僕の方から指示して生徒に考察を促した。選択したのは、「ないかな ないよな きっとね いないよな/会ったら言えるかな まぶた閉じて浮かべているよ」の一節。この表現について言葉の意味と音という観点から考えてワークシートに記入するように指示した。生徒が書き始める。言葉が進んでいく者。時々立ち止まりながら考える者。少し書きあぐねている者。志村正彦・フジファブリックの歌詞に触発されてどのような思考と表現を試みているのか。しばらく経ってから生徒の記述を確認した。中には「ない」という言葉の繰り返しや言葉の響きに注目した生徒もいた。だが全般的には十分な時間が取れなかったこともあり、課題の表現と深く対話することは難しいようだった。このような課題に取り組むためにはゆったりとした雰囲気とゆっくりした時間が必要だ。この経験は次回に活かしたい。

 講義の最後で、あくまで歌詞に対する一つの分析であることを断った上で、以前このブログにも書いたことに基づいて『若者のすべて』の優れた表現の特徴を生徒に説明してみた。その要点を以下に記す。


「ないかな ないよな きっとね いないよな」の一節には、再会することが「ない」あるいは誰かが「いない」、出来事の《否定》あるいは人の《不在》が強調されている。「ない」という否定形の反復、「・かな」「・よな」「・ね」「・よな」という助詞の付加が、ある種の曖昧さや余白を与え、聴き手の想像を引き出す。
純粋な音の響きとしては、「な・」「な・」「・な・」の不在を強調する「な」の頭韻と、「・かな」「・よな」「・よな」の「な」の脚韻がある。「な」の頭韻には強く高い響き、「な」の脚韻には柔らかく低い響きがある。「な」の音の強さと柔らかさが、縦糸と横糸になって織り込まれているような、見事な音の織物になっている。志村正彦の歌には《否定》や《不在》の表現が多いが、言葉の反復や音の響きを通じてそのような表現の世界を構築している。

 
 これはワークシートの解答例として記述したもので、授業では口頭でもっと解きほぐして伝えた。
 自分の好きな歌の歌詞に対して、「言葉」や「表現」という観点であらためて向き合ってみると、新しい発見や解釈が生まれることがある。そのような行為が思考や表現の力を築いていくことにつながる。そのことを生徒に伝えて出張講義を終えた。


[付記]
 長野に出かけた27日、まだ金木犀の香りはしなかった。翌日の28日になると、ほのかに金木犀が香り始めた。僕の住む界隈では毎年、25日か26日頃に香りだす。夏がまだ過ぎ去っていない気候のせいか、今年は少し遅かった。
 どこから漂ってくるのかは分からない。それがまた金木犀の香りの特徴だろう。どこからかは定かでないが、毎年どこからかは訪れてくる香り。同じように『赤黄色の金木犀』の歌も九月下旬という季節にどこからか流れてくる。そのような感触がこの歌にはある。

2019年9月22日日曜日

2019年夏の番組 [志村正彦LN234]

 今年、2019年の夏、フジファブリックが出演した主要な番組を振り返りたい。


・8/9(金)20:00~20:55、テレビ朝日「ミュージックステーション」
  演奏:『若者のすべて』

・8/25(日)24:30~25:25、フジテレビ「Love music」
  演奏:『若者のすべて』

・8/31(土)24:58~26:08、TBS「COUNT DOWN TV」
  演奏:『手紙』

・9/2(月)26:20~26:50、テレビ東京「プレミアMelodiX!」
  演奏:『カンヌの休日』

・9/6(金)25:29~26:29、日本テレビ「バズリズム02」
  演奏:『手紙』

・9/7(土)25:00~25:55、BSフジ「LIFE of FUJIFABRIC」
  演奏:『陽炎』(フジファブリック×三原健司【フレデリック】)、『手紙』、『LIFE』


 以上だが、地上波民放局のすべてに出演したことになる。志村正彦没後10年、フジファブリック結成15年という年であり、ますます名声が高まる『若者のすべて』が夏の歌であることから、2019年の夏は集中的な番組出演となった。志村正彦そしてフジファブリックの歴史を振り返ると共に、記念アルバム『FAB BOX III』、『FAB LIST 1』、『FAB LIST 1』のリリース、10/20(日)フジファブリック 15th anniversary SPECIAL LIVE at 大阪城ホール2019「IN MY TOWN」の宣伝も意図したものだろう。

