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2019年8月25日日曜日

闘いの場 [志村正彦LN230]

 「ディレクターズカット版 “CHRONICLE” スウェーデンレコーディング」(『FAB BOX III』「Official Bootleg Live & Documentary Movies of "CHRONICLE TOUR"」DVD2枚中のDISC1)には、ストックホルムでの記録映像が1時間17分ほど収録されている。特に、新たに公開された志村正彦やメンバーのインタビューが貴重である。撮影を担当したのは須藤中也氏(中也さん)。彼が撮った映像がなければ『FAB BOX III』は今の形では成立しなかっただろう。

 フジファブリックは『Sugar!!』『同じ月』の日本での録音を終えて、スウェーデンへと旅立つ。成田空港でパスポートを忘れた中也さんがなんとか出発に間に合うシーンも収められている。一行はSAS(スカンジナビア航空)に乗り、コペンハーゲンでトランジットしてストックホルム空港へ到着。空港ロビーで楽しそうに話したり、楽器や機材が壊れていないか確認したりと、海外ならではのシーンが続く。
 
 冬のストックホルムは雪や氷で覆われている。宿泊したホテルの近くにはスルッセンがあり、そこから眺めるガムラ・スタン(旧市街)のシーン。僕と妻も2年前の夏にこのあたりに泊まり、夜と昼に数時間かけて街を歩いた。ヨーロッパの旧市街は歩いてみることによって、その歴史や現在を身近に感じることができる。DVDには記憶の中の風景と重なる映像もあった。

 1月19日から2月12日まで三週間を超えるレコーディングがMonogramスタジオで始まる。志村正彦はこのスウェーデンレコーディングについてある決意を述べている。


スウェーデン、そうですね、僕は闘いに行きましたからねえ。
だから闘いの国でしたよ、やっぱり。


 その「闘い」の記録が様々なシーンによって構成されている。スタジオとホテルの往復生活。志村はホテルに帰ってからも一人で部屋にこもって制作を続ける。思い描いたように録音できた時の充実した表情。メンバーとのやりとりの中での笑顔。次第に疲労が蓄積されていく様子。「自分」と闘う志村の姿が映像に刻み込まれている。

 2月8日、『ルーティーン』を録音してレコーディング完了(翌々日が本当の最終日だったが)。2月9日、メンバー四人で船に乗ってユールゴーデン地区の動物園に遊びに行く。スケートをする子どもたち、戯れるメンバー。この日は天気も晴れていて、のどかなおだやかな雰囲気に心が安らぐ。過酷なスタジオ録音の終了後にこうした時間を持てたことは喜びだったろう。


 以前、『FAB BOX III 上映會』の記事で、上映のラストに映像に被さる形で志村正彦の「闘っている」という言葉が最も印象に残ったと書いた。その際に、『FAB BOX III』で正確な発言を確認したいと記した。このDVDにそのシーンがあったので文字に起こして引用したい。


僕はたぶん音楽という仕事を続けていくかぎり、ずっと闘っていかなければいけないと思うんですよね。
だから気が休む時なんてほとんどないと思うんですけど、まあそういう日が来たらうれしいと思うんですけど、ないと思うぐらいほんとうに今もたぶん将来も音楽に夢中でしょうし、ずっと闘っている、と思いますよね。
すごいミラクルが起きた場所だったと思います。


  「すごいミラクルが起きた場所」というのは文脈上、スウェーデンを指すのだろう。志村正彦はスウェーデンに闘いに行き、その意志の通りにすごいミラクルを起こした。スウェーデンは闘いの場でありミラクルの場であった。そして、これまでもこれからも「ずっと闘っている」という意志と予感が、確かな確信として彼にはあったのだろう。


[付記]数日前、このblogのページビュー数が25万を超えました。記事を読んでいただいている方々、tweetして紹介していただいている方々に感謝を申し上げます。

2019年8月18日日曜日

2019年夏の『若者のすべて』[志村正彦LN229]

