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2018年10月27日土曜日

のん『へーんなのっ』『若者のすべて』

 『若者のすべて』が流れる「LINEモバイル」のCMに出演した「のん」は、昨年2017年の11月、自ら作詞作曲した『へーんなのっ』を含む1stシングル『スーパーヒーローになりたい』で本格デビューした。その『へーんなのっ』と『スーパーヒーローになりたい』(作詞・作曲:高野寛)の二曲のライブ映像がyoutubeで公開されている。
 「のんが人生で初めて作詞作曲した曲で、パンクな一曲となっていますので、みなさん楽しんでください」と紹介されて『へーんなのっ』は始まる。





 正直、こんなにロックしているとは想像できなかった。予想をはるかに超える出来映えの「日本語ロック」だ。歌とギターのリズム感が抜群で、自ら書いた歌詞も秀逸だ。言葉が実に「ロック」している。かなり「パンク」でもある。歌詞の前半を引用する。

  
  あのチョコレートの形が変だ
  あの道に落ちてる石ころが変だ
  変なものってたくさんある
  子供のようにひとつひとつ目を見張る

  はっきりした物言い
  無駄のない言葉
  余計のない心
  変なものは変だ
  好きなものは好きだ
  変なのに好きだ
  へーんなのって言ってやれ!
    ( 『へーんなのっ』作詞・作曲:のん )

 「子供のようにひとつひとつ目を見張る」眼差し。のんのつぶらで大きい目を想起させる。その眼差しが「変」なものをスケッチしていく。「変なものは変だ/好きなものは好きだ/変なのに好きだ」という風に変なものと好きなものとが交錯していく。融合していく。『へーんなのっ』という題名に「っ」という促音が付いているのも変でいい。

 近田春夫が『近田春夫の考えるヒット』の連載で「“のん”のライブ映像を見て「スゲー」と思ったふたつの理由」を書いている。(2017/12/13、週刊文春 2017年12月14日号)
 近田は『へーんなのっ』のライブ映像を見て「この女スゲー……。」と独りごちてしまったそうだ。その理由を二つ書いた部分を引用する。

 まずは“ボーカルをとりながらのロックギター演奏家”として素晴らしい、もといスゲー。いわゆる“人馬一体”のそのプレイスタイルの、なんとも様になっている半面、歌唱と楽器演奏がきちんと独立をして、身体的によく整理された作業となっていることが、映像から見て取れるのである。読者諸兄には、その音色、リズム共に大変男性的な魅力に満ち溢れたものである点にも是非注目していただきたい。これは本腰を入れてロック演奏をやってきたなというオーラが、画面から伝わってくると思うのである。

 もうひとつは、コード進行である。良し悪しはともかく、どうも我が国ではロックと称する音楽においても、その和声の動きには聴き手の気分を、ウェットにさせる傾向のものが多い。この曲のコードには珍しくそうした“感傷に人を導く”ようなところがない。誤解されることを百も承知で申すならば、のんのコード感覚は極めて“外人ぽい”のだ。


 近田は「歌唱と楽器演奏がきちんと独立をして、身体的によく整理された作業」による歌と演奏、 「感傷に人を導く”ようなところがない」「“外人ぽい”」コード進行という二つの観点で分析して高く評価している。確かに、声、音、言葉ともにその感覚が「洋楽」ぽい。洋楽とりわけブリティッシュロックの影響を受けて成立した70年代の日本語ロックの香りもする。
 また近田は「この人の表現センスの只者ではないのは、歌詞/タイトルの表し方にも、十二分に散見は可能だ」とも述べている。歌詞そのものも『へーんなのっ』というタイトルもやはり「只者」ではない。この連載でなかなか厳しい批評を綴る近田にしては大絶賛だろう。
 
