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2013年5月29日水曜日

メレンゲ 『ビスケット』 (志村正彦LN 30)

  5月23日のメレンゲのセットリストは片寄明人が選んだそうだが、最後に『ミュージックシーン』収録の『ビスケット』が演奏された。顔を傾けたり揺らしたりして歌う、クボケンジ独特のスタイルで、「もっと遠くまで」と力強い声が響いた。
 結成から11年にわたりメレンゲの独創的なサウンドを創ってきた、タケシタツヨシのベースとヤマザキタケシのドラムによるリズムセクションのしなやかで強靱なビート、サポートメンバーである大村達身のギターと横山裕章のキーボードの繊細で粘り強い音色からなる演奏がクボの歌声とひとつになって、激しく柔らかく高揚していく。

 クボは『ミュージックシーン』のセルフライナーノートで、『ビスケット』について「オルガン的な音を入れたりしてフジを意識してみた」と書いている。サウンドの軽快な疾走感と、それに反するかのような陰影のある歌詞を持つ『ビスケット』は、特に『CHRONICLE』の頃の志村正彦、フジファブリックの世界に通じるものがある。
 『ミュージックシーン』収録曲には、「メリーゴーランド」「キンモクセイ」というように、志村正彦の歌詞の一節とのつながりや彼を連想するような言葉の断片もかなり含まれている。言葉として現れてこなくても、志村を想起させるような内容が少なくない。

 『ビスケット』の言葉には、直接、志村を感じさせるようなものはないが、冒頭の「もっと遠くまで もっと遠くまで 冷たくしないで かまって かまって かまって よね」という言葉の連なり、特に「かまって」の反復、「よね」という末尾の言い回しなどに、例えば、志村正彦の『バウムクーヘン』の「誰か僕の心の中を見て 見て 見て 見て 見て」やその他の歌とのつながりを感じてしまう。

 クボケンジは、2010年7月の「フジフジ富士Q」コンサートで、『バウムクーヘン』と『赤黄色の金木犀』を歌った。そのクボの姿を見て志村に似ていると感じた人が多かったと聞いている。クボはその時「当日は志村もいるつもりで行きます。僕が彼の言葉を背負って歌う事は出来ないのでフジファブリックを好きな人たちとみんなでカラオケするように楽しめたら良いのかなって今は考えています」というコメントを寄せている。

 『ビスケット』には次の一節がある。

    ポケットには 一人分 
    叩いて 二人分 
    粉々になる 
    黙って 困って 黙って

 この一節は、誰もが感じるように、まど・みちお作詞の『ふしぎなポケット』、あの有名な童謡から着想を得たものであろう。

  ポケットの なかには ビスケットが ひとつ
  ポケットを たたくと ビスケットは ふたつ
  (中略)
  そんな ふしぎな ポケットが ほしい
  そんな ふしぎな ポケットが ほしい

 「ふしぎなポケット」、たたくとビスケットの枚数が増えていくポケット。一つのものが二つ三つと増殖していくという不可能な出来事。「そんなふしぎなポケットがほしい」という欲望は、現実にはありえない夢、というよりも、夢の中でしか実現できないような不可能な欲望だと言えよう。精神分析の理論では、夢の本質は願望の充足だと考える。子どもだけでなく大人もまた、対象はどのようなものであれ、その対象の増殖への純粋な願望を夢の中で実現させ、願望を充足させる。意図したものではないかもしれないが、まどみちおはそのような欲望を描いている。

 それに対して、クボケンジの『ビスケット』では、「一人分 叩いて 二人分」になったが「粉々になる」。クボケンジのポケットは、まどみちおのポケットが反転されたものである。欲望の充足は損なわれ、夢が砕けてしまったかのように、ビスケットは粉々になる。「一人分」が「二人分」になることは永遠に不可能となる。その事態に直面した歌の主体は、「黙って 困って 黙って」という沈黙と困惑の循環の中に閉じこめられる。何かが決定的に損なわれてしまった。困り果てた主体は、為すすべもなく、壊れたビスケットを見つめる。