 演奏曲は、テレビ朝日「ミュージックステーション」とフジテレビ「Love music」が『若者のすべて』。その後は、『手紙』を中心に『カンヌの休日』『LIFE』、三原健司【フレデリック】をボーカルに入れた『陽炎』という流れだった。山内の故郷である大阪城ホールでのコンサートのテーマが「IN MY TOWN」であり、『手紙』はそのテーマ曲のような扱いでもある。

 テレビ朝日「ミュージックステーション」についてはすでに志村正彦LN228に記した。今回はそのほかの番組から印象に残った言葉や事柄について書いてみたい。
 フジテレビ「Love music」では、「志村正彦没後10年愛され続ける名曲」として『若者のすべて』が紹介されて、この曲についてのメンバー3人のコメントがあった。


山内:リリースされてから十年以上経っていますし、今年志村君が亡くなって10年なんですけど、志村君と頑張って作ったというとあれですけど本当にいい曲が出来たっていう手応えがあったんですね

加藤:この曲は歌詞が体験したことがなくても情景がやっぱり浮かぶ曲だと思いますねえ。

金澤:日本で生まれた育った皆さんのですねえ、その潜在的に持つ心情だったり風景だったりと……


 この番組では『若者のすべて』をフルヴァージョンで演奏した。メンバーの視線の向こう側に花火の映像を展開する演出が効果的だった。

 TBS系「COUNT DOWN TV」では、「ALBUM RECOMMEND」の2枚目として『FAB LIST』が取り上げられた。山内はこう述べていた。


すべての曲に思い入れはあるんですけど中でも「STAR」という曲が「FAB LIST 2」収録されているんですけども、この曲はですね、フジファブリックは2009年にボーカル・ギターの志村正彦という人間が他界しまして、バンドが本当に続けられるかどうか,続けることも出来ないだろうって思ってたところ、このメンバーでやっていこうと決めて最初に録った作った作品が「STAR」なので、その「STAR」ていう曲が思い出になるというかいろいろ自分たちにとっても大切な曲になっています。


 このコメントがあったので、演奏されるのは『STAR』かと思ったが、実際は『手紙』だった。どちらかというと、テレビスタジオで演奏される『STAR』を聴いてみたかったのだが。

 BSフジ「LIFE of FUJIFABRIC」は、フジファブリックを単独のテーマとした番組だった。 出演者は、山内総一郎、金澤ダイスケ、加藤慎一。コメントゲストは、綾小路 翔【氣志團】、奥田民生、岸田 繁【くるり】、刄田綴色(ドラマー)、原田公一(FREE,INC. 代表取締役)、薮下晃正(ソニー・ミュージックアソシエイテッドレコーズ)、今村圭介(EMI Records)。歌唱ゲストは三原健司(Vo./Gt.)【フレデリック】という面々。特に、原田公一、今村圭介の二氏が出演したのは特筆すべきことだった。志村正彦を見出し、そして育てた重要な二人だからだ。

 志村正彦・フジファブリックは若い世代のアーティストから高い支持を受けている。三原健司(フレデリック)もその一人であり、彼の唱法は『陽炎』の新しい魅力を伝えていた。『手紙』は現在のフジファブリックにとっての代表曲として、『LIFE』はおそらく番組タイトルとの関連で選ばれたのだろう。

 番組制作者の志村正彦・フジファブリックへのリスペクトがうかがわれる内容であり、ゲストのコメントはどれも興味深いものだった。そのなかで最も印象に残ったのは、次の問いかけに対する山内総一郎の回答だった。


 3人にとって志村正彦とは ――

稀有という言葉がありますけど、僕は唯一の人だと思いますし、だからこそ、フジファブリックというバンドにこんなに真剣になれているというか、人生をかけて、フジファブリックとして生きていこうって思うのは、やっぱり彼の存在があって、彼がない人生はない、なかったので、感謝していますし、ずっと仲間のミュージシャンという感じですね、はい。
生み出しつつ、新しいものをやっぱり生み出さないと、いけないですね、はい。