 先月、のんは自身のバンドを率いて『スーパーヒーローズツアーのん、参上!!!』と題する大阪、広島、福岡、宮城を巡るツアーを行い『若者のすべて』を歌ったそうだ。9月30日には日比谷野外音楽堂で「のん with SUPERHEROES」(仲井戸麗市バンドとのツーマンライブ)が予定されていたが、台風のために中止となってしまった。この公演であれば映像がどこかで見られるかもしれないという淡い期待もあったが、幻の公演となってしまった。

 事前に公式サイトで次の「のんコメント」が寄せられていたので紹介したい。

フジファブリックの若者のすべて。
たくさんの方の心の中に大切に宝物のように存在するこの曲にリスペクトを込めて、今のんが出来る事と言ったら、ライブで歌う事だ。と思いました。
この曲を聴いている皆さんに寄り添うように、私も大切に歌わせていただきます。お楽しみに。

 知名度の高いアイドルが、この曲を「たくさんの方の心の中に大切に宝物のように存在する」と述べ、リスペクトを込めてライブで自ら歌う。志村正彦・フジファブリックの『若者のすべて』という作品にとって、とても幸せなことだろう。

2018年10月13日土曜日

10月7日山中湖、Mt.FUJIMAKI 2018。

 先週の日曜日、10月7日(日)、「山中湖交流プラザきらら」で開催の「Mt.FUJIMAKI 2018」に行ってきた。山梨県御坂町(現・笛吹市)出身の藤巻亮太が企画し、同郷の宮沢和史や音楽仲間たちに呼びかけて実現したフェスだ。台風が心配されていたが、関東地方はすでに通り過ぎていて、夏が戻ってきたような暑さの中のドライブとなった。

 会場へ向かう途中、富士吉田で「ハタオリマチフェスティバル2018」が開催中だったので寄ることにした。富士吉田は「織物」、ファブリックの街。その地域の魅力を伝えるフェスティバルで、織物や様々なグッズの店、食べ物屋、ワークショップやライブなどのイベントが開かれていた。



 十時過ぎに会場の下吉田に到着。本町通りから路地裏の方を通って小室浅間神社、市立第一小学校と歩いていった。ここは志村正彦が生まれて育った場所。フジファブリック『陽炎』の舞台ともなった。

  あの街並 思い出したときに何故だか浮かんだ
  英雄気取った 路地裏の僕がぼんやり見えたよ

  また そうこうしているうち次から次へと浮かんだ
  残像が 胸を締めつける

      (『陽炎』作詞・作曲:志村正彦)

 数年ぶりにこの界隈を歩いたのだが、路地裏はさらに時の経過に置き去りにされているようだった。この日は「ハタフェス」で表通りが華やかだった分よけいにそう感じたのかもしれない。

 カフェのリトルロボットでランチ。この日は北杜市のSUN.DAYS.FOODと甲府市のNODOによるコラボショップだった。北杜と甲府の店が吉田で臨時オープン。街のフェスらしい趣向で良い試みだ。洋風のお好み焼きと特製のジンジャーエールが美味しかった。
 三年前にここで佐々木健太郎&下岡晃(analogfish)のライブが開かれた。下岡晃は『茜色の夕日』の弾き語りをした。歌い終わるとぼそっと「いい歌だね」と呟いた。そんなことを思い出した。

 吉田を後にして、忍野を経由する。花の都公園の花々が美しい。十二時半、大渋滞を通り抜けやっと山中湖きららに到着。車を降りると真夏のような日差しが降り注いでいた。富士山は向かって左側が雲に隠れていたがその悠然とした姿を現していた。まだ夏の富士だ。



 会場の「イスシートエリア」に入り、持ち込んだ小さな折りたたみイスに腰掛けた。夏のフェスなんで十数年ぶりのこと。なんだか落ち着かない気分だ。見渡すと会場にはざっと四千人から五千人くらいの人が集っていた(正式な数は知らない)。山梨出身やゆかりの音楽家が中心のフェスだからなんとか成功してほしいと思っていたが、動員的には大成功だろう。