 次の一節が続く。

  もういいや もういいや 君の夢でもみよう
  楽しい事 楽しい事
  肝心な時はやはり 出てきてもくれないか
    (中略)
  もういいかい もういいかい あふれそうな I miss you 

 歌の主体は、「君の夢」を見ようと考える。でも、「肝心な時」に「君」は夢に現れてくれない。この「君」が誰であるのかは分からない。特定の誰か、歌の主体の恋人、友人かもしれない。あるいは誰でもないのかもしれない。「あふれそうな I miss you」という言葉からは、「君は失われ、僕は損なわれた」というような声が聞こえてくる。その喪失と欠落の感覚があふれそうになるのだ。
 無意識の次元まで考えていけば、クボケンジの『ビスケット』の一連の言葉の流れから、志村正彦との関係の痕跡が浮かび上がってくるような気がしてならない。

 志村正彦が亡くなった三日後に、クボは自身のブログで、志村との関わりの日常を書き記してくれた。受け入れられない現実の中で、それでも何とか言葉を発しようとする、正直で抑制した書きぶりが、逆に、限りない哀しみと喪失を伝えている。その後、クボケンジは志村正彦について、ブログや公的な場でほとんど語っていないはずだ。
 例外としては、聴き手に向けて、「フジフジ富士Q」のステージで、志村正彦のことを「心を許せる大親友でした」と話した後すぐに「あ、大親友です」と言い直したことが記憶に残る。「た」という過去形ではなく、「です」という現在形であることを改めて確認するかのように。そのような場を離れて、コメントのような形では語ることはできない、あるいはそうしないという姿勢がクボには見られる。むしろ、音楽家として、新しい歌を作ることで、志村正彦との対話を続けている。それは追悼や過去へと遡るものではなく、「もっと遠くまで」行こうとするような、現在から未来へ向けた確固たる強い意志にもとづいている。そのように歩み出したクボケンジを、志村正彦は見守っていることであろう。

 歌い手は、歌を作り歌うことがすべてである。それがクボケンジの決意である。5月23日の新宿ロフト、メレンゲのライブで、そのことを強く感じた。

2013年5月26日日曜日

5月23日夜、新宿ロフトで。 (志村正彦LN 29)

  5月23日夜、新宿ロフト「14TH ANNIVERSARY」の「GREAT3 / メレンゲ」ライブに行ってきた。甲府から新宿までは電車で1時間30分、バスで2時間ほどだ。夕方出かけ、何とか間に合うことができた。

 志村正彦とGREAT3 、メレンゲの関係についてはよく知られているが、ご存じない方のために簡潔に記したい。GREAT3 の片寄明人は、フジファブリックのメジャーデビュー作のプロデュサー。それ以来、志村は片寄を慕い続け、信頼できる相談相手としていたようだ。メレンゲのクボケンジは自他共に認める志村の「大親友」であり、週に何度か部屋を訪ねるような仲であった。志村正彦が生まれたのは1980年、片寄は1968年、クボは1977年である。兄弟の関係に擬するならば、志村正彦にとって、片寄は年の離れた兄、クボは少し年上の兄というような存在であったと言えるだろうか。

 今回のライブの話をする前に、個人的な思い出を少し語らせていただきたい。
 70年代後半から9年間ほど、東京で学生それからフリーター(当時そんな言葉はなかったが)のような生活を送っていた。当時は雑誌「ぴあ」の全盛時代だった。毎号、ライブハウス情報をチェックし、西新宿にあった旧ロフトにも何度か出かけた。あの界隈のビル街には輸入盤レコード店がたくさんあった。大学がそう遠くないところにあったので、帰りによく足を運び、日本未発売のプログレを漁ったものだった。

 1980年前後の新宿ロフトだったと思う。「東京ロッカーズ」のイベント、特に「フリクション」のライブ、博多からやって来た「ルースターズ」のロフト初ライブなどが強烈な印象をもたらした。フリクションの重くて痙攣的で身体をえぐるビートは、聴き手を制圧してしまうような凄みを持つ。ルースターズの浮遊感のあるたたみかけるビートは、縦にも横にも、激しく柔らかく熱くてクールに身体を揺らす。違いはあるけれども、この二つのバンドに圧倒された記憶がある。彼らの繰り出すビートの感覚は当時の日本のロックシーンでは非常に斬新だった。(いつかこのことも詳しく書いてみたい)
 1980年頃を境にして、日本のロックにも新しい波がおとずれた。そのようなシーンを支えていたライブハウスの中心が新宿ロフトだった。

