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2017年6月11日日曜日

HINTO『花をかう』LIVE映像 -言葉の響き合い

 梅雨に入り、初夏の花の季節を迎えようとしている。雨上がりの花壇の色彩は強い日差しをあびて、ひときわ濃くなる。

 四月末にHINTO『花をかう』のLIVE映像がHINTOofficialで公開されてから、数日に一度は視聴してきた。この歌の尽きない魅力を味わっている。




  2016年10月30、渋谷WWWでの収録。『HINTO release ONE-MAN TOUR 2016』最終日の演奏で、運よく、この日はその場にいることができた。映像を見ると記憶も再生される。この歌のイントロが始まると場内が静寂に包まれたこと。安部コウセイがラップ風のジェスチャーをしながら歌い出したことに目を奪われたこと。語りの要素と歌の要素がおおらかに溶け合っていたこと。LIVEならではのいくつかの発見があった。

  特筆すべきなのは、LIVE映像に歌詞のテロップが付加されていること。これは極めて珍しい。歌の言葉を伝えたいという意志の現れだろうが、このような方法は素直に歓迎したい。
 映像を追いながら、安部コウセイの歌と歌詞を追いかけていくと、『花をかう』の声と言葉は絶妙に響き合っているのが分かる。ギター、ベース、ドラムスの音色と律動はその響き合いにさらに複雑な効果を与えている。

 最近、「SPICE」というネットメディアで「ホリエアツシのロックン談義 第3回:SPARTA LOCALS / HINTO・安部コウセイ」という記事が掲載されていた。こんな発言がある。


安部:メロディから作っていって、詞が乗ってガッカリすることってある? 俺は時々、これめっちゃいい曲じゃんっていう曲に詞が乗ったらガッカリすることがあるんだけどさ(笑)。

ホリエ:自分で?

安部:そう。嘘英語みたいな仮の歌詞で作っているときが一番カッコよくて、詞が乗ると「はぁ、なんだこれ」って。俺の場合は声も変わっちゃうというか。日本語にスポイルされて日本語の声になっちゃう。

ホリエ:ああ、それは俺もそうだよ。俺がentでほとんど英語で書いてるのはそういう理由。英語っぽい節回して歌いながら曲を作ってるから、それを無理に日本語にすると歌い方も変わっちゃって、語気が変わってきたり。

安部:やっぱり日本語と英語ってかなりギャップがあるんだなぁって。


 安部は、嘘英語みたいな仮の詞から日本語の詞に作りかえていく際に「日本語にスポイルされて日本語の声になっちゃう」という興味深い発言をしている。このニュアンスはよくつかめないが、「ロックの声」の乗りからほど遠くなる感じだろうか。そして、日本語と英語の「ギャップ」への言及。日本のロックの歌詞にはその成立の時代から、日本語か英語(カタカナ語)かという問題があった。ことは複雑であり、安易に語ることはできない。一つだけ逆説を言うなら、この「ギャップ」があったからこそ、この「ギャップ」と闘ったからこそ、日本語ロックは独自の優れた果実を得たのだろう。
 
 例えば、『花をかう』の「花をかう トゥユー」、あるいは『シーズナル』の「めぐってめぐってくシーズン」。どちらにも素晴らしい日本語と英語(カタカナ語)のミクスチャーがある。私たち聴き手はなにげなく無意識に聞いてしまうが、この言葉の複合のありかた、意味と韻律の作用に、私たちのロック、その響き合いの現在がある。