 一時過ぎにスタート。オープニングは藤巻亮太が一人でステージに立った。アコースティックギターを奏で歌い始めたのは「粉雪」。この曲は山中湖のスタジオで録音されたそうだ。この場にふさわしい幕開けとなった。

  粉雪舞う季節は いつもすれ違い
  人混みにまぎれても 同じ空見てるのに
  風に吹かれて 似たように凍えるのに
     …
  粉雪 ねえ 心まで白く染められたなら
  二人の 孤独を分け合う事が出来たのかい

      (『粉雪』作詞・作曲:藤巻亮太 )

 彼の声が微風に乗って大空へとどこまでも伸びていく。力強くしかも微妙に揺れるような声が粉雪のようにして聴き手に舞い降りてくる。この歌を聴くだけでもここに来た甲斐があった。そう思わせるのに十分な出来映えだった。

 ゲストの一番目は和田唱(TRICERATOPS)。 ファースト・ソロ・アルバム(10月24日発売)収録の『1975』を披露。歌詞を追いかけると、彼の故郷である東京を舞台とする歌だった。発売されたら音源を聴いてみたい。彼は「フジフジ富士Q」で『陽炎』を歌った。志村正彦の良き理解者であった。
 二番目が浜崎貴司(FLYING KIDS)。もう三十年となるキャリアにふさわしい貫禄と余裕の歌いぶりだった。『風の吹き抜ける場所へ』が心地よかった。
 三番目に山内総一郎(フジファブリック)が登場。フジファブリックの故郷は山梨だと発言したが、志村正彦という固有名詞への言及はなかった。エレクトリック・ギターを奏でながらで新曲『Water Lily Flower』を歌った。自らエレキで伴奏するアレンジには工夫があった。
 和田唱、浜崎貴司、山内総一郎は藤巻亮太と共にレミオロメンの曲も歌った。藤巻亮太BANDは、Gt岡 聡志、Ba御供信弘、Dr河村吉宏、Key皆川真人、Pf桑原あい。曲によって弦楽四重奏も加わった。

 藤巻とアルピニストの野口健とのトーク・タイムを経て、四番目にASIAN KUNG-FU GENERATIONが登場。この日唯一のバンドとしての出演だった。非常によくコントロールされたサウンドが美しく、グルーブ感も抜群だ。バンドサウンドとしての完成度が高い。後藤正文はレミオロメンと共演した時『雨上がり』を聴いて感嘆したと語った。同世代のバンドとしての強い連帯感もあったのだろう。
 五番目、ゲストとしての最後に宮沢和史が登場。言うまでもないが、山梨県甲府市出身の音楽家だ。THE BOOM『星のラブレター』『世界でいちばん美しい島』そして『中央線』。三つとも故郷の山梨を舞台や主題とする歌である。最後に山梨で結成されたエイサーグループを入れてバンドサウンドで『島唄』を演奏した。どれも素晴らしく、この日の出演者の中では彼の歌がベストパフォーマンスだったと思う。中でも『中央線』が染み込んできた。特に山梨から東京へと上京した者にとっては、心の深いところへ入り込んでくる歌だ。

  逃げ出した猫を 探しに出たまま
  もう二度と君は 帰ってこなかった
  今頃君は どこか居心地のいい
  町をみつけて 猫と暮らしてるんだね

  走り出せ 中央線
  夜を越え 僕をのせて

      (『中央線』作詞・作曲:宮沢和史)

 最後に、藤巻亮太と彼のBANDが登場。ヴァンフォーレ甲府の創立50周年アンセム『ゆらせ』では観客も青色のタオルを揺らせて一体感が高まった。エンディングはMt.FUJIMAKIのテーマ曲『Summer Swing』。十月であるにもかかわらず、この日は夏の終わりを思わせる気候だったので、歌詞がこの日のこの場の雰囲気に合っていた。
 エンディングは出演者全員がステージに集まった。マイクをバトンタッチしながら『3月9日』が歌われる。ややぎこちないその様子が手作り感のあるこのフェスらしかった。湖畔は夕暮れを迎えていた。