 歌舞伎町に移転した新しいロフトに入るのは初めてだった(新しいと書かざるをえない「初体験」の自分に苦笑する)。旧ロフトは(特に80年前後の頃は)「アンダーグラウンド」な匂いが濃くて、入るのにちょっとした覚悟がいるような場所だった。それに比べると、新しいロフトはずいぶん大きくなり、綺麗な場所になっていた。

 この場所で、インディーズからメジャー初期の時代、フジファブリックが演奏を行っていたのだなと少し感慨にふける。このホールでの志村正彦のライブ映像、Tシャツやポロシャツを着てステージに立っていた、飾り気のない彼の像。あのころの彼からは「東京のロックシーンに闘いを挑むような、たくましい青年」の印象を受けるのだが、実際はどうだったのだろう。
 
 会場は満員だった。やはり女性が多い。ホールが広くなったからだろうか、後方にはモニターも設置されていて、親切だ。新しい新宿ロフトには、聴き手を優しく受け入れてくれるような感じがある。正直言うと、この変化に少しばかり戸惑ったのだが、この雰囲気に慣れてくると、今の時代にはこのようなスタイルが合っているのだろうと好感を持った。

 少しだけ開演が遅れて、メレンゲが登場。最後尾で見ていたのだが、CDで聴くよりも、ずいぶん激しいビートの感触だ。CDとライブの差はどんなバンドでも感じるのだが、メレンゲの場合、良い意味での差異に少し驚いた。
 3曲ほど演奏した後で、クボケンジが「志村が、メレンゲとGREAT3を出会わせてくれた」と語りだした。「志村」という言葉が出た瞬間に、ホールが静かになり、皆がクボケンジの言葉を聞き取ろうとしていたことを記しておきたい。続いて、志村正彦から聞いていた片寄明人の印象と実際とのギャップ(聞き間違っていたら失礼なのでここでは書きません)など、面白い打ち明け話になると、ホール全体が盛り上がり、和やかな雰囲気に包まれた。
 (この項続く)

2013年5月18日土曜日

『Strawbarry Shortcakes』の驚き (ここはどこ?-物語を読む 2)

 おばさんはめったなことでは驚かない。長年生きてきた中で、世の中、考えられないことが起こることを知っているから。初めて何かを見聞きしたとしても、これまでにどこかで見聞きしたものからついつい先を予測してしまうから。動じないと言えば聞こえはいいが、感受性が鈍っているかと思えば、寂しくもある。

 しかし志村正彦の歌はやすやすとおばさんの予測を超える。
 例えば、このシリーズのタイトルにいただいた『Strawbarry Shortcakes』(『Teenager』)
の「ところかわって ここはどこ?」というフレーズを聴いたときには、しばし唖然としてしまった。
 こんな歌詞ってあるだろうか。


 大体においてへんてこりんな歌なのである。皇居沿いの道でランナーが信号待ちをし、また駆け出すという場面が、一度聴いたら忘れられないメロディー(私の筆力では到底伝えることはできない。未聴の方は是非お聴きいただきたい)で歌われる。と思っていると、レストランで向かい合う「君」と「僕」の場面になる。この二つの場面は交わらない。
 この断絶されたように感じる二つの場面をつなぐことばが、


   ところかわって ここはどこ?
   ランナー見下ろせる レストラン


  である。    
 「ところかわって」も「ここはどこ?」もありふれたことばだが、並ぶとずいぶん奇妙に聞こえる。「ところかわって」は場面の転換を表すことばで、物語の登場人物の生のことばというより物語の外側にあることばだと考えたほうがわかりやすいように思う。テレビドラマか何かを思い浮かべても、場面が変わるときに登場人物が「場面が変わって」とせりふとして言うことはない。具体的な地名や場所などのテロップが流れるか、ナレーターが語るか、いずれにせよ物語の外側の何かが語るのである。
 