 8月9日のミュージックステーション。志村正彦・フジファブリック『若者のすべて』の演奏は大きな反響を呼んだ。番組の録画を見直してみた。
 スタジオ収録用カメラはありのままの姿を映し出してしまうところがある。番組での加藤慎一、金澤ダイスケ、山内総一郎の三人の姿はいつもより年齢を感じさせた。加藤・金澤が39歳、山内が37歳、若者の季節をすでに過ぎた彼らが『若者のすべて』を歌い奏でる。もちろん、あらゆる歌は年に関係なく歌うことができる。しかし、歌のリアリティは歌い手という存在に支えられていることも確かだ。挿入された映像の志村正彦は二十代後半の声と身体のままである。2019年という時の区切りはそんなことも感じさせた。

 時間は前後するが、8月5日の河口湖湖上祭で、「路地裏の僕たち」による「河口湖湖上祭 若者のすべて花火プロジェクト」による花火が打ち上げられた。『FAB BOX III 上映會』と展示会の際に集まった協力金は71万を超えたそうだ。一人500円だったのでざっと計算すると1400人もの人が協力したことになる。僕は現地には行けなかったが、動画サイトでその映像を見ることができた。初めに志村正彦のことを伝えるアナウンスがあった。志村の歌声が会場に流れ、美しい花火の数々が夜空を飾っていた。いったん終わりかけ、少しの沈黙の後、ひときわ大きな花火が打ち上げられた。「最後の最後の花火」を意図した演出だろうか。余韻が残る終わり方だった。三分ほどの時間、その間の火花の一点一点の光の粒が一人一人のファンによって支えられていた。
 「同じ空を見上げているよ」、歌詞の最後の一節のように、志村を想う人々が現地であるいは動画を通じて、河口湖湖上祭の同じ空、同じ花火を見上げていた。

 8月8日、 槇原敬之が初のカバーベストアルバム『The Best of Listen To The Music』に『若者のすべて』を収録するというニュースがあった。槇原は10月にデビュー30年目を迎える。30周年イヤー第1弾作品として、 これまで3作あるカバーアルバム『Listen To The Music』シリーズの中から厳選された13曲にフジファブリック『若者のすべて』とYUKI『聞き間違い』が新たに録音されて全15曲が収録され、10月23日に発売されるそうだ。この収録曲が凄い。


■槇原敬之『The Best of Listen To The Music』収録曲
01. 君に、胸キュン。(YMO)
02. 月の舟(池田聡)
03. traveling(宇多田ヒカル)
04. Your Song(エルトン・ジョン)
05. 言葉にできない(小田和正)
06. ごはんができたよ(矢野顕子)
07. WHAT A WONDERFUL WORLD (ルイ・アームストロング)
08. ヨイトマケの唄(美輪明宏)
09. MAGIC TOUCH(山下達郎)
10. Hello,my friend(松任谷由実)
11. 時代(中島みゆき)
12. Rain(大江千里)
13. Missing(久保田利伸)
14. 若者のすべて(フジファブリック)※新録
15. 聞き間違い(YUKI)※新録
※カッコ内はオリジナル歌唱アーティスト


 『若者のすべて』が、『Your Song』(エルトン・ジョン)、『WHAT A WONDERFUL WORLD』(ルイ・アームストロング)という世界の名曲、『ヨイトマケの唄』(美輪明宏)、『Hello,my friend』(松任谷由実)、『時代』(中島みゆき)という日本の名曲、『君に、胸キュン。』(YMO)、『ごはんができたよ(矢野顕子)』という日本語ロックの秀作と並んでいる。これを知った時の驚き、喜び。月並みな言葉しか浮かばないが、嬉しさがこみ上げてきた。槇原敬之という傑出した歌い手による選曲の中で、『若者のすべて』は歌い継がれるべき名曲として認められた。『若者のすべて』はついにこのような並びの中で記憶されていくのだ。
(いつも書いていることだが、カバーソングの場合はオリジナル歌唱アーティストを記すのが通例だが、作詞作曲者名も記してほしい。15曲中、バンドによる作品は他に『君に、胸キュン。』(YMO)があるが、これは作詞:松本隆、作曲:細野晴臣、坂本龍一、高橋幸宏である。YMOというアーティスト名とともに、作詞作曲者名が重要であることが分かる)

