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2019年12月31日火曜日

2019年[志村正彦LN246]

 12月下旬になっても志村正彦・フジファブリックの関連番組は続いている。
 BSプレミアム「The Covers’Fes.2019」ではフジファブリックが『ひこうき雲』(荒井由実)カバーと『手紙』を演奏した。NHK甲府のラジオ番組「かいラジ」12月号『フジファブリック 志村正彦を語りつくす』を「らじる★らじる」で聴くことができた。昨夜はBSフジで『LIFE of FUJIFABRIC<完全版>』が放送された。この二つの番組から、富士ファブリック時代のメンバー、関わりの深かった音楽家、EMIのディレクタ-、様々な関係者、そして現在のメンバーの貴重な証言を得られた。今回はその証言に言及しないが今後活かす機会もあるだろう。

 今日で2019年が終わる。あらためて『「15周年」への違和感 [志村正彦LN243]』に寄せられた二人の方のコメントについて考えてみたい。
 最初の方は「声を上げなくとも違和感を感じている人、また、なんとか受け入れようと努力している人もたくさんいると思います」と書かれた。もうひとりの方は「私は志村さんがいなくなってから、現実を受け入れられずフジファブリックからは離れていて」「今年のMステを見てからまた志村さんの歌を聴き始めました」と述べられた。二人の素直で自然な想いに心を打たれた。二人とも志村正彦が健在だった時代の熱心なファンだと推測される。僕のような遅れてきたファンとは関わり方の深さが異なる。2009年からのこの十年の時の過ごし方もおのずから異なっている。

 『LIFE of FUJIFABRIC<完全版>』の最後に大阪城ホールを終えた三人のメンバーのインタビューがあった。彼らがある達成を得たことは確かだ。彼らの粘り強い活動があり、それを支えたファンの存在があった。そして、志村がのこした作品の力が大きかったことは間違いない。

 音楽の作り手・送り手、メンバーや事務所の観点からすると、「フジファブリック」の存続は当然の選択だっただろう。その結果が2019年を15周年とするプロジェクトまでつながった。
 しかし、音楽の聴き手・受け手は異なる。志村正彦のフジファブリックを愛した者の十年には複雑な軌跡がある。聴き続けた人、聴くことができないでいた人。継続を受け入れた人、受け入れようとした人、受け入れることができなかった人。聴き手一人ひとりのフジファブリックは異なる。フジファブリックの経験という時間も異なる。だからこそ少なくとも、音楽の聴き手にとっては「継続」が当然の自明の選択だとは言えない。「15周年」という捉え方は、聴き手一人ひとりの時間の差異を消し去ってしまう。

 フジファブリックは作り手だけのものではない。聴き手のものでもある。音楽だけでなくあらゆる芸術作品は作り手と受け手が共同で創造する。たとえば小説は作者と読者が創り出す。読者が読むという行為がなければ小説は成立しない。音楽も同様である。声や音、歌詞の言葉を聴いて受けとめて、自らの心と体で音楽を生成させる。その行為があってはじめて音楽は音楽として成立する。

 最後になるが、『LIFE of FUJIFABRIC<完全版>』の冒頭の映像について書いておきたいことがある。「ほんとうにフジファブリックを作ってくれた彼に感謝したいと思います」と山内総一郎が大阪城ホールで語るシーン。観客の拍手が続く中、志村正彦が座席にひとりで腰掛けている映像(両国国技館ライブでの撮影だろう)がインポーズされる。彼の眼差しと立ち上がり去ろうとしている姿。この冒頭シーンに続いて本編が始まっていく。そういう演出だった。
 この映像のモンタージュに番組制作者のどういう意図が込められているのかと考えこんでしまった。山内と志村の時空を超えた応答を演出したのか。それとも特別な意図はなかったのか。あるいは想像もできない別の意味が込められていたのか。演出の意図はつかめないが、強い違和感が残った。

 この番組だけではない。この一年間を通じて、志村正彦・フジファブリックに関する番組や音楽メディアの記事に違和感を覚えることが少なくなかった。貴重な証言や映像を得られた反面、番組や記事の構成に疑問を抱いた。「15周年」という視点を中心にある種の「物語」を描いていた。(このblogは批評的エッセイを試みている。率直な違和や疑問が批評の原点をつくる。)

 2020年はどういう年になるのか。志村正彦・フジファブリックの音源や映像が発売されることはあるのだろうか。昨年の大晦日には『シングルB面集 2004-2009』を独立したCDとして発売してほしいと書いた。今年実現しなかったので来年への願望としてここにふたたび記した。
 『セレナーデ』も『ルーティーン』もシングルB面集に収められている。この素晴らしい作品群をアルバムとしてリリースしていただきたい。

2019年12月28日土曜日

チャペルアワー 『セレナーデ』の祈り [志村正彦LN245]

 チャペルアワーという奨励の時間が山梨英和大学にはある。毎週火水木の三日、教職員や学生、時には地元教会の牧師がチャペルアワーの奨励を受け、15分程度の講話を行う。奨励題(テーマ)は自由だが、祈りの奨めになる話をしてそれに促されて祈ることができればよいらしい。今年は「志村正彦の歌-フジファブリック『セレナーデ』の祈り」、関連して旧約聖書の「コヘレトの言葉12:01・12:02」、賛美歌552番「若い日の道を」を選んだ。
 十一月中旬、僕の担当する日が来た。会場のグリンバンクホールは礼拝や講演会で使われ、正面に十字架がある。厳粛な雰囲気の場である。最初に『セレナーデ』の音源を再生した。小川のせせらぎ、虫の音に続いて、志村正彦の声が静かに広がっていく。没後十年の年であり、彼を追悼するチャペルアワーだという意味を僕個人としては見出していた。
 今日は、その時に配った資料の本文をやや長くなるが紹介したい。以前このblogで書いたものをまとめたものである。



 志村正彦の歌-フジファブリック『セレナーデ』の祈り


   フジファブリック『セレナーデ』
   (作詞・作曲:志村正彦)

   1a 眠くなんかないのに 今日という日がまた
     終わろうとしている さようなら

   2a よそいきの服着て それもいつか捨てるよ
     いたずらになんだか 過ぎてゆく

   3b 木の葉揺らす風 その音を聞いてる
     眠りの森へと 迷い込むまで

   4c 耳を澄ましてみれば 流れ出すセレナーデ
     僕もそれに答えて 口笛を吹くよ

   5a 明日は君にとって 幸せでありますように
     そしてそれを僕に 分けてくれ

   6b 鈴みたいに鳴いてる その歌を聞いてる
     眠りの森へと 迷い込みそう

   7c 耳を澄ましてみれば 流れ出すセレナーデ
     僕もそれに答えて 口笛吹く

   8c そろそろ 行かなきゃな お別れのセレナーデ
     消えても 元通りになるだけなんだよ


 フジファブリック『セレナーデ』は、2007年11月7日、シングル『若者のすべて』のカップリング曲としてリリースされた。ここでは分析のために2行の各連に1a-2a-3b-4c-5a-6b-7c-8cという数字と記号を付ける。1~8の数字は歌詞の連の順番を、a・b・cはメロディの差異を表している。
 歌詞とメロディの展開から、『セレナーデ』の構成を1a-【[2a-3b-4c]-[5a-6b-7c]】-8cと捉えてみよう。[2a-3b-4c]と[5a-6b-7c]という二つの[a-b-c]のブロックを1aと8cという大きな枠組が包み込んでいる。[2a-3b-4c]と[5a-6b-7c]には繰り返しの部分と微妙に変化する部分があり、『セレナーデ』の時間の推移を表すと共に物語の舞台を形作っている。1aは真夜中の時を、8cは夜明けの時を指し示す。真夜中から夜明けへという時間の中に『セレナーデ』の物語が広がる。

 [1a-2a]では、1a「今日という日」、2a「いたずらになんだか過ぎていく」日々という流れの中に、歌の主体「僕」の日々の想いが重ねられていく。「よそいきの服」のモチーフは文脈を読みとるのが難しい。
 [3b-4c]で「僕」は、「眠りの森」へと「迷い込む」まで「木の葉揺らす風」の「音」を聞いている。「僕」は今日という日に別れを告げて眠りにつこうとしている。だが、すぐには眠れない。耳を澄まして外界の音を聞いていると、「木の葉」が揺れて「風」が吹いている。自然の音が旋律と律動を作り、その音は眠りへと誘う効果を持つ。「流れ出すセレナーデ」は「眠りの森」から聞こえてくる。「僕」はその音に誘われ、「口笛」を吹くようになる。口笛のメロディは次第に言葉を伴う「歌」へと変わっていく。

 [5a]の一節はこの歌の中心に位置づけられるだろう。

5a 明日は君にとって 幸せでありますように
  そしてそれを僕に 分けてくれ

 「明日」は「君」にとっての「幸せでありますように」と、「僕」は祈る。そして、「それ」を「僕」に「分けてくれ」と願う。あくまで「君にとって 幸せでありますように」という祈りが先にあり、その後に「それを僕に 分けてくれ」という願いがある。「君」に向けた祈りの言葉、「僕」へと帰ってくる願いの言葉は、「君」と「僕」の二人を包み込むより大きな存在、他なる存在に届けられようとしているのかもしれない。

 [6b-7c]では、「僕」は「眠りの森」へと「迷い込みそう」になる。3bでは「眠りの森へと 迷い込むまで」とあり、まだ眠りに入る前の時間を描いている。それに対して、6bの「眠りの森へと 迷い込みそう」ではもうすぐにでも「僕」は眠りに入っていく。また、4cの「口笛を吹くよ」に対して、7cでは「口笛吹く」というように、「を」「よ」という助詞が消えている。「口笛を吹くよ」では、「を」という格助詞によって、「僕」の動作「吹く」とその対象「口笛」との関係が明示されている。「よ」という終助詞にも「僕」の意志や判断が添えられている。それに比べて、7c「口笛吹く」では「を」や「よ」という助詞が失われ、「僕」の意識の水位が落ちてくる。作者は、「迷い込むまで」から「迷い込みそう」へ、「口笛を吹くよ」から「口笛吹く」へと表現を微妙に変化させて、「僕」が眠りへ入り込むまでの時間の推移や意識の変化を描いた。

 セレナーデに誘われるようにしておそらく、「僕」は眠りについたのではないだろうか。「僕」は夢の中でもそのまま「セレナーデ」を聞いている。木の葉の音、風の音は夢の中の音へと変わっていく。この曲は冒頭から、虫の音、小川のせせらぎ、自然の音がずっと鳴り続けている。自然の奏でる音と楽曲の音とが混然一体となっていく。
 言葉では語られていない部分を想像で補う。「僕」の夢の中で「僕」は「君」に会いに行く。「僕」と「君」との束の間の逢瀬がどのようなものかは分からない。すべては夢の中の出来事。起きたことも、起こりつつあることも、これから起きることも、夢から覚めた後に消えてしまう。夜明けが近づく。「僕」の夢が閉じられる。「セレナーデ」も終わりを迎える。夢からの覚醒の直前であろうか、「僕」は「君」に最後の言葉を告げようとする。

8c そろそろ 行かなきゃな お別れのセレナーデ
  消えても 元通りになるだけなんだよ

 「お別れのセレナーデ」が響く。「僕」はどこに行くのか。夢の中の出来事であれば「消えても 元通りになる」。「僕」は「君」にそう言い聞かせる。夢の中の世界は消えても、元の世界はそのまま在り続ける。この言葉もまた、虫の音や小川のせせらぎの重なる自然の音の群れに溶け込んでいく。『セレナーデ』の音が次第に消えていくのだが、「消えても 元通りになるだけなんだよ」という一節は聴き手の心の中のどこかにこだまし続ける。

 志村正彦は短い生涯の中で、消えていくもの、無くなるもの、不在となるものを繰り返し歌ってきた。それと同時に、現れ出でるもの、在り続けるものについての祈りのようなものも歌ってきた。
 彼は『FAB BOOK』という書物の中で歌詞について非常に印象深いことを述べている。

 歌詞は自分を映す鏡でもあると思うし、予言書みたいなものでもあると思うし、謎なんですよ

 「予言書みたいなもの」という言葉は、すでに彼の生涯を知っている現在という時点では、深い悲しみとある種の驚きをもたらす。しかし、彼の死という事実から彼の詩の言葉をすべて意味づけるような行為については慎まなければならない。だがそれでも彼の作品から、彼の生涯とまではいかないまでも、その軌跡の断片のようなものがあらかじめ歌われている、そのような想いが浮かぶことが私にはある。




2019年12月24日火曜日

「愛」 [志村正彦LN244]

 今日は三つの歌を引きたい。すでにこのblogで触れた歌であるが、youtubeに発表された順で映像や音源をもう一度載せたい。


 メレンゲ 『火の鳥』     2011/10/25


 
 GREAT3  『彼岸』  2012/10/30



 堕落モーションFOLK2  『夢の中の夢』   2013/06/13


 
 『火の鳥』の映像では花の束が海辺に打ち上げられ、『彼岸』では彼岸花が咲き、『夢の中の夢』の絵では花々が雨のように降り、地面を彩っている。
 「花」を想う。


 各々の歌詞の一節を引用したい。

  メレンゲ『火の鳥』 
    世界には愛があふれてる 夜になれば灯りはともる
    それでも僕ら欲張りで まだまだ足りない
                     クボケンジ

 GREAT3 『彼岸』
   年を重ねることは残酷で 繰り返す別れにも慣れて行く
   誰かのために 自分を捨てて 愛したい 諦めず命燃やそう 
                      片寄明人

   堕落モーションFOLK2 『夢の中の夢』
   友達は今日も 夢の中の夢で
   始まらない 恋を 嘆き続けてる
   変わらない 愛を 祈り続けてる   
           安部コウセイ


 「世界には愛があふれてる」「誰かのために 自分を捨てて 愛したい」「変わらない 愛を 祈り続けてる」。三つの歌で「愛」が歌われている。

 今夜は「愛」を祈る。



2019年12月23日月曜日

コメントへの返信

 今朝、「偶景web」のデザイン画面を見ると、「新しい Blogger をお試しください」「まずは、[統計]、[コメント]、[テーマ] の各ページで新しいデザインをお試しください」とあった。早速試してみると、そこで初めて一年以上にわたって送付されたコメントに気づいていないことが分かった。勘違いをしていたのか、何か設定を間違えていたのかは分からない(以前はグーグルメールを通じてコメント通知があったはずだがそれがなくなっていた)コメントを送っていただいた方には大変申し訳ない気持ちでいっぱいになった。昨年の10月から昨日までの五つのコメントに対して、先ほど返信を書かせていただいた。かなりの時間を経てからの返信なので、コメントを送られた方が気づかない可能性があるので、このblogの記事としてもこの件を書かせていただく。

【付記】コメントにはとても感謝しております。特に、昨日書いた『「15周年」への違和感』という記事に対して早速コメントしていただいたのはありがたかったです。なかなか書きにくかったことなので、同じような想いを抱いてる方の存在を知って、心強く感じました。これからも信念と勇気を持って書き続けようと思います。「偶景web」を読んでいただいている方々へあらためて感謝を申し上げます。

2019年12月22日日曜日

「15周年」への違和感 [志村正彦LN243]

 12月13日のNHK甲府『ヤマナシ・クエスト 若者のすべて~フジファブリック志村正彦がのこしたもの~』の後、この一週間の間、志村正彦、フジファブリック関連の番組が続いた。12月16日、フジテレビ「Love music」にフジファブリックが登場し、バカリズムとのコラボユニット「フジファブリズム」の作品『Tie up(フジファブリズム)』(作詞:バカリズム、作曲:山内総一郎、編曲:フジファブリック)を披露した。

 12月20日の夕方、NHK甲府放送局のラジオ第1「かいラジ」で、志村正彦ゆかりの人々を招いて志村を語る50分間の番組が放送された。僕は大学で講義中で聞けなかったが、12月23日(月)正午から30日(月)正午まで「NHKラジオ らじる★らじる」で「聞き逃し配信」されるそうなのでそれを待っている。

 20日の夜は、wowowで『フジファブリック 15th anniversary SPECIAL LIVE at 大阪城ホール2019 「IN MY TOWN」』も放送された。10月20日大阪城ホールでのデビュー15周年記念公演の収録である。特別番組『フジファブリック 15周年記念番組 "手紙"』も続いた。この番組内で山内の地元のライブハウス「JACK LION」での12月7日の凱旋ライブの映像も紹介された。金澤ダイスケ、加藤慎一も駆けつけていた。12月7日ということは、新宿ロフトのROCK CAFE LOFTで『アラカルト』『アラモード』レコード先行試聴トークライブ&「エフエムふじごこ 路地裏の僕たちでずらずら言わせて『アラトーク』」公開収録トークライブが開催された日でもある。

  情報を整理し追いかけることも大変なくらいに、たくさんのライブや番組やイベントがあったが、2019年が志村正彦と現在のフジファブリックにとって重要な年であったことの証左である。それらの試みは事実として、「志村正彦没後十年」、「フジファブリック15周年」、その二つの観点のどちらに重点を置いているかによって分かれていたとも言える。

 『フジファブリック 15th anniversary SPECIAL LIVE at 大阪城ホール2019 「IN MY TOWN」』を見た感想は、「山内総一郎のフジファブリック」を見たという一言につきる。このライブに行っていないので映像だけでの感想ではあるが。僕が金澤、加藤、山内の3人体制によるフジファブリックを実際に見たのは2014年11月の武道館だけである。今まで音源や映像には接してきたが、繰り返し聴いたり見たりしたわけではない。このblogで現在のフジファブリックを語ることも少なかった。何かを語るには内的な必然性がなければならないからだ。

 今振り返れば、2010年以降のフジファブリックの歩みは「山内総一郎のフジファブリック」確立への軌跡だったと捉えられる。大阪城ホールに9000人のファンを集めたのは、メンバーやスタッフの功績である。wowowの映像にはファンが楽しむ様子が何度も挿まれていたが、ファンの喜びは祝福されるべきだろう。事務所やレコード会社にとっては音楽ビジネスという今や困難な仕事の成功でもある。全体として会場が微笑みに包まれていたことには好感を持った。この時代のライブには明るい光のようなものの共有が不可欠なのだろう。

 しかし、僕はこのwowow映像を見ていて何かが違うという感じを持った。2019年のフジファブリックは何かが決定的に変わっていた。志村正彦が創ったフジファブリックとの大きな隔たりを感じた。何かが失われていた。分析を試みるのは可能だがここではそれを控えたい。あくまでも感覚として述べてみたい。現在のフジファブリックが歌い奏でる現実の場においても、志村正彦のフジファブリックは永遠に還ってこない。奇妙な言い方になるが、そのような喪失感、欠落感かもしれない。

 批評的に考察すると、2010年以降のフジファブリックはある種のプロジェクトだと捉えられる。それを「プロジェクト・フジファブリック」と呼んでみたい。このプロジェクトには二つの目的があった。志村正彦の作品を継承すること。山内総一郎のフジファブリックを確立すること。
 そして次第に、このプロジェクトの進行によって「志村正彦」の存在は象徴的なものに変化し、それと共に、フジファブリックの音楽の内実も変化していった。今後はさらに「志村正彦」が、創始者という名、創始者としてのアイコンのようなものに換えられていく。そのような予感もする。
 この問題についての結論を最後に記したい。

