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2018年8月31日金曜日

堕落モーションFOLK2 『若者のすべて』・HINTO『シーズナル』[志村正彦LN196]

 8月の最後の日。暑さはまだ続くだろうが、8月を超えて9月になると「夏」でなくなるような気がするのはなぜだろう。月、暦の上の区切りが、「夏」を終わらせてしまう。

  堕落モーションFOLK2/若者のすべて @ 下北沢Laguna 

という映像が安部コウセイのinstagramに上がっている。

 このライブは8月27日(月)に行われた。夏の最後に近づい日付ゆえにこの歌が選ばれたのだろう。安部は何度か『若者のすべて』を歌っているが、ネット上に公開されたことは初めてだろう。「(すりむいたまま 僕はそっと)歩き出して」から「僕らは変わるかな 同じ空を見上げているよ」までの1分間ほどの映像だが、安部コウセイの『若者のすべて』の雰囲気がよく伝わってくる。

 視線を落としたうつむき顔なので表情を読みとるのは難しいが、歌詞の言葉の一つ一つをかみしめるように丁寧に歌っている。安部らしいハイトーンの声がのびやかに広がっている。とても素直で力強い歌いぶりが印象に残る。伊東真一のストロークも心地いい。「僕らは変わるかな」のところは安部コウセイならではの声と節が響きわたる。彼にとってのキーワードなのだろう。

 安部の率いる三つのユニットの一つ、HINTOには 『シーズナル』という夏の名曲がある。





 以前この曲について次のように書いたことがある。


 『シーズナル』と『若者のすべて』の間に、描かれる物語の内容でもモチーフの面でも、直接的、間接的な対応関係はないと考えられる。しかし、二つの歌のサビの部分にはある種の共通した雰囲気もある。
 『シーズナル』のサビは三回繰り返される。それぞれの末尾はこうだ。

  めぐってめぐって少しずつ変わって


  愛して憎んで少しだけわかって


  めぐってめぐって少しだけ変わった



 『若者のすべて』の最後の歌詞「僕らは変わるかな 同じ空を見上げているよ」と、『シーズナル』の「少しずつ変わって」「少しだけわかって」「少しだけ変わった」という展開が、どこかでこだましているのではないかという筆者の感想を記した。何の根拠もない感想にすぎないのだが、言葉がそのように作用してきた。instagramの映像を見てそのことを思い出したので、繰り返しになるがここに書きとめておきたい。

 『若者のすべて』は数々の歌い手によってカバーされている。この作品を歌いこなすのは難しい。技術的な面でも難度は高いが、それ以上に、志村正彦の歌詞の世界を映像として描きだすのが非常に難しい。聴き手の心の中に、『若者のすべて』の世界を一つの短編映画のように上映させなければならないからだ。
 歌い手の側からすると、『若者のすべて』は鏡のような存在でもある。歌い手の心象がそこに写し出されてしまう。カバーの仕方によって質がかなり変化する。逆に、カバーに挑みたくなる作品なのだろう。

 この歌が聴き手にとっても歌い手にとっても愛されている要因かもしれない。

2018年8月27日月曜日

「関ジャム 」作詞・作曲者としてのリスペクトー『若者のすべて』[志村正彦LN195]

 ご覧になられた方が多かっただろう。(と言っても日本国内限定だが。このblogは海外からのアクセスもあるので、視聴不可能な方のために正確に伝達することを心がけたい)
 昨夜8月26日(日)、テレビ朝日「関ジャム 完全燃SHOW」で、フジファブリックの三人と関ジャニ∞の錦戸亮、大倉忠義が『若者のすべて』を演奏した。
 今回は、20~50代100名にアンケートして決めた「世間が選ぶ“夏の終わりソング”ベスト10」特集。「若者のすべて」は第9位になった。

第9位 フジファブリック「若者のすべて」('07)作詞・作曲:志村正彦

という文字情報が映された。歌詞や楽曲に焦点を当てる番組だけに「作詞・作曲:志村正彦」と明示されていた。「若者のすべて」のミュージックビデオが流され、あの寡黙な表情で歌う志村が画面に登場した。
 各作品について、作詞家・音楽プロデューサーのいしわたり淳治[元SUPERCAR]が歌詞を、寺岡呼人[JUN SKY WALKER(S)]が楽曲を分析していた。いしわたり淳治のコメントで画面に文字化されていたものを引用する。


とても具体的な風景描写と主語が無いまま語られる空白だらけの状況説明。それが聴き手の心にポッカリと穴を空けて、夏の終わりの切なさとシンクロしているのが魅力的です。

歌詞に主役となる「君」という言葉がなく 重要な要素がない喪失感を生んでいる


 優れた作詞家らしい的確な分析だった。特に、「君」という言葉がないという指摘は興味深い。確かに、「若者のすべて」には「君」という二人称代名詞は出てこない。登場するのは「僕」と「僕ら」という一人称の単数・複数の代名詞である。このことには必然性がある。そもそも「若者のすべて」には「君」という存在そのものが不在となっている。だから「君」という代名詞の表現がないというよりも、そもそもその代名詞で表象される存在自体がない。すべては、「僕」の独白と「僕ら」の夢想として語られている。
 なお、いしわたり淳次と志村正彦は各々『音楽とことば あの人はどうやって歌詞を書いているのか』 (SPACE SHOWER BOOks – 2013/6/24)で歌詞論を述べていることも付記しておきたい。
 欲を言えば、寺岡呼人は「Golden Circle」で志村と共演しているので、彼による「若者のすべて」楽曲の分析も知りたかった。

 番組最後の時間帯でジャムセッションが行われた。
 山内総一郎(Vo&Gt)・金澤ダイスケ(Key)・加藤慎一(Ba)・錦戸亮(Vo&Gt)・大倉忠義(Dr)・サポートギターの6人編成だ。
 山内は「志村君が作った曲でずっと大切にしている曲なのでこうやって皆さんと一緒にできるのがほんとうに嬉しいです。ありがとうございます。」と発言していた。画面に志村の写真と共に次の文字が映し出された。

志村正彦 フジファブリックのVo&Gtで主に作詞作曲を担当。2009年に他界。

 志村のプロフィールは簡潔ではあるが正確に伝えられていた。
フジファブリックの三人は緊張した様子だった。今、まさにこの番組が伝えているように、「若者のすべて」は「夏の終わり」の代表曲となった。今年はLINEモバイルのCMでも流れている。ある意味でフジファブリックの作品という枠を超えてきている。これまでにない事態が押し寄せてきたので、現メンバーの三人はこの曲を演奏することに責任や重圧を感じているのかもしれない。よい意味でもう少しリラックスして演奏する方がこの曲の複雑なニュアンスが浮かび上がるだろう。関ジャニ∞の錦戸亮・大倉忠義を含めて、皆がこの曲を大切に歌い奏でていた姿には共感したが。

 残念だったのはフルヴァージョンの演奏でなかったことだ。地上波の人気番組ゆえの時間の制約だろう。2番のブロックのすべてと最後のブロックの次の箇所が省略されていた。 


  ないかな ないよな なんてね 思ってた
  まいったな まいったな 話すことに迷うな


 この箇所は、「若者のすべて」物語の展開の上で重要な場面である。15秒ほどの時間で歌えるので、ここだけは欠落させてほしくなかったが。

 最後に「“夏の終わりソング”ベスト10」中9位の「若者のすべて」の前後を挙げてみたい。画面の文字情報をそのまま転記する。

第10位  山下達郎「さよなら夏の日」('91) 作詞・作曲:山下達郎
第 9位  フジファブリック「若者のすべて」('07) 作詞・作曲:志村正彦
第 8位  松任谷由実「Hello,my friend」('94) 作詞・作曲:松任谷由実