 山中湖で開催の「Mt.Fujimaki 2018」。「山梨愛」「故郷愛」にあふれる素晴らしいフェスティバルだった。会場の雰囲気も山中湖という場も富士山という風景もとても良かった。それはそうなのだが、
 藤巻亮太がいて、宮沢和史がいる。でも志村正彦はいない。
 どうしてもそう感じてしまう自分がいた。
 彼が健在であればおそらくこのステージに立っていたことだろう。宮沢和史、藤巻亮太、志村正彦という山梨で生まれた三人は、もちろん山梨という場に限定されない、日本語ロックを代表する音楽家、詩人である。そうではあるが、大月で生まれ甲府で育った僕にとってこの三人は、甲府の宮沢、御坂の藤巻、吉田の志村でもある。この三人の共演は、かなえられない夢想として、いつまでもあり続ける。

 「Mt.Fujimaki 2018」の成功は心から祝福したい。そのこととは無関係であり別次元のことだが、志村正彦の不在という現実をつきつけられた。書いてもしかたのないこと、書くべきではないことかもしれないが、そのままここに、その想いを書きとめておきたい。


2018年10月3日水曜日

スガシカオ・桜井和寿・小林武史『若者のすべて』[志村正彦LN199]

 前回の記事は、2018年9月26日に放送された《日本テレビ系『スッキリ』内の「HARUNAまとめ」フジファブリック特集》を記録したものだが、多くの方に読んでいただいたようだ。地上波の全国放送の影響力はやはりすごい。フジファブリックがこのような形で注目されたのは初めてのことだろう。

 今回は、番組でもほんの少しだが紹介されたスガシカオ・桜井和寿・Bank Bandによる『若者のすべて』について書いてみたい。
 幸いなことに先日、wowowで『ap bank fes  2018』が放送された。7/14から7/16の間、静岡つま恋で開催されたこのフェスを「前日祭・Day1」と「Day2」の二回に分けて収録したものである。スガシカオと桜井和寿がBank Bandの演奏に乗って『若者のすべて』を歌っていた。
(『若者のすべて』は「前日祭・Day1」に収録。10/16(火)午後1:00再放送予定)

 スガシカオの声は艶やかでほのかな色気もある。五十歳を超えた年齢を感じさせない若々しさもある。言葉の拍の区切り方が明瞭だ。だから歌詞のひとつひとつが自然に聴き手に伝わってくる。数多くあるこの曲のカバーの中でも出色の出来映えだ。
 桜井和寿はとても素直な歌いぶりだった。この曲のカバー音源の創始者にふさわしく、『若者のすべて』をリスペクトしている姿勢がうかがえた。スガシカオと桜井和寿の二人の声のハーモニーも美しかった。
 Bank Bandの一員として、神宮司治(レミオロメン)がドラムを担当(河村智康とのツインドラムの一人として)。山梨出身の神宮司がリズムを刻んでいるのはやはり感慨深かった。ベースは亀田誠治。彼はフジファブリックのシングル『Suger!!』をプロデュース。ゆかりのある音楽家がステージで演奏していた。

 21世紀に入ってからすでに20年近くの年月が経っているが、その間に誕生した「日本語ロック」の系譜の作品の中で、この曲ほど人々に親しまれているものはないだろう。発表当時はそれほど注目されなかったが、ここ十年ほどでその評価は揺るぎないものとなった。そのような流れを作った音楽家として第一に挙げられるのは、桜井和寿そして小林武史だろう。そのことを振り返ってみたい。

