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2019年4月30日火曜日

不穏なものとその分離-『ともしび』(アンドレア・パラオロ監督)

 昨日、シアターセントラルBe館で、シャーロット・ランプリング主演の『ともしび』(Hannah、アンドレア・パラオロ監督、2017)を見た。
 甲府での上映は5月2日(木)まで。1日(水)は映画サービスデー。他の地域でも上映中やこれから上映の館があるようだ。(東京では6月上旬に下高井戸シネマで予定されている)
 この映画は何の予備知識もないまま席に座ることが絶対の条件のような気がする。(これから鑑賞予定の方は以下のテキストも飛ばしてほしい)何も知らないまま、何も分からないまま、この世界に入り込むことによって、何かを経験する映画である。




 いきなりの異様な声が館内に響きわたる。分節された音のようにも単なる奇声にも聞こえる。誰の声か、どのような状況なのかも分からない。不穏なものが立ち上がる。おそらく視聴する時間ずっとこの不穏なものを追いかけていくのだなという予感に折り合いを付ける。覚悟のようなものと共に。

 画面が切りかわると、ダンスか演劇か体操か分からないが身体的なレッスンの場面だということ分かる。
 焦点人物は、シャーロット・ランプリング(アンナ)。73歳の彼女の全身が70年を超える生の時間を表象している。続いて、アンナの家の室内。夫と思われる同年齢の男性。その夫の年齢を感じさせる色合いの肌、衰えてはいるがそれなりの滑らかさもあるかのような背中をマッサージするアンナ。老齢期の夫の肌。やわらかく揉む妻の指。肌と指の接触。これがイメージ上のモチーフになるのかなという予感がしたのだが、その予感が裏切られることはなく、その後の展開の中でシャーロット・ランプリングの老齢期の肌を繰り返し描いていく。観客は自らの眼差しでアンナの肌を揉みほぐしていく。『愛の嵐』(Il Portiere di notte, 英題: The Night Porter,リリアーナ・カヴァーニ 1974年)の裸体を想起させるショットもある。美しさからは遠く離れていくのだが、それでも肌の「肌理」は不思議な存在感を持つ。
 
 物語は、夫が収監されるところから始まる。おそらく小児に対する性愛・虐待の罪だと推測されるのだが確かなことは結局明かされない。このことを契機に、アンナ夫妻と息子家族との断絶が起こり、アンナの人生は行き詰まる。観客の眼差しは、至近距離から、それこそアンナの肌を感じるような距離から、彼女を見つめていく。不穏なものが加速していく。

 映画全体に不明なところが多い。いくつかの小さな出来事が起きるのだが、それが回収されることはない。「謎」を解くことが目的とされていない。「話」を語ることも目的とされていない。むしろ物語はこの映画の欄外、枠外にあるという気もする。この映画は物語に依存していない。「話」らしい話のない映画、「話」を本質的には必要としてない映画というものがあるとしたらこの作品が第一に挙げられるだろう。

 それではこの映画の枠内、その中心にあるのは何だろうか。
 シャーロット・ランプリングという「存在」そのものとしか言いようがない。監督はもともと彼女を宛て書きにして構想を練った。虚構作品である以上「アンナ」を描いているというのが穏当だろうが、シャーロット・ランプリングを主題とする「虚構のドキュメンタリー映画」を見ているような境地に陥る。「アンナ」を演じる「シャーロット・ランプリング」を演じる「シャーロット・ランプリング」というように、メタ的な視線が仮想される。映画そのものがジャンルを破る不穏さに溢れている。

 最後の地下鉄駅の場面まで、不穏ものはそのまま持続する。不穏なものを追いかける種類の映画であっても、どこか途中でそれがやわらいだりすることが少なくないが、この作品は最後まで不穏なものがほどけることはない。カメラの眼差しはほぼ「アンナ」と一体化する。眼差しは不穏なものをまとう。いや、眼差しが不穏なものを作り出している。観客はその眼差しから逃れることができない。「アンナ」の歩行と共に観客も歩行しなければならない。歩みのその先には何があるのだろうか。映画はその先を避けることなく描く。それでも解釈も分析も拒んでいるようでさえある。観客個々の自由であろうが。

 僕自身には、不穏なものからほんのわずかな距離かもしれないが離れていった、のかもしれないと感じとれた。
 取りあえず、取りいそぎ、分離すること。通過すること。乗り換えること。
 不穏なものからの分離。この時代の勇気がそこにあるのかもしれない。