 何よりも日本語ロック・ポップスの二人の大家山下達郎・松任谷由実に挟まれてこの順位につけているのは、志村正彦にとって名誉なことだ。とても喜んでいるにちがいない。

 全体を通じて、作詞・作曲者としての志村正彦に対するリスペクトと高い評価があった。この番組の見識だろう。

2018年8月25日土曜日

織物としての「僕」-『陽炎』3[志村正彦LN194]

 今朝は台風が過ぎて日差しが戻ってきて暑い。前回、真夏のピークが去ってと書いたがまだ続くようでもある。真夏のピークが揺れているのだろうか。今回は真夏の歌『陽炎』に戻りたい。

 フジファブリック『陽炎』(詞曲:志村正彦)は2004年7月14日シングル第2弾として発売された。カップリング曲は『NAGISAにて』。「夏盤」のこの二曲の誕生から14年になる。

 『陽炎』はどのように作られたのだろうか。有り難いことに本人によるいくつかの証言が残されている。志村正彦は、アルバム『フジファブリック』についてのBARKSのインタビュー (取材・文:水越真弓)で、『陽炎』の成立についてこう語っている。


「陽炎」は、けっこうすんなりできましたね。この曲を作った翌日に、新曲用の“デモテープ発表会”を控えていて(笑)、「ヤバイ…、新曲がない」って言いいながら夜中に家で一人でピアノを弾いてたんですよ。そしたら、30分くらいでこの曲のメロディが降りてきて、歌詞も同時にスラスラできました。


 残された発言を読む限り、志村は楽曲や歌詞作りにはかなりの時間をかけたはずだ。誰にとってもそうかもしれないが、志村は作品の完成度を高めるための作業を惜しまなかった。『陽炎』のメロディと歌詞が同時に30分位で出来上がったというのはきわめて珍しいことだったろう。「夜中に家で一人でピアノを弾いてた」という具体的な状況も興味深い。

 『FAB BOOK』(角川マガジンズ 2010/06)ではこう述べている。『陽炎』の物語の枠組や根本的なモチーフを解き明かす貴重な発言である。


僕の中で夢なのか現実なのかわかんないですけど、田舎の家の風景の中に少年期の僕がいて、その自分を見ている今の自分がいる、みたいな。そういう絵がなんかよく頭に浮かんだんですよね。それを参考にして書いたというか、そういう曲を書きたいなと思ってて、書いたのがこの曲なんです。


 「少年期の僕」と「その自分を見ている今の自分」、二人の自分がいる。過去の自分と現在の自分。見られている自分と見ている自分。時間の差異と能動受動の差異によって二人の自分が存在しているわけだが、ここで重要なのは、その二人の自分を「絵」として頭に浮かべているもう一人の自分、第三の自分がいることだ。
 そうなるとここには、①「少年期の僕」、②「その自分(少年期の僕)を見ている今の自分」、③「少年期の僕」と「その自分(少年期の僕)を見ている今の自分」の両方を「絵」として見ている自分、という①②③の三人の自分「僕」がいることになる。

 かなり前になるが、次のように書いたことがある。【《作者》《話者》《人物》としての「僕」 (「志村正彦LN 7」)2013年3月24日】

語る「僕」のことを《話者》としての「僕」、語られる「僕」つまり作中人物としての「僕」のことを《人物》としの「僕」、時には《主体》としての「僕」と呼ぶことにしたい。さらに付け加えると、《話者》としての「僕」、《人物》としての「僕」の背後に、この歌を創造した《作者》としての「僕」つまり志村正彦という現実の作者、歌い手が存在している。

 この枠組に基づいて整理してみたい。
 『陽炎』の場合、「少年期の僕」、「その自分(少年期の僕)を見ている今の自分」、の二人が作中に登場する。「僕」という人物、主体が二人設定されていることになる。この「僕」は過去と現在という時間を隔てた同一の人物、主体ではあるが。そして、その二人の「僕」を「絵」として見ていて物語として語っていくのが、《話者》としての「僕」である。《主体》としての二人の「僕」(①②)、《話者》としての「僕」(③)。ここまでで三人の「僕」が存在することになる。さらに、その三つに分化した「僕」を統合統率するのが《作者》志村正彦である。

 文学研究的な語彙が堅苦しいかもしれないので、フジファブリックにちなんで「ファブリック」「織物」の喩えを用いてみよう。
 「少年期の僕」を縦糸、「少年期の僕を見ている今の自分」を横糸とする二つの糸がそれぞれ、《主体》としての「僕」である。その二つの糸を織り上げていくのが、《話者》としての「僕」である。《話者》の「僕」が、縦糸と横糸の「僕」を織り込んで、絵や図柄という形にしていく。《話者》は織り人であり、美しい織物に仕上げていく。そのようにして、《作者》の志村正彦は一つのファブリックのデザインを創造する。

 もちろん、志村はこの作品を30分位で仕上げたと述べているように、このような過程のすべてを意識的に行ったのではないだろう。身につけた技術や分析の力を活かすことがあるにせよ、詩人の創造は半ばは無意識的である。「降りてきて」「スラスラ」と述べていることがそのことを示している。

 無意識は、言葉、記憶、感覚、映像の断片が複雑に織り込まれている。睡眠中に見る夢は無意識の形成物の代表である。詩人の場合、時に直観的に時に瞬時に、自らの無意識という織物を作品という織物に変換することができる。詩は覚醒状態の夢、無意識の形成物であるともいえる。だからこそ逆の作用によって、詩は読者の無意識に働きかける。

 志村正彦・フジファブリックの『陽炎』もまた、聴き手の無意識に強く作用してくる。陽炎が揺れ、無意識が揺れる。



2018年8月19日日曜日

真夏のピークが去って、VF甲府 [志村正彦LN193]

 一昨日、真夏のピークが去ったようだ。
 まだ暑いのは暑いのだが、朝晩に吹く風は秋風を想わせる。湿気も少なくなり過ごしやすくなった。LINEモバイルのCM効果でフジファブリック『若者のすべて』は依然として話題となっている。ついにNHKの気象予報士のコメントにも「真夏のピークが去った」が使われたそうだ。志村正彦が作ったこの表現はもはや「真夏」に関わる言い回しとして日本語に定着してきたのかもしれない。天気予報士ではなく気象予報士という呼び方に変わってしまったのが残念だが。「気象」は科学的な語彙であり、生活の実感としては「天気」の方がしっくりする。

 今回、『陽炎』論は一休みさせていただく。昨日のヴァンフォーレ甲府の試合について触れてみたい。前回VF甲府について書いたのは2016年11月、J1残留を決めた時だった。あれから2年近く経つが、この間、2017年度にJ1降格、今年2018年度からJ2で闘っている。
 昨夜の相手は愛媛FC。前半14分、カウンター攻撃から失点。ポスト直撃など何度か決定機を作ったが得点はなかった。
 前半終了近く、西の空は青色を残し、雲は茜色に染められていた。メインスタンドの向こう側に見えるのは南アルプスの連山。VF甲府のシンボルカラー「青赤」そのままの夕景だった。後半に期待した。



 後半、新加入の選手を使ったが機能しない。結局、0:1で負けてしまった。結局、試合の方は夕景とは違い「青赤」は輝けなかった。
 このところ前半早々の失点が続く。堅守速攻というJ1時代のイメージはもうない。攻撃の形を作ることはできるのだが、最後まで押し込めない。中途半端に終わってカウンターを受ける。同じことの繰り返し。全体として、試合のコントロールができていない。事前の分析・対策、ゲームプランを練り上げているのだろうか。
 現在14位。勝点は37、自動昇格圏2位チームとの差が16、プレーオフ進出圏6位チームとの差が9ある。残り試合は13しかないので、J1昇格はきわめて難しくなったと言わざるをえない。観客数もこのところ減少、今後さらに少なくなっていくだろう。