 一昨日、県立図書館2階の郷土資料コーナーで調べ物をしていた。2階から1階を見下ろした時に、5年前の2014年7月、この場所で『ロックの詩人 志村正彦展』を開催した時のことを思い出した。あの時は志村正彦の没後五年、今年は十年である。年月は過ぎ去り、年齢は重ねられていく。
 図書館を後にして車に乗り込むと、『若者のすべて』が流れ始めた。午後3時過ぎ、FM FUJIだった。偶然の遭遇は幸せな気分をもたらす。家への帰路の途中。猛暑の甲府盆地。車の外では夏の光が溢れている。車の中では志村の声が響きわたっている。彼の声が夏の光を縫いあわせるようにして歩き出していった。
 この歌を愛する一人ひとりに、夏の『若者のすべて』がある。FM FUJIの ONAIR SONGSが僕にとって、2019年夏の『若者のすべて』となった。

2019年8月9日金曜日

『若者のすべて』の声と像(ミュージックステーション)[志村正彦LN228]

 今日8月9日、テレビ朝日「ミュージックステーション」にフジファブリックが初出演し、志村正彦作詞・作曲の『若者のすべて』を歌った。

 演奏の前に、『若者のすべて』、志村正彦、フジファブリックを紹介する時間があった。テロップとナレーションで構成されていたが、テロップだけを以下に記す。


フジファブリックが夏の名曲ライブ!
「若者のすべて」(07) 作詞・作曲:志村正彦

多くのアーテイストに愛される名曲
櫻井和寿 藤井フミヤ 槇原敬之 錚々たるアーティストがカバー

2009年12月24日
ボーカル&ギター志村正彦、急逝。

残された三人でバンドを存続
亡くなった志村正彦に代わりギターの山内総一郎がボーカルも担当
ロック界に確固たる地位を確立

デビュー15周年 志村正彦没後10年 Mステ初登場!
志村正彦の歌声とともにパフォーマンス!


 あくまで現在のフジファブリックからの視点ではあるが、簡潔に振り返っていた。伝えるべきことは伝えていた。この後、タモリと山内によるトークなどがあった。
 CM後に演奏が始まった。山内総一郎(Vo/G)、加藤慎一(B)、金澤ダイスケ(Key)、ゲストドラマー(ニコという方らしい)の四人編成。「志村正彦の歌声とともにパフォーマンス!」と予告されたからどのような演出になるのか、期待と不安が入り混じった気分で『若者のすべて』を聴くことになった。

 三人のメンバーともに緊張した表情。山内の声が幾分かこわばっている。Mステという番組でこの作品を歌う意味合いが迫ってくる。
 第1ブロックとその間奏の後で、「作詞作曲した志村正彦の過去映像と共演」というテロップが出て、おそらく『FAB BOX Ⅲ』収録の映像が流れる。志村が楽しそうに笑っているシーンだった。
 その後、いきなり、「すりむいたまま 僕はそっと歩き出して」という志村の声が始まる。映像が鮮明にになり、両国国技館ライブ時だと思われる志村の歌う姿が画面全体に現れた。この瞬間、心がかなり動かされた。どういう展開になっていくのだろうと想像するのもつかの間で、「歩き出して」のところでスタジオで歌う山内の映像と声がミックスされた。スタジオのスクリーンに志村の映像が投影されていることが分かった。
 「志村正彦の歌声とともにパフォーマンス!」と告げられたので、最先端の技術を作って加工された映像にでもなるのかなとも思っていたが、シンプルな手法による編集だった。奇を衒っていないという点ではこの手法は妥当であろう。