 フジファブリックは2009年12月でその円環が閉じられた。
 志村正彦のフジファブリックと2010年以降のプロジェクト・フジファブリックとの間には、作品そのものの根本的な差異がある。2004年から2019年までの時間には決定的な断絶がある。「15周年」というように時が流れていたのではない。


【付記】今回は「15周年」という捉え方に対する違和感について考えてきた。一昨年、この「15周年」とその「記念」という言葉を目にしたときからずっと違和感を抱いてきた。この一年間この感覚と向き合ってきたが、違和感はむしろ高まってきた。今年が終わる前にそのことを書きとめておきたかった。
 志村正彦のフジファブリックがのこしたものは、周年や記念という区切りを超えて、いつまでも存在し続ける。

2019年12月15日日曜日

「志村正彦がのこしたもの」[志村正彦LN242]

 一昨日12月13日、『ヤマナシ・クエスト 若者のすべて~フジファブリック志村正彦がのこしたもの~』を見た。

 山梨県限定の放送だったのでご覧になっていない方が多いと思われる。録画その他の方法で視聴できる機会もあるだろうから、内容についてここで記すことは控えたい。数々の貴重な映像や証言があったので、志村正彦そしてフジファブリックのファンにとって必見の番組である。
 NHK甲府放送局のHPではこう紹介されていた。


NHK甲府放送局では、志村が亡くなってから10年となる2019年12月、ミュージシャン志村正彦が私たちに一体何を残したのか?志村の生涯や彼が生んだ音楽に心を動かされた人々への取材を通じ、番組でお伝えしていきます。


 確かにその通りの構成だった。時間をかけて丁寧に取材されていた。NHK甲府放送局の制作スタッフには敬意を表したい。しかし一言だけ率直な感想を書かせていただく。やはり、焦点が絞り切れていなかった気がする。どうしてなのか。「志村正彦が私たちに一体何を残したのか?」というのが難しいテーマであるからだ。そこに行き着く。一つの番組が追いかけるられるものには自ずから限界があるので、それはそれでいいとも言えるが。NHK甲府には今回だけでなく今後もこのテーマを追究してもらえればありがたい。

 繰り返すが、「志村正彦が私たちに一体何を残したのか?」というのは深くて重いテーマである。それは彼の作品を愛する私たち一人ひとりの心の中にある。これからもあり続ける。

 この番組を見終わって、「志村正彦」が「僕」に何を残したのかという問いが浮かんできた。意外なことでもあるが、このような問いかけを自らに課したことは今までなかった。どう答えたらいいのだろうか。さまざまな言葉が去来するのだが、単純な一つのものが最もふさわしいことに気づいた。今、《偶景web》という場でこの文を書いている行為そのものである。
  2012年12月にこの場は始まった。7年が経つ。持続することが応答することだと信じている。




2019年12月12日木曜日

チャペルアワー「やすかれ、わがこころよ」

 山梨英和大学にはチャペルアワーという時間が毎日ある。昨日12月11日、中村哲氏を追悼する礼拝が行われた。学生や教職員が数十名集まった。壇上の横には氏の写真が置かれていた。

 「讃美歌21」の532番『やすかれ、わがこころよ』がパイプオルガンで演奏され、皆で祈りを込めて歌った。「やすかれ、わがこころよ、なみかぜ猛るときも、恐れも悲しみをも みむねにすべて委ねん」という歌詞が胸に刻まれた。その後、ヨハネによる福音書12章24節「一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ」が朗読された。

 中村氏と親交があった宗教主任が、短い時間ではあったが、中村哲氏を追悼した。1987年の出会いの時には、中村氏は日本キリスト教海外医療協力会からパキスタンのペシャワールにある「ペシャワール・クリスチャン・ホスピタル」に派遣され、ハンセン病の治療のために働いていた。その後思うところがあって、ペシャワール会を立ち上げたそうである。8月の山梨英和130周年記念講演会のことも振り返った。

 ここ一週間ほど様々なメディアで報道された中村氏の言葉を読んできた。今日は二つの記事を紹介したい。一つ目は、日本での最後の講演となった11月19日北九州市での講演会の記事である(朝日新聞デジタル2019.12.5)。支援者が海外で受け入れられる要点という質問に対する中村氏の返答を引用する。


援助する側の『頭の高さ』が気づかずに出ることがある。それを取り除かないと相手の心は開かれない。地元の習慣や文化に偏見なく接すること、我々の物差しを一時捨てることが必要では。


 援助する側の『頭の高さ』を取り除くこと。我々の物差しを一時捨てること。特別な支援という状況だけではなく、どのような場面であっても、私たちが人と応対するときに心に刻み込むべき言葉であろう。生活でも仕事でも、「頭」を高くしないこと。このようなブログを書くときでも、そのことを戒めとしたい。
 そして、自分の「物差し」を時には捨て去って考えていくことも大切である。そのことも肝に銘じたい。考えるためには一つの「物差し」を作る必要があるが、時にはその「物差し」から離れる必要もある。ある物差しともう一つの物差し、さらに異なる他の物差し。それらの対話から考えることは展開していく。

  二つ目は、HUFFPOST(2019.12.7)に掲載された、世界的なロックバンド「U2」が5日、13年ぶりの来日公演で、アフガニスタンで銃撃され死亡した中村哲医師を追悼した、という記事である。以下引用する。


観客らが撮影したとみられるTwitterに投稿された動画によると、会場のさいたまスーパーアリーナは照明が落とされ、ボーカルのボノさんが「この会場を大聖堂に変えよう。携帯をキャンドルに変えよう」と呼びかけた。呼びかけに応じた観客が、スマートフォンのライトを点灯させ、無数の光が揺れた。(中略)
ボーカルのボノさんは5日のライブ中に「偉大な中村医師を追悼するひとときを持とう」「中村哲さんのために」と中村さんを追悼。ボノさんは、楽曲の合間にも何度も「テツ・ナカムラ」「ペシャワール会」と祈るようにつぶやいた。ライブでは、アメリカの公民権運動の指導者で、1968年に暗殺されたマーティン・ルーサー・キング牧師に捧げて作ったと言われる「プライド」も歌われた。「プライド」には「彼らは命を奪ったが、誇りまでは奪うことはできなかった」という歌詞がある。


 言うまでもなく、ロック音楽、ロック文化と60年代以降の欧米での反戦平和運動、現在に至る世界人権保護活動には密接な関係がある。ロックの根本にはそのような「志」がある。志村正彦は『東京、音楽、ロックンロール』(志村日記2008.01.25)で次のように述べている。


「ロック」…何それ。知らない。どーでもいい。から、しょうもないことをつらつら書きます。「ロック」とは、何かを打ち破ろうとする反骨精神、逆らうべきところは逆らうという精神じゃねえのかな~。でもこれ、さんざんみんな言ってるね。だから…分かりやすく例えるならば、PUNKSが頭を逆立てるのはロックなのであり、PUNKなのであります。なぜなら地球の重力に逆らっているから。


 「ロック」とは、何かを打ち破ろうとする反骨精神、逆らうべきところは逆らうという精神、という言葉は、志村らしくないようであるが、本質的にはきわめて志村らしい表現だと言える。彼の音楽は、日本語ロックの限界を打ち破ろうとする意志によるものだった。二十九年という短い生涯の中で「逆らうべきところは逆らう」姿勢で、彼は闘ったのである。

 志村正彦を追悼する番組が、明日12月13日、NHK甲府で放送される。その「ヤマナシ・クエスト 若者のすべて~フジファブリック志村正彦がのこしたもの~」という番組が今夜の甲府局「Newsかいドキ」で3分に及んで紹介された。没後十年、志村正彦がのこしたものを受けとめたい。

2019年12月8日日曜日

「平和を実現する人々は幸いである」

 今日は、中村哲氏の講演について書きたい。

 八月の最後の日、私は甲府で中村氏の講演を聴いた。勤め先の山梨英和大学の法人である山梨英和学院の130周年記念事業として、中村哲氏の講演会「平和を実現する人々は幸いである」が開催されたのである。山梨英和は、1889年、カナダの女性宣教師と甲府教会の信徒や地域の人々によって山梨英和女学校として設立された。今年、創立130年を迎えた。

 中村哲氏はキリスト教徒だった。本学の宗教主任と親交があり、一時帰国中の忙しいスケジュールにもかかわらず講演を快諾していただいた。

 講演会で中村氏は穏やかで落ち着いた語り口で自らの仕事を振り返りながら、農業用水路の灌漑事業、現地を尊重する支援のあり方、アフガニスタンの厳しい現実について二時間を超えて話しをされた。ところどころ写真や映像が映し出された。自ら重機を操って水路を作る姿。九州筑後川の山田堰の技術を用いた話。砂漠が緑豊かな風景に変わっていく映像。農地が生まれてくる過程は奇蹟のように感じた。

 中村氏の語りは心の中に深く染み込んでいった。職業のせいか講演や講義を聴く機会が多いが、内容は当然だが、それ以上に講演者の語り口や語る姿勢の方に関心を持つようになってきた。中村氏の語り口は、声高なところも気負ったところも全くなかった。実直でやわらかい口調が信頼の根底を築いていた。
 
 本学のギッシュ・ジョージ理事長・院長がHPに寄せた文書を引用させていただく。教職員を代表しての哀悼の言葉である。


中村哲先生のご逝去の報に接して心から哀悼の意を表します。
中村哲先生は去る8月31日の山梨英和学院創立130周年記念講演会の講師としてお招きしたばかりでした。中村哲先生は講演テーマであり創立130周年記念の標語でもある「平和を実現する人々は幸いである」(マタイによる福音書5章9節)の言葉をまさに体現する方でした。(中略)中村哲先生はご講演で、まだ仕事は途上であると語っておられたので、このような痛ましい形で天に召されることになり、どんなにか心残りであったと思います。しかし、「平和を実現する人々は幸いである」の言葉のとおり、アフガニスタンの地において数多くの「平和」を実現されて来られた中村哲先生のご生涯は、まことに幸いなご生涯であったと思います。
新約聖書ヨハネによる福音書12章24節には「一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ。」とあります。先生を失ったことは大きな損失です。しかし、アフガニスタンにおける事業は残されたペシャワール会の方々と共に、現地のアフガニスタンの人々の手によって確実に継続されていくことでしょう。また、一方で、講演を聞き訃報を聞いた私たちは、各々働きの場、活動するフィールドは違っても、個々人が置かれた場所でどのように「平和」の実現を成し得るかを考えさせられる事となりました。その意味で私たちは中村先生の死を無駄にしてはならないと思います。(中略)
最後に、残されたご遺族とペシャワール会のご関係の皆様の深い悲しみが少しでも早く癒されることを心よりお祈りいたします。


 ギッシュ理事長は「中村哲先生のご生涯は、まことに幸いなご生涯であったと思います」と述べている。キリスト教の信者ではない私にはこの言葉の深い意味合いはまだ読みとれないが、それでも、「ご生涯は」の後に一度「、」という読点が打たれ、「まことに」と続いていく叙述については立ち止まって考えた。読点の後の一瞬の空白。そこにはあらゆる想い、祈りが込められている。そして「まことに幸いなご生涯」だという捉え方がキリスト教の神髄であることはこちらに伝わってくる。

 中村氏は「平和を実現する」ためには、ふつうの食事が得られること、家族が仲良く暮らせること、この二つがあればよいと語っていた。食料を得るための農業、そのための水路、というように実直に根本に向かっていった。先進的な技術や設備をただ与えるのではなく、現地の人が自力で工事したり補修できたりする伝統的な技術を伝えた。「平和を実現する」のは、思想や運動ではなく、ひとつひとつの行為の積み重ねであった。

 今日12月8日は、日本が太平洋戦争を始めた日である。今、私たちの国には、人々の尊厳を傷つける現実がある。人々を侮蔑する空気がある。生活を逼迫させる貧困がある。生きること、日常の平和が損なわれつつある。そのような現実に抗して、私の置かれている場所で、ひとつひとつの行為を積み重ねていきたい。


2019年11月30日土曜日

『Hello, my friend』と『Good-bye friend』[志村正彦LN241]

 前回、松任谷由実『Hello, my friend』の「僕が生き急ぐときには そっとたしなめておくれよ」という一節を聴いた瞬間、志村正彦のことを考えたと記した。ユーミンはどのような経緯でこの一節を歌詞に入れたのか。そのことが気になったのだが、『Hello, my friend』のwikipediaに次の記述があることを知った。


カップリングの「Good-bye friend」は今は亡き友人を歌ったナンバー。『君といた夏』劇中歌。ユーミン夫妻と親交があったアイルトン・セナの死を悼んで作られた曲。元々は「Good-bye friend」の方が主題歌として予定されていたが、ドラマのイメージに合わないということで、サビの部分以外作り直された。


 歌詞の謎が少し解けた気がした。『Good-bye friend』の歌詞を引用する。


 淋しくて 淋しくて 君のこと想うよ
 離れても 胸の奥の 友達でいさせて

 君を失くした 光の中に
 指をかざした 眩しくて見えない堤防
 なぜこんなにも 取り残されて
 どのざわめきも鏡の向こうへと消えてく

 悲しくて 悲しくて 帰り道探した
 もう二度と 会えなくても 友達と呼ばせて

 君はとっくに知っていたよね
 すぐ燃えつきるイカロスの翼に乗ったと

 淋しくて 淋しくて 君のこと想うよ
 離れても 胸の奥の 友達でいさせて

 僕が生き急ぐときには そっとたしなめておくれよ

 悲しくて 悲しくて 君の名を呼んでも
 めぐり来ぬ あの夏の日 君を失くしてから

 淋しくて 淋しくて 君のこと想うよ
 離れても 胸の奥に ずっと生きてるから
 友達でいるから 友達でいさせて


  『Good-bye friend』の歌詞を読むと、サビの部分は『Hello, my friend』とほぼ同一である。「君を失くした 光の中に」「なぜこんなにも 取り残されて」という深い喪失感、そして「離れても 胸の奥の 友達でいさせて」「もう二度と 会えなくても 友達と呼ばせて」という胸の奥から発せられる願いが聴き手に痛切に響いてくる。アイルトン・セナの死を追悼する歌であることが伝わってくる。

 アイルトン・セナ・ダ・シルバ(Ayrton Senna da Silva)はブラジル人のF1レーシング・ドライバー。1988年・1990年・1991年の計3度F1ワールドチャンピオンを獲得した。1994年5月1日、サンマリノグランプリの決勝レースで首位を走行中コンクリートバリアに高速で衝突する事故によって亡くなった。歌詞にある「すぐ燃えつきるイカロスの翼に乗ったと」という表現はこの事故の隠喩であろう。今年が没後25年目になる。
 当時は僕もF1レースに関心があったので、あの日もフジテレビの中継を見ていた。生中継と一部録画だったようで、途中でセナの訃報が伝えられた。壁へ激突するシーンも放送された。その衝撃、恐ろしさと痛ましさはよく覚えている。今思い返せば、セナの死によってF1の人気も下降していった。僕も見ることがなくなった。

 当初は『Good-bye friend』の方が主題歌として予定されていたようだが、やはり、テレビドラマとは齟齬を来すのだろう。サビの部分以外は作り直しとなり、その結果誕生したのが 『Hello, my friend』だった。しかし、直接的に「死」を想起させる表現は除かれたが本質的には死の追悼というモチーフは引き継がれたのではないだろうか。歌詞の奥深い場所にそのモチーフが継続されている。つまり、『Hello, my friend』も本質的には鎮魂の歌であろう。

 「僕が生き急ぐときには そっとたしなめておくれよ」という言葉が受け継がれていることも重要である。『Hello, my friend』の中のこの一節は『Good-bye friend』とこだまし合う。そうなると深い意味合いを帯びてくる。前回、『Hello, my friend』について、この「僕」は歌の話者が失った対象でありもう二度と帰ることのない存在だとする仮定は、おそらく真実に近いのだと思われる。
 この一節を聴いて僕が志村正彦のことを想起したことにも、ある無意識の根拠が見いだせるかもしれない。

 『Good-bye friend』そして『Hello, my friend』も、若くして亡くなった友の安息を神に願うレクイエムのように聞こえてくる。
 『Hello, my friend』では「my friend」に対して、「Good-bye」ではなく「Hello」と呼びかけている。そこに松任谷由実の祈りが込められている。

2019年11月14日木曜日

『若者のすべて』と『Hello, my friend』[志村正彦LN240]

 槇原敬之は、志村正彦・フジファブリックの『若者のすべて』について「ほとばしる愛を詰め込んだマッキーの成分文表 槇原敬之」という記事(取材・文 / 小貫信昭)で次のように語っている。


──ここからは、新たに録音された2曲についてお聞きします。まずはフジファブリックの「若者のすべて」です。

東京で花火大会があった日に、たまたま車の中で流れてきて、そのとき初めてこの曲を聴きました。フジファブリックは知っていたんですけど「若者のすべて」は知らなくて。「すごくいい曲だなあ」と思って、それから車内でこればっかり聴いていましたね。しかし残念なことに僕が知ったときには、曲を作って歌われていた志村正彦さんがお亡くなりになられていましてね。こんなことを言うと彼のファンの方がどう思うかわかりませんけど、こんないい曲を残した人と「一度くらいおしゃべりをしてみたかったな」と思いましたね。

──楽曲名の表記が「若者のすべて ~Makihara Band Session~」となっていますが、これはどうしてですか?

「Listen To The Music 3」を作ったときにライブをやろうよという流れになり(参照:槇原敬之、敬愛する名曲カバー&ヒット曲尽くしツアー完走)、当時のバンドメンバーに「この曲もやってもらえますか?」とお願いして、実はそのセッションの音にシンセを足したりして完成したのが今回のものなんです。

──だからこうしたサブタイトルなんですね。

そうなんです。ともかく「若者のすべて」を嫌いな人はいないんじゃないかと断言したいくらいです。もう、カタルシスの塊みたいな曲。この歌のような経験をしたことがない人でも、こういう経験をしたことがあるような気分になるというかね。そして、この若々しい歌を50歳の僕が歌ってしまいました(笑)。


 「SONGS」では「しかも衝撃だったのは作られた方はもうお亡くなりになられていたということがあって」と発言していたが、このインタビューでは「曲を作って歌われていた志村正彦さんがお亡くなりになられていましてね」と「志村正彦」の名に言及している。しかも「一度くらいおしゃべりをしてみたかったな」と述べている。『若者のすべて』を愛する者がこの類い稀な作品の作者に関心を持つのは当然のことだろう。槇原は「カタルシスの塊みたいな曲」と捉えているが、これは彼特有の解釈なのだろう。確かに「SONGS」で彼は「カタルシス」、ある種の感情を解放していく歌い方をした。

 今回の「SONGS」では松任谷由実『Hello, my friend』も歌われたが、この曲はアルバム「The Best of Listen To The Music」の中でひときわ魅力のあるカバーソングとなっていた。僕個人としては、『若者のすべて』と『Hello, my friend』の二つがこのアルバムのBestである。しかも、この二つの歌にはどこかに響き合うところがある。

 『Hello, my friend』(ハロー・マイ・フレンド)は、1994年7月27日にリリース。ユーミン25枚目のシングルである。歌詞の前半部を引用したい。


 Hello, my friend
 君に恋した夏があったね
 みじかくて 気まぐれな夏だった
 Destiny 君はとっくに知っていたよね
 戻れない安らぎもあることを Ah…

 悲しくて 悲しくて 帰り道探した
 もう二度と会えなくても 友達と呼ばせて


 「君に恋した夏」は「みじかくて 気まぐれな夏」とあるので、夏の終わり頃の季節の設定なのだろう。ある意味では『若者のすべて』の季節感に似ているかもしれない。夏が終わりつつある『若者のすべて』、夏がもう終わってしまった『Hello, my friend』という違いはあるが。
 「Destiny」運命を知っていたという過去表現、「戻れない安らぎ」という多様に解釈できる表現。ユーミンらしい歌詞の背景の設定ではあるが、心の深くにとどまる言葉である。直観だが、この「君」はすでに遠い世界に旅立ってしまった人であり、比喩ではなく現実に「もう二度と会えな」い存在ではないだろか。「悲しくて 悲しくて 帰り道探した」、歌詞の後半にある「めぐり来ぬ あの夏の日 君を失くしてから」という表現からもその印象が強まった。荒井由実、松任谷由実の歌う喪失感にはいつもどこかに、無くなったもの、亡くなったものへの想いが込められている。

 『Hello, my friend』の中で最も突き刺さる歌詞は次の一節である。(同じ箇所を槇原敬之も「SONGS」で指摘していた)


 僕が生き急ぐときには そっとたしなめておくれよ


 後半部にあるこの一節によって、歌の話者が「僕」であることが示される。『Hello, my friend』は、「僕」が「君」に対して語りかける作品である。この一節は通常、「僕」の「君」に対する呼びかけの言葉だと考えられるが、もう一つの可能性を提示してみたい。この一節の「僕」を「君に恋した夏」の「君」の方だと捉える解釈である。つまり、ここで視点が転換される。この「僕」は、歌の話者が失った対象であり、もう二度と帰ることのない存在だと捉えるのであれば、歌の様相は一変する。

 「僕」は生き急いでいた。「そっとたしなめておくれよ」は、「僕」が歌の話者に対して依頼した言葉、願いの言葉だった。もしもこの「僕」がすでに遠くの世界へと旅だった存在であるのなら、もう取り返しのつかないような痛切な意味合いを帯びてくる。

 このようなことを書いてよいのかためらいがあるが、一歩ふみこんで僕の想いを語ろう。この言葉を聴いた瞬間、僕は志村正彦のことを考えた。『若者のすべて』と『Hello, my friend』が互いにこだまし合っているようにも聞こえてきた。



2019年11月4日月曜日

SONGS11月2日 槇原敬之『若者のすべて』[志村正彦LN239]

一昨日の11月2日、NHK「SONGS」を見た。槇原敬之が予告通り、松任谷由実『Hello, my friend』、フジファブリック『若者のすべて』、エルトン・ジョン『Your Song』を歌った。

 『若者のすべて』のパートでは、最初に『若者のすべて』ミュージックビデオを説明のナレーションと共に放送した。志村正彦の歌う姿が視聴者にまず届けられた。その後「桜井和寿 柴咲コウ 藤井フミヤなど さまざまなアーティストがカバー」というテロップもあった。
 槇原敬之がこの歌との出会いと魅力を語った。その一部分を文字に起こしたい。


この曲はもうほんと雷を打たれたような衝撃がありましたね。たまたまなんかテレビかなんか見てたらかかって、誰が作ってんだと思っていたら、フジファブリックさんというバンドが作ってて、しかも衝撃だったのは作られた方はもうお亡くなりになられていたということがあって、だから僕はすごく後になってからこの歌を知ったんですよ。


この発言中に画面に次のテロップが表示された。


「若者のすべて」を作詞作曲したVo/Gtの志村正彦は 2009年に亡くなった


 続けて槇原はこう述べた。


一番好きなのはもちろんメロディと曲の世界観なんですけれども、一番すごい好きなところがあって「まぶた閉じて浮かべているよ」 


 「まぶた閉じて浮かべているよ」を口ずさみながら発言した後で、この部分のコード進行に言及する。自ら歌い、キーボードに弾かせながら、普通と異なるコード進行を実演して説明していた。槇原のコメントを簡潔にまとめた次のテロップが流された。


あえて不安定なコード進行を使うことで青春時代特有の情緒を表現している


この箇所をほんとうにすごい、すごい好きですと繰り返し述べていたのが印象的だった。


今年50歳を迎えた槇原敬之が若者の心の揺らぎをマッキー流に届ける


というテロップがあり、歌唱のシーンに入っていった。

 この日のSONGSライブでは、歌い手もバンドマンもそこに現前しているということがあり、CD音源ヴァージョンとは印象が少し異なり、より自然で重厚なグルーブ感があった。
 槇原の歌い方から、「若者の心の揺らぎ」そのものではなくて、50歳という年齢から来るものであろうか、「揺らぎ」を振り返る視線から歌われているように感じた。年齢を重ねると、「揺らぎ」は次第にその揺れの幅を縮めていくが、それでも「揺らぎ」そのものが消失することはない。「揺らぎ」の中心点は時を超えて持続していく。年齢を重ねたものだからこそ歌うことができるリアリティがあった。
 でもそれは、槇原の現実の年齢とこの歌の解釈からもたらされたリアリティであって、オリジナルの志村正彦・フジファブリックの『若者のすべて』の伝えるリアリティとは当然だが異なる。そのことは確認しておきたい。

 実は志村は槇原と遭遇していた。志村日記2004.4.21の記述に「4月20日分」と題してこうある。(『東京、音楽、ロックンロール 』42頁)


 昨日の日記にも書いた通り、本日は招待制ライブだった。割とリラックスして出来た感じ。
 前回同様、いくつかのアーティストと共演した訳でありますが、最後に槇原敬之さんがシークレットで出演。なんというか…感動。声に。感動ですねえ。ほんとよく聴いていたんで。玉置浩二ばりに。
 楽屋で少し挨拶をしたんだけれど、恐ろしいくらいに腰の低いお方でおられた。
 そういえば、今まで話したミュージシャンで厭な感じの人って本当にいないと思う。イヤイヤほんとに。


 前日の日記を読むと、このライブは「東芝EMIコンベンションライブ」だったようだ。この時、志村正彦は槇原敬之に確かに会っていたのだが、楽屋での少しの挨拶であり、何人もの共演者や関係者がいただろうから、槇原からすると、まだデビューまもない志村正彦・フジファブリックを記憶にとどめる出会いではなかったのかもしれない。『若者のすべて』に衝撃を受けてからあらためて、志村正彦という存在を知ったのだろう。

 引用した志村の発言を読むと、槇原敬之の「声」に「感動」している。確かに槇原の「声」には独自な魅力がある。どの歌も最終的には「声」の質感のようなものにたどりつく。『若者のすべて』は特に「声」の質や力に左右される歌ではないだろうか。
 志村正彦の『若者のすべて』の声には独特の肌理がある。声は遠く彼方から訪れてくる。聴き手は声の肌理を感じとる。そして声は過ぎ去り、遠く彼方へと戻ってゆく。それでも声の肌理、その感触は聴き手の心にとどまる。

    (この項続く)

2019年10月27日日曜日

槇原敬之『若者のすべて ~Makihara Band Session~』[志村正彦LN238]

 10月23日、朝刊を読んでいると、ある全面広告が目に飛び込んできた。槇原敬之『The Best of Listen To The Music』。そろそろリリースされるかと思っていたところ、この日が発売日だった。(朝日新聞で見たのだが、他の全国紙や地方紙で掲載されたかは分からない)2020年にデビュー30周年を迎える記念として初のカバー曲のベストアルバムであり、志村正彦・フジファブリックの『若者のすべて』がカバーされると告げられていた作品である。

 紙面の上半分は槇原の写真。ウェリントン型のメガネをかけておだやかに微笑んでいる。ブルーのコーデュロイジャケットに白いシャツとネクタイ。カジュアルな正装だろうか。背景には落ち着いた山吹色の幕。髭には白いものが混じている。1969年生まれということは今年五十歳。年齢にふさわしい落ちついた彩りの写真だった。
 視線を下に移すと、収録曲のクレジットがあった。すぐにあの曲を探した。


  14. 若者のすべて ~Makihara Band Session~
          作詞・作曲:志村正彦


 「作詞・作曲:志村正彦」という記載があった。カバー曲の場合、広告などではオリジナル曲の歌手や演奏者が書かれるだけのことが多いが、作詞・作曲者名も記されるべきだということをこのブログでくりかえし主張してきた筆者にとっては非常にうれしい記述だった。小さな文字ではあったが、「志村正彦」という名が全国紙の全面広告の中にある。

 早速、『The Best of Listen To The Music』初回限定盤を注文して聴いてみた。
 『若者のすべて』は「Makihara Band Session」と付記されているように、完璧なバンドサウンドになっている。もともと、アルバム『Listen To The Music 3』のライブのバンドメンバーによるセッションの音をもとに完成したそうだ。このライブ映像は『Listen To The Music The Live ~うたのお☆も☆て☆な☆し 2014 』としてDVD化されているが、今回の音源はストリングスも加えられて練り上げられた音になっている。



 これから聴く人もいるだろうから、感想を簡潔に述べたい。
 志村正彦の『若者のすべて』には、「ない」という不在の感覚が通奏低音のように響いているが、槇原敬之の『若者のすべて』では、「ある」ことへの期待や希望が描かれている。そのように僕には聞こえてきた。かつて志村正彦が語ったように、同じ歌詞でも解釈が異なってくる。歌い手や歌い方によって歌の世界は多様に広がっていく。槇原の五十歳という年齢が、「ある」ことへの希求を歌に込めていったのかもしれない。

 オリコンニュース2019-10-26「カバーソングから考察する歌手・槇原敬之の魅力の真髄」という記事で、槇原の言葉が紹介されている。


 槇原自身は「本当はカバーよりも本人の歌っているバージョンが一番良いとは思います」としながらも、「カバー・アルバムを作るときはちょっと角度が違いまして。僕自身の「音楽好きの歴史」というのは50年になるわけです。そちらの(音楽好きの)自分が、『なんでこの人はこんな良い曲を作ったんだ』とか、『この曲作るなんて本当に天才だな』とか、『本当にこの曲に救われたな』という曲ばかりを集めて、自分で勝手に尊敬の気持ちを込めてカバーさせていただいているんです」と、カバー曲に取り組んできた姿勢を語っている。


 『若者のすべて ~Makihara Band Session~』はとても丁寧に緻密にそして想いを込めて制作されている。槇原敬之のこの曲への「尊敬の気持ち」が自然に伝わってくる。
 なお、この記事には、オリコンモニターリサーチによって10~50代以上のモニターの男女1365名に全15曲のダイジェスト版を聴いてもらって作成した「好きな曲ランキング」が掲載されている。『若者のすべて ~Makihara Band Session~』は総合7位となかなか健闘している。最近この曲の知名度が上がったことも影響しているのだろう。

 11月2日(土)午後11・00~11・30の『SONGS』(NHK総合)に槇原が出演する。すでにご存じの人も多いだろうが、松任谷由実『Hello, my friend』、フジファブリック『若者のすべて』、エルトン・ジョン『Your Song』が歌われるそうだ。この三曲の選曲だけで僕は胸がいっぱいになった。
 「運命」なんて便利なもので、文脈は異なるが、そのように語ってみたい気もした。『若者のすべて』のこれまでとこれから、その軌跡そしてその運命を、まぶた閉じて浮かべている。

2019年10月22日火曜日

金木犀の香り、ふたたび。 [志村正彦LN237]

 一週間ほど前からだが、ほのかに金木犀の香りがする。九月の下旬に香り始めたと以前書いた。でもすぐに消えてしまった。今年はほんの短い間だけなのかと思っていたら、このところふたたび金木犀の香りが漂う。どういうことなのか。花についても植物についても知識がないが、一部の花が咲き始め、遅れて、別の花が咲いたということなのか。とにかく例年にない現象だ。不思議である。

 20日、フジファブリック 15th anniversaryのSPECIAL LIVE at 大阪城ホール2019「IN MY TOWN」が成功のうちに終わったようだ。フジファブリックのファンにとって特別なライブだったのだろう。そのことは祝福したい。12月にwowowで放送されるのでそれを待ちたい。

 今日は朝から冷たい雨が降っていた。祝日で一日家にいたが、冬物を取り出した。ついこの前まで夏の暑さが続いていた。台風が来て、悲惨な災害が起きた。山梨は東京方面の交通が断絶した。季節の変調が続いている。
 夕方、「富士山で初冠雪 例年より22日遅く」とニュースが伝えていた。一日でかなり雪を被った富士山の映像。これまでは夏山のような富士山だったのに、一日で景色が変わった。

 金木犀の香りに戻りたい。今年の不思議な香り方は、金木犀がその香りの名残を惜しんでいたのかもしれない。過ぎ去ってしまわないようにと。
 志村正彦・フジファブリックの『赤黄色の金木犀』は、時間や季節の流れ方を歌っている。過ぎ去ったものを追いかけていく。


  もしも 過ぎ去りしあなたに 全て 伝えられるのならば
  それは 叶えられないとしても 心の中 準備をしていた


 「過ぎ去りしあなた」に伝えることは「叶えられない」。時を遡ることは不可能だが、そうだとしても「準備をしていた」「心の中」は何を追い求めていたのか。準備するのは時間との対話でもある。


  冷夏が続いたせいか今年は なんだか時が進むのが早い
  僕は残りの月にする事を 決めて歩くスピードを上げた


 「時が進むのが早い」ことに気づいた「僕」は「歩くスピード」を上げて、「残りの月」にする何を決めたのか。歩行の速度がその何かを追いかけていく。

 すべては「冷夏が続いた」せいなのか。季節の変調に呼応するかのように、「僕」は時の速度を感じ、時の流れを想う。「僕」は「過ぎ去りし」ひとやものやことを追いかけようとする。ほんとうは逆転していて、「過ぎ去りし」ひとやものやことが「僕」を追いかけてくるのかもしれない。


  赤黄色の金木犀の香りがして たまらなくなって
  何故か無駄に胸が 騒いでしまう帰り道


 一度消えてからふたたび香り始めた金木犀。香りがその香りを想起させるためにもう一度、いや何度も漂いだすかのように。なんだかたまらなくなった。追いかけていくもの。追いかけてくるもの。過ぎ去っていくもの。回帰してくるもの。

 今年の秋は、金木犀がふたたび香り、「たまらなくなって 何故か無駄に胸が 騒いでしまう」ような経験をした。そのことをこれからも想いだすだろう。
 秋は短く、もう冬が訪れる。

2019年10月13日日曜日

『別冊 音楽と人×フジファブリック』[志村正彦LN236]

 10月初旬、『別冊 音楽と人×フジファブリック』という増刊号が出された。雑誌増刊号ではあるが、フジファブリック単体を対象とする一冊の刊行物としては、単行本『FAB BOOK』フジファブリック(2010/6)以来のことだろう。主な記事を次に掲げる。

・インタビュー「僕とフジファブリック」山内総一郎・加藤慎一・金澤ダイスケ
・音楽と人アーカイブpart1 志村正彦記念館
・音楽と人アーカイブpart2 フジファブリック
・居酒屋でゆるいかトーク

 このうち、3万字に及ぶインタビュー「僕とフジファブリック」は、長年の間フジファブリックの良き取材者である「音楽と人」編集部の樋口靖幸氏による(と思われる)三人のメンバーへのインタビュー記事だ。山内・加藤・金澤の三氏が志村正彦・フジファブリックとの出会いや加入の経緯、自らの性格、作品作り、これからのフジファブリックについて述べている。特にあまり単独の取材対象にならない加藤氏・金澤氏の発言を読むことができる。
 「僕とフジファブリック」というテーマが示すように、三人各々が個人「僕」という視点で「フジファブリック」を語っていて興味深い。志村正彦の関わりについても貴重な証言がある。

 まだ発売されたばかりの雑誌増刊号であるので、「僕とフジファブリック」というテーマに特にかかわる箇所だけ簡潔に引用したい。-以下は樋口氏の問いかけである。


・山内総一郎
-アニバーサリーなのにね。大阪城ホールでワンマンやるし、どんだけ花火が打ち上がってるアルバム[『F』]と思いきや(笑)。
「派手ではないですよね。でも今もフジファブリックっていうバンドをもっと理解したいと思ってますし、自分も裸にならないといけないし、そのために戦わないといけない。それでどうにか、僕らの音楽が誰かの勇気とか喜びとかに繫がっていくのかなって。で、その繰り返しが人生なのかなって」
-でも、今日のこの会話もそうだけど、志村くんが作った曲も含め、総くんはこのバンドで歌を唄うことでしか、裸になれないような気がします。もっと言うと、人生をフジファブリックの曲に導かれてるというか。
「導かれてる……そういうところもあるかもしれないですね」

・加藤慎一
 -フジファブリックらしさって、最初は志村くんが持ってたもので。
「そうですね」
-それを受け継いでるのとは違うけど、もともと加藤さんの中にも同じ〈らしさ〉があるってことなんじゃないか……と、今話をしてて思いました。
「まあでも、それは志村の曲がすごく面白くて、好きだから。そこに惹かれてこのバンドに入ったっていうのもあるし……」

・金澤ダイスケ
-これからフジファブリックの一員として、どうなっていきたいですか?
「やっぱりもっともっと矢面に立てるような存在にならないといけないなと思います。もともと目立ちたがり屋なんだし」
-大阪城ホールっていう大きな舞台に立つわけだし。
「そう。ちゃんと胸を張れるようにしなければいけないですね。そのためにはもっと自分と向き合って、もっと自分を表現できるようになりたいし、そういう曲がもっと書けるようになりたいですね」


 樋口靖幸氏の「人生をフジファブリックの曲に導かれてる」という的確な指摘は山内氏に対すものだが、加藤氏・金澤氏にも当てはまる。この文脈での「フジファブリックの曲」はその多くが志村正彦の作品を指すのだろう。そして、山内氏の「今もフジファブリックっていうバンドをもっと理解したい」という気持ち、加藤氏自身の持つ「フジファブリックらしさ」、金澤氏の「フジファブリックの一員」としての存在への抱負、それぞれが、「志村正彦のフジファブリック」に導かれて歩んできた「僕」の現在を語っている。そして三人ともに、作品作りへの強い想いと自分を自分らしい形で表現することへの決意を述べている。「フジファブリック」は志村正彦の作った「作品」であるのだからそれは必然である。

 この増刊号には二つのアーカイブが収録されている。「音楽と人アーカイブpart1 志村正彦記念館」は2009年までの「音楽と人」記事再録と未公開写真、「音楽と人アーカイブpart2 フジファブリック」は2010年以降の記事再録。特に「志村正彦記念館」には入手困難な記事が再録されているので大切な保存版となる。記念館の扉の33頁に「音楽と人」2004年12月号未掲載カット(撮影:磯部昭子)の横顔の写真が載っている。遠くを見つめている志村の眼差しが印象深い。


2019年9月30日月曜日

《ロックの歌詞》出張講義 [志村正彦LN235]

 勤め先の山梨英和大学では高校生対象の出張講義を実施している。専任教員が27名ほどの小さな大学だが、一人ひとりがテーマを設けて出張講義の冊子を作り、県内や近県の高校に送付している。
 僕の設定したテーマは「ロックの歌詞から日本語の詩的表現を考える」。志村正彦・フジファブリックの『若者のすべて』を教材にして、詩的表現を鑑賞して分析する授業である。