 山内は志村に対する想いを「彼がない人生はない、なかったので、感謝しています」と正直に吐露している。誤解を恐れずにあえて書くが、彼の現在のポジションは志村正彦という存在がなければ獲得できなかったものである。「感謝」という表現は、一人の人間としての山内が志村に対してどのような関係の意識を持っているのかを示している。しかし、表現者は言葉で表明するだけでなく、作品の創造を通じて「感謝」を表現していかなければならない。表現を仕事とする者の孤独で時に過酷な現実がある。

 前回まで四回にわたって、「闘い」というキーワードで志村正彦の軌跡を振り返ってきた。2010年以降のフジファブリックには、志村が自らとフジファブリックというバンドに求めたような「闘い」の軌跡はあまり見られない。山内、金澤、加藤の三氏はこの十年間、「闘った」というよりも「守った」のだろう。バンドの継続そしてバンドマンとしての生活を守ってきた。日々の生活を守ることは生きることの根本である。『FAB BOX III』も『FAB LIST 1』も守ったことの成果かもしれない。守ることも闘うことではある。そう考えることは可能だ。しかし、守るだけでは新しいものを創り出すことはできない。
 コメント最後の「生み出しつつ、新しいものをやっぱり生み出さないと、いけないですね」には、志村正彦のフジファブリックとは異なる「新しいもの」をまだ創造していないという自己認識が現れているのではないか。新しいものを生み出すためには「闘い」が必要である。番組最後で山内自身も「闘っていかないといけない」と述べていた。
 フジファブリックがフジファブリックであるためには、創造のための闘いが必要である。守ることと闘うことの間に、現在のフジファブリックのアポリアがある。


 今年の夏は志村正彦そしてフジファブリックに対して様々な言葉が語られてきた。BSフジ「LIFE of FUJIFABRIC」冒頭の岸田繁【くるり】の発言を引用してこの回を閉じたい。


表現者としてあるいは詩人としてすごいポテンシャルが高くてエネルギーの強いシンガーソングライターがいたバンドで


 「表現者としてあるいは詩人として」という捉え方、「すごいポテンシャルが高くてエネルギーの強い」という評価の基軸には、同時代の優れた音楽家である岸田繁の明確な意志がうかがえる。そして「シンガーソングライターがいたバンド」という過去形の表現から、岸田の喪失感が伝わってくる。
 2019年夏の時点で志村正彦・フジファブリックはどう評価されているのか。その貴重な証言として記憶される言葉だろう。

2019年9月15日日曜日

「闘い」の記録 [志村正彦LN233]

 「闘いの場」「音楽との闘い」「仕事としてのフジファブリック」と三回続けて、《闘い》をキーワードにして、志村正彦の軌跡について書いてきた。

 志村の人生の軌跡は、「志村日記」(『東京、音楽、ロックンロール 完全版』)に記された彼自身の言葉によってたどることができる。また、『FAB BOOK―フジファブリック』や様々な雑誌にインタビュー記事が載せられ、ドキュメンタリー映像もDVD「FAB MOVIES DOCUMENT映像集」(『FAB BOX』)、そして今回のDVD「ディレクターズカット版 “CHRONICLE” スウェーデンレコーディング」(『FAB BOX III』)に記録されている。二十九歳で人生が閉じられた音楽家の「表現」と「仕事」の軌跡を、僕たちは幸いなことに(そう言うべきなのだろう)知ることができる。

 でもあらためて考えてみると、このようなことが可能になったのは取材者の情熱や努力によることも大きい。彼に関する記事を書籍、雑誌、ネットの記事で読むと、他の音楽家と比べても取材者や編集者に恵まれていたと言えるだろう。それは志村正彦という希有な表現者が彼らを魅了していたからにちがいない。
10月刊行予定の『別冊 音楽と人×フジファブリック 音楽と人増刊』にも、志村の良き理解者であった樋口靖幸氏による記事が再録されるのだろう。

 『FAB BOX III』、『Official Bootleg Live & Documentary Movies of "CHRONICLE TOUR"』の「ディレクターズカット版 “CHRONICLE” スウェーデンレコーディング」については、「Official Bootleg Live & Documentary Movies of "CHRONICLE TOUR"」氏(中也さん)の功績が大きい。彼が撮影した映像がなければこのDVDは不可能だった。

 ネットを検索して、「須藤中也ブログ 日々のあぶく」があることを知った。2004年から2016年までの記事を読むことができる。その中に「フジファブリックスペシャル」という2010年4月2日の記事がある。長文になるので部分に切り取って引用させていただく。