 しかし、違和感が残った。第1ブロックからいきなり最終パート近くの歌詞へと跳んでいったからである。ゴールデンタイムの放送という制約だろうか、5分ほどの曲を3分弱に縮められていた。
 歌詞を確認してみた。記録と記憶のために、歌われた部分を太字で歌われなかった部分をアンダーラインを引いて普通の字で示す。


  真夏のピークが去った 天気予報士がテレビで言ってた
  それでもいまだに街は 落ち着かないような 気がしている

  夕方5時のチャイムが 今日はなんだか胸に響いて
  「運命」なんて便利なものでぼんやりさせて

  最後の花火に今年もなったな
  何年経っても思い出してしまうな

  ないかな ないよな きっとね いないよな
  会ったら言えるかな まぶた閉じて浮かべているよ

  世界の約束を知って それなりになって また戻って

  街灯の明かりがまた 一つ点いて 帰りを急ぐよ
  途切れた夢の続きをとり戻したくなって

  最後の花火に今年もなったな
  何年経っても思い出してしまうな

  ないかな ないよな きっとね いないよな
  会ったら言えるかな まぶた閉じて浮かべているよ

  すりむいたまま 僕はそっと歩き出して

  最後の花火に今年もなったな
  何年経っても思い出してしまうな

  ないかな ないよな なんてね 思ってた
  まいったな まいったな 話すことに迷うな

  最後の最後の花火が終わったら
  僕らは変わるかな 同じ空を見上げているよ


 要するに第2ブロックのすべてと第3ブロックの重要な部分が欠落していた。Mステという番組がいつもこのように尺を短くするのかどうかは知らないが、民放の音楽番組ではよくあることなのだろう。仕方がないことかもしれない、しかしそう言ってしまえば、この歌が損なわれる。だから仕方がないとは言いたくない。非常に残念であったと記しておく。

 『若者のすべて』は歌の主体の「語り」によって成立している作品である。その語りの枠組や構造はこのブログで何度も書いてきた。聴き手は、志村正彦の語りの声と言葉を一つ一つたどることによって、心の中のスクリーンに自由に物語を描いていく。「夏の名曲」として愛されているゆえんである。
 特に「ないかな ないよな なんてね 思ってた/まいったな まいったな 話すことに迷うな」という転換がなければ、「最後の最後の花火」と「僕らは変わるかな」が登場する必然性が失われる。語りの本質が損なわれる。

 このような疑問が残ったのだが、ミュージックステーションという長い伝統のある番組で取り上げられたのは、ファンの一人として率直にうれしかった。そして演奏終了時の山内、加藤、金澤の眼差しには志村正彦への想いが込められていた。三人にとっても特別な場所と時間だったのだろう。

 2019年の夏、志村正彦は、出演を希望していたというミュージックステーションで、「すりむいたまま 僕はそっと歩き出して」と歌った。そのように記憶したい。声と像は、歌い続けることができる。

2019年8月4日日曜日

〈音楽家の自分vs.自分〉-『同じ月』5 [志村正彦LN227]

 今日、『FAB BOX III』の「Official Bootleg Live & Documentary Movies of "CHRONICLE TOUR"」のDVD2枚、計3時間40分に及ぶ映像を初めて通しで見た。

 DISC1(約1時間17分)は、ディレクターズカット版 “CHRONICLE” スウェーデンレコーディング。『CHRONICLE』付属DVDなどに収録されなかった映像が収められている。新たに公開された志村正彦のインタビューが貴重である。また、『同じ月』の日本のスタジオでの録音の様子も記録されていた。プロデューサーの亀田誠治と志村が話し合う場面や最終テイクの完了場面もあった。『Sugar!!』と同様に、『同じ月』もほぼ日本で完成されたと考えてよいだろう。

 DISC2(約2時間23分)の「ライブ映像」中の7曲目が『同じ月』だった。7月6日の『FAB BOX III 上映會』で見た映像と同一のものだろうが、印象は異なっていた。繰り返し見たせいだろうか、志村正彦の痩せた姿や伏し目がちに歌う表情が気になる。言葉のニュアンスを伝える力が弱く、サビで声を振り上げるところが痛々しい。MCや舞台裏で笑うシーンを見るとなんだかホッとするのだが。
 このツアーをなんとか成功させようとする意志は充分にうかがえる。逆に言うとその意志だけでステージに立っていたのだろうか。

 『同じ月』の歌詞に戻ろう。今回は最後の第3ブロックを読んでいきたい。


  君の言葉が今も僕の胸をしめつけるのです
  振り返っても仕方がないと 分かってはいるけれど

  にっちもさっちも どうにもこうにも変われずにいるよ Uh〜


  君の涙が今も僕の胸をしめつけるのです
  壊れそうに滲んで見える月を眺めているのです

  にっちもさっちも どうにもこうにも変われずにいるよ Uh〜


  僕は結局ちっとも何にも変われずにいるよ Uh〜


 「にっちもさっちも」という表現がユーモラスで、音の響きも面白い。この言葉は算盤用語に由来し、漢字では「二進も三進も」と書くそうだ。「二進」「三進」ともに2と3で割り切れることを意味し、反対に2や3でも割り切れないことを「二進も三進も行かない」と言うようになった。「にっちもさっちも」は、割り切れないこと、うまくいかないこと、どうにもできないことを表す。
 歌詞の文脈では、「君の言葉」「君の涙」を振り返っても仕方がない、分かってはいるけれど、割り切れない想いが残る、ということになるだろうか。行き詰ってどうにもできない。結局、「僕」は「何にも変われずにいる」。
 "CHRONICLE TOUR"のDVDを見て気づいたのだが、最後の「Uh〜」の節回しは独特で「志村節」と名付けていいかもしれない。反復される「Uh〜」に志村の想いが込められている。

 この歌を通して聴くと、冒頭の「この星空の下で僕は 君と同じ月を眺めているのだろうか」に対する応答は、「僕」は「壊れそうに滲んで見える月を眺めている」である。「僕」は「君と同じ月」ではなく、おそらく一人で「壊れそうに滲んで見える月」を眺めているのだ。あるいはかつて二人で見た「同じ月」は今「壊れそうに滲んで見える月」に変わってしまったということかもしれない。いつものようにと言うべきだろうか、「僕」の「月」に対する眼差しは孤独である。

 志村は『同じ月』を「自分用に作りました。人にあげる曲も最高だったけれども、今回は僕が歌うためだけに生まれてくれた曲」だと述べた。詩は自己に対する慰藉でもある。「僕は結局ちっとも何にも変われずにいるよ Uh〜」と歌うのは、自分を慰め、自分をいたわる行為でもある。それでも『同じ月』からは、どこか作者の志村が「変われずにいる」「僕」に対してある種の距離を取って歌っているようにも聞こえてくる。それは、作者、音楽家、表現者としての志村と、現実に生きる志村との距離の設定であり、分離でもある。

 志村正彦はあるインタビュー(『bounce』 310号2009/5/25、文・宮本英夫)で『CHRONICLE』について、「今回は〈音楽家の自分vs.自分〉という感じです。自分はちゃんと立派なミュージシャンになれたのか?ということとの闘いです。その答えはまだ出ていないですね。これから出たらいいなと思います」と語っていた。ここで「闘い」という言葉が使われたことに留意したい。『同じ月』も、月火水木金そして週末の「闘い」の軌跡でもあり、それゆえの慰藉を求める日々でもある。

 また彼は「今回はまったく意識せずに思ったことを完全ノンフィクションで歌ったというそれだけです」とも言っているが、それを額面通りに受け取ってはならないだろう。確かに内容は「完全ノンフィクション」なのかもしれない。しかし、音楽家としての志村正彦は、「完全ノンフィクション」を音楽として完成させている類い希な表現者でもあることを忘れてはならない。