  「ところかわって」と言う何かは当然その場所を知っているはずである。だから、「ところかわって ランナー見下ろせる レストラン」なら違和感がないのに、間に「ここはどこ?」が挟まっているから奇妙なのだ。

  しかし、繰り返して聴いているうちに、この余計に思える 「ここはどこ?」がこの曲の物語を構成する上で非常に効果的なのではないかと思えてきた。

  「ここはどこ?」というのは周囲がわからなくなっている、つまり見失っている状態である。この場合、周囲というのはランナーが走っている皇居沿いの道の風景、「ドンパンドンパンドンパン」で表現される喧噪の光景であろう。しかし、その光景はすっかり消え去ってしまう。もちろん実際に消えるわけではない。登場人物の「僕」の意識から失われてしまうのだ。「僕」からそれを失わせたものはもちろん「君」である。「君」への極度の集中が「僕」から周囲を奪ってしまう、その感覚を「ここはどこ?」ということばが実に的確に表現している。平易なことばでこんなことをやってのける志村正彦に「君さすがだよ」と言ってあげたい。

 そんなことを考えていたら一つの映像が浮かんだ。カメラは最初皇居前の道の雑踏を映す。それから切り替わって道沿いの二階か三階にあるレストランの内部、窓際の席に座るカップルをとらえ、テーブルのイチゴショートケーキ越しに「君」のバストショット、そして顔から目、まつげへとだんだんズームしてそこに留まる。そんな映像。

 さて、登場人物の「僕」がそこまで集中している「君」はどんな人だろう。「左利き」に「違和感」を感じるのだから、差し向かいで物を食べるということ自体がおそらく初めてというような関係。「君」はイチゴショートケーキを食べているだけだが、食べると言う行為自体がどこか魅惑的だし、「僕」の目には蠱惑的に映る仕草や表情によって「僕」はすっかり心を奪われてしまっている。
 
 微笑ましいと言えなくもないが、おばさんはちょっと心配だ。「そんな小悪魔風の女はやめときなさい。きっと苦労するわよ」
 でもおばさんの声は「僕」にはきっと届かないんだろうな。

2013年5月15日水曜日

森山未來と志村正彦の邂逅 (志村正彦LN 28)

  ドラマ&映画『モテキ』のオープニング。4人のヒロインを先頭に大勢の女たちが担ぐ神輿に、唯一の男「藤本幸世」(森山未來)が乗り音頭を取るシーンで、志村正彦の歌う『夜明けのBEAT』は流れる。この演出は、もともと漫画『モテキ』にあった画を再現したものである。「モテ期」=女御輿に乗る男、という面白い演出なのだが、この点について大根仁監督はこう語っている。( 《対談!「マンガ『モテキ』」久保ミツロウVS「ドラマ『モテキ』」大根仁》  http://ro69.jp/feat/moteki201009-3 )

大根: だから、ほんとにねえ……あんなふざけた画にしなきゃいけないっていうのがねえ(笑)。あの素敵な楽曲に対して。
久保: いや、あのPV、すごいよかったじゃないですか。
大根: いやいや、違う、ドラマのオープニングで"夜明けのBEAT"がかかる時の。
久保: ああ、女神輿(笑)。
大根: そう。「ファンはどう思ってるんだろうな」って、ずっと気になってて。遺作じゃないですか? 遺作をああいう感じで使うって、俺がファンだったらどう思うかな……って。でも、PVを撮ってほしいって話をいただいたんで、「じゃあちゃんとかっこいいものを作ろう」って。

 大根監督は「あの素敵な楽曲」に対して「あんなふざけた画」にしたことを気にしていたようだが、きらびやかなミラーボールの下でハートマークも光もあふれる女御輿の突き抜けた感じと、少しくぐもった抑制された志村正彦の声が夜更けから夜明にかけて闇から光の世界へと突き抜けようとするかのような感じが、意外にもよく調和している。この異質なものの複合を、志村正彦も気に入ったのではないだろうか。
 それでも、「遺作」であることを重んじて『夜明けのBEAT』のPVを「ちゃんとかっこいいもの」に撮ろうとした大根監督の想いは理解できる。