僕は2005年からずっとフジファブリックのドキュメントやオフショットを撮ってきました
そして撮影したものはMusic on TV!のフジファブリック スペシャルで形にしてきました
だからこのプログラムは僕のクロニクルでもあります
僕はこのバンドと出会わなかったらディレクターとしての人生は大きく変わっていたと思うし
多分曽我部さんやアナログフィッシュとの繋がりもなかった事でしょう
フジとの仕事は仕事であるけど、大事なライフワークでもあります
だから仕事を超えた何かがいつも作品を作ると残っていきました
僕を一回りも二回りも成長させてくれたバンドです

その頃(*2004年)、テレビで桜の季節のPVのスポットが流れてて
そのメロディーと歌詞の雰囲気にすぐさま心奪われ
いいPVだなと思い、こういう感じのバンドのPV作れたらいいだろうなーと傍で思いながら
久々にいいバンドが出て来たなと部屋の掃除をしながら思っていた記憶があります
だから完全に僕は1ファンでしかなかったのですが
まさかあの時はこんなに人生に深く関わるバンドになるとは思いもしませんでした

僕が初めてフジを撮ったのは2005年のロックインジャパン
初対面で緊張したし、自分の思うように撮れなくて
なんとなく撮影終わってへこんだりしました
そもそも僕も人見知りだし、メンバーも人見知りだったなと
今思えば、それはそれでその時にしか撮れないものが撮れていたと思えます
「フジファブリック SPECIAL 2005」は僕の初めてのフジ作品になります
僕のメイキング奮闘記でもあります
最後の茜色の夕陽がだんだん白黒になっていくのが印象的です
あとテレビ画面を8mmで撮ったオープニングも今見ると良い味だしてます

「フジファブリック ライブスペシャル 2006 完全版」は
今思えばクリスマスの日のスペシャルライブで
僕はバックステージで撮っていたけど
この時志村君が帽子のセレクトに悩んでて
たまたま僕の帽子を被ったら
それでステージに出てくれて
なんかすごい嬉しかった記憶があります

フジファブリック SPECIAL 「CHRONICLE」までのクロニクル
これは去年作った番組です。スウェーデンでのレコーディング風景とアルバム完成後のインタビューです
僕の位置づけとしてはアルバム「クロニクル」のDVDと対になった番組です
だから両方見てもらえるとクロニクルというアルバムが深くわかるのではと思いますし
二つ流れで見てもらうのが監督の気持ちとしては本望だったりします
インタビューの画の質感が気に入ってます
あとフジの歴史をビジュアル化させたオープニングが印象に残ってます


 この記事は、MUSIC ON! TVの「フジファブリック志村正彦 追悼特別編成企画」の「フジファブリックスペシャル2004~2009」2010年4月3日(土)18:00-23:00を紹介するためのものだが、「フジとの仕事は仕事であるけど、大事なライフワークでもあります」という言葉は2019年に『FAB BOX III』として具現化した。

   フジファブリック SPECIAL 「CHRONICLE」までのクロニクルの内容から、この番組が「ディレクターズカット版 “CHRONICLE” スウェーデンレコーディング」の原型ではないかと推測される。「クロニクル」の付属DVDと併せると「クロニクルというアルバムが深くわかる」というのが中也さんは述べているが、今回リリースされた『FAB BOX III』によって、アルバム『クロニクル』をそしてスウェーデンでの日々をさらに深く理解することができる。
 中也さんが志村の「闘い」を記録することによって、志村の闘いの軌跡をたどり、その意味を考えることが可能となった。

 音楽は完成された作品を聴くことだけで完結する。しかし、完成までの過程を知ることができるのも僕たちファンにとっては幸せなことである。特に映像の場合、たくさんの情報から様々なことを読みとることができる。作品と対話する経験を深める。

2019年9月8日日曜日

仕事としてのフジファブリック [志村正彦LN232]

 志村正彦は、ディレクターズカット版 “CHRONICLE” スウェーデンレコーディング(『FAB BOX III』「Official Bootleg Live & Documentary Movies of "CHRONICLE TOUR"」DISC1)の冒頭、チャプター1「2009/2/9 Stockholm」で次のように語っている。2/9という日は、スウェーデンでの仕事がほぼ終わった頃である。