2019年4月28日日曜日

『マイ・ジェネレーション ロンドンをぶっとばせ!』(デビッド・バッティ監督)

  今月の始めに、『マイ・ジェネレーション ロンドンをぶっとばせ!』(デビッド・バッティ監督、原題 MY GENERATION)をいつものシアターセントラルBe館で見た。観客は僕と妻の二人。さすがに貸し切り状態の映画館は初めてだ。地元の映画ファン、音楽ファンよ、この素晴らしい映画館に愛の手を。

 予告編がyoutubeにあるので添付したい。





 イギリス1960年代のカルチャー「スウィンギング・ロンドン」を描いたドキュメンタリー映画。名優マイケル・ケインがプロデュースとプレゼンターを務め、ビートルズ、ローリング・ストーンズ、ザ・フー、モデルのツイッギー、ファッションデザイナーのマリー・クワントなどに6年がかりで50以上のインタビュー取材を行ったそうだ。ピーター・バラカンが日本語字幕監修を担当している。

 60年代のブリティッシュロックの成立期と共に、同時期のファッション、写真、映画、デザインの動向も伝えている。ポール・マッカートニーやジョン・レノンのアーカイブ映像では、「優等生」的ではないビートルズの側面が感じられるのがいい。あのマリアンヌ・フェイスフルがけっこう登場するのも楽しめた。(付言すれば61歳になった彼女の主演映画『やわらかい手』は愉快で厚みのある作品だ)

 60年代という10年間の出来事が90分にまとめられているが、「ひとつの事柄に90秒以上かけない」という編集方針があったそうで、非常に沢山の出来事が凝縮されている。転換に続く転換でそれが一種のリズムとなって、観客に作用していく。時代を解き明かすドキュメンタリーというよりも、時代の出来事を擬似的に経験させることを狙っているようだ。それでも、時代の背景にある問題は繰り返し突きつけている。一言でいうと、イギリスの階級問題のことだ。知識としては知っていても、具体的な出来事として登場人物から語られるとある種の実感として迫ってくる。60年代は、上流や中流の文化の壁を壊して、ワーキングクラス、労働者階級の文化がロンドンを制覇した。

 その点についてマイケル・ケインはこう語っている。

「すべてのベースになっていると思うし、人々はいまだに当時のカルチャーに惹かれていると思う。ビートルズ、ローリング・ストーンズ、スウィンギング・ロンドン、みんなあの時代に生まれたものだ。ワーキングクラスを描いた本や映画なども。わたしたちが、いまの世界のベースを作ったとも言える。今日のコミュニケーション手段である、コンピューターや携帯はなかったけれど、そのかわりに対話があった。さまざまな人々がいろいろなところから集まってきて、そこからアイディアが生まれ、多くのことが起こった。とくにあの時代の大きな遺産の1つは、ポピュラーカルチャーを生み出したことだ。それ以前はカルチャーというものは、上流階級のものだった。でも60年代を境に、それはみんなのものになったんだ」

 「鮮やかな色が街に溢れた」というナレーションがあるように、人々の対話や交流を通じて、「みんなのもの」としてのカルチャーが街に溢れていった。その鮮やかな開花の過程をこの映画はリズミカルに追いかけていく。そしてその文化の花が「ドラッグ」問題を契機に急激に色あせていく経緯にも触れている。映画はここで終焉を迎える。
 だが僕たちは知っている。続く70年代に別の花々が開花していったことを。60年代とは異なる色合いで70年代も鮮やかに咲いていったことを。
 「MY GENERATION」の花は枯れることがなかった。70年代のイギリスの音楽を僕はリアルタイムで経験している。

 残念ながらこの映画の上演館はほんの少しになってしまったようだ。それにしても「ロンドンをぶっとばせ!」という副題は酷い。この副題をぶっとばしたいところだ。この作品には「ぶっとばせ!」などという分かりやすい物語があるわけではない。ブリティッシュビートに乗せて小さな出来事を描いていく「ドキュメンタリー」映画であるが、見終わると60年代という時代の感触が身に刻まれる。DVDや衛星放送などで見る機会があったら勧めたい。



2019年4月21日日曜日

『FAB BOX III』の時と場 [志村正彦LN217]

 新年度の授業が始まって二週間。担当授業や参加会議が増えて、忙しい毎日を送っている。今年は若い先生が六人ほど新任として赴任された。授業のことなどで話し合う機会もあり、学ぶことが多い。色々と刺激も受け、その時間を愉しんでもいる。甲府という地方都市にある小さな人文系大学として、その存続と発展のための議論も続けている。

 山梨の高校生がみんな東京を始めとする県外に出て学ぶことができるわけではない。それを希望したとしても経済的なことやその他の理由で県内に留まることも少なくない。山梨に質の高い高等教育があること。それを一人の教師として一人の山梨県人として切に願っている。僕の場合は願うというよりも、当事者でもあるので非力ではあるが実践していかねばならない。職業人としてはおそらく最後の仕事になるわけだが、「山梨の文化」には徹底的にこだわりたい。
 今ここにいる「時」と「場」、季節と風景、知性と感性、それらを深く掘り下げていくことが世界への通路も開いていく。言葉で描くのは簡単だが教育の実践としてはなかなか困難な課題だ。

 フィールドは全く異なるが、ある意味では志村正彦・フジファブリックの作品もそのような志向性を持っていた。
 確か、2008年の富士吉田市民会館でのコンサートの際に「富士吉田から世界へ フジファブリック」という標語が富士急行線の駅に掲げられていたようだ。幾分か大げさで気恥ずかしくもある表現かもしれないが、この標語はまっすぐにそのまま受けとめればいい。フジファブリックは傑出した日本語ロックバンドだが、世界という場で評価されるべきバンドである。とりあえず僕という聴き手の経験を根拠とするしかないが、70年代の英米の優れたバンドと同一の位相に存在し、ある面ではそれ以上の水準に達している。

 70年代前半、イギリス起源のプログレッシヴロックは、ドイツ、フランス、イタリアに波及していった。その波は日本語ロックにも影響を与えた。70年代の四人囃子、00年代のフジファブリックはその最良の達成である(この二つのバンドの活動開始にはおよそ三十年の隔たりがあるが、2008年に共演していることは必然であった)。
 フジファブリックには言葉の壁を超えて、あるいは言葉の壁をある種の方法にして、世界への扉を開けていく可能性があった。

 このところ、フジファブリックの公式サイトから色々な発表が続いている。
 予告されていた2009年の映像作品は、オフィシャル・ブートレグ映像シリーズDVD BOX<完全生産限定盤(オリジナルグッズ付予定)>『FAB BOX III』とて下記の内容で7月10日、志村正彦の誕生日にリリースされる。

「Official Bootleg Live & Documentary Movies of “CHRONICLE TOUR”」DVD
「Official Bootleg Movies of “デビュー5周年ツアーGoGoGoGoGoooood!!!!!”」DVD
“CHRONICLE TOUR ver. ” 発売記念復刻オリジナル・グッズ付(予定)
“デビュー5周年ツアーGoGoGoGoGoooood!!!!! ver.” 発売記念復刻オリジナル・グッズ付(予定)
“CHRONICLE TOUR” SPECIAL PHOTOBOOK付
“デビュー5周年ツアーGoGoGoGoGoooood!!!!!” SPECIAL PHOTOBOOK付.

  2019年という15周年を記念する特別BOXとして、2010年の『FAB BOX Ⅰ』、2014年の『FAB BOX Ⅱ』に続くシリーズⅢという位置づけである。2枚のDVDと各々のグッズとフォトブックという豪華な構成。その2枚のDVDは「オフィシャル・ブートレグ映像シリーズDVD」と呼ばれている。単品でも販売されるのはありがたい。
 SONYMUSICのフジファブリック「インフォメーション」では次のように経緯が述べられている。やや長文になるが引用したい。