 このミュージック・ビデオについてネットで改めて調べてみると、『大根仁×easeback!「モテキ」森山未來が疾走するフジファブリックMV「夜明けのビート」 2010.09.03 Fri 』( http://white-screen.jp/?p=3633 )に、注目すべきことが書かれていた。

 その記事によると、このMVは、監督・大根仁。演出構成・easeback(イーズバック)、ダンス振付・劇団「冨士山アネット」主宰長谷川寧氏、の三者のコラボレーションで制作された。森山の振り付けは、「冨士山アネット」長谷川寧氏が「故・志村正彦が遺した歌詞を森山未来が身体で表現するというコンセプト」で考えたようである。また、映像面では、志村正彦の像は合成ではなく実際に「プロジェクターの映像を投影」して撮影したそうであるが、これは意外であった。デジタル編集したものとばかり思っていたが、確かに改めて見ると、影の映り方が実写らしく、少し解像度を下げたような投射映像が独特の臨場感を出している。

 さらに、easebackの演出者には「疾走する森山さんとその先にある壁の間に別の3次元的空間を感じさせる映像を流し、その虚構の世界の行き着く先で森山さんが志村さんと邂逅するという流れをつくりました」という意図があったことには非常に驚かされた。

 森山未來が志村正彦と邂逅する、何という想像力あふれる大胆で魅力のある演出なのだろう。失踪する森山をトラック・ショットで平行に移動して追うというカメラワークや生前のライブ映像を素材にするしかないという制限があったために、難しい演出となっただろうが、このような作品を創りだしたことには、深い感動を覚える。監督と演出者が志村正彦の歌の世界をよく理解し、その遺作に対してのリスペクトがあったからこそ実現できた試みだろう。

 これまで書いてきたように、『モテキ』の主人公「藤本幸世」と、志村正彦の分身である歌の中の「僕」との間には、ある共通の世界がある。
 『モテキ』の藤本幸世という虚構の人間を演じる森山未來は、ミュージック・ビデオというもう一つの虚構の中で、「僕」という分身の作者、志村正彦に巡りあう。虚構の中で、「幸世」と「僕」が出会うとしたら、その二人の間にはどのような対話が築かれるのか。『夜明けのBEAT』や『茜色の夕日』をテーマ曲とする『モテキ』の番外編を想像してみるのも愉しいかもしれない。

付記
 今回で、志村正彦と『モテキ』というテーマをひとまず完結させたい。当初の想定を超えて、1か月ほどの期間をかけて10回もの連載と分量になった。『夜明けのBEAT』と『Mirror』という二つの歌、『夜明けのBEAT』のミュージック・ビデオ、漫画・ドラマ・映画という三つの『モテキ』作品、久保ミツロウ氏や大根仁氏の幾つものインタビュー記事というように、多彩で質の高い作品や資料があったからこそだが、何よりも、志村正彦の歌の深さや豊かさが、このようなエッセイを書き続ける原動力となっている。

2013年5月12日日曜日

『Mirror』と『モテキ』 (志村正彦LN 27)

    漫画『モテキ』のラストシーン。「俺(幸世)」は「土井亜紀」が男といることを見てうちひしがれていたが、「心の声が増えている」ことに励まされて、ガバアッと立ち上がり、「アキちゃん」と叫ぶ。「亜紀」は「藤本君に色々伝えたい事あったけど なんか顔見たら忘れちゃったよ」と応える。そのシーンに、次の独白の声が被さり、この物語の円環が閉じられる。

本当の俺とは別に皆の中にもそれぞれの俺がいるんだ
ずっと俺は自分は好かれる資格がないんだと思ってたけど
俺の実体とは関係なく誰かの心の中での姿は良くも悪くも変わってく