『Teenager』が去年の1月に出て、今2月になってスウェーデンでレコーディングをしてますけど、まあ一年ちょっと経ってますけど、その間にですね、まず感じたのは、自分のスキルというか曲作りの精度、言いたいことの方向性っていうものをもうちょっと明確にしていかないと先に進まないなあというのが根本的にあって。

フジファブリックは、正直言うと僕はメンバーにすごい助けられている部分がとてもあってですね、いつもダイちゃん、カトーさん、総くん、サポートドラマーの方にいつも、なんて言うんでかねえ、支えられてほんとうにやってきたんですけど。

それも素晴らしいんですけど、一人で根本的にスタートする、ものは、きっかけは、僕が作らないとそろそろいけないなと思ってですね、そういう自覚というか、それはフロントマンとしてあたりまえのことなんですけど、プロミュージシャンとして曲を一人でまずしっかり作れるような、一人でメロディをしっかり作れるような人間にプロミュージシャンになろうかなっていうのがとりあえず一番大きかったので。デモテープ作りとかすごい籠もってやっていましたよ、部屋で。


 自分のスキル、曲作りの精度、言いたいことの方向性を明確にすること。『CHRONICLE』はその実践でもあった。そして「一人で根本的にスタートする」ことへの決意が語られている。志村のフロントマンとしての自覚、プロミュージシャンとしての自立。プロフェッショナルとしての覚悟や意気込みが強くうかがえる発言である。

 志村にとってフジファブリックは、彼の言葉と楽曲を「表現」として具現化する媒体であると同時に、「仕事」としてのプロジェクト名であった。「仕事としてのフジファブリック」のリーダーとしてプロジェクトを率いてきた。頭角を現してきたロックバンドのフロントマンとしてレコード会社や所属事務所の期待にも応える。アルバムでその成果を出す。2009年はそのプロジェクトが大きく開花する時期でもあった。
 彼自身はもとよりメンバーやスタッフの生活の糧を得ることは仕事としての必然である。表に出すことはないにしても、志村家の長男として将来は家を支えていくという意識もおそらくあっただろう。(僕もそうだが、山梨のような田舎で生まれた長男にはそのような意識がまだ残っている)
 志村は職業として音楽家を選択した。そのための努力を惜しむことはなかった。計画作りも綿密に行っていた。彼の発言の記録からその姿がうかがえる。

 彼はDVDチャプター13でこう述べている。


闘っていましたねえ。ホテルのロビーでみんながご飯食べに行っているなか、一人でこうピアノを鍵盤を弾きながら曲を作って、ギター弾いてベース弾いてマイク持ってきてマイクで歌ってレコーダーたてて、曲作って『Stockholm』ていう曲ができて。一刻もこう予断を許さないというか、そんな毎日でしたね、はい。


 志村正彦はフジファブリックという仕事と闘っていた。音楽の創造という純粋な闘いであると同時に、仕事という現実的な闘いでもあった。ルーティーンとしての日々の厳しい仕事に耐えること。スウェーデンレコーディングの記録映像はその闘いの軌跡も描いている。

2019年9月1日日曜日

音楽との闘い [志村正彦LN231]

 志村正彦にとってスウェーデンは闘いの場であった。これまでもこれからも「ずっと闘っている」という意志と予感が確かな確信として彼にはあった。前回そのように書いた。
 ここで以前紹介した 『bounce』 310号(2009/5/25)のインタビュー(文:宮本英夫)をもう一度引用したい。宮本氏の問いかけに対して志村はこう述べている。


最後にひとつ、確かめたいことがあった。前作のインタヴューの際に彼は、これまでの作品のすべてに〈vs.精神〉があると言い、ファースト・フル・アルバムは〈自分vs.東京〉、2作目は〈自分vs.日本のロック・シーン〉、そして3作目は〈いまの自分vs.ティーンエイジャーの自分〉と語ってくれた。では、このアルバムはどうなんだろう?

