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2018年9月20日木曜日

堕落モーションFOLK2 、LOFT HEAVENで。

 昨夜、9月19日、渋谷「LOFT HEAVEN」の『RESPECT vol.2』堕落モーションFOLK2/成山剛のライブに行ってきた。7月にオープンしたこの会場は九つ目のロフトになるそうだ。今はもうない西新宿の「新宿ロフト」が僕のライブハウス体験の原点。ロフトが今でも成長し続けていることを「RESPECT」したい。

 今年の夏はどこにも行けなかったので東京小旅行の気分だった。新宿でランチの後、新宿シネマカリテで『顔たち、ところどころ』(Faces Places)を見た。映画監督アニエス・ヴァルダと写真家でアーティストのJRがフランスの田舎を旅しながら、村々に住む人々の「顔」の大きな写真を貼り出すドキュメンタリー作品。人々の「顔」が、「ところどころ」のその集積がとてつもない「アート」となっていた。難解さや独りよがりなところのないとても愉快な映画だ。固定的なアート観を揺さぶり、覆す力を持つ。

 渋谷に移動。開演まで時間があったので、途中にある「渋谷ヒカリエ」11階の「スカイロビー」へ。お上りさんが文字通りのお上りさんとなる。ここからの展望は建造物がミニチュアのように立ち並んで面白い。丹下健三が設計した国立代々木競技場の特徴ある屋根も見える。ここで開かれたブルース・スプリングスティーン&Eストリート・バンドの初来日公演に出かけたことを思いだした。『BORN IN THE U.S.A.』の時代なので、そのパワフルな歌と演奏に圧倒された。調べると1985年4月開催、当時はまだ東京で暮らしていた。色々なことが記憶から遠ざかりつつある。

 六時過ぎに「LOFT HEAVEN」へと歩き始める。地図を見ながらだったが少し迷った。きょろきょろしていると、ビルの合間の夜空に半月が現れた。よく晴れていたのでくっきりと映えて美しかった。
 「LOFT HEAVEN」に無事到着。しばらく待ってから入場。階段を降りていくと、内装のまだ新しい素敵な空間が開けてくる。





 百人ほどの椅子席が用意されていた。落ち着いて音楽を聴くのにふさわしい場だ。僕たちのような年齢になると、こういう感じが嬉しい。
 最初に成山剛の登場。ふわっとしてやわらかく綺麗な声が魅力の歌い手だった。札幌在住ということで、あの地震について触れていた。

 休憩後、堕落モーションFOLK2の登場。オリジナル曲、カバー曲、スパルタローカルズの曲を織り交ぜていた。会場の音響の特性か、安部コウセイの声、伊東真一のギターの音が耳に鋭角的に飛び込んでくる。聴覚の刺激が高まる。生で聴く彼らの歌と演奏は、当然かもしれないが、音源より力強い。

 8曲ほど聴いたところで9時を過ぎていた。渋谷から甲府まで帰るには3時間以上かかる。この日は平日。『完璧な犬』演奏後に僕たちの時間はタイムアウト。残念だが新宿に戻り、帰路につかねばならなかった。
 車窓からはずっと東京の月が見えていた。やがてそれは山梨の月となった。帰宅した時にはもう日が変わっていた。ネットを見るとセットリストを挙げてくれた方がいた。会場を出た直後、『夢の中の夢』が歌われたことを知った。

 この歌については以前このblogに書いたことがある。いつか聴いてみたいとずっと思っていた曲だった。仕方がない。次の機会を待つしかない。そんな風に自分に言い聞かせて眠りについた。この日ライブで『夢の中の夢』を聴くことは夢の中の夢となってしまった。

 今朝起きて、安部コウセイのtwitterで『夢の中の夢』の映像がアップされていることに気づいた。貴重な贈り物だ。映像という形だが記憶に残すことができる。本当に有り難い。早速再生してみた。


  友達は今日も夢の中の夢で
  終わらない音楽 鳴らし続けてる


 この歌の直前までその場、その現実の場にいたのだが、この場、この映像の場にはいなかった。不思議な感じだ。その場とこの場とがねじれて交錯して、夢の中の夢のようだった。



2 件のコメント:

  1. 小林先生、こんばんは。素敵なエッセイ、いつもありがとうございます。ファブファン、志村ファンとして大変嬉しいです。これからも、お体に気を付けながら、無理せずにご執筆ください。ところで、「偶景LN77」でご指摘された、3つの視点からのバンド構成の変遷、とても興味深かったです。私の希望としては、隆之にずっとドラムスをやっていて欲しかったです。メジャーデビュー直前に、正彦から、「お前のドラムスではメジャーでは厳しい」旨、通告されたと、山日新聞記事にありましたが、これは、大人の事情があったにせよ、正彦には、隆之を護り、それこそ「メジャードラマー」に育てて欲しかったと心からそう思っています。たとえ話ですが、都会に出た若者が、そこで出会った派手で綺麗な女性に魅かれて、昔からの彼女を捨ててしまったように感じられます。久しぶりに、インディーズ時代2作目のCD「アラモード」を聴くと、隆之の軽快で繊細なドラミングが、正彦の優しい歌声(音程は少しはずれているが)に寄り添い、補っているように響いていて、とても美しく感じられます。2代目ドラマーが、ほどなくして脱退した後、正ドラマーを据えていないのも、正彦の気持ちが、なんとなく分かる気がします。ネット上には、隆之の脱退理由が、公式発表として掲載されていますが、年配者の目から見る(読む)といかにも、若者が、言い訳するが如くの拙い文章で、人を思いやる気持ちに欠けているのが残念です。その公式発表文次第では、隆之を復帰させる機会はいくらでもあったと想像すると、本当に惜しい気持ちになります。正彦は、ドラマー隆之の本当の価値を理解していなかったかもしれません。隆之こそ、「富士ファブリック」そのものだったと思います。隆之と正彦が揃ってメジャーデビューしていたら、または、いっしょにMステ出演できていれば、などといつも、夢を見ています。

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  2. コメント、どうもありがとうございました。(本日気づきました。一年以上経ってからの返信となり、申し訳ありませんでした)おっしゃるとおり、キーボード田所幸子、ドラム渡辺隆之の時代のフジファブリック、『アラカルト』制作時のフジファブリックには、メジャー時代のフジファブリックにはない魅力があります。そのような観点でLN77を書かせていただきました。あの時代の「フジファブリック」を発展させる形でメジャーデビューしていたら、今残された音源とは異なる、「もうひとつのフジファブリック」が誕生していたことでしょう。僕は音楽的な分析ができないので印象論で語るしかないのですが、「グルーブの感覚」が異なる(ある意味では新しい)バンドになっていた気がします。そのグルーブを支えていたのは渡辺隆之さんのドラムだったのだと思います。ご指摘の通り、ドラマーが長い間空席だったのは、志村さんの渡辺隆之さんへの想いもあったのでしょう。
     すべては想像の中で描くしかないのですが、それでも同級生バンドの「富士ファブリック」やインディーズ時代の「フジファブリック」について語っていくことが大切だと考えます。

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