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2015年8月31日月曜日

雨宮弘哲、甲府ハーパーズミルで。

 先週の日曜日、甲府のハーパーズミルで開催の『雨宮弘哲レコ発「沼」ツアー2015夏・ファイナル』に行ってきた。出演は、雨宮弘哲・中西ヒロキ・よよよゐの三人。山梨出身あるいは在住のフォークシンガーだ。この日は所用があって、会場に着いたのは午後八時半頃、中西ヒロキさんの終わり近くだった。のびやかな明るい声の歌い手だった。
 まもなくすると、雨宮弘哲(弘哲は「ひろあき」と読む)さんの登場。でも「さん」を付けて呼ぶのはやはりしっくりこない。「弘哲君」と呼ぶのが自然だからそう書くことにしよう。というのも彼は、私が以前勤めていた高校で知り合った生徒だったからだ。

 もう二十年ほど前のことになる。弘哲君は高校2年生でたしか十七歳、私も三十代半ばの頃で今からするとまだ充分に若かった。早熟だった彼は、あの当時や昔のフォークソングをいろいろと聴きこんでいて、少しずつ自分の作品を作り、歌いはじめていた。ハーパーズミルで友部正人のライブを一緒に聴いたこともあった。あの頃の彼の自作の歌詞には、自分の言葉をつかもうとする意欲が感じられた。歌う力はまだまだだったが、ギターの演奏は上手かった。私は私なりに彼の成長を楽しみにしていた。

 卒業後、彼は山梨から東京に行った。学生時代を過ごし、バイト生活をしながらフォークを歌う道を選んだ。2003年、「あめあめ」というユニットでMIDI Creativeレーベルから『和同開珎』をリリース、その後は中央線沿線を主な活動場所にして、自主製作CDを発表したり、企画ライブを主催したりして、各地を旅して歌い続けている。(「雨宮弘哲 ホームページ」参照)
 数年に一度は山梨に帰り、ハーパーズミルで歌った。そのほとんどに行ったはずだが、前回は都合で行けなかったので、この日は久しぶりに彼の歌を聴くことになった。今年4月発表の新アルバム『沼』収録曲のお披露目。三十七歳になった彼の現在が刻まれた作品の数々。彼の日々のつぶやきが聞こえてきた。

 歌が上手いとは言えない、と率直に書こう。歌い方、特に言葉の強弱、末尾の発声が相変わらず不安定なのだが、その歌声が「ゆらぎ」のようなものを伴い、ある意味では、彼の心そのものの「ゆらぎ」を伝えているようでもある。
 そのような歌い方は聴き手を限定してしまうという弱さを持つと同時に、彼の「個」を際立たせる、ある種の強さにもなっている。彼の歌が聴き手に受け止められるかどうかの壁がここにあるが、この壁を乗り越えてしまえば、雨宮弘哲の歌の世界に入ることができるのだろう。



 アルバム最後の歌『小舟』は、彼の今までの旅の航路が歌われている。

  ぼくの小舟は  波に揺れない
  うねりの風も 笑いとばして
  すすむだろう 光へ向けた矛先
  手製の帆を張って 金の夕空
    
 日々の暮らしの中で、その航路を遮るもの。問いも答えもなく、立ちはだかるもの。それを前にして、時に折れ曲がり、時にいじけてしまう主体。しかし、「笑いとばして」進むしかない。
 彼は自らの声と言葉の「ゆらぎ」で、そのようなものたちに「ゆらぎ」を与えようとしているのかもしれない。

 しかし、アルバム『沼』の全体を通してみれば、もっともっと、言葉に「ゆらぎ」をもたせたらどうだろうかという考えが浮かんでくる。ゆらぎはじめている言葉もあるが、まだまだありふれた言葉もある。
 「小舟」が、「言葉」そのものの「うねりの風」を「手製の帆」で受けとめて進んでみたら、どのような風景が広がるのだろうか。そのような風景を聴いてみたい気がした。

 終了後、弘哲君と少しの間言葉を交わした。つい最近、このハーパーズミルで佐々木健太郎のライブを聴いたことを話すと、Analogfishがまだ下岡晃と佐々木健太郎の二人で活動していた頃に、下北沢で共演したことがあったそうだ。前野健太もいたようだ。その頃の下岡・佐々木の印象はエレファントカシマシのようだったらしい。2000年代初めの頃の話だ。

 もう一つ、興味深い話があった。弘哲君は、インディーズ時代のフジファブリック(いわゆる第2期の時代)のベーシストとバイト先のパスタ屋が一緒だった縁で、『茜色の夕日』等が収録されたカセット音源を2種類もらって聴いていた。志村正彦もそのパスタ屋に食べに来たこともあったが、会ったことはなかったそうだ。(弘哲君は志村正彦と同世代。山梨出身の二人が何かのきっかけでもし出会っていたらという想像をしてしまった)。彼が第2期のベーシストを通じて、当時のフジファブリックの様子を知っていたことには驚いたが、ある時代に新宿や高円寺という中央線沿線の場所で、フォークとロックという違いはあれ、インディーズシーンで活動をしていたのだから、どこかに接点があっても不思議ではない。

 1980年前後に生まれた世代には新しい感覚を持った歌い手がたくさんいる。彼らも三十歳代の後半に入りつつある。
 歌い手としてのポジションは様々だが、今もなお歌い続けている存在がいる。

2015年8月15日土曜日

『戦争がおきた』 Analogfish

 「戦後70年」とことさらに言われると、「戦後」という捉え方が自明なものであるのかどうか、あらためて問いかけてみたくもなる。
 「戦」の「後」という時の区分は、「戦」の「前」「中」と言う時との対比としてある。戦争が起きる「以前」、戦争が行われている「最中」という時の状況はある程度明確である。しかし、「戦後」とは定義上、戦争が終わった「後」の時を示す。そうであればすぐに、戦争が終わったのかどうか、ということが問われる。
 もちろん、戦闘としての戦争は、私たちの国の場合、1945年8月15日に終結している。しかし、戦争が終わるということが、戦争に関わるあらゆることが本当の意味で終わるということであれば、未だに戦争は終わっていないと考えられる。沖縄の現実を見れば明らかであり、現在の社会の動きもそのことを示している。
 

 先週の土曜日、Analogfishの佐々木健太郎のライブに出かけたこともあり、ここ数日、Analogfishの「社会派三部作」と言われる、『荒野 / On the Wild Side』(2011年)、『NEWCLEAR』(2013年)、『最近のぼくら』(2014年)の三枚のアルバムを聴いた。Analogfishには下岡晃、佐々木健太郎という二人のボーカル、ソングライターがいるが、下岡はあるインタビューで「僕はレベル・ミュージックを作りたいと思ってるんですよ」と語っている。(http://chubu.pia.co.jp/interview/music/2014-11/analogfish.html

 確かに「社会派三部作」には、この時代に向き合うレベル・ミュージックが数多く収められていて、しかも定型的なものはなく、自由で多様な作品が展開している。中でも、第1作『荒野 / On the Wild Side』収録の『戦争がおきた』(作詞:下岡晃、作曲:アナログフィッシュ)は、その題名の直接性が際立っている。「朝目が覚めて」と冒頭にあるように、朝のまどろみを想起させる美しいメロディを持つが、歌詞そのものの読みとりは難しい。歌詞の全てを引用する。


  朝目が覚めてテレビをつけて
  チャンネル変えたらニュースキャスターが
  戦争がおきたって言っていた


  街へ出かけて彼女と飲んで
  家へと向かう電車で誰かが
  戦争がおきたって言っていた


     借りてきた映画を見て その後で愛し合って
  戦争がおきた


  ずっと昔に夕飯時に
  手伝いしてたら近所の誰かが
  戦争がおきたって言っていた


  料理が並び家族がそろい
  食事をしてたらまばゆい光が
  暗闇の中を不確かな国の
  確かな家族へ飛んでった


  世界が終わるんだって 勝手に思い込んで
  眠れずに朝になった そんな事思い出して
  少しだけビール飲んで 昼まで眠りこけた


  戦争がおきた

  朝目が覚めて彼女も起きて
  昨夜の行為の続きの後で
  戦争がおきたって言っていた


  何かが変わるといいね

  戦争がおきた


 この歌には、「戦争がおきたって言っていた」という表現と「戦争がおきた」という表現の二つがある。この二つの間にはどのような差異があるのだろうか。

 歌の現在時(他の解釈もあるだろうが、ここではいちおうそのように捉える)、「テレビ」の「ニュースキャスター」が、街から家へと向かう電車で「誰か」が「戦争がおきたって言っていた」。その後、「ずっと昔」と時が遡り、その「夕飯時」の出来事として、「近所の誰か」が「戦争がおきたって言っていた」。もう一度現在時に戻り、「朝」「彼女も起きて」、「昨夜の行為の続きの後で」「戦争がおきたって言っていた」と歌われる。誰が言ったのかは明示されていないが、文脈上は「彼女」の発話だとするのが自然だろう。
  「戦争がおきたって言っていた」の実際の歌唱では、「戦争がおきた 戦争がおきた 戦争がおきた って言っていた」と歌われている。「戦争がおきた」は三回反復された後、「って言っていた」という他者の発話として、他者を通じて、その事態が歌の主体に伝えられる。

 第5連にある、「まばゆい光が/暗闇の中を不確かな国の/確かな家族へ飛んでった」は、この歌で描かれる「戦争」の像の中心にある。「国」と「家族」とが、「不確かさ」と「確かさ」とで対比されている。「レベル・ミュージック」の批評性がこのフレーズには現れている。しかし、この歌は、「国」のあり方を批判する方向には進まずに、「戦争」をめぐるある現実の露出に向かおうとしている。

 「戦争がおきたって言っていた」という他者の発話を聴く経験ではなく、歌の主体の経験、少なくとも他者を介在させることのない間接的ではない経験として、「戦争がおきた」と歌われるのは三度ある。                                                                      
 最初は、「借りてきた映画を見て その後で愛し合って」という「行為」の後で「戦争がおきた」と歌われる。その行為と「戦争がおきた」という出来事との文脈上のつながりは特にない。行為と出来事とは乖離している。次は、「少しだけビール飲んで 昼まで眠りこけた」に続けて「戦争がおきた」と歌われる。この場合も、「眠り」とその覚醒と「戦争がおきた」という出来事との間にはつながりはない。「眠り」は意識の断絶としてある。「愛し合って」という行為も一種の断絶だとするなら、断絶を経ての覚醒の後、「戦争がおきた」という出来事が起きる、という流れを読みとることができるかもしれない。そして、「何かが変わるといいね」という願望が唐突に歌詞の中に織り込まれた上で、「戦争がおきた」と最後に歌われて、この作品は閉じられる。
  最後の「戦争がおきた」には、とても静かに、それゆえ突然に、「戦争」という現実が露出したような響きがある。


 『戦争がおきた』という歌は、「戦争がおきた」という出来事と、「戦争がおきた」ことを主体が把握する出来事との二重の出来事を伝えようとしている。意味というよりも、出来事そのものが現れ出るように言葉が配置されている。(まだ私はそれを解析できないのだが、その端緒としてこの文を記そうと考えた)


 下岡晃、Analogfishは今、全く新しいレベル・ミュージックを創りつつある。

2015年8月9日日曜日

佐々木健太郎・岩崎慧、甲府ハーパーズミルで。

 昨夜8月8日、甲府のハーパーズミルで、「トットコサマーで王さまツアー!2015」佐々木健太郎(アナログフィッシュ)と岩崎慧(セカイイチ)のライブを聴いてきた。

 岩崎慧の歌を聴くのは初めてだった。のびやかな声を持つ歌い手で、プロとしての十数年のキャリアが伝わってくる。
 最後に歌われた『バンドマン』。「夢はもうないのかい/夜になったまま朝がこないのかい」という最初のフレーズには少しどきりとした。「狭い狭い枠の椅子とりゲーム」という繰り返される言葉からはバンド業界で生きる者の悲哀が漂う。
 このライブのみの印象だが、洋楽を始め様々な音楽を消化できる器用な人なのだろうが、もっと削ぎ落とすことで、彼の「地」のようなものを表した方が聴き手により届くのではないだろうか。歌の力は感じられるのだから。

 佐々木健太郎は、昨年1月にもこの場所で聴いた。(http://guukei.blogspot.jp/2014/01/blog-post.html
 今回は『希望』から始まった。この歌の世界はありふれたようでありふれていない。彼の歌う力と言葉の力がほどよく結晶されている。今のところ最も好きな作品で、収録アルバムのアナログフィッシュ『NEWCLEAR』を時々聴いている。
 ただし、昨年とは何かが違う。歌のパフォーマンスのあり方だろうか。例えば、「希望 希望 希望」と口ずさむ時に目線が彼方を眺めるように動いていく。単独ライブではなく、二人によるライブツアーという背景があり、歌い方を変えているのかもしれないが、昨年の飾り気のない木訥としたスタイルの方が好きだ。

 岩崎、佐々木の順で歌い、二人による歌とアンコールでしめくくられた。最後はアナログフィッシュの名曲『LOW』。岩崎によると、二人の出会いのきっかけとなった曲。「How are you? 気分はどうだい/僕は限りなく ゼロに近い LOW LOW/胸焦がして 胸焦がして 頭かかえて 胸焦がして」と、佐々木と岩崎が激しく声と身体を使う。この日こちら側に最も迫ってきた歌だ。

 「限りなくゼロに近いLOW」は、村上龍『限りなく透明に近いブルー』へのオマージュだろうか。90年代からゼロ年代にかけてのロック青年は、60年代から70年代にかけてのロック青年の持つ「透明な浮遊や高揚」からはほど遠い日常を生きる。下降や逡巡を繰り返す焦燥感が吐き出される。それは「透明」たりえない。
 『LOW』は佐々木の初期の作。「ゼロに近いLOW」いう表現は時代を鏡のように反射していて、ある種の社会性や批評性を帯びている。この頃の佐々木の歌には、アナログフィッシュの盟友、下岡晃の世界との共通項が多い気がする。

 この日の聴衆は三十人弱。半分以上は他県からの客か。少人数の、そして静かな客を前に熱演し盛り上げようとして二人のパフォーマンス。一人の聴き手としてはこれ以上求めるものはないのだが、正直に書くと、その盛り上げ方に入り込めないような感じが残った。私の捉え方の問題かもしれないが、佐々木健太郎は逆にやや疲れているようにも見えた。

 佐々木と岩崎も三十歳代の後半を迎えている。
 歌い続けること。そのことの意味は、歌うことには無縁である私のような聴き手にとっては計りがたい。勝手に想像したり了解したりすることは慎むべき、少なくとも丁寧で慎重であるべきだらう。
 それでも今こうして書いている最中にも、そのことが頭の中で回り続けている。