2009年12月24日、ボーカル/ギターの志村正彦が、享年29歳にて急逝。
自らのリアルな感情のすべてを搾り出した渾身の4thアルバム『CHRONICLE』を同年5月にリリース後、アルバムを携えた全国ツアー「CHRONICLE TOUR」、秋からスタートした「デビュー5周年ツアーGoGoGoGoGoooood!!!!!」とひたすら走り続けた2009年、まだまだ勢いを増し続ける真っ只中の急逝でした。
以降、2009年までのフジファブリックの映像として『FAB BOX』『FAB BOXⅡ』をリリースして来ましたが、この最後の2009年の2つのツアーだけはどうしても作品化することが出来ませんでした。
そして2019年の今年、志村正彦の没後10年を迎えます。
志村が身を削るようにして生み出した楽曲の数々、フジファブリックの姿を次の10年に伝えるため、ご遺族、メンバー、スタッフで何度も話し合い、この生前最後の年を映像作品化することにしました。
今作は、これまでのフジファブリックの映像作品とは少し異なり、オフィシャル・ブートレグ映像作品となります。
激動の2009年、この年に限ってツアーにカメラを入れていなかったため、そのほとんどは記録用の固定カメラ1台で収録されたものとなります。
そんなまるでブートレグのような映像ですが、それでも志村正彦を、あの当時のフジファブリックの姿を見ることが出来る唯一の貴重な映像素材のため、ここに"オフィシャル・ブートレグ映像シリーズ"として記録します。


 このインフォメーション欄は時々接してきたが、今回の言葉にはいつもより想いが込められているように読んだ。「志村が身を削るようにして生み出した楽曲の数々、フジファブリックの姿」を伝えるために「ご遺族、メンバー、スタッフで何度も話し合い」というところに、このBOXの成立の全てが語られている。特に志村さんのご家族にとっては長い間にわたり望まれていた作品の実現であろう。そして僕たち志村正彦・フジファブリックのファンもまた待ち望んでいたものである。

 それにしても「オフィシャル・ブートレグ」というシリーズ名には驚かされた。記録用の固定カメラ1台で収録されたために、映像の質は「ブートレグ」風であるが「オフィシャル」公式のDVD作品として発売されるということのようだ。「ブートレグ」という言葉で想いだすのは、学生時代に通った西新宿のレコード店だ。輸入盤コーナーには必ず「ブートレグ」(当時は「海賊版」という呼び方をしていたが)があった。いかにも質の悪そうなジャケットがそれ風の雰囲気を醸し出していた。そのあやしさがロック的だったが。

 「オフィシャル」作品であるから現在の高度な技術で完成度を高めているだろう。ファンにとっては記録用の固定映像であっても何でも、入手して鑑賞できればうれしい。見方を変えれば、会場にいる臨場感があるかもしれない。観客目線がかえって新鮮であり、発見があるかもしれない。などという肯定的な言葉をここでは連ねよう。(でも正直言うと映像の質が少し気になる。リリース後に自分の目で確かめるしかないのだが)

 僕個人としては、「“CHRONICLE TOUR”」DVD収録曲の中に『ルーティーン』があったことに、とても心が動かされた。『ルーティーン』のライブ映像を見ることができる。聴くことができる。この一点だけでもこのDVDは価値がある、そんな気持ちさえする。

 ネットを探して、“CHRONICLE TOUR”に行かれた方々のブログを読むと、『ルーティーン』はアコースティック・コーナーの曲として歌われたそうだ(コーナーといってもこの曲だけだった)。志村・山内・加藤はアコギ(?)、サポートドラム刄田綴色はカホン(?)を椅子に座って演奏し、金澤ダイスケだけが立ってメロディオンを奏でたようだ。

 『ルーティーン』一曲が「アコースティック・コーナー」であり、特別な「時」と「場」が用意された。志村正彦がどのような表情をして歌ったのか、どのような声で『ルーティーン』の言葉を伝えようとしたのか。リリースへの期待が高まる。このDVDには、スウェーデンレコーディングの未収録オフショット映像が入るのも楽しみでもある。

 『ルーティーン』は日々繰り返される「時」と「場」のつながりを歌っている。2009年生演奏の「時」と「場」が、十年を経て、2019年に再生される。

2019年4月8日月曜日

「作り話に花を咲かせ」-『桜の季節』[志村正彦LN216]

 甲府盆地の桜はまだ舞い散ることなく咲き続けている。
 勤め先の大学にはキャンパスを囲むように桜の並木がある。今朝、スマホで写真を撮った。さすがに満開は過ぎているのだが、朝の光を浴びて、桜の樹々が光の花束のように見えた。




 新年度が始まった。昨年より担当コマ数が増えて、7コマ近くになった。国語科指導法、教師論、文学講読、ライティング(コミュニケーションスキル)に加えて、山梨学と専門ゼミナールも担当する。学内業務の係も二つある。社会人や高校生対象の短期講座も持つ。授業構想やシラバス作成に続き、教材の作成や準備に追われる毎日である。
 年度末、研究室の移動があった。新しい部屋の窓からは富士山が綺麗に見える。そのことがとてもうれしかった。仕事に疲れた時に眺めると、朝から昼そして夕方へと、富士の雰囲気や色合いが少し変わっていく。その微妙な変化が美しく、愛おしい。

 今日、「山梨学」という授業を行った。山梨の文化、社会、歴史、地域、観光などを総合的に学び、「山梨」の可能性を探究していく科目である。講義の半分は外部から専門家を講師として招聘する。残り半分は僕が担当し、「山梨と文学」というテーマのもとに「芥川龍之介と甲斐の国」「山梨のロックの詩人-宮沢和史(ザ・ブーム)、藤巻亮太(レミオロメン)、志村正彦(フジファブリック)」などの講義を準備した。映画作品に描かれた戦後山梨の風景と社会というテーマにも取り組む予定だ。
 2年次の必修科目で受講者が120名にのぼるので、授業の運営には一苦労がある。本学の学生は全員MacBookを携帯している。wifi環境も充実し、授業支援のソフトやツールもある。ICTを活用して授業をデザインした。

 第1回目は授業のガイダンスや実施計画を説明した後で、山梨学のオープニングとして、志村正彦・フジファブリックの『桜の季節』を取り上げることにした。この季節にこの歌を聴くことには格別な味わいがある。
 歌詞を表示して、『桜の季節』ミュージックビデオと発売前日の新宿ロフトでのライブ映像をプロジェクタで見せた。そしてこの歌を聴いて何を感じたか何を思ったかという問いを投げかけた。学生はMacBookを使って書いたテキストを教員へ送付する。授業中にリアルタイムで学生のテキストを読むこともできる。
 最近、小学校から大学までICTの教育や利用が推進されているが、確かにPC、ネットワーク、学習支援ツールを活用すると、「授業の生産性」が上がる。講義形式であれば一人の教員が120名の学生を相手にすることは可能かもしれない。でもこの山梨学では必ず学生の言葉をフィードバックしていきたい。一方向的ではなく、少しでも相互的交流的な授業を構築したいと考えている。

 このようにして、今年度から「山梨学」の一つとして、志村正彦・フジファブリックの作品を聴いて表現する授業を開始した(高校で実践してきたことはこのブログで何度か触れた)。授業後、120人の書いた文章を読んでいった。全体の3分の2は初めて聴いたようだが、それにもかかわらずというよりそれゆえにというべきか、志村正彦・フジファブリックの作品は彼らに確実に作用していった。受け止め方はそれぞれだが、何かが確実に伝わっていることが文面からうかがえる。志村の歌は、意味や解釈を超えて、言葉そのものが聴き手に働きかける。

 ここでその内容を紹介するわけにはいかないが、二つの興味深い特徴があったことを記しておきたい。
 一つは「桜の季節過ぎたら 遠くの町に行くのかい?/桜のように舞い散って しまうのならばやるせない」の「やるせない」という感情に言及したものが多かったことだ。高校生はあまりこの言葉に触れなかった記憶がある。
 大学2年生ということは20歳前後の年。この歌を作った時の志村の年齢とも近い。この「やるせない」という感情はどこにも持っていきようのない想い、それゆえに自らの内部に深く降りていく想いであろう。この想いは十代という年齢を通り過ぎる頃に自らを振り返る、そのような年齢の折り返しにも関わるのではないだろうか。「やるせない」という感情にはその発露までの時の流れがあるのだ。

 もう一つは「ならば愛をこめて 手紙をしたためよう/作り話に花を咲かせ 僕は読み返しては 感動している!」の「手紙」や「作り話」について考えたものが少なくなかったことである。志村特有の屈折感、迂回するような感覚が20歳に達する年代の若者に響くのかもしれない。
 あたりまえのことではあろうが、年齢と共に経験と共に歌の受容は変化する。感受性のあり方も変容していく。大学生は高校生と異なる感性や知性を持つ。そのことを知ることができた授業でもあった。

 それにしても、「作り話に花を咲かせ」とは何という表現だろう。
 「作り話」とは志村にとっての「歌」そのものだ。話を作ることによって、ありのままの自分自身を迂回しながら、逆説的に、志村は自らの「歌」を作り、「花」を咲かせようとした。

 メジャーデビューシングル『桜の季節』は、志村正彦・フジファブリックの「歌」の「開花」宣言でもある。