 2005年12月のJ1初昇格決定から13年、降格したり昇格したりの年月だったが、全体としてはまずまず順調な歴史を送ってきたと言えるだろう。しかし、今回の降格はこれまでとはどこか異なる。サポーターとしての予感のようなものだが、これからは厳しい時代が続く気がする。チームにもサポーターにも疲れというのか諦めのようなものがある。
 何度か引用したが、志村正彦は2009年12月5日付の日記に「甲府がJ1に上がった日は嬉しくて乾杯したな、そういやあ。」と書いてくれた。残念だが、2005年度の昇格以来ずっと持続していたVF甲府のピークがついに去っていくのかもしれない。

 1999年のJ2加入から20年が経った。最大の問題点は自前の(完全に専用の)練習場もクラブハウスも建設できなかったことにある。未だに借り物の大学グラウンドが主な練習場であり、練習後にケアできる施設やクラブハウスがない。メディカルなチェックも不十分になる。実質的に怪我人が多い原因であるのは間違いない。選手やサポーター・ファンにとって本当の意味での「場」がないのだ。
 財政的に厳しいのは分かるが、運営会社は少なくとも中長期計画は作成しなければならないはずだ。しかし、その準備をしてきたかどうかは大いに疑問である。チームだけでなく会社を含めての全体的な成長と発展が求められているのに、その姿が見えないことに多くのサポーターは失望している。山梨という地域に根ざしているのだから、もっと自らの方向性やビジョンを公に発表し、ファンやサポーター、地域の人々と対話して、この状況を打開していく必要がある。


 ハーフタイムで印象深い出来事があった。
 アウェイ側ゴール裏の巨大モニターに、藤巻亮太主催のイベント「富士山世界文化遺産登録5周年記念 Mt.FUJIMAKI 2018」(10月7日(日)、山梨県・山中湖交流プラザきらら)のCMが流された。

「Mt.FUJIMAKI 2018」公式webから

 主催は、藤巻亮太(最近事務所から独立したので個人としてのプロジェクトなのだろう)、山中湖村、(株)テレビ山梨、FM FUJI。出演は、ASIAN KUNG-FU GENERATION、浜崎貴司(FLYING KIDS)、宮沢和史、山内総一郎(フジファブリック)、和田 唱(TRICERATOPS)。記憶をたどってみたが、この種のイベントのCMが流れたことは一度もないはずだ。最近、藤巻亮太はヴァンフォーレ甲府スペシャルクラブサポーターに就任した。9月1日(土)のFC町田ゼルビア戦でミニライブ(16:45頃~17:05頃)が行われる。「皆さまと一緒にヴァンフォーレ甲府を応援し、山梨の魅力を発信していきたいと思います。サポーターの力で、チームを盛り上げ、J1を目指していきましょう!」というコメントも寄せている。クラブとの関係や「富士山世界文化遺産登録5周年記念」という趣旨から異例の扱いになったのかもしれない。

 一瞬だが、小瀬・中銀スタジアムのスクリーンに、山内総一郎の顔が大きく映ったことには感慨を覚えた。フジファブリックの現フロントマンということで参加することになったのだろうが、志村正彦が存命であれば当然、彼が、あるいは彼のフジファブリックが出演したはずだ。さらに言えば、甲府の宮沢和史(ザ・ブーム)、御坂の藤巻亮太(レミオロメン)、吉田の志村正彦(フジファブリック)という山梨の誇るロック音楽家が集うイベントになったことだろう。それは真夏の夜の夢のように消えてしまったが。「途切れた夢の続きをとり戻したくなって」(『若者のすべて』)という一節も浮かんできた。だが、取り戻すことはできない。

 ハーフタイムの最後に花火が上がった。花火大会に行く習慣がないので、毎年このスタジアムで夏の打ち上げ花火を見ている。


 最後の最後の花火が落下してくる。途切れた夢のように儚い。

2018年8月11日土曜日

喪失を喪失のままに-『陽炎』2[志村正彦LN192]

  幸いなことに次第に回復して、7月中旬職場に復帰した。後遺症は残ったが仕事は可能だった。激務のルーティーンに舞い戻ることになった。そして、フジファブリックのCD・DVD、関連書籍を集め出した。熱心なファンになっていった。

 翌年の2011年、あることを契機に国語の授業で取り上げるようになった。志村正彦・フジファブリックの作品は生徒の心に強く作用した。言葉を生み出した。その試みが『山梨日日新聞』の文化欄に掲載され、その年の12月、富士吉田で開催された志村正彦展で生徒の文が展示された。
 その際に、授業の試みの概要と僕自身の志村正彦論を書くことにした。どういう視点で迫ろうか考えあぐねたが、『陽炎』の歌詞から「喪失」というモチーフが浮かんだ時に、言葉が動き出した。「志村正彦の夏」という題をつけた短いエッセイ。結局、この文がすべての始まりとなった。「偶景web」の原点とも言える。以前一度掲載したが、『陽炎』論の出発でもあるので該当箇所を再び引用したい。



 夏の記憶の織物は、フジファブリックの作品となって、ここ十年の間、私たちに贈られてきた。なかでも『陽炎』は志村にしか表現しえない世界を確立した歌である。

  あの街並 思い出したときに何故だか浮かんだ
  英雄気取った 路地裏の僕がぼんやり見えたよ  (『陽炎』)

 夏は、想いの季節である。夏そのものが私たちに何かを想起させる。「街並」「路地裏」という場。「英雄」、幼少時代の光景。楽しかったり、寂しかったりした記憶が「次から次へ」と浮かんでくる。
 夏は、ざわめきの季節でもある。人も、物も、風景も、時もざわめく。「陽」が「照りつけ」ると共に、何かが動き出す。そのとき、「陽炎」が揺れる。

  窓からそっと手を出して
  やんでた雨に気付いて
  慌てて家を飛び出して
  そのうち陽が照りつけて
  遠くで陽炎が揺れてる 陽炎が揺れてる   (同)

 『陽炎』はここで転調し、詩人の現在に焦点があてられる。

   きっと今では無くなったものもたくさんあるだろう
   きっとそれでもあの人は変わらず過ごしているだろう

   またそうこうしているうち次から次へと浮かんだ

   出来事が胸を締めつける          (同)  

 今では「無くなったもの」とは何か。特定の他者なのか。風景なのか。十代や青春という時間なのか。あるいは、過去の詩人そのものなのか。そのすべてであり、すべてでないような、つねにすでに失われている何かが「無くなったもの」ではないのか、などと囁いてみたくなる。

 喪失という主題は青春の詩によく現れるが、大半は、失ったものへの想いというより、失ったものを悲しむ自分への想いに重心が置かれる。凡庸な詩人の場合、喪失感は自己愛的な憐憫に収束するが、志村の場合は異なる。
 彼の詩には、そのような自己憐憫とは切り離された、失ったものそのものへの深い愛情と、失ったものへ、時に遠ざかり、時に近づいていく、抑制された衝動がある。そして、喪失を喪失のままに、むしろ喪失を生きなおすように、喪失を詩に刻んでいった。それは彼の強固な意志と自恃に支えられていたが、「胸を締めつける」ような過酷な歩みでもあった。



 七年近く前に書いたこのエッセイは、ごく短い作者論、「志村正彦論」としてまとめたものだ。当時は、フジファブリックの作品全体を考察できるほど聞きこんではいなかった。思い返すと、「無くなったもの」を「つねにすでに失われている何か」と捉えることによって論理を形成することができた。いかにも現代思想的な論点であり、若干の気恥ずかしさを感じるが。それでも、論理だけでなく、作品から受けた印象や触発された感覚を織り交ぜることも追求した。

 何かが、すでに、意識されることもない過去において失われている。その何かは、常に、現在においてそして未来においても、失われ続けている。その喪失は自己憐憫的な凡庸なものではない。
 志村の歌詞には「失ったものそのもの」という他なるものへの愛が貫かれている。それと共にあるいはそれに反して、「失ったものへ、時に遠ざかり、時に近づいていく、抑制された衝動」と形容した、衝動や欲動の律動がフジファブリックのリズムに込められている。抽象的で明解でないが、このように展開するのが精一杯だった。

 「喪失を喪失のままに」という表現はふっと自然に浮かんできた。そのような覚えがある。多分に直観的な把握だが、僕の志村論の原点となるモチーフがここに現れている。
 今回の連載は歌詞の丁寧な分析や資料の参照によって、当時の思考をあらためて省察していきたい。

2018年8月5日日曜日

出会い-『陽炎』1[志村正彦LN191]

 この夏は、『NAGISAにて』そして『虹』、『若者のすべて』と志村正彦・フジファブリックの「夏」に関わる作品について書き続けてきた。『虹』は映画『虹色デイズ』のオープニング曲、『若者のすべて』はLINEモバイルのCM「虹篇」のCMソングとして使われたことに触発された。今回から『NAGISAにて』の際に少し触れた『陽炎』を取り上げたい。『NAGISAにて』、『虹』、『若者のすべて』はどの曲も夏(それは初夏であったり晩夏であったりするが)を舞台とする作品ではあるが、夏(それも真夏、盛夏)そのものの季節の感覚を強く表している作品としてはやはり『陽炎』が筆頭であろう。

 僕と志村正彦・フジファブリックとの出会いについてはこのblogでほとんど触れたことはなかったが、『陽炎』が出会いの曲だった。その経緯を少し語らせていただきたい。

 2010年のことだ。僕はそれなりに難しい病気にかかり、四月に東京の病院で手術を受けた。一月ほどして退院し甲府に戻り療養生活に入った。安静状態で回復を待たなければならなかった。外出は禁止だったので三ヶ月近く自宅に閉じこもることになった。回復が順調にいくのか、職場に無事復帰できるのか、不安な日々を送っていた。寝ているだけで何もしないのも苦痛なので、読書をしたり映画を見たりしていたが、それもすぐに疲れてしまう。結局、音楽好きだったのでCSの「スペースシャワーTV」「MUSIC ON! TV」「MTV」などの音楽番組を見ることが多くなった。BGMのように流すこともできた。

 六月頃だったろうか。複数の音楽専門局で集中的にフジファブリックの映像が流されたり特集番組が放送されたりしていた。当時は分からなかったが、七月に富士急ハイランドで開催の「フジフジ富士Q」のプロ-モーションと志村正彦の追悼の意味があったのだろう。同じ頃、地元紙の山梨日日新聞の「志村正彦『富士』に還る」という連載記事もあった。これらの音楽番組と新聞記事によって、僕は志村正彦・フジファブリックに出会うことになった。

 フジファブリックの代表曲のミュージックビデオはどれも素晴らしいものであった。中でも圧倒的な印象を受けたのは『陽炎』MVだった。真夏の季節。檸檬色のシャツの女性が彷徨う。街中の路地裏。二匹の野良猫。通り雨。時計の針の逆転。流れる雲と空。部屋のカーテンの向こう側の海辺の光景。落下する時計。映像が歌詞の説明でないところもよかった。暗い眼差しの青年が自らの表情を隠すようにして歌い続けている姿に何よりも惹かれた。






 MVを録画して繰り返し聴くと、独特なグルーブのサウンドに連れられて、『陽炎』の物語世界に自分自身が入り込んでいくような気がした。歌詞をたどると、複雑で陰影に富んだ世界が刻み込まれていた。記憶や知識の中にある日本語ロックの世界に類似した作品はなかった。真に独創的な音楽を富士吉田出身の青年が作り出していたことに感銘を覚えた。それと共に、なぜこれまでフジファブリックの存在を知らなかったのだろうかと後悔した。(正確に言うと、そのバンドの名前は知っていたが音源に接することはなかった、ということだが)志村正彦はその前年の十二月に亡くなっていた。

 それでも、あの時期に自宅で療養をしていなかったら、フジファブリックと出会うことはなかったかもしれない。少なくともその出会いはもっと遅くなっただろう。今振り返ると、病気療養中の不安な日々と『陽炎』の底に流れる不安な心象がどこかでつながれていた気がする。