「今回は〈音楽家の自分vs.自分〉という感じです。自分はちゃんと立派なミュージシャンになれたのか?ということとの闘いです。その答えはまだ出ていないですね。これから出たらいいなと思います」。


 ここにも、「自分はちゃんと立派なミュージシャンになれたのか?ということとの闘い」という発言がある。〈自分〉が〈音楽家の自分〉になるための闘いを志村自身が証言している。
 この宮本英夫氏による記事とも関連するもう一つの記事がある。同じく『CHRONICLE』発表時に『musicshelf』というwebで次のように語っている(文:久保田泰平氏)


ファースト・アルバムは東京vs.自分、セカンド・アルバムは当時の音楽シーンvs.フジファブリックっていうテーマがあって。で、前作の『TEENAGER』は東京vs.東京が好きになった自分、なんでもない日常だけど前向きに生きていればいいことあるさっていうテーマがあったんですけど、そこで思い描いていた自分のイメージにその後の自分が届いてないように思えたんですね。だから、今回は音楽vs.自分みたいな、そのぐらいまで根詰めてやってましたね。


 『bounce』 の記事(宮本英夫)と『musicshelf』の記事(久保田泰平氏)のアルバムごとの説明を併記してまとめてみよう。

 1st  2004年11月10日 『フジファブリック』
     〈自分vs.東京〉 〈東京vs.自分〉

 2nd 2005年11月 9日  『FAB FOX』
        〈自分vs.日本のロック・シーン〉 〈当時の音楽シーンvs.フジファブリック〉

 3rd 2008年1月23日   『TEENAGER』
    〈いまの自分vs.ティーンエイジャーの自分〉 〈東京vs.東京が好きになった自分〉 

 4th 2009年5月20日   『CHRONICLE』
          〈音楽家の自分vs.自分〉 〈音楽vs.自分〉

 説明の違いがあるのは 3rdアルバム『TEENAGER』である。しかしこれも、志村正彦の「いま」は「東京が好きになった自分」にあり、「ティーンエイジャー」の時代は富士吉田にいて「東京」との距離があったことを考えると、説明に矛盾はない。他のアルバムはほぼ同じである。

 二つのインタビューとも最初読んだ時には「vs.」は、対比や対立を表すための記号と捉えていた。しかし、『FAB BOX III』収録インタビューの「ずっと闘っている」という志村の肉声を聞くと、「vs.」は単なる対比・対立の記号ではなく、「闘い」そのものの記号であることにようやく気づいた。

 ディレクターズカット版 “CHRONICLE” スウェーデンレコーディング(『FAB BOX III』「Official Bootleg Live & Documentary Movies of "CHRONICLE TOUR"」DVD2枚中のDISC1)の「チャプター17」をあらためて再生してみた。志村の「ずっと闘っている」という発言のシーンである。
 このシーンには『ルーティーン』の最後の一節が流されている。


日が沈み 朝が来て
昨日もね 明日も 明後日も 明々後日も ずっとね


 志村の「日が沈み」の歌声が聞こえると、それに重なるようにインタビューの声が始まる。前回引用した部分でもある。


僕はたぶん音楽という仕事を続けていくかぎり、ずっと闘っていかなければいけないと思うんですよね。
だから気が休む時なんてほとんどないと思うんですけど、まあそういう日が来たらうれしいと思うんですけど、ないと思うぐらいほんとうに今もたぶん将来も音楽に夢中でしょうし、ずっと闘っている、と思いますよね。すごいミラクルが起きた場所だったと思います。


 発言中の「ずっと闘っている」という言葉の直後に『ルーティーン』の「ずっとね」という言葉が流れる。まるでインタビューの声と『ルーティーン』の声とが対話をしているかのように聞こえてくる。志村の二つの声によるデュエットのようなコーラスのような不思議な余韻があった。
 このシーンを編集した須藤中也氏や今村圭介氏の想いが込められた演出なのだろうが、このシーンに僕は心を揺さぶられた。ある種の啓示を得たような気もした。
 「折れちゃいそうな心だけど/君からもらった心がある」の「君」は「音楽」のことかもしれない。解釈はいろいろとあってよい。聴き手の自由である。『FAB BOX III』のこのシーンから、「音楽からもらった心」という意味合いが新たに伝わってきた。「今もたぶん将来も音楽に夢中でしょうし、ずっと闘っている、と思いますよね」という発言にも新たな意味が加えられた。

 志村の「音楽からもらった心」は、音楽を深く愛した。そして音楽から深く愛された。彼は音楽家を志した。しかし、音楽家となるのは闘いであり、闘い続けることであった。昨日も今日も、そして明日も明後日も明々後日も、ずっと闘っている。そのような闘いであった。
 
 音楽は愛である。音楽を創造することは音楽を愛することであるが、音楽と闘うことでもあった。