 2010年6月30日、『若者のすべて』カバーを収録したBank Bandのアルバム『沿志奏逢3』が発売された。「ap bank」の「エコレゾ ウェブ」の「沿志奏逢 3」Release Special には関連記事がたくさん掲載されている。リリースを告げる記事には、《櫻井が本作品の為に新たに選曲した「若者のすべて」(フジファブリック)、「有心論」(RADWIMPS)、「ハートビート」(GOING UNDER GROUND)など、Mr.Childrenよりも新しい世代のアーティストの楽曲にも敬意を持ってBank Bandがカバー/リアレンジしています》とある。関連記事として桜井と小林武史のインタビューも掲載されている。『若者のすべて』に言及している部分を引用してみよう。


―― 櫻井さんの曲との出会い方って、一般リスナ-と変わらないところが凄く親近感湧くんです。例えばフジファブリックの「若者のすべて」は、ラジオで聴いて好きになったそうですね。
櫻井 そうですね。あとSyrup 16gの「Reborn」もそうなんです。 ラジオで掛かってたのを聞いて好きになるということは、僕のなかで重要なことでもあるんですけど。

 ―― 「若者のすべて」も初々しさがありますね。あと、花火が出てくる夏の情景が描かれ、フェスにもピッタリというか......。

櫻井 そうでしょうし、あとこの曲はですね、最初聴いた時に「アレンジが小林さんぽいな」って思ったんです。サビ前のとことか、3番のサビに出てくる仕掛けとか......。これ、Mr.Childrenとして最近は歌わなくなった音の飛び出し方をするアレンジでもあるわけですよ。「それを今の時代にまた鳴らすというのもいいなぁ」という想いもあったんですけどね。あと同時に、「この曲の持つ切なさとは何だ?」というのをずっと考えながらレコ-ディングしてました。
《「沿志奏逢 3」Release Special 櫻井和寿Interview(前編)(取材 小貫信昭)》

―― ここからは『沿志奏逢3』の内容にも関わっていくわけですが、若い世代とのレゾナンスにおいて、「若者のすべて」という楽曲が大きなポイントになったようですね。 

小林 あの曲は「本当にいい曲だなぁ」というのは、櫻井だけじゃなく僕も思っていたことで、それをBank Bandで実際に演奏してみた時、様々なことが共振共鳴し合えるイメ−ジもハッキリ浮かんだんですよ。なのであの曲が核となって他のいろいろな曲が選ばれていったとこがあったんです。
《「沿志奏逢 3」Release Special 小林武史Interview(前編)(取材 小貫信昭)》


 桜井の『若者のすべて』との出会いはラジオだった。『若者のすべて』の「切なさ」が鍵となったようだ。1970年生まれの桜井はこのとき40歳。音楽家としても生活者ともしても折り返し地点にたどりつく年齢だ。新しい世代のアーティストの楽曲をカバーすることで、ある種の再生、再出発を試みたのかもしれない。
 小林にとっても「本当にいい曲」であり、演奏を通じて「様々なことが共振共鳴し合えるイメージ」があったというのは興味深い。『沿志奏逢3』の楽曲は、『若者のすべて』が核となって選ばれていったというのは貴重な証言である。桜井と小林は、『若者のすべて』の歌詞と楽曲の持つポテンシャルを見抜いた。二人の指摘の通りいやそれ以上に、様々な歌い手によって歌い継がれている。藤井フミヤ、槇原敬之、柴咲コウをはじめとする人気歌手。小林武史自身がプロデュースしたanderlustなど若いアーティスト。そして、クボケンジ、安部コウセイたち、志村正彦の友人や仲間によって大切に歌われている。

 最後にwowowの放送に戻りたい。この映像では観客が一緒に『若者のすべて』を歌うシーンがたくさん挿入されていた。一人ひとりの表情が生き生きとしていた。このフェスに集う人々にとってこの曲は馴染みのものかもしれない。しかしそれでも、ほとんどの観客が声を出して口ずさんだり拍子に合わせて手や体を揺らしたりしている姿を見ると、胸に迫ってくるものがあった。

 志村正彦・フジファブリックの『若者のすべて』は、「人々」によって歌い継がれている。何よりもそのことに心が動かされる。