 今回、長野県の駒ヶ根市にある高校からこのテーマでの出張講義を依頼された。高校1年生と2年生のグループに対して60分の授業を二回行う。昨年この授業を甲府市内の高校で実施した時は80分だったので、その時使用した資料やワークシートを60分用に再編集したが、新たに書き加えた部分も多かった。最近の『若者のすべて』カバーの盛況を伝えるためのDVDも作成した。長野の高校生に授業ができる大切な機会なのでいろいろと準備した。

 9月27日の金曜日、資料・DVD・PC等の機材を車に乗せて大学を出発した。その時に偶然、『赤黄色の金木犀』がFM-FUJIから流れてきた。DJはこの季節の曲だという紹介をしていた。なんだかこの出張講義への声援のようにも聞こえてきた。この曲のミュージックビデオは長野県上田市で撮影されたことも思い出した。

 甲府から駒ヶ根までは車で2時間近くかかる。往復で4時間。それなりの長旅だ。地図上の感覚では南アルプスを超えた向こう側に位置しているが、車のルートでは中央自動車道で大きく迂回していく。この日は天気が良く、フロントガラス越しに山々の稜線が美しく見えた。山梨の反対側から南アルプスを眺めることになった。

 高校に無事到着。教室に案内される。生徒は第1回目が14人、2回目が7人。僕の授業は、生徒や学生が読んだり聴いたり書いたり話し合ったりという所謂「アクティブラーニング」のスタイルなのでちょうどよい規模の数だった。本題に入る前に好きな音楽、歌手やバンドを質問してみた。RADWIMPS、back number、米津玄師の名が上がる。残念ながらフジファブリックはない。『若者のすべて』という曲を知っているかという問いに対しては一人だけ返事をした。8月のミュージックステーションでの演奏を見たそうである。山梨の高校生ならもっと知っているだろうが、隣県とはいえここは長野だ。知名度としては低いのだろう。

 今回の展開は、
1.『若者のすべて』のミュージックビデオを聴いて、心に浮かんだことを自由に言葉で表現していく。
2.三つの観点から『若者のすべて』の詩的表現を分析していく。
3.最初の感想と分析を通して得たものを総合させて考察文を書く。
 というものだった。授業であるからには展開を組織して、生徒の考察を深めていかなくてはならない。これは容易なことではなく、いつもその難しさと闘いながら実践を続けている。

 生徒は『若者のすべて』の物語内容について関心を持った。自分で読み解いたストーリーをグループで話し合う。解釈の違いが浮かび上がるのが楽しいようだった。表現面については、いつもは生徒自身が興味を持った表現を選んで自由に考察させるのだが、この日は全体で60分という時間の制約があったので僕の方から指示して生徒に考察を促した。選択したのは、「ないかな ないよな きっとね いないよな/会ったら言えるかな まぶた閉じて浮かべているよ」の一節。この表現について言葉の意味と音という観点から考えてワークシートに記入するように指示した。生徒が書き始める。言葉が進んでいく者。時々立ち止まりながら考える者。少し書きあぐねている者。志村正彦・フジファブリックの歌詞に触発されてどのような思考と表現を試みているのか。しばらく経ってから生徒の記述を確認した。中には「ない」という言葉の繰り返しや言葉の響きに注目した生徒もいた。だが全般的には十分な時間が取れなかったこともあり、課題の表現と深く対話することは難しいようだった。このような課題に取り組むためにはゆったりとした雰囲気とゆっくりした時間が必要だ。この経験は次回に活かしたい。

 講義の最後で、あくまで歌詞に対する一つの分析であることを断った上で、以前このブログにも書いたことに基づいて『若者のすべて』の優れた表現の特徴を生徒に説明してみた。その要点を以下に記す。


「ないかな ないよな きっとね いないよな」の一節には、再会することが「ない」あるいは誰かが「いない」、出来事の《否定》あるいは人の《不在》が強調されている。「ない」という否定形の反復、「・かな」「・よな」「・ね」「・よな」という助詞の付加が、ある種の曖昧さや余白を与え、聴き手の想像を引き出す。
純粋な音の響きとしては、「な・」「な・」「・な・」の不在を強調する「な」の頭韻と、「・かな」「・よな」「・よな」の「な」の脚韻がある。「な」の頭韻には強く高い響き、「な」の脚韻には柔らかく低い響きがある。「な」の音の強さと柔らかさが、縦糸と横糸になって織り込まれているような、見事な音の織物になっている。志村正彦の歌には《否定》や《不在》の表現が多いが、言葉の反復や音の響きを通じてそのような表現の世界を構築している。

 
 これはワークシートの解答例として記述したもので、授業では口頭でもっと解きほぐして伝えた。
 自分の好きな歌の歌詞に対して、「言葉」や「表現」という観点であらためて向き合ってみると、新しい発見や解釈が生まれることがある。そのような行為が思考や表現の力を築いていくことにつながる。そのことを生徒に伝えて出張講義を終えた。


[付記]
 長野に出かけた27日、まだ金木犀の香りはしなかった。翌日の28日になると、ほのかに金木犀が香り始めた。僕の住む界隈では毎年、25日か26日頃に香りだす。夏がまだ過ぎ去っていない気候のせいか、今年は少し遅かった。
 どこから漂ってくるのかは分からない。それがまた金木犀の香りの特徴だろう。どこからかは定かでないが、毎年どこからかは訪れてくる香り。同じように『赤黄色の金木犀』の歌も九月下旬という季節にどこからか流れてくる。そのような感触がこの歌にはある。

2019年9月22日日曜日

2019年夏の番組 [志村正彦LN234]

 今年、2019年の夏、フジファブリックが出演した主要な番組を振り返りたい。


・8/9(金)20:00~20:55、テレビ朝日「ミュージックステーション」
  演奏:『若者のすべて』

・8/25(日)24:30~25:25、フジテレビ「Love music」
  演奏:『若者のすべて』

・8/31(土)24:58~26:08、TBS「COUNT DOWN TV」
  演奏:『手紙』

・9/2(月)26:20~26:50、テレビ東京「プレミアMelodiX!」
  演奏:『カンヌの休日』

・9/6(金)25:29~26:29、日本テレビ「バズリズム02」
  演奏:『手紙』

・9/7(土)25:00~25:55、BSフジ「LIFE of FUJIFABRIC」
  演奏:『陽炎』(フジファブリック×三原健司【フレデリック】)、『手紙』、『LIFE』


 以上だが、地上波民放局のすべてに出演したことになる。志村正彦没後10年、フジファブリック結成15年という年であり、ますます名声が高まる『若者のすべて』が夏の歌であることから、2019年の夏は集中的な番組出演となった。志村正彦そしてフジファブリックの歴史を振り返ると共に、記念アルバム『FAB BOX III』、『FAB LIST 1』、『FAB LIST 1』のリリース、10/20(日)フジファブリック 15th anniversary SPECIAL LIVE at 大阪城ホール2019「IN MY TOWN」の宣伝も意図したものだろう。

 演奏曲は、テレビ朝日「ミュージックステーション」とフジテレビ「Love music」が『若者のすべて』。その後は、『手紙』を中心に『カンヌの休日』『LIFE』、三原健司【フレデリック】をボーカルに入れた『陽炎』という流れだった。山内の故郷である大阪城ホールでのコンサートのテーマが「IN MY TOWN」であり、『手紙』はそのテーマ曲のような扱いでもある。

 テレビ朝日「ミュージックステーション」についてはすでに志村正彦LN228に記した。今回はそのほかの番組から印象に残った言葉や事柄について書いてみたい。
 フジテレビ「Love music」では、「志村正彦没後10年愛され続ける名曲」として『若者のすべて』が紹介されて、この曲についてのメンバー3人のコメントがあった。


山内:リリースされてから十年以上経っていますし、今年志村君が亡くなって10年なんですけど、志村君と頑張って作ったというとあれですけど本当にいい曲が出来たっていう手応えがあったんですね

加藤:この曲は歌詞が体験したことがなくても情景がやっぱり浮かぶ曲だと思いますねえ。

金澤:日本で生まれた育った皆さんのですねえ、その潜在的に持つ心情だったり風景だったりと……


 この番組では『若者のすべて』をフルヴァージョンで演奏した。メンバーの視線の向こう側に花火の映像を展開する演出が効果的だった。

 TBS系「COUNT DOWN TV」では、「ALBUM RECOMMEND」の2枚目として『FAB LIST』が取り上げられた。山内はこう述べていた。


すべての曲に思い入れはあるんですけど中でも「STAR」という曲が「FAB LIST 2」収録されているんですけども、この曲はですね、フジファブリックは2009年にボーカル・ギターの志村正彦という人間が他界しまして、バンドが本当に続けられるかどうか,続けることも出来ないだろうって思ってたところ、このメンバーでやっていこうと決めて最初に録った作った作品が「STAR」なので、その「STAR」ていう曲が思い出になるというかいろいろ自分たちにとっても大切な曲になっています。


 このコメントがあったので、演奏されるのは『STAR』かと思ったが、実際は『手紙』だった。どちらかというと、テレビスタジオで演奏される『STAR』を聴いてみたかったのだが。

 BSフジ「LIFE of FUJIFABRIC」は、フジファブリックを単独のテーマとした番組だった。 出演者は、山内総一郎、金澤ダイスケ、加藤慎一。コメントゲストは、綾小路 翔【氣志團】、奥田民生、岸田 繁【くるり】、刄田綴色(ドラマー)、原田公一(FREE,INC. 代表取締役)、薮下晃正(ソニー・ミュージックアソシエイテッドレコーズ)、今村圭介(EMI Records)。歌唱ゲストは三原健司(Vo./Gt.)【フレデリック】という面々。特に、原田公一、今村圭介の二氏が出演したのは特筆すべきことだった。志村正彦を見出し、そして育てた重要な二人だからだ。

 志村正彦・フジファブリックは若い世代のアーティストから高い支持を受けている。三原健司(フレデリック)もその一人であり、彼の唱法は『陽炎』の新しい魅力を伝えていた。『手紙』は現在のフジファブリックにとっての代表曲として、『LIFE』はおそらく番組タイトルとの関連で選ばれたのだろう。

 番組制作者の志村正彦・フジファブリックへのリスペクトがうかがわれる内容であり、ゲストのコメントはどれも興味深いものだった。そのなかで最も印象に残ったのは、次の問いかけに対する山内総一郎の回答だった。


 3人にとって志村正彦とは ――

稀有という言葉がありますけど、僕は唯一の人だと思いますし、だからこそ、フジファブリックというバンドにこんなに真剣になれているというか、人生をかけて、フジファブリックとして生きていこうって思うのは、やっぱり彼の存在があって、彼がない人生はない、なかったので、感謝していますし、ずっと仲間のミュージシャンという感じですね、はい。
生み出しつつ、新しいものをやっぱり生み出さないと、いけないですね、はい。


 山内は志村に対する想いを「彼がない人生はない、なかったので、感謝しています」と正直に吐露している。誤解を恐れずにあえて書くが、彼の現在のポジションは志村正彦という存在がなければ獲得できなかったものである。「感謝」という表現は、一人の人間としての山内が志村に対してどのような関係の意識を持っているのかを示している。しかし、表現者は言葉で表明するだけでなく、作品の創造を通じて「感謝」を表現していかなければならない。表現を仕事とする者の孤独で時に過酷な現実がある。

 前回まで四回にわたって、「闘い」というキーワードで志村正彦の軌跡を振り返ってきた。2010年以降のフジファブリックには、志村が自らとフジファブリックというバンドに求めたような「闘い」の軌跡はあまり見られない。山内、金澤、加藤の三氏はこの十年間、「闘った」というよりも「守った」のだろう。バンドの継続そしてバンドマンとしての生活を守ってきた。日々の生活を守ることは生きることの根本である。『FAB BOX III』も『FAB LIST 1』も守ったことの成果かもしれない。守ることも闘うことではある。そう考えることは可能だ。しかし、守るだけでは新しいものを創り出すことはできない。
 コメント最後の「生み出しつつ、新しいものをやっぱり生み出さないと、いけないですね」には、志村正彦のフジファブリックとは異なる「新しいもの」をまだ創造していないという自己認識が現れているのではないか。新しいものを生み出すためには「闘い」が必要である。番組最後で山内自身も「闘っていかないといけない」と述べていた。
 フジファブリックがフジファブリックであるためには、創造のための闘いが必要である。守ることと闘うことの間に、現在のフジファブリックのアポリアがある。


 今年の夏は志村正彦そしてフジファブリックに対して様々な言葉が語られてきた。BSフジ「LIFE of FUJIFABRIC」冒頭の岸田繁【くるり】の発言を引用してこの回を閉じたい。


表現者としてあるいは詩人としてすごいポテンシャルが高くてエネルギーの強いシンガーソングライターがいたバンドで


 「表現者としてあるいは詩人として」という捉え方、「すごいポテンシャルが高くてエネルギーの強い」という評価の基軸には、同時代の優れた音楽家である岸田繁の明確な意志がうかがえる。そして「シンガーソングライターがいたバンド」という過去形の表現から、岸田の喪失感が伝わってくる。
 2019年夏の時点で志村正彦・フジファブリックはどう評価されているのか。その貴重な証言として記憶される言葉だろう。

2019年9月15日日曜日

「闘い」の記録 [志村正彦LN233]

 「闘いの場」「音楽との闘い」「仕事としてのフジファブリック」と三回続けて、《闘い》をキーワードにして、志村正彦の軌跡について書いてきた。

 志村の人生の軌跡は、「志村日記」(『東京、音楽、ロックンロール 完全版』)に記された彼自身の言葉によってたどることができる。また、『FAB BOOK―フジファブリック』や様々な雑誌にインタビュー記事が載せられ、ドキュメンタリー映像もDVD「FAB MOVIES DOCUMENT映像集」(『FAB BOX』)、そして今回のDVD「ディレクターズカット版 “CHRONICLE” スウェーデンレコーディング」(『FAB BOX III』)に記録されている。二十九歳で人生が閉じられた音楽家の「表現」と「仕事」の軌跡を、僕たちは幸いなことに(そう言うべきなのだろう)知ることができる。

 でもあらためて考えてみると、このようなことが可能になったのは取材者の情熱や努力によることも大きい。彼に関する記事を書籍、雑誌、ネットの記事で読むと、他の音楽家と比べても取材者や編集者に恵まれていたと言えるだろう。それは志村正彦という希有な表現者が彼らを魅了していたからにちがいない。
10月刊行予定の『別冊 音楽と人×フジファブリック 音楽と人増刊』にも、志村の良き理解者であった樋口靖幸氏による記事が再録されるのだろう。

 『FAB BOX III』、『Official Bootleg Live & Documentary Movies of "CHRONICLE TOUR"』の「ディレクターズカット版 “CHRONICLE” スウェーデンレコーディング」については、「Official Bootleg Live & Documentary Movies of "CHRONICLE TOUR"」氏(中也さん)の功績が大きい。彼が撮影した映像がなければこのDVDは不可能だった。

 ネットを検索して、「須藤中也ブログ 日々のあぶく」があることを知った。2004年から2016年までの記事を読むことができる。その中に「フジファブリックスペシャル」という2010年4月2日の記事がある。長文になるので部分に切り取って引用させていただく。


僕は2005年からずっとフジファブリックのドキュメントやオフショットを撮ってきました
そして撮影したものはMusic on TV!のフジファブリック スペシャルで形にしてきました
だからこのプログラムは僕のクロニクルでもあります
僕はこのバンドと出会わなかったらディレクターとしての人生は大きく変わっていたと思うし
多分曽我部さんやアナログフィッシュとの繋がりもなかった事でしょう
フジとの仕事は仕事であるけど、大事なライフワークでもあります
だから仕事を超えた何かがいつも作品を作ると残っていきました
僕を一回りも二回りも成長させてくれたバンドです

その頃(*2004年)、テレビで桜の季節のPVのスポットが流れてて
そのメロディーと歌詞の雰囲気にすぐさま心奪われ
いいPVだなと思い、こういう感じのバンドのPV作れたらいいだろうなーと傍で思いながら
久々にいいバンドが出て来たなと部屋の掃除をしながら思っていた記憶があります
だから完全に僕は1ファンでしかなかったのですが
まさかあの時はこんなに人生に深く関わるバンドになるとは思いもしませんでした

僕が初めてフジを撮ったのは2005年のロックインジャパン
初対面で緊張したし、自分の思うように撮れなくて
なんとなく撮影終わってへこんだりしました
そもそも僕も人見知りだし、メンバーも人見知りだったなと
今思えば、それはそれでその時にしか撮れないものが撮れていたと思えます
「フジファブリック SPECIAL 2005」は僕の初めてのフジ作品になります
僕のメイキング奮闘記でもあります
最後の茜色の夕陽がだんだん白黒になっていくのが印象的です
あとテレビ画面を8mmで撮ったオープニングも今見ると良い味だしてます

「フジファブリック ライブスペシャル 2006 完全版」は
今思えばクリスマスの日のスペシャルライブで
僕はバックステージで撮っていたけど
この時志村君が帽子のセレクトに悩んでて
たまたま僕の帽子を被ったら
それでステージに出てくれて
なんかすごい嬉しかった記憶があります

フジファブリック SPECIAL 「CHRONICLE」までのクロニクル
これは去年作った番組です。スウェーデンでのレコーディング風景とアルバム完成後のインタビューです
僕の位置づけとしてはアルバム「クロニクル」のDVDと対になった番組です
だから両方見てもらえるとクロニクルというアルバムが深くわかるのではと思いますし
二つ流れで見てもらうのが監督の気持ちとしては本望だったりします
インタビューの画の質感が気に入ってます
あとフジの歴史をビジュアル化させたオープニングが印象に残ってます


 この記事は、MUSIC ON! TVの「フジファブリック志村正彦 追悼特別編成企画」の「フジファブリックスペシャル2004~2009」2010年4月3日(土)18:00-23:00を紹介するためのものだが、「フジとの仕事は仕事であるけど、大事なライフワークでもあります」という言葉は2019年に『FAB BOX III』として具現化した。

   フジファブリック SPECIAL 「CHRONICLE」までのクロニクルの内容から、この番組が「ディレクターズカット版 “CHRONICLE” スウェーデンレコーディング」の原型ではないかと推測される。「クロニクル」の付属DVDと併せると「クロニクルというアルバムが深くわかる」というのが中也さんは述べているが、今回リリースされた『FAB BOX III』によって、アルバム『クロニクル』をそしてスウェーデンでの日々をさらに深く理解することができる。
 中也さんが志村の「闘い」を記録することによって、志村の闘いの軌跡をたどり、その意味を考えることが可能となった。

 音楽は完成された作品を聴くことだけで完結する。しかし、完成までの過程を知ることができるのも僕たちファンにとっては幸せなことである。特に映像の場合、たくさんの情報から様々なことを読みとることができる。作品と対話する経験を深める。

2019年9月8日日曜日

仕事としてのフジファブリック [志村正彦LN232]

 志村正彦は、ディレクターズカット版 “CHRONICLE” スウェーデンレコーディング(『FAB BOX III』「Official Bootleg Live & Documentary Movies of "CHRONICLE TOUR"」DISC1)の冒頭、チャプター1「2009/2/9 Stockholm」で次のように語っている。2/9という日は、スウェーデンでの仕事がほぼ終わった頃である。


『Teenager』が去年の1月に出て、今2月になってスウェーデンでレコーディングをしてますけど、まあ一年ちょっと経ってますけど、その間にですね、まず感じたのは、自分のスキルというか曲作りの精度、言いたいことの方向性っていうものをもうちょっと明確にしていかないと先に進まないなあというのが根本的にあって。

フジファブリックは、正直言うと僕はメンバーにすごい助けられている部分がとてもあってですね、いつもダイちゃん、カトーさん、総くん、サポートドラマーの方にいつも、なんて言うんでかねえ、支えられてほんとうにやってきたんですけど。

それも素晴らしいんですけど、一人で根本的にスタートする、ものは、きっかけは、僕が作らないとそろそろいけないなと思ってですね、そういう自覚というか、それはフロントマンとしてあたりまえのことなんですけど、プロミュージシャンとして曲を一人でまずしっかり作れるような、一人でメロディをしっかり作れるような人間にプロミュージシャンになろうかなっていうのがとりあえず一番大きかったので。デモテープ作りとかすごい籠もってやっていましたよ、部屋で。


 自分のスキル、曲作りの精度、言いたいことの方向性を明確にすること。『CHRONICLE』はその実践でもあった。そして「一人で根本的にスタートする」ことへの決意が語られている。志村のフロントマンとしての自覚、プロミュージシャンとしての自立。プロフェッショナルとしての覚悟や意気込みが強くうかがえる発言である。

 志村にとってフジファブリックは、彼の言葉と楽曲を「表現」として具現化する媒体であると同時に、「仕事」としてのプロジェクト名であった。「仕事としてのフジファブリック」のリーダーとしてプロジェクトを率いてきた。頭角を現してきたロックバンドのフロントマンとしてレコード会社や所属事務所の期待にも応える。アルバムでその成果を出す。2009年はそのプロジェクトが大きく開花する時期でもあった。
 彼自身はもとよりメンバーやスタッフの生活の糧を得ることは仕事としての必然である。表に出すことはないにしても、志村家の長男として将来は家を支えていくという意識もおそらくあっただろう。(僕もそうだが、山梨のような田舎で生まれた長男にはそのような意識がまだ残っている)
 志村は職業として音楽家を選択した。そのための努力を惜しむことはなかった。計画作りも綿密に行っていた。彼の発言の記録からその姿がうかがえる。

 彼はDVDチャプター13でこう述べている。


闘っていましたねえ。ホテルのロビーでみんながご飯食べに行っているなか、一人でこうピアノを鍵盤を弾きながら曲を作って、ギター弾いてベース弾いてマイク持ってきてマイクで歌ってレコーダーたてて、曲作って『Stockholm』ていう曲ができて。一刻もこう予断を許さないというか、そんな毎日でしたね、はい。


 志村正彦はフジファブリックという仕事と闘っていた。音楽の創造という純粋な闘いであると同時に、仕事という現実的な闘いでもあった。ルーティーンとしての日々の厳しい仕事に耐えること。スウェーデンレコーディングの記録映像はその闘いの軌跡も描いている。

2019年9月1日日曜日

音楽との闘い [志村正彦LN231]

 志村正彦にとってスウェーデンは闘いの場であった。これまでもこれからも「ずっと闘っている」という意志と予感が確かな確信として彼にはあった。前回そのように書いた。
 ここで以前紹介した 『bounce』 310号(2009/5/25)のインタビュー(文:宮本英夫)をもう一度引用したい。宮本氏の問いかけに対して志村はこう述べている。


最後にひとつ、確かめたいことがあった。前作のインタヴューの際に彼は、これまでの作品のすべてに〈vs.精神〉があると言い、ファースト・フル・アルバムは〈自分vs.東京〉、2作目は〈自分vs.日本のロック・シーン〉、そして3作目は〈いまの自分vs.ティーンエイジャーの自分〉と語ってくれた。では、このアルバムはどうなんだろう?

「今回は〈音楽家の自分vs.自分〉という感じです。自分はちゃんと立派なミュージシャンになれたのか?ということとの闘いです。その答えはまだ出ていないですね。これから出たらいいなと思います」。


 ここにも、「自分はちゃんと立派なミュージシャンになれたのか?ということとの闘い」という発言がある。〈自分〉が〈音楽家の自分〉になるための闘いを志村自身が証言している。
 この宮本英夫氏による記事とも関連するもう一つの記事がある。同じく『CHRONICLE』発表時に『musicshelf』というwebで次のように語っている(文:久保田泰平氏)


ファースト・アルバムは東京vs.自分、セカンド・アルバムは当時の音楽シーンvs.フジファブリックっていうテーマがあって。で、前作の『TEENAGER』は東京vs.東京が好きになった自分、なんでもない日常だけど前向きに生きていればいいことあるさっていうテーマがあったんですけど、そこで思い描いていた自分のイメージにその後の自分が届いてないように思えたんですね。だから、今回は音楽vs.自分みたいな、そのぐらいまで根詰めてやってましたね。


 『bounce』 の記事(宮本英夫)と『musicshelf』の記事(久保田泰平氏)のアルバムごとの説明を併記してまとめてみよう。

 1st  2004年11月10日 『フジファブリック』
     〈自分vs.東京〉 〈東京vs.自分〉

 2nd 2005年11月 9日  『FAB FOX』
        〈自分vs.日本のロック・シーン〉 〈当時の音楽シーンvs.フジファブリック〉

 3rd 2008年1月23日   『TEENAGER』
    〈いまの自分vs.ティーンエイジャーの自分〉 〈東京vs.東京が好きになった自分〉 

 4th 2009年5月20日   『CHRONICLE』
          〈音楽家の自分vs.自分〉 〈音楽vs.自分〉

 説明の違いがあるのは 3rdアルバム『TEENAGER』である。しかしこれも、志村正彦の「いま」は「東京が好きになった自分」にあり、「ティーンエイジャー」の時代は富士吉田にいて「東京」との距離があったことを考えると、説明に矛盾はない。他のアルバムはほぼ同じである。

 二つのインタビューとも最初読んだ時には「vs.」は、対比や対立を表すための記号と捉えていた。しかし、『FAB BOX III』収録インタビューの「ずっと闘っている」という志村の肉声を聞くと、「vs.」は単なる対比・対立の記号ではなく、「闘い」そのものの記号であることにようやく気づいた。

 ディレクターズカット版 “CHRONICLE” スウェーデンレコーディング(『FAB BOX III』「Official Bootleg Live & Documentary Movies of "CHRONICLE TOUR"」DVD2枚中のDISC1)の「チャプター17」をあらためて再生してみた。志村の「ずっと闘っている」という発言のシーンである。
 このシーンには『ルーティーン』の最後の一節が流されている。


日が沈み 朝が来て
昨日もね 明日も 明後日も 明々後日も ずっとね


 志村の「日が沈み」の歌声が聞こえると、それに重なるようにインタビューの声が始まる。前回引用した部分でもある。


僕はたぶん音楽という仕事を続けていくかぎり、ずっと闘っていかなければいけないと思うんですよね。
だから気が休む時なんてほとんどないと思うんですけど、まあそういう日が来たらうれしいと思うんですけど、ないと思うぐらいほんとうに今もたぶん将来も音楽に夢中でしょうし、ずっと闘っている、と思いますよね。すごいミラクルが起きた場所だったと思います。


 発言中の「ずっと闘っている」という言葉の直後に『ルーティーン』の「ずっとね」という言葉が流れる。まるでインタビューの声と『ルーティーン』の声とが対話をしているかのように聞こえてくる。志村の二つの声によるデュエットのようなコーラスのような不思議な余韻があった。
 このシーンを編集した須藤中也氏や今村圭介氏の想いが込められた演出なのだろうが、このシーンに僕は心を揺さぶられた。ある種の啓示を得たような気もした。
 「折れちゃいそうな心だけど/君からもらった心がある」の「君」は「音楽」のことかもしれない。解釈はいろいろとあってよい。聴き手の自由である。『FAB BOX III』のこのシーンから、「音楽からもらった心」という意味合いが新たに伝わってきた。「今もたぶん将来も音楽に夢中でしょうし、ずっと闘っている、と思いますよね」という発言にも新たな意味が加えられた。

 志村の「音楽からもらった心」は、音楽を深く愛した。そして音楽から深く愛された。彼は音楽家を志した。しかし、音楽家となるのは闘いであり、闘い続けることであった。昨日も今日も、そして明日も明後日も明々後日も、ずっと闘っている。そのような闘いであった。
 
 音楽は愛である。音楽を創造することは音楽を愛することであるが、音楽と闘うことでもあった。 


2019年8月25日日曜日

闘いの場 [志村正彦LN230]

 「ディレクターズカット版 “CHRONICLE” スウェーデンレコーディング」(『FAB BOX III』「Official Bootleg Live & Documentary Movies of "CHRONICLE TOUR"」DVD2枚中のDISC1)には、ストックホルムでの記録映像が1時間17分ほど収録されている。特に、新たに公開された志村正彦やメンバーのインタビューが貴重である。撮影を担当したのは須藤中也氏(中也さん)。彼が撮った映像がなければ『FAB BOX III』は今の形では成立しなかっただろう。

 フジファブリックは『Sugar!!』『同じ月』の日本での録音を終えて、スウェーデンへと旅立つ。成田空港でパスポートを忘れた中也さんがなんとか出発に間に合うシーンも収められている。一行はSAS(スカンジナビア航空)に乗り、コペンハーゲンでトランジットしてストックホルム空港へ到着。空港ロビーで楽しそうに話したり、楽器や機材が壊れていないか確認したりと、海外ならではのシーンが続く。
 
 冬のストックホルムは雪や氷で覆われている。宿泊したホテルの近くにはスルッセンがあり、そこから眺めるガムラ・スタン(旧市街)のシーン。僕と妻も2年前の夏にこのあたりに泊まり、夜と昼に数時間かけて街を歩いた。ヨーロッパの旧市街は歩いてみることによって、その歴史や現在を身近に感じることができる。DVDには記憶の中の風景と重なる映像もあった。

 1月19日から2月12日まで三週間を超えるレコーディングがMonogramスタジオで始まる。志村正彦はこのスウェーデンレコーディングについてある決意を述べている。


スウェーデン、そうですね、僕は闘いに行きましたからねえ。
だから闘いの国でしたよ、やっぱり。


 その「闘い」の記録が様々なシーンによって構成されている。スタジオとホテルの往復生活。志村はホテルに帰ってからも一人で部屋にこもって制作を続ける。思い描いたように録音できた時の充実した表情。メンバーとのやりとりの中での笑顔。次第に疲労が蓄積されていく様子。「自分」と闘う志村の姿が映像に刻み込まれている。

 2月8日、『ルーティーン』を録音してレコーディング完了(翌々日が本当の最終日だったが)。2月9日、メンバー四人で船に乗ってユールゴーデン地区の動物園に遊びに行く。スケートをする子どもたち、戯れるメンバー。この日は天気も晴れていて、のどかなおだやかな雰囲気に心が安らぐ。過酷なスタジオ録音の終了後にこうした時間を持てたことは喜びだったろう。


 以前、『FAB BOX III 上映會』の記事で、上映のラストに映像に被さる形で志村正彦の「闘っている」という言葉が最も印象に残ったと書いた。その際に、『FAB BOX III』で正確な発言を確認したいと記した。このDVDにそのシーンがあったので文字に起こして引用したい。


僕はたぶん音楽という仕事を続けていくかぎり、ずっと闘っていかなければいけないと思うんですよね。
だから気が休む時なんてほとんどないと思うんですけど、まあそういう日が来たらうれしいと思うんですけど、ないと思うぐらいほんとうに今もたぶん将来も音楽に夢中でしょうし、ずっと闘っている、と思いますよね。
すごいミラクルが起きた場所だったと思います。


  「すごいミラクルが起きた場所」というのは文脈上、スウェーデンを指すのだろう。志村正彦はスウェーデンに闘いに行き、その意志の通りにすごいミラクルを起こした。スウェーデンは闘いの場でありミラクルの場であった。そして、これまでもこれからも「ずっと闘っている」という意志と予感が、確かな確信として彼にはあったのだろう。


[付記]数日前、このblogのページビュー数が25万を超えました。記事を読んでいただいている方々、tweetして紹介していただいている方々に感謝を申し上げます。

2019年8月18日日曜日

2019年夏の『若者のすべて』[志村正彦LN229]

 8月9日のミュージックステーション。志村正彦・フジファブリック『若者のすべて』の演奏は大きな反響を呼んだ。番組の録画を見直してみた。
 スタジオ収録用カメラはありのままの姿を映し出してしまうところがある。番組での加藤慎一、金澤ダイスケ、山内総一郎の三人の姿はいつもより年齢を感じさせた。加藤・金澤が39歳、山内が37歳、若者の季節をすでに過ぎた彼らが『若者のすべて』を歌い奏でる。もちろん、あらゆる歌は年に関係なく歌うことができる。しかし、歌のリアリティは歌い手という存在に支えられていることも確かだ。挿入された映像の志村正彦は二十代後半の声と身体のままである。2019年という時の区切りはそんなことも感じさせた。

 時間は前後するが、8月5日の河口湖湖上祭で、「路地裏の僕たち」による「河口湖湖上祭 若者のすべて花火プロジェクト」による花火が打ち上げられた。『FAB BOX III 上映會』と展示会の際に集まった協力金は71万を超えたそうだ。一人500円だったのでざっと計算すると1400人もの人が協力したことになる。僕は現地には行けなかったが、動画サイトでその映像を見ることができた。初めに志村正彦のことを伝えるアナウンスがあった。志村の歌声が会場に流れ、美しい花火の数々が夜空を飾っていた。いったん終わりかけ、少しの沈黙の後、ひときわ大きな花火が打ち上げられた。「最後の最後の花火」を意図した演出だろうか。余韻が残る終わり方だった。三分ほどの時間、その間の火花の一点一点の光の粒が一人一人のファンによって支えられていた。
 「同じ空を見上げているよ」、歌詞の最後の一節のように、志村を想う人々が現地であるいは動画を通じて、河口湖湖上祭の同じ空、同じ花火を見上げていた。

 8月8日、 槇原敬之が初のカバーベストアルバム『The Best of Listen To The Music』に『若者のすべて』を収録するというニュースがあった。槇原は10月にデビュー30年目を迎える。30周年イヤー第1弾作品として、 これまで3作あるカバーアルバム『Listen To The Music』シリーズの中から厳選された13曲にフジファブリック『若者のすべて』とYUKI『聞き間違い』が新たに録音されて全15曲が収録され、10月23日に発売されるそうだ。この収録曲が凄い。


■槇原敬之『The Best of Listen To The Music』収録曲
01. 君に、胸キュン。(YMO)
02. 月の舟(池田聡)
03. traveling(宇多田ヒカル)
04. Your Song(エルトン・ジョン)
05. 言葉にできない(小田和正)
06. ごはんができたよ(矢野顕子)
07. WHAT A WONDERFUL WORLD (ルイ・アームストロング)
08. ヨイトマケの唄(美輪明宏)
09. MAGIC TOUCH(山下達郎)
10. Hello,my friend(松任谷由実)
11. 時代(中島みゆき)
12. Rain(大江千里)
13. Missing(久保田利伸)
14. 若者のすべて(フジファブリック)※新録
15. 聞き間違い(YUKI)※新録
※カッコ内はオリジナル歌唱アーティスト


 『若者のすべて』が、『Your Song』(エルトン・ジョン)、『WHAT A WONDERFUL WORLD』(ルイ・アームストロング)という世界の名曲、『ヨイトマケの唄』(美輪明宏)、『Hello,my friend』(松任谷由実)、『時代』(中島みゆき)という日本の名曲、『君に、胸キュン。』(YMO)、『ごはんができたよ(矢野顕子)』という日本語ロックの秀作と並んでいる。これを知った時の驚き、喜び。月並みな言葉しか浮かばないが、嬉しさがこみ上げてきた。槇原敬之という傑出した歌い手による選曲の中で、『若者のすべて』は歌い継がれるべき名曲として認められた。『若者のすべて』はついにこのような並びの中で記憶されていくのだ。
(いつも書いていることだが、カバーソングの場合はオリジナル歌唱アーティストを記すのが通例だが、作詞作曲者名も記してほしい。15曲中、バンドによる作品は他に『君に、胸キュン。』(YMO)があるが、これは作詞:松本隆、作曲:細野晴臣、坂本龍一、高橋幸宏である。YMOというアーティスト名とともに、作詞作曲者名が重要であることが分かる)

 一昨日、県立図書館2階の郷土資料コーナーで調べ物をしていた。2階から1階を見下ろした時に、5年前の2014年7月、この場所で『ロックの詩人 志村正彦展』を開催した時のことを思い出した。あの時は志村正彦の没後五年、今年は十年である。年月は過ぎ去り、年齢は重ねられていく。
 図書館を後にして車に乗り込むと、『若者のすべて』が流れ始めた。午後3時過ぎ、FM FUJIだった。偶然の遭遇は幸せな気分をもたらす。家への帰路の途中。猛暑の甲府盆地。車の外では夏の光が溢れている。車の中では志村の声が響きわたっている。彼の声が夏の光を縫いあわせるようにして歩き出していった。
 この歌を愛する一人ひとりに、夏の『若者のすべて』がある。FM FUJIの ONAIR SONGSが僕にとって、2019年夏の『若者のすべて』となった。

2019年8月9日金曜日

『若者のすべて』の声と像(ミュージックステーション)[志村正彦LN228]

 今日8月9日、テレビ朝日「ミュージックステーション」にフジファブリックが初出演し、志村正彦作詞・作曲の『若者のすべて』を歌った。

 演奏の前に、『若者のすべて』、志村正彦、フジファブリックを紹介する時間があった。テロップとナレーションで構成されていたが、テロップだけを以下に記す。


フジファブリックが夏の名曲ライブ!
「若者のすべて」(07) 作詞・作曲:志村正彦

多くのアーテイストに愛される名曲
櫻井和寿 藤井フミヤ 槇原敬之 錚々たるアーティストがカバー

2009年12月24日
ボーカル&ギター志村正彦、急逝。

残された三人でバンドを存続
亡くなった志村正彦に代わりギターの山内総一郎がボーカルも担当
ロック界に確固たる地位を確立

デビュー15周年 志村正彦没後10年 Mステ初登場!
志村正彦の歌声とともにパフォーマンス!


 あくまで現在のフジファブリックからの視点ではあるが、簡潔に振り返っていた。伝えるべきことは伝えていた。この後、タモリと山内によるトークなどがあった。
 CM後に演奏が始まった。山内総一郎(Vo/G)、加藤慎一(B)、金澤ダイスケ(Key)、ゲストドラマー(ニコという方らしい)の四人編成。「志村正彦の歌声とともにパフォーマンス!」と予告されたからどのような演出になるのか、期待と不安が入り混じった気分で『若者のすべて』を聴くことになった。

 三人のメンバーともに緊張した表情。山内の声が幾分かこわばっている。Mステという番組でこの作品を歌う意味合いが迫ってくる。
 第1ブロックとその間奏の後で、「作詞作曲した志村正彦の過去映像と共演」というテロップが出て、おそらく『FAB BOX Ⅲ』収録の映像が流れる。志村が楽しそうに笑っているシーンだった。
 その後、いきなり、「すりむいたまま 僕はそっと歩き出して」という志村の声が始まる。映像が鮮明にになり、両国国技館ライブ時だと思われる志村の歌う姿が画面全体に現れた。この瞬間、心がかなり動かされた。どういう展開になっていくのだろうと想像するのもつかの間で、「歩き出して」のところでスタジオで歌う山内の映像と声がミックスされた。スタジオのスクリーンに志村の映像が投影されていることが分かった。
 「志村正彦の歌声とともにパフォーマンス!」と告げられたので、最先端の技術を作って加工された映像にでもなるのかなとも思っていたが、シンプルな手法による編集だった。奇を衒っていないという点ではこの手法は妥当であろう。

 しかし、違和感が残った。第1ブロックからいきなり最終パート近くの歌詞へと跳んでいったからである。ゴールデンタイムの放送という制約だろうか、5分ほどの曲を3分弱に縮められていた。
 歌詞を確認してみた。記録と記憶のために、歌われた部分を太字で歌われなかった部分をアンダーラインを引いて普通の字で示す。


  真夏のピークが去った 天気予報士がテレビで言ってた
  それでもいまだに街は 落ち着かないような 気がしている

  夕方5時のチャイムが 今日はなんだか胸に響いて
  「運命」なんて便利なものでぼんやりさせて

  最後の花火に今年もなったな
  何年経っても思い出してしまうな

  ないかな ないよな きっとね いないよな
  会ったら言えるかな まぶた閉じて浮かべているよ

  世界の約束を知って それなりになって また戻って

  街灯の明かりがまた 一つ点いて 帰りを急ぐよ
  途切れた夢の続きをとり戻したくなって

  最後の花火に今年もなったな
  何年経っても思い出してしまうな

  ないかな ないよな きっとね いないよな
  会ったら言えるかな まぶた閉じて浮かべているよ

  すりむいたまま 僕はそっと歩き出して

  最後の花火に今年もなったな
  何年経っても思い出してしまうな

  ないかな ないよな なんてね 思ってた
  まいったな まいったな 話すことに迷うな

  最後の最後の花火が終わったら
  僕らは変わるかな 同じ空を見上げているよ


 要するに第2ブロックのすべてと第3ブロックの重要な部分が欠落していた。Mステという番組がいつもこのように尺を短くするのかどうかは知らないが、民放の音楽番組ではよくあることなのだろう。仕方がないことかもしれない、しかしそう言ってしまえば、この歌が損なわれる。だから仕方がないとは言いたくない。非常に残念であったと記しておく。

 『若者のすべて』は歌の主体の「語り」によって成立している作品である。その語りの枠組や構造はこのブログで何度も書いてきた。聴き手は、志村正彦の語りの声と言葉を一つ一つたどることによって、心の中のスクリーンに自由に物語を描いていく。「夏の名曲」として愛されているゆえんである。
 特に「ないかな ないよな なんてね 思ってた/まいったな まいったな 話すことに迷うな」という転換がなければ、「最後の最後の花火」と「僕らは変わるかな」が登場する必然性が失われる。語りの本質が損なわれる。

 このような疑問が残ったのだが、ミュージックステーションという長い伝統のある番組で取り上げられたのは、ファンの一人として率直にうれしかった。そして演奏終了時の山内、加藤、金澤の眼差しには志村正彦への想いが込められていた。三人にとっても特別な場所と時間だったのだろう。

 2019年の夏、志村正彦は、出演を希望していたというミュージックステーションで、「すりむいたまま 僕はそっと歩き出して」と歌った。そのように記憶したい。声と像は、歌い続けることができる。

2019年8月4日日曜日

〈音楽家の自分vs.自分〉-『同じ月』5 [志村正彦LN227]

 今日、『FAB BOX III』の「Official Bootleg Live & Documentary Movies of "CHRONICLE TOUR"」のDVD2枚、計3時間40分に及ぶ映像を初めて通しで見た。

 DISC1(約1時間17分)は、ディレクターズカット版 “CHRONICLE” スウェーデンレコーディング。『CHRONICLE』付属DVDなどに収録されなかった映像が収められている。新たに公開された志村正彦のインタビューが貴重である。また、『同じ月』の日本のスタジオでの録音の様子も記録されていた。プロデューサーの亀田誠治と志村が話し合う場面や最終テイクの完了場面もあった。『Sugar!!』と同様に、『同じ月』もほぼ日本で完成されたと考えてよいだろう。

 DISC2(約2時間23分)の「ライブ映像」中の7曲目が『同じ月』だった。7月6日の『FAB BOX III 上映會』で見た映像と同一のものだろうが、印象は異なっていた。繰り返し見たせいだろうか、志村正彦の痩せた姿や伏し目がちに歌う表情が気になる。言葉のニュアンスを伝える力が弱く、サビで声を振り上げるところが痛々しい。MCや舞台裏で笑うシーンを見るとなんだかホッとするのだが。
 このツアーをなんとか成功させようとする意志は充分にうかがえる。逆に言うとその意志だけでステージに立っていたのだろうか。

 『同じ月』の歌詞に戻ろう。今回は最後の第3ブロックを読んでいきたい。


  君の言葉が今も僕の胸をしめつけるのです
  振り返っても仕方がないと 分かってはいるけれど

  にっちもさっちも どうにもこうにも変われずにいるよ Uh〜


  君の涙が今も僕の胸をしめつけるのです
  壊れそうに滲んで見える月を眺めているのです

  にっちもさっちも どうにもこうにも変われずにいるよ Uh〜


  僕は結局ちっとも何にも変われずにいるよ Uh〜


 「にっちもさっちも」という表現がユーモラスで、音の響きも面白い。この言葉は算盤用語に由来し、漢字では「二進も三進も」と書くそうだ。「二進」「三進」ともに2と3で割り切れることを意味し、反対に2や3でも割り切れないことを「二進も三進も行かない」と言うようになった。「にっちもさっちも」は、割り切れないこと、うまくいかないこと、どうにもできないことを表す。
 歌詞の文脈では、「君の言葉」「君の涙」を振り返っても仕方がない、分かってはいるけれど、割り切れない想いが残る、ということになるだろうか。行き詰ってどうにもできない。結局、「僕」は「何にも変われずにいる」。
 "CHRONICLE TOUR"のDVDを見て気づいたのだが、最後の「Uh〜」の節回しは独特で「志村節」と名付けていいかもしれない。反復される「Uh〜」に志村の想いが込められている。

 この歌を通して聴くと、冒頭の「この星空の下で僕は 君と同じ月を眺めているのだろうか」に対する応答は、「僕」は「壊れそうに滲んで見える月を眺めている」である。「僕」は「君と同じ月」ではなく、おそらく一人で「壊れそうに滲んで見える月」を眺めているのだ。あるいはかつて二人で見た「同じ月」は今「壊れそうに滲んで見える月」に変わってしまったということかもしれない。いつものようにと言うべきだろうか、「僕」の「月」に対する眼差しは孤独である。

 志村は『同じ月』を「自分用に作りました。人にあげる曲も最高だったけれども、今回は僕が歌うためだけに生まれてくれた曲」だと述べた。詩は自己に対する慰藉でもある。「僕は結局ちっとも何にも変われずにいるよ Uh〜」と歌うのは、自分を慰め、自分をいたわる行為でもある。それでも『同じ月』からは、どこか作者の志村が「変われずにいる」「僕」に対してある種の距離を取って歌っているようにも聞こえてくる。それは、作者、音楽家、表現者としての志村と、現実に生きる志村との距離の設定であり、分離でもある。

 志村正彦はあるインタビュー(『bounce』 310号2009/5/25、文・宮本英夫)で『CHRONICLE』について、「今回は〈音楽家の自分vs.自分〉という感じです。自分はちゃんと立派なミュージシャンになれたのか?ということとの闘いです。その答えはまだ出ていないですね。これから出たらいいなと思います」と語っていた。ここで「闘い」という言葉が使われたことに留意したい。『同じ月』も、月火水木金そして週末の「闘い」の軌跡でもあり、それゆえの慰藉を求める日々でもある。

 また彼は「今回はまったく意識せずに思ったことを完全ノンフィクションで歌ったというそれだけです」とも言っているが、それを額面通りに受け取ってはならないだろう。確かに内容は「完全ノンフィクション」なのかもしれない。しかし、音楽家としての志村正彦は、「完全ノンフィクション」を音楽として完成させている類い希な表現者でもあることを忘れてはならない。

2019年7月28日日曜日

「めくるめくストーリー」-『同じ月』4 [志村正彦LN226]

 一月ぶりに志村正彦・フジファブリックの『同じ月』に戻りたい。
 前回は第一ブロックを論じたので今回は第二ブロックとなる。このブロックは次の二つからなる。


  月曜日から始まって 火曜はいつも通りです
  水曜はなんか気抜けして 慌てて転びそうになって

  イチニサンとニーニッサンで動いてくこんな日々なのです
  何万回と繰り返される めくるめくストーリー


  木曜日にはやる事が 多すぎて手につかずなのです
  金曜日にはもうすぐな 週末に期待をするのです

  家にいたって どこにいたって ホントにつきない欲望だ
  映画を見て感激をしても すぐに忘れるから


 月曜日、火曜日は「いつも通り」だが、水曜日は「気抜け」し、木曜日は「やる事」が多すぎて、金曜日になると「週末」に期待する。
具体的な描写があるわけではないが、歌の主体の一週間のリズムが伝わってくる。「慌てて転びそうになって」「多すぎて手につかずなのです」「イチニサンとニーニッサンで動いてく」などというユーモラスな語り口から、作者志村正彦の素顔が現れている。飾り気のない実直さとでも言うべきか。そうして冷静に自分を観察している。

 志村正彦は、「イチニサンとニーニッサンで動いてくこんな日々」の中に「何万回と繰り返される めくるめくストーリー」を物語っていく。彼は繰り返される日々の出来事から、あまり気づかれることはない微細なものであるが、何かを契機に輝きはじめるものを見つけ出す。例えばそれは「四季盤」の作品に傑出した形で表現されている。一年という単位の繰り返しは、春・夏・秋・冬という季節の循環となる。その反復の中で、「桜」「陽炎」「金木犀」「銀河」の物語を紡ぎ出す。定型的な表現ではなく志村の眼差しが捉えた独特の景物の「めくるめくストーリー」でもある。

 この『同じ月』では繰り返しの単位が一週間となっている。月・火・水・木・金そして週末という、より日常的な単位での反復である。題名に「月」が入っていることも示唆的である。一週間が何度か繰り返されると「月」の単位となる。また、「昨日、明日、明後日、明明後日」と歌われる『ルーティーン』は、一日単位の繰り返しを描いている。
そして、アルバムタイトルの『CHRONICLE』は年代記・編年史のことだから、一年単位の繰り返しによって築かれていく人生の年代記を指している。

 「家にいたって どこにいたって ホントにつきない欲望だ」という表現がある。志村のすべての歌詞の中で「欲望」という言葉が使われているのはこの箇所だけである。尽きることのない欲望とは何か。具体的な文脈が語られていないのであくまでも想像になるが、歌うことの欲望、作品を創ることの欲望だと僕は捉える。
 時間の反復の感覚は、一年、一月、一週間、一日という単位で繰り返し表現されてきた。そのような時間の中の「めくるめくストーリー」を歌うのが志村正彦の欲望である。志村はその欲望について何も譲ることがなかった。欲望に忠実であった。優れた表現者の欲望とはそのようなものである。

2019年7月21日日曜日

NHK『沁(し)みる夜汽車』

 昨夜、7月20日、BS1スペシャル『沁(し)みる夜汽車 2019夏』が放送された。NHKのwebで次のように紹介されている番組だ。

寝入りばなの一時、旅情ある夜行列車がゆく。鉄道にまつわる素敵なお話、心に染み入るエピソードを一日のおわりにお届け。出会い、別れ、日々の営み。鉄道はそれぞれの人生にとって大切な役割を担っている。その中でも、人々の心に“沁みる”物語を取り上げご紹介していく。番組は駅や路線にまつわる心温まるストーリー、本当にあった「沁みる話」を現場取材のドキュメンタリー部分と再現イメージで構成していく。

 制作者側から“沁みる”物語を強調されると、少し引いてしまう人が多いかもしれないが、この『沁(し)みる夜汽車』は僕のようなすれっからしの心にも沁みてきた。

 「沁」は常用外漢字なので「(し)みる」と読み仮名が当てられている。そのような表記を避けるために他の字で代用することをしないで、この「沁」の字をあくまで使ったことには意味がある。漢字の形はまさしく文字通りである。「氵」と「心」が織り込まれている。「氵」はそのまま「涙」と捉えてもいい。あるいは何か心の中で流れていくもの、静かに流動するものとも考えられる。なにかが心の中を流れていく。それが「沁みる」なにかなのだろう。

 昨夜の五つの物語はどれも素晴らしかったのだが、「親子をつなぐ鉄道画~西武鉄道~」「50歳からの再出発~紀州鉄道~」がとりわけ沁みてきた。ネタバレになってしまうので内容には触れないが、親と子のすれ違いの行方を追う物語であった。

 今回の番組は、4月に放送された『沁(し)みる夜汽車』の続編である。4月放送版の第1話は「49歳差の友情~JR中央線~」だった。5年前のJR中央線が舞台。山梨から東京に単身赴任してきた56歳の男性が、電車の中で具合が悪くなった小学1年生の男子を助けたことから交流が始まる。49歳の差を超えた不思議な友情の物語。あたたかくてやわらかなものが沁みてくる。

 題名に「夜汽車」とあるが、「夜汽車」が舞台となっているわけではない。タイトルバックなどの映像として流されていて、物語全体の象徴として使われている。その夜汽車のシーンを見ると、志村正彦・フジファブリックの『夜汽車』が僕の心の中で再生されてくる。


  長いトンネルを抜ける 見知らぬ街を進む
  夜は更けていく 明かりは徐々に少なくなる

  話し疲れたあなたは 眠りの森へ行く

  夜汽車が峠を越える頃 そっと
  静かにあなたに本当の事を言おう

 
 この歌についてはもう何度か書いてきた。新たに付加できることもないのだが、「FAB LIST I - 2004~2009」投票に関連して、歌の完璧な叙情性という観点からすると、『夜汽車』はベスト3に入る作品であろう。
 志村の歌う「夜汽車」の物語は、具体的な出来事としては語られることがない。「長いトンネル」「見知らぬ街」「夜」「明かり」「峠」と、通り過ぎる場と時が描かれるだけである。
 「眠りの森へ行く」「あなた」に「本当の事を言おう」とする歌の主体。主体の想いそのものが叙情に純化されて、聴く者に静かに届けられる。聴く者の心に沁みてくる。
 なにかが心の中を静かに深く流れていく。それが志村正彦の叙情である。


 BS1スペシャル『沁(し)みる夜汽車』はもともと一話10分の作品。昨夜は五本分まとめての総集編だった。明日7月22日午後10時40分から一話ずつNHKBS1で放送される。

2019年7月10日水曜日

上映會のあるシーン[志村正彦LN225]

 今日7月10日は志村正彦の誕生日。そして『FAB BOX III』の発売日。予想より大きな箱が我が家にも昨日届けられた。まだ開封していない。なんだかもったいない気がする。週末までそのままにして落ち着いた気分の時に聴くことにしよう。

 上映會について書き切れなかったこと、とても大切なことを記したい。

 新装版『志村正彦全詩集』は会場入口のすぐ横で先行販売されていた。大きな看板があって目を引いた。
 初版は箱入りで重厚感があったが、新装版は全体として軽やかな印象だ。装丁家は初版と同様に名久井直子さん。スカイブルー系の薄い青色にかすかに緑系の色が入りこんでいる色合い。手触りがよくてめくりやすい紙質。あまり重くないので手に携えるのにも適している。新装版は手元に置いていつでも開いて読める。そんな親しみやすさがある。(まるで近代詩人の詩集のようだった質感を持った初版は本自体の価値が高い。愛蔵版や保存版としてこれからも愛されるだろう)


 購入してすぐに本を開けると、扉の志村正彦の写真が変更されていた。それを見て僕は心が動かされた。まだ一般発売されていないのでその写真について記すことは控えたいが、詩人としての志村を表象する素晴らしい写真である。この日の記念品として志村の描いたヤクザネコのステッカーが付いていた。しおりのようにして挟み込んだ。
  ホールで僕等の近くに座っていた二十代前半の男子二人もこの詩集を熱心に読んでいた。頁をめくり詩を追いかける眼差し。購入できた喜び。微笑ましく頼もしい。初版は法外な値段で取引されていて入手困難だった。だがこの新装版の発売によって、志村正彦の詩が新しい読者を獲得していくことだろう。最近聞き始めた若者たちが志村の詩の全貌に触れることができるのはとても喜ばしい。



 上映會について付言すれば、設置された装置の限界なのか、スクリーンに投影された映像、特に音質や音量にやや問題があったことは否めない。耳への刺激が少し強かったが次第に慣れてきた。個人が室内でDVD鑑賞する場合には映像も音声も調整可能ではあろうが。
 『FAB BOX III』のDVDは「Official Bootleg Live & Documentary Movies」と記されていたが、上映會の映像を見る限り、「Live」作品というよりも「Documentary」作品の色合いが強い。観客席の後ろから撮影された映像には客の後ろ姿や腕や指の動きが映り込んでいる。ノイズのように思われるかもしれないが、まるでその場にいるような臨場感を感じることもできる。やはり「Documentary」なのだ。2009年のファンの熱い想いが伝わってきた。
 

 上映中は冷静に観賞することにつとめたが、悲しみがこみ上げてきたシーンがあった。志村が富士急ハイランドで来年コンサートを行うと告知したシーンである。そのことを誇らしく思い、そして自らを鼓舞するかのようなポーズもあった。
 2010年7月の富士急ハイランドでどのようなコンサートが開かれたかを僕たちは知っている。そのことを知っている僕たちが、今、スクリーンの中で、故郷での大規模コンサートを告げる2009年の志村を目撃している。時間は確かに流れた。映像は時間をさかのぼろうとした。真逆の時間の流れの中で時が交錯し、スクリーンの志村が幻のように見えてきた。

 2010年は志村正彦・フジファブリックにとって飛躍となる年だった。富士急ハイランドはかつて奥田民生の音楽と出会った場所、志村の音楽家としての原点である場所だった。上映會会場の富士吉田市民会館とともに富士急ハイランドが彼にとってどれだけ意味のある場だったか。音楽家としての彼の軌跡の一つの到着点となり、そして新たな出発点となる地だった。

 残酷な現実が残された。
 そのように書いてはいけないのかもしれないが、上映會のあのシーンを見てその言葉が浮かんできた。上映會の最後までその想いを引きずっていた。でも、最後の最後の「闘っている」という志村の言葉を聴いて、引きずる想いから少しずつ離れていくことができた。
 残酷な現実が残されたなどと書くのはある種の感傷なのだろう。彼は残酷な現実とも闘っていたのだ。そして時間とも闘っていた。

 志村正彦は闘っていた。

 


2019年7月7日日曜日

7月6日『FAB BOX III 上映會』[志村正彦LN224]

 昨日7月6日、フジファブリック志村正彦没後10年『FAB BOX III 上映會』を見てきた。午後3時近くに僕と妻の二人は会場に到着。富士吉田市民会館に来るのも2014年4月の『live at 富士五湖文化センター上映會』以来だ。

 ほんの少しだけ雨が煙っている。富士山は残念だが姿を現さない。
 会場「ふじさんホール」の収容数は800人、午前と午後の二回上映ということは今日ここに1600人の志村正彦・フジファブリックを愛する人々が集う。これはやはり特筆すべきことだ。列に並んでいる人々を眺める。志村の同世代のファンが多いが、20代前後の若者たちもいる。そして意外というべきか、男性も少なくはない。

 会場の入り口には大きなポスターがスタンドにかけられていた。




 さっそく同時開催の「路地裏の僕たち」企画の『志村正彦展』に並ぶ長い列に加わったのだが、開始時間に間に合いそうもない。列から離れ、先行発売されていた新装版『志村正彦全詩集』を購入。薄青色の装丁になり手に取った感触もいい。新しい読者を獲得していくことだろう。

 会場に入った。前方に新倉山浅間講演から見た富士山の緞帳が広がる。ほぼ定刻通り、今村圭介ディレクター(EMI Records / UNIVERSAL MUSIC)の前説から上映會が始まった。DVDの総収録時間は430分、つまり7時間10分で偶然志村正彦の誕生日と同じ数字になったという話に感心した。今村氏の仕事のおかげで『FAB BOX Ⅲ 』そしてこれまでの『Ⅰ』も『Ⅱ』も存在している。

 あの大地讃頌のコーラスがしばらく流れてから幕が上がり映像がスタート。まず2004年のデビューから2009年までの歴史が振り返られる。中では『CHRONICLE』録音地ストックホルムのインタビュー映像が興味深かった。「スウェーデンレコーディングの未収録オフショット映像」から編集したものだろう。これまで公開されていない発言もあり、『FAB BOX III 』を入手してから丁寧に追っていきたい。

 演奏シーンではいくつか興味深いことがあった。
 「RISING SUN ROCK FESTIVAL 2005 in EZO」のリハーサルシーンと本番での『茜色の夕日』が素晴らしかった。2005年の志村の声はとても伸びやかで透明感もあり力強い。
 5周年ツアー時の『桜の季節』は歌詞の一部(坂の下 手を振り 別れを告げる/車は消えて行く そして追いかけていく/諦め立ち尽くす 心に決めたよ)が歌われなかった。なぜだろうか。歌詞の流れからするとこの箇所は必要がないかもしれない。かねてからそう考えていたのでこの改変には納得できたのだが、どういう意図からそうしたのかという関心を持った。

 最近このブログで書いている『同じ月』の演奏全篇が上映された。志村が「僕が歌うためだけに生まれてくれた曲」「自分で言ってしまうけど、最高だ。」と述べた曲だ。CD音源よりこのライブ映像の方がこの曲の魅力は増す。やや自分を突き放しているようなユーモアがあり、独特のゆるやかさで歌われていた。
 全体として志村の笑顔のシーンが多く含まれ、明るい激しい曲調の作品中心の構成だった。彼の足跡をたどり、2009年の映像に向き合うことが悲しくならないようにという配慮があったのだろう。

 一番心に刻まれたのは『雨のマーチ』。梅雨の季節、曇り時々小雨模様の日ということもあってか、昨日は特にこの曲が心に染み込んだ。


  ぽつりぽつりぽつりと ほろりほろりほろりと

  雨が降ったよ しとしと降ってたよ
  僕を通り過ぎて遠くにいった人
  時が経ったよ 戻れなくなっちゃったよ
  おあいこにしたり戻したり


 書き写していると、歌詞と楽曲の基調ともなる雨の風景が浮かび上がる。「時が経ったよ 戻れなくなっちゃったよ」という時間の感触が哀切に響く。「おあいこにしたり戻したり」といういくぶん無邪気でそして謎めいた表現が志村らしい。

 まだ半日しか経っていない上映會の印象を断片的に綴ってみた。『FAB BOX III』を視聴してから、気がついたり感じたりしたことをふたたび書いてみたい。

 終了後、「路地裏の僕たち」による『志村正彦展』を見ることができた。時間がなかったので駆け足だった。僕が関わった2014年『ロックの詩人志村正彦展』や2011年志村展で掲示した説明文も展示されていた。ありがたかった。
 今回おそらく初めて展示されたもの、これまで見たことのない写真のパネルもあり、とても充実した展示会だった。楽器類、服装や帽子も綺麗に並べられていた。準備や展示自体にかなりの時間がかかっただろう。僕たちファン一人ひとりにとってほんとうに貴重な機会となった。
 出口で、8月5日河口湖湖上祭「路地裏の僕たち」による花火打ち上げのための協力金を入れた。湖上祭ではどんな花火が打ち上げられるのだろか。『若者のすべて』が会場に響くのだろうか。楽しみである。
 そして久しぶりにお会いできた方々の元気な姿がうれしかった。

 最後に最も印象に残った志村正彦の言葉について記したい。
 2時間ほどの上映のラスト、映像の背後にかぶさる形で志村の言葉が場内に広がっていた。

  闘っている。

 という意味の言葉だった(と聞こえた。あるいは闘っていくだったかもしれないが。『FAB BOX III』で確認したい)

 志村正彦は何に対して闘っているのか。闘ってきたのか。闘おうとしているのか。
 音楽か、自分自身か、それとも世界か。
 ありふれた言葉をそこに入れてもしかたない。何と闘っているのか分からないこともある。分からないのだが、何かと闘っているという確信がある。そういうことかもしれない。あるいは闘っているという実感が自らの活動を支えることもある。自らの動力になることもある。

 そんなことを考えて甲府への帰路についた。

2019年6月30日日曜日

FAB LIST I - 2004~2009 投票結果 [志村正彦LN223]

 注目の「FAB LIST I - 2004~2009」投票結果が発表された。1位から15位までの15曲が『FAB LIST 1』に収録される。特設サイトから30位までの作品を列挙する。


 1 .赤黄色の金木犀
 2. 星降る夜になったら
 3. 若者のすべて
 4. 茜色の夕日
 5. バウムクーヘン
 6. 虹
 7. 陽炎
 8. サボテンレコード
 9. 銀河 (Album ver.)
10. 花屋の娘

11. ロマネ
12. Sugar!!
13. 笑ってサヨナラ
14. 桜の季節
15. Anthem
16. TAIFU
17. ペダル
18. ダンス2000
19. 記念写真
20. 線香花火

21. シェリー
22. TEENAGER
23. エイプリル
24. 花
25. 環状七号線
26. Day Dripper
27. 打上げ花火
28. タイムマシン
29. クロニクル
30. NAGISAにて


 僕が選んだのは『花』、『セレナーデ』、『ルーティーン』の三曲。『花』は24位、『セレナーデ』、『ルーティーン』は30位までにも入らず圏外。予想はしていたが、実際はどのくらいの投票だったのだろう。せめて50位くらいまで公表してもらえれば、フジファブリック・ファンの好みが分かるのだが。

 1位『赤黄色の金木犀』、2位『星降る夜になったら』、3位『若者のすべて』の並びで意外だったのは『星降る夜になったら』。この作品は作詞:志村正彦、作曲:金澤ダイスケ・志村正彦。フジファブリックの中では明るい曲調とロマンティックな歌詞が特徴である。若い世代に支持者が多いようだがそれが反映された2位なのだろう。3位の『若者のすべて』はトップ3に入るのは確実だと予想していた。志村正彦作品の中で最も知名度が高く、人々に愛されている曲であることは間違いない。

 『赤黄色の金木犀』が1位だったことには納得できる。歌詞、楽曲、演奏ともに完成度がきわめて高い。総合的な完成度という観点ではナンバー1といえるだろう。ファンが支持しているのもうなずける。
 歌詞の世界は、金木犀の花、香り、秋の季節感と日本文学の伝統とも呼応する。「過ぎ去りしあなたに」の「し」という文語助動詞も効いている。イントロアウトロの志村が奏でるアルペジオ。次第にスピート感を増すテンポ。言葉の世界と楽曲が見事に溶け合っている。ミュージックビデオの同一ポジションを維持した実験的な撮影も秀逸だ。
 以前この歌詞について書いた拙文を引用する。


  いつの間にか地面に映った
  影が伸びて解らなくなった
  赤黄色の金木犀の香りがして
  たまらなくなって
  何故か無駄に胸が
  騒いでしまう帰り道


 「影」を「僕」の「影」だと仮定してみる。そうなると、「影」は「僕」の「分身」ともなる。「僕」は僕の「影」を追いかける。あるいは僕の「影」が「僕」を追いかける。一日も終わる頃、夕陽をあびて、「影」は遠く果てまで伸びていく。陽も落ちると、周囲に溶けこみ、「僕」は「影」が解らなくなる。一日の時の流れの中で、「僕」は「影」を通じて、自分自身の「時」を追いかけているのかもしれない。

 それでも、金木犀は香り続けている。あたりの風景を香りで染め上げている。「僕」は平静でいられなくなり、「何故か」「無駄に」「胸が」「騒いでしまう」。一つひとつの言葉は分かりやすいものであっても、この配列で表現されると、なかなか解読しがたい。言葉の連鎖のあり方が単純な了解を阻んでいる。なぜ、「無駄に」胸が騒ぐのか。その理由は明かされることがなく、行間に沈められている。「僕」の「胸」にある想いを描くことは不可能だが、「無駄に」という形容は痛切に響く。


 あらためて『赤黄色の金木犀』を聴いてみた。
 歌詞の行間に沈められた作者志村の想いが静かに溢れてくる。
 「僕」は僕の「影」を追いかけ、僕の「影」が「僕」を追いかける。この曲には何かに追いかけられるような焦燥感がある。夕暮れ時に「僕」は「帰り道」にいるのだが、その道は遠く感じられる。
 「何故か」「無駄に」「胸が」「騒いでしまう」という言葉の連鎖は、志村正彦が表現した言葉の中でも最も痛切に哀切に響いてくる。

 日本語ロックの枠を超えて日本語の歌として傑出した作品『赤黄色の金木犀』がファン投票の1位だったことを素直に喜びたい。

 『FAB LIST 1』は8月28日EMI Records / UNIVERSAL MUSICから発売される。初回生産限定盤は、TOP15曲を収録したプレイリストCDとフジファブリックEMI在籍時代のツアーやライブより厳選した貴重なライブCDの2枚となる予定だ。

2019年6月23日日曜日

鏡としての月-『同じ月』3 [志村正彦LN222]

 『同じ月』(詞・曲:志村正彦)は主に三つのブロックから構成されている。

 第一は、冒頭の「この星空の下で僕は 君と同じ月を眺めているのだろうか Uh〜」という問いかけ。
 第二は、2,3連の「月曜日から始まって 火曜はいつも通りです/水曜はなんか気抜けして 慌てて転びそうになって」「イチニサンとニーニッサンで動いてくこんな日々なのです/何万回と繰り返される めくるめくストーリー」と6,7連の「木曜日にはやる事が 多すぎて手につかずなのです/金曜日にはもうすぐな 週末に期待をするのです」「家にいたって どこにいたって ホントにつきない欲望だ/映画を見て感激をしても すぐに忘れるから」から構成される「こんな日々」のブロック。

 第三は、4連「君の言葉が今も僕の胸をしめつけるのです/振り返っても仕方がないと 分かってはいるけれど」、8連「君の涙が今も僕の胸をしめつけるのです/壊れそうに滲んで見える月を眺めているのです」、5連「にっちもさっちも どうにもこうにも変われずにいるよ Uh〜」、12連「僕は結局ちっとも何にも変われずにいるよ Uh〜」から構成されるブロック。
 三つのブロックの鍵となる表現、モチーフは、第一が「同じ月」、第二が「こんな日々」「つきない欲望」、第三が「君の言葉」、「君の涙」であり、最終的には「僕は結局ちっとも何にも変われずにいるよ」に収斂していく。

 今回は第一のモチーフ、「同じ月」について考えてみたい。
志村正彦・フジファブリックのインディーズ時代の作品で、「月」は数多く歌われている。ここでは『午前三時』『浮雲』『お月様のっぺらぼう』の三作に注目したい。(初期では他に『環状7号線』『打ち上げ花火』『花』で「月」が登場する)


『午前3時』

  赤くなった君の髪が僕をちょっと孤独にさせた
  もやがかった街が僕を笑ってる様

  鏡に映る自分を見ていた
  自分に酔ってる様でやめた

  夜が明けるまで起きていようか
  今宵満月 ああ


『浮雲』

  登ろう いつもの丘に 満ちる欠ける月
  僕は浮き雲の様 揺れる草の香り

  (中略)

  独りで行くと決めたのだろう
  独りで行くと決めたのだろう


『お月様のっぺらぼう』

  眠気覚ましにと 飴一つ
  その場しのぎかな…いまひとつ
  俺、とうとう横になって ウトウトして
  俺、今夜も一人旅をする!

  あー ルナルナ お月様のっぺらぼう


 『午前3時』の「鏡に映る自分を見ていた」「僕」。『浮雲』の「独りで行くと決めたのだろう」と自らに語りかける「僕」。『お月様のっぺらぼう』の「今夜も一人旅をする!」「俺」。歌の主体である「僕」「俺」。作者の分身といえるこの一人称の主体は、「独りで行く」「一人旅をする」孤独な主体であるが、「鏡に映る自分を見ていた/自分に酔ってる様でやめた」とあるように、その孤独な「自分に酔う」ことからは距離を置いている。自分が自分に酔う「鏡」の効果から逃れている。

 歌詞の中の「月」はどのようなあり方を示しているのだろうか。
 満月 、満ちる欠ける月、「のっぺらぼう」の月。どちらかというと光に溢れた月がイメージの中心にある。太陽の光を受けてそれを反射する月。太陽という「他」が光の源であり、月はそれ「自」ら光を持たない。逆に言うと、「月」は「他」を反射する「鏡」である。そしてこの「他」と「自」の関係は象徴的に機能し、志村正彦の歌に作用している。

インディーズ時代の「月」が登場する三作を連鎖する光景を描いてみよう。
 夜、「独りで行く」主体。その視線の向こう側に「月」がある。主体は「月」を見つめる。「月」も主体を見つめる。主体の眼差しを反射する鏡のように「月」が空に浮かんでいる。志村はこのような光景を繰り返し歌った。

 『同じ月』は2009年『CHRONICLE』収録曲としてリリースされた。(作詞作曲は2008年7月)。初期からは数年の時間が流れている。「この星空の下で僕は 君と同じ月を眺めているのだろうか」という一節には、「僕」と「君」が登場する。一人ではなく二人であることに留意したい。

 月は古来から、遠く離れた恋人や友人が同時に眺めている景物として詩歌に登場してきた。月への想いはまるで鏡のように「自」と「他」、「他」と「自」を照らし合わせる。
 その伝統の中で作者志村正彦は、「僕」と「君」が「同じ月」を眺めているのだろうかと問いかける。異なる場所にいる。それでも同一の時間を共有している。そう想えるのかどうか。その問いかけがこの歌の起点となっている。

   (この項続く)

2019年6月16日日曜日

歌の作者と歌の主体-『同じ月』2[志村正彦LN221]

 前々回の記事で、志村正彦が『東京、音楽、ロックンロール 完全版』の「インタビュー」(p202)で、2008年の6,7月頃を指して、「この頃はまだポリープ中で、人の提供曲ばっかり書いていたけど、自分のためだけに作った曲を7月30日に書いて。これは4枚目のアルバム『CHRONICLE』に入っている”同じ月”って曲です。そのへんから徐々に回復していきました。」と述べていることを紹介した。
  この頃の状況について別の記事(『bounce』 310号2009/5/25、文・宮本英夫)ではこう語っている。


『TEENAGER』というアルバムを昨年1月にリリースして、5月31日に僕の中学時代からの夢だった(故郷の)山梨県富士吉田市富士五湖文化センターでライヴをやることができて、そこで夢を叶えてしまったんです。今後どうしたらいいんだ?ということを6~7月にずっと悩んでいて、その後、8月中旬に喉のポリープの手術をしました。僕は人から〈曲を作れ〉と言われると作らないタイプなんですけど、手術に失敗したら声が出なくなるかもしれないという話を聞いて、自発的に2~3週間でアルバム収録曲のほとんどを書いたんです。明日はどうなるかわからないと思った末に、後悔したくないし人のせいにしたくないというのがあったので、全作詞作曲とアレンジを僕が考えてやりました。28歳になったという意識も強くありましたし、28歳のミュージシャンがいろいろ考えている、切迫感が出ているアルバムになったと思います。


  「全作詞作曲とアレンジを僕が考えてやりました」という『CHRONICLE』収録曲の中で『同じ月』は特別な存在であった。志村は、「志村日記2008.07.30」(『東京、音楽、ロックンロール 完全版』所収)で、7月30日に書いた曲について次のように説明している。この作品が『同じ月』である。


   2008.07.30 スランプ脱出か?

 提供曲ばっかで、最近自分のために曲作ってなかったんで。自分用に作りました。人にあげる曲も最高だったけれども、今回は僕が歌うためだけに生まれてくれた曲。
 最高だ。自分で言ってしまうけど、最高だ。曲作ったりして2,3日もすると結構その曲になんとなく冷めてきたりするんですが、今回は、無い。多分リリースすると思う。っていうかしたいんですけど。志村、作曲モチベーション上がってます。
 ここからは暴露話。僕は正直、デビュー以降4年間くらい、作曲ペースがスランプ気味だったのですが、これからスゴいですよ。スランプでも今までのあのクオリティでしょ? それが自分でスランプ脱出しそうって言ってるんだから、そういうことです。


 この「僕が歌うためだけに生まれてくれた曲」が何よりも「最高だ。自分で言ってしまうけど、最高だ。」とされていることに注目すべきだろう。自分の作品についてどちらかというと控えめに抑制気味に語ることの多い彼だが、『同じ月』については「最高だ」という確信があったことがうかがわれる。「スランプ脱出」の悦びや開放感がその背景にあるのかもしれない。
 結果として、この『同じ月』はアルバム『CHRONICLE』の基調をなす作品となった。
 
 『bounce』 310号の記事は、初期の歌詞についての興味深い発言を記している。


昔のフジファブリックは、歌詞を見られて頭が悪いと思われたくないというのがとてもあって。文学的な感じに見られたいというのがあったんですけど、今回はまったく意識せずに思ったことを完全ノンフィクションで歌ったというそれだけです。怖いとか弱いとか臆病だとか、そういう歌詞は後ろ向きかもしれないですけど、それはネガティヴではなくて誰しも持っているものだと思うんですね。誰しも持っている後ろ向きなことを惜しまずに出した、という気持ちはあります。


 「歌詞を見られて頭が悪いと思われたくない」「文学的な感じに見られたい」というのは、読書好きの文学青年でもあった志村らしい発言だ。特に1stアルバム『フジファブリック』では、四季の風景や季節の感覚を定型から離れて表現する工夫や言葉の行間その余白を効果的に作用させる技術を駆使している。
 「今回は」「完全ノンフィクション」で歌ったという対比から、「昔」の作品にはフィクションが入り込んでいるという含意が読み取れる。例えば四季盤の作品には、幾分か虚構とも捉えられる「小さな物語」的な枠組がある。

 『桜の季節』の別離、『陽炎』の少年時代、『赤黄色の金木犀』の「帰り道」、『銀河』の「逃避行」。いずれも作者の私的経験にある程度まで基づいているのだろうが、その経験の断片は複雑に組み合わされながら「小さな物語」として構築されていく。それでも物語に収束するのではなく、その枠組の中で、主体が感じる現実的で切実な感覚とそれを包み込む風景や季節の感触とがファブリックのように織り込まれる。

 作者志村と歌の主体(志村の分身ではある)の「僕」との間にはある一定の距離、分離がある。小さな物語、フィクションとしての枠組がその距離を支えている。凡庸な歌との違いがここにある。彼の歌が詩として評価されるゆえんもまたここにある。フジファブリック初期作品の深さと豊かさは、作者志村正彦とその分身との分離によって成立していると考えられる。

 その文脈からすると、『CHRONICLE』収録曲は「完全ノンフィクション」を目指して、作者と歌の主体との距離を限りなく近づけた。「完全」とあるから、志村はその距離がほとんどゼロとなるように心がけた。それは勇気ある試みだった。フジファブリックの作品の可能性を広げたと同時に、志村正彦にとってみれば少なからぬ反作用もあったのかもしれない。

(この項続く)


2019年6月9日日曜日

King Crimson - Starless

 6月9日は69「ロックの日」、ということで短い記事というか映像紹介を一つ記したい。
 このところ土日まで仕事に追われテキストを書く時間がほとんどない。息抜きにyoutubeで遊んでいたところ、King Crimson の『Starless』に遭遇した。2015年来日時の収録らしいが、詳しいことは分からない。公式映像「DGM LIVE」で視聴できるのはありがたい。

 演奏メンバーはロバート・フリップ(G・Key)、ジャッコ・ジャクスジク(Vo・G)、メル・コリンズ(Sax・Flute)、トニー・レヴィン(Ba・Chapman Stick)、ギャヴィン・ハリソン(Dr・Perc)、パット・マステロット(Dr・Perc)、ビル・リーフリン(Dr・Perc・Key)のようだ。トリプルドラムの編成はきわめて珍しい。




 この曲は、1974年9月発表のアルバム『レッド』(Red)で初めて聴いた。もう45年前のことだ。1973年3月発表の『太陽と戦慄』(Larks' Tongues in Aspic)に驚嘆した僕はこのバンドのファンになっていた。GenesisとKing Crimsonが僕にとってのプログレッシブ・ロックのすべてだった。
 1984年4月、五反田簡易保険ホール。2003年4月、長野県松本文化会館。この二回はライブ演奏も聴いた。どちらも昔の話だが、音源とライブ演奏の差異を愉しむのがクリムゾン経験でもある。

 すでにこの映像は700万回以上視聴されている。キング・クリムゾンのファンがそれだけいるのは驚きだ。繰り返し聴くことが多いのだろうがそれにしてもすごい回数である。
 70歳近いロバート・フリップは相変わらずの演奏だが、全体として穏やかな感じが漂っている。これをどう捉えるかは聴き手の自由だが、様式としても演奏としても完成された音楽がここにはある。

 作曲は発表時のメンバー、ロバート・フリップ、ジョン・ウェットン、ビル・ブルーフォード、デヴィッド・クロス。 作詞はリチャード・パーマー・ジェイムス(Richard Palmer-James)。

 歌詞を引用したい。


  Sundown dazzling day
  Gold through my eyes
  But my eyes turned within
  Only see
  Starless and bible black

  Ice blue silver sky
  Fades into grey
  To a grey hope that oh years to be
  Starless and bible black

  Old friend charity
  Cruel twisted smile
  And the smile signals emptiness
  For me
  Starless and bible black


 久しぶりに歌を聴き、歌詞を読んだ。以前より色彩感の感触に心が動かされた。リリース時の音源とは2番と3番が入れ代わっている。最近のライブではこの順だが、こちらの方が色彩の変化や時間の経過が浮かび上がる。

 外界の色彩の溢れる世界が消えていく。内界の色彩のない世界、「Starless and bible black」へと。ロックの言葉と音楽の到達点の一つには違いない。
     

2019年6月2日日曜日

フジファブリックのネトネト言わせて #112 -『同じ月』1[志村正彦LN220]

 フジファブリック 志村正彦没後10年 2009年映像作品集 特設サイト内で、ネットラジオ「フジファブリックのネトネト言わせて」の2007年~2009年に配信した114本を一挙にアーカイブ配信という知らせがあった。「ネトネト言わせて」のアーカイブ化がついに実現したことになる。

 オフィシャル・ブートレグ映像のリリースや「ネトネト言わせて」配信など、志村正彦・フジファブリックの映像や音声資料が「アーカイブ」化されていくのは、志村正彦没後10年というタイミングがあってのことだろうが、そのこととは無関係に今後も、この不世出の詩人・音楽家の足跡を示すものを公開してほしい。権利関係が複雑なのだろうが、音楽フェスティバルの映像などもいつかアーカイブ化できるといい。

 早速少し聴いてみたが、たまままクリックした「#112」は「ネトネト言わせて」の公開収録の回だった。出演者は志村正彦と金澤ダイスケの二人。『CHRONICLE』リリースを記念したもので、ネットで調べると、2009年5月30日、大阪タワーレコードNU茶屋町店での録音のようだ。本人たちのいう「グダグダ」のおしゃべりの後、『同じ月』のライブ演奏が収録されている。29分頃からそのシーンとなる。




 ネトネト音源を聴きながら言葉を追えるように、歌詞を引用したい。


 同じ月(詞・曲:志村正彦)

この星空の下で僕は 君と同じ月を眺めているのだろうか Uh〜

月曜日から始まって 火曜はいつも通りです
水曜はなんか気抜けして 慌てて転びそうになって

イチニサンとニーニッサンで動いてくこんな日々なのです
何万回と繰り返される めくるめくストーリー

君の言葉が今も僕の胸をしめつけるのです
振り返っても仕方がないと 分かってはいるけれど

にっちもさっちも どうにもこうにも変われずにいるよ Uh〜

木曜日にはやる事が 多すぎて手につかずなのです
金曜日にはもうすぐな 週末に期待をするのです

家にいたって どこにいたって ホントにつきない欲望だ
映画を見て感激をしても すぐに忘れるから

君の涙が今も僕の胸をしめつけるのです
壊れそうに滲んで見える月を眺めているのです

にっちもさっちも どうにもこうにも変われずにいるよ Uh〜

君の言葉が今も僕の胸をしめつけるのです
攘り返っても仕方がないと分かってはいるけれど

君の涙が今も僕の胸をしめつけるのです
壊れそうに滲んで見える月を眺めているのです

僕は結局ちっとも何にも変われずにいるよ Uh〜


 「イチニサンとニーニッサンで動いてくこんな日々なのです」「にっちもさっちも どうにもこうにも変われずにいるよ」。ゆるい雰囲気の言葉が独特の味わいを醸し出す。
 一、二、三。月、火、水、木、金。ルーティーンのように、数字や曜日が進んでいく「こんな日々」の「変われずにいる」「僕」。志村はその「僕」を率直に歌っていく。でも幾分か距離を置くように歌っている感じもある。歌い方そのものは、高いキーの音が不安定でやや声もかすれている。一種の愛嬌のようにも聞こえてくる。加工されていないので、志村の声と節回しが生々しい。どのように形容したらよいのか適切な言葉が見つからない。これは「志村節」としか言いようがない。

 『同じ月』はあまり注目されることがない曲だが、『東京、音楽、ロックンロール 完全版』の「インタビュー」(p202)で、志村はこう語っている。


  この頃はまだポリープ中で、人の提供曲ばっかり書いていたけど、自分のためだけに作った曲を7月30日に書いて。これは4枚目のアルバム『CHRONICLE』に入っている”同じ月”って曲です。そのへんから徐々に回復していきました。


 「この頃」というのは富士吉田ライブを終えた2008年の6,7月頃を指している。『同じ月』は、自分のためだけに作った曲であり、この曲を作ったあたりからスランプ状態から徐々に回復してきたという重要な証言である。

      (この項続く)


2019年5月20日月曜日

2009年5月20日、『CHRONICLE』リリース。[志村正彦LN219]

 十年前の今日、2009年5月20日、フジファブリック4thアルバム『CHRONICLE』が発売された。
 初の海外レコーディング音源(スウェーデン・ストックホルム)を中心に全15曲で構成され、「ストックホルム“喜怒哀楽”映像日記」という80分強の映像(『ルーティーン』レコーディングセッションなどを含む)を収録したSpecial DVDが付いた意欲作だった。

 雑誌『音楽と人』2019年2月号に「フジファブリック クロニクル ~アルバム・セルフライナーノーツ~ これまで発表したアルバム/ミニアルバムをバンドの歴史とともに振り返る」という記事(文=樋口靖幸)が掲載されている。
 『CHRONICLE』について、山内総一郎・金澤ダイスケ・加藤慎一の三人が次のように語っている。(雑誌発売から数ヶ月経ったので、この箇所を全て引用させていただく) 


実は僕……この時期に「このアルバムを作り終わったらバンドを辞めようかと思ってて」という相談を加藤さんにしたことがあって……というのも前の反動なのか、志村君がたくさん曲を作ってきたんですけど、これからのフジファブリックは志村君が作った曲にプレイヤーとして関わっていくだけのスタンスになりそうな感じがしたんですよ。(山内) そうそう。志村のギアがものすごく高回転になってる時期でしたね。アクセルがベタ踏み状態というか。誰も止められない、みたいな。(金澤) バンドとしてはけっこう険悪な空気もあった時期で。でもそこからみんなで話し合って、これからも一緒に頑張っていこうっていう気持ち作ったアルバムですね。(山内) そんなひと悶着があってからのストックホルムでのレコーディングだったんですよ。あそこからまたバンドの空気がいい感じになっていったんで、あの海外レコーディングは必然だったんだなって思います。(加藤)


 『CHRONICLE』の制作時期に(発言内容からするとレコーディングというよりその前の準備段階だろうが)、フジファブリックはある「危機」を迎えていた。これまでのいくつかの記事や発言から推測されていた状況が、現メンバーの三人によって証言されている。山内の「バンドを辞めようか」と思っていた発言とその理由にも驚かされる。
 かなり正直にある意味では赤裸々に語られているのは、「デビュー十五年」関連記事という性格の所産かもしれない。そうであるからこそ、僕たちファンはこの発言をそのままに受けとめるべきなのだろう。だが、フジファブリックの創始者、この発言で言及されている志村正彦本人はここにはいない。そのような振り返りである以上、限定的な証言にすぎないということは確認しておきたい。

 「けっこう険悪な空気もあった時期」はストックホルムでのレコーディングで解消されていったようだが、それでも「険悪」という言葉には強い意味合いがある。平穏なものからはほど遠い。バンドは仲良しクラブではないので、様々な葛藤や軋轢もあるだろう。それがどういうものだったか、具体的には想像できないが、『CHRONICLE』の音源、志村の歌の言葉の中に、その痕跡のようなものがある程度まで刻み込まれているかもしれない。

 『CHRONICLE』発売後の6月から7月にかけて「CHRONICLE TOUR」が行われた。今年7月、その映像が『FAB BOX III』、「Official Bootleg Live & Documentary Movies of “CHRONICLE TOUR"」DVDとしてリリースされる。
 この記録映像も、フジファブリックにとって、というよりも、志村正彦にとって『CHRONICLE』がどのような作品であったのかという「問い」に対する「答え」の一つになるのだろうか。

2019年5月5日日曜日

『FAB LIST』の三曲 [志村正彦LN218]

 7月6日(土)11:00からと16:00からの二回ふじさんホールで開催されるフジファブリック志村正彦没後10年『FAB BOX III 上映會』。僕たちも何とか赤富士通信先行予約でチケットを入手できた。あと二ヶ月ほどだが楽しみにしている。

 上映時間は2時間ということで、『FAB BOX III』の『Official Bootleg Live & Documentary Movies of "CHRONICLE TOUR"』『Official Bootleg Movies of "デビュー5周年ツアーGoGoGoGoGoooood!!!!!"』の二つの映像作品からダイジェスト編集した特別先行上映となるようだ。僕個人としては『ルーティーン』を聴いてみたいがどうなるだろうか。2014年の上映會でもこみ上げるものがあったので冷静に鑑賞していられるかこころもとないが、どのような感情が去来してもそれをそのまま受けとめたい。志村正彦・フジファブリックの2009年の「ライブ」を観客のみんなと共有できるのは希有な経験になるであろう。

 フジファブリックの公式サイトから、ファンが選ぶPLAYLIST ALBUM『FAB LIST』リリース決定というアナウンスもあった。『FAB LIST』2004~2009はかつて在籍していたEMI Records / ユニバーサルミュージックから、『FAB LIST II』2010~2019は現在在籍しているSony Musicからリリースされる。収録曲は今までリリースした作品を対象として5/19(日)までの期間内に「FAB LIST」特設サイトで三曲を投票して決定される。『FAB LIST』の発売日等は後日発表となるそうだ。

 僕自身は以前書いたように、すでにリリースされているCD『SINGLES 2004-2009』と、『FAB BOX』【完全生産限定BOX】中の1枚としてリリースされたCD『シングルB面集 2004-2009』を合体させた『コンプリート・シングル集』を発売してほしいと思っている。志村正彦・フジファブリックの事実上のベスト盤となるからだ。できるだけ安価のパッケージ盤にして若者たちに届けてほしいのだ。

 だから今回の『FAB LIST』の企画には複雑な想いもあるが、肯定的に捉えれば、シングルには収録されていない曲が入る可能性があること、ファンの投票による選曲にも新鮮さがあることになる。また、『FAB LIST I』(2004~2009)は全曲リマスタリングで収録ということで音源の質に期待できる。だから2019年という年の試みの一つとしては理解もできる。2004~2009と2010~2019という年代別に二枚に分けたことは英断である。この二つの時代には明らかな断絶があるからだ。

 『FAB LIST I』(2004~2009)にはプレデビュー盤『アラモルト』からシングルまでこの時代の全曲から選ぶことができるのがいい。三曲までの投票ということでファンはみんな考え込んでしまうだろう。
 僕ならどの曲を選ぶか。三曲に絞ることなど到底できないという前提がある。だからある観点を設けて選ぶことになる。別の観点を設定すれば異なる選曲になる。選択する時期や季節、時代や年齢も関係するだろう。今回の投票に加わる全ての人に各々の観点がある。現時点で選択された観点が集積すると『FAB LIST』が構成できるのだろう。

 2019年5月、僕の選曲の観点は、「君」に対する想いを叙述しその想いが限りなく祈りに近づいていく歌であること、志村正彦でなければ創作しえない曲であることの二つである。
 その観点から選ぶと、『花』、『セレナーデ』、『ルーティーン』の三つになる。


『花』
花のように儚くて色褪せてゆく
君を初めて見た日のことも

『セレナーデ』
明日は君にとって 幸せでありますように
そしてそれを僕に 分けてくれ

『ルーティーン』
折れちゃいそうな心だけど
君からもらった心がある


 この三つの歌をつなぎ合わせると、志村正彦の「君」への想い、少なくとも「君」への想いというモチーフの変化を感じる。変化というよりも成熟として捉えられる。『花』は高校時代にその原型が考えられていたようだ。『茜色の夕日』とは少し異なる感受性が刻まれている。この二曲と『浮雲』を合わせた3曲が志村の原点と言える。(この三曲を投票するという観点もあるあろう)

 『セレナーデ』と『ルーティーン』については何度も書いてきたので新たに書けることもないのだが、一つ付言するのなら、「明日」(『セレナーデ』)、「昨日もね 明日も 明後日も 明々後日も」(『ルーティーン』)とあるように、過ぎ去った時よりもこれから到来するであろう時の中に「君」への想いを歌ったことである。 

 「君」への想いを述べた素晴らしい歌は数多くある。『FAB LIST《君への想い》』というアルバムを夢想するのもいいかもしれない。


2019年4月30日火曜日

不穏なものとその分離-『ともしび』(アンドレア・パラオロ監督)

 昨日、シアターセントラルBe館で、シャーロット・ランプリング主演の『ともしび』(Hannah、アンドレア・パラオロ監督、2017)を見た。
 甲府での上映は5月2日(木)まで。1日(水)は映画サービスデー。他の地域でも上映中やこれから上映の館があるようだ。(東京では6月上旬に下高井戸シネマで予定されている)
 この映画は何の予備知識もないまま席に座ることが絶対の条件のような気がする。(これから鑑賞予定の方は以下のテキストも飛ばしてほしい)何も知らないまま、何も分からないまま、この世界に入り込むことによって、何かを経験する映画である。




 いきなりの異様な声が館内に響きわたる。分節された音のようにも単なる奇声にも聞こえる。誰の声か、どのような状況なのかも分からない。不穏なものが立ち上がる。おそらく視聴する時間ずっとこの不穏なものを追いかけていくのだなという予感に折り合いを付ける。覚悟のようなものと共に。

 画面が切りかわると、ダンスか演劇か体操か分からないが身体的なレッスンの場面だということ分かる。
 焦点人物は、シャーロット・ランプリング(アンナ)。73歳の彼女の全身が70年を超える生の時間を表象している。続いて、アンナの家の室内。夫と思われる同年齢の男性。その夫の年齢を感じさせる色合いの肌、衰えてはいるがそれなりの滑らかさもあるかのような背中をマッサージするアンナ。老齢期の夫の肌。やわらかく揉む妻の指。肌と指の接触。これがイメージ上のモチーフになるのかなという予感がしたのだが、その予感が裏切られることはなく、その後の展開の中でシャーロット・ランプリングの老齢期の肌を繰り返し描いていく。観客は自らの眼差しでアンナの肌を揉みほぐしていく。『愛の嵐』(Il Portiere di notte, 英題: The Night Porter,リリアーナ・カヴァーニ 1974年)の裸体を想起させるショットもある。美しさからは遠く離れていくのだが、それでも肌の「肌理」は不思議な存在感を持つ。
 
 物語は、夫が収監されるところから始まる。おそらく小児に対する性愛・虐待の罪だと推測されるのだが確かなことは結局明かされない。このことを契機に、アンナ夫妻と息子家族との断絶が起こり、アンナの人生は行き詰まる。観客の眼差しは、至近距離から、それこそアンナの肌を感じるような距離から、彼女を見つめていく。不穏なものが加速していく。

 映画全体に不明なところが多い。いくつかの小さな出来事が起きるのだが、それが回収されることはない。「謎」を解くことが目的とされていない。「話」を語ることも目的とされていない。むしろ物語はこの映画の欄外、枠外にあるという気もする。この映画は物語に依存していない。「話」らしい話のない映画、「話」を本質的には必要としてない映画というものがあるとしたらこの作品が第一に挙げられるだろう。

 それではこの映画の枠内、その中心にあるのは何だろうか。
 シャーロット・ランプリングという「存在」そのものとしか言いようがない。監督はもともと彼女を宛て書きにして構想を練った。虚構作品である以上「アンナ」を描いているというのが穏当だろうが、シャーロット・ランプリングを主題とする「虚構のドキュメンタリー映画」を見ているような境地に陥る。「アンナ」を演じる「シャーロット・ランプリング」を演じる「シャーロット・ランプリング」というように、メタ的な視線が仮想される。映画そのものがジャンルを破る不穏さに溢れている。

 最後の地下鉄駅の場面まで、不穏ものはそのまま持続する。不穏なものを追いかける種類の映画であっても、どこか途中でそれがやわらいだりすることが少なくないが、この作品は最後まで不穏なものがほどけることはない。カメラの眼差しはほぼ「アンナ」と一体化する。眼差しは不穏なものをまとう。いや、眼差しが不穏なものを作り出している。観客はその眼差しから逃れることができない。「アンナ」の歩行と共に観客も歩行しなければならない。歩みのその先には何があるのだろうか。映画はその先を避けることなく描く。それでも解釈も分析も拒んでいるようでさえある。観客個々の自由であろうが。

 僕自身には、不穏なものからほんのわずかな距離かもしれないが離れていった、のかもしれないと感じとれた。
 取りあえず、取りいそぎ、分離すること。通過すること。乗り換えること。
 不穏なものからの分離。この時代の勇気がそこにあるのかもしれない。