きっと皆の中で「俺」が勝手に動き回ってたんだろうな
全部伝わらなくてもいいから伝えてみるよ
今の俺はこんなです

そこから君の中の俺が変わる

 「俺(幸世)」の言う「本当の俺」「俺の実体」とは、「俺」自身がそう思っているところの「俺」、自分の捉える「俺」、いわゆる「ほんとうの自分」である。この独白にある「君の中の俺」という表現に倣って、対比的に名付けるなら、「俺の中の俺」とも言い換えられる。「俺(幸世)」は「本当の俺」「俺の実体」、『モテキ』の物語から言うと「モテない俺」「モテるはずのない俺」という自己の像にとらわれていた。そのことにこだわりすぎることで、空回りし続け、他者に「好かれる資格」がないと思いこんでいた。しかし、「皆の中」の「それぞれの俺」、他者の捉える「俺」は、自分の捉える「俺」とは異なり、しかも時と共に変化していく。

 自分の捉える「俺」と他者の捉える「俺」との間には「ずれ」がある。四人の女性たちとの関わりを通して、「俺(幸世)」は、自分の捉える「実体」としての「俺」と、他者の捉える「像」としての「俺」との二つの差異にようやく気づいたのであろう。女性たちの「幸世」に対する捉え方の方が、「幸世」の自分自身に対する捉え方よりも、端的に言って、柔軟で懐が深い。「幸世」という人間は、「俺(幸世)」自身が思っているより、器が大きい可能性があるのだ。このラストシーンで、ある意味では、他者の捉える「俺」の方が「俺」の真実に近いのかもしれないという認識の一歩手前に、「幸世」はたどりついたとも言える。

 そのような認識にたどりついたことで、「俺(幸世)」はある決意、「今の俺はこんなです」ということを「全部伝わらなくてもいいから伝えてみるよ」という決意をする。「俺(幸世)」が「今の俺」を「君」に伝えることを通して、「君の中の俺」が次第に変化していく。志村正彦の『夜明けのBEAT』の一節とシンクロさせるなら、「半分の事で良いから」「些細な事で良いから まずはそこから始めよう」という言葉が思い浮かぶ。「全部」ではなく「半分」や「些細な事」から、「俺」そして「僕」と「君」とのほんとうの関係が始まるのだろう。

 論理的に考えてみたい。「俺」には、「俺の中の俺」と「君の中の俺」という二つの要素がある。同じように、「君」にも、「君の中の君」と「俺の中の君」の二つの要素がある。「俺」と「君」との関係の中では、「俺の中の俺」「君の中の俺」「君の中の君」「俺の中の君」の四つが動いている。そのような複雑な関係、ダイナミックな運動の中で、「俺」と「君」、自己と他者の関係が形成されていく。

 今、この四つの言葉で説明を試みる地点まで来て、志村正彦の創ったある歌を想い出した。遺作『MUSIC』収録の『Mirror』(作詞、志村正彦。作曲・ボーカル、山内総一郎)である。驚くべきことに、次の一節があるのだ。『Mirror』はCDの歌詞カードでは鏡文字で記されていので、ここでは『志村正彦全詩集』から引用する。

  君が君の中の僕を見て
  僕は僕の中の君を見る

  迷路の中で会おう
  にじんだままでもいいよ

  (中略)
  
  君は君の中の君を作って
  僕は僕の中の僕を得る
                                      
 ここには、「君の中の僕」「僕の中の君」「君の中の君」「僕の中の僕」という四つの言葉がある。『モテキ』にあるのは、「君の中の俺」という一語のみであるが、先ほど論理的に導いた言葉を引いてくるなら、「君の中の俺」「俺の中の君」「君の中の君」「俺の中の俺」の四つの言葉が対応する。

 自己と他者の関係を、実体と鏡という側面を含めて考えると、この四つの要素が現れる。志村正彦もそのことを論理的に考えて、『Mirror』の歌詞に反映させたのだろう。「君」と「僕」は互いに「君の中の僕」と「僕の中の君」を見る。「鏡」を発想の起点にして、互いが互いを照らしあって、「僕」と「君」は「迷路の中で」「にじんだままで」もいいので「会おう」とする。そのことを通して、「君」と「僕」は互いに「君の中の君」と「僕の中の僕」を作り、得る。

 「僕」と「君」との関係を、「Mirror」、「鏡」や「反射」「反映」というモチーフで考察したのは、志村正彦らしい発想だ。以前引いた「歌詞は自分を映す鏡でもあると思うし、予言書みたいなものでもあると思うし、謎なんですよ」(『FAB BOOK』)という言葉とