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2019年7月10日水曜日

上映會のあるシーン[志村正彦LN225]

 今日7月10日は志村正彦の誕生日。そして『FAB BOX III』の発売日。予想より大きな箱が我が家にも昨日届けられた。まだ開封していない。なんだかもったいない気がする。週末までそのままにして落ち着いた気分の時に聴くことにしよう。

 上映會について書き切れなかったこと、とても大切なことを記したい。

 新装版『志村正彦全詩集』は会場入口のすぐ横で先行販売されていた。大きな看板があって目を引いた。
 初版は箱入りで重厚感があったが、新装版は全体として軽やかな印象だ。装丁家は初版と同様に名久井直子さん。スカイブルー系の薄い青色にかすかに緑系の色が入りこんでいる色合い。手触りがよくてめくりやすい紙質。あまり重くないので手に携えるのにも適している。新装版は手元に置いていつでも開いて読める。そんな親しみやすさがある。(まるで近代詩人の詩集のようだった質感を持った初版は本自体の価値が高い。愛蔵版や保存版としてこれからも愛されるだろう)


 購入してすぐに本を開けると、扉の志村正彦の写真が変更されていた。それを見て僕は心が動かされた。まだ一般発売されていないのでその写真について記すことは控えたいが、詩人としての志村を表象する素晴らしい写真である。この日の記念品として志村の描いたヤクザネコのステッカーが付いていた。しおりのようにして挟み込んだ。
  ホールで僕等の近くに座っていた二十代前半の男子二人もこの詩集を熱心に読んでいた。頁をめくり詩を追いかける眼差し。購入できた喜び。微笑ましく頼もしい。初版は法外な値段で取引されていて入手困難だった。だがこの新装版の発売によって、志村正彦の詩が新しい読者を獲得していくことだろう。最近聞き始めた若者たちが志村の詩の全貌に触れることができるのはとても喜ばしい。



 上映會について付言すれば、設置された装置の限界なのか、スクリーンに投影された映像、特に音質や音量にやや問題があったことは否めない。耳への刺激が少し強かったが次第に慣れてきた。個人が室内でDVD鑑賞する場合には映像も音声も調整可能ではあろうが。
 『FAB BOX III』のDVDは「Official Bootleg Live & Documentary Movies」と記されていたが、上映會の映像を見る限り、「Live」作品というよりも「Documentary」作品の色合いが強い。観客席の後ろから撮影された映像には客の後ろ姿や腕や指の動きが映り込んでいる。ノイズのように思われるかもしれないが、まるでその場にいるような臨場感を感じることもできる。やはり「Documentary」なのだ。2009年のファンの熱い想いが伝わってきた。
 

 上映中は冷静に観賞することにつとめたが、悲しみがこみ上げてきたシーンがあった。志村が富士急ハイランドで来年コンサートを行うと告知したシーンである。そのことを誇らしく思い、そして自らを鼓舞するかのようなポーズもあった。
 2010年7月の富士急ハイランドでどのようなコンサートが開かれたかを僕たちは知っている。そのことを知っている僕たちが、今、スクリーンの中で、故郷での大規模コンサートを告げる2009年の志村を目撃している。時間は確かに流れた。映像は時間をさかのぼろうとした。真逆の時間の流れの中で時が交錯し、スクリーンの志村が幻のように見えてきた。

 2010年は志村正彦・フジファブリックにとって飛躍となる年だった。富士急ハイランドはかつて奥田民生の音楽と出会った場所、志村の音楽家としての原点である場所だった。上映會会場の富士吉田市民会館とともに富士急ハイランドが彼にとってどれだけ意味のある場だったか。音楽家としての彼の軌跡の一つの到着点となり、そして新たな出発点となる地だった。

 残酷な現実が残された。
 そのように書いてはいけないのかもしれないが、上映會のあのシーンを見てその言葉が浮かんできた。上映會の最後までその想いを引きずっていた。でも、最後の最後の「闘っている」という志村の言葉を聴いて、引きずる想いから少しずつ離れていくことができた。
 残酷な現実が残されたなどと書くのはある種の感傷なのだろう。彼は残酷な現実とも闘っていたのだ。そして時間とも闘っていた。

 志村正彦は闘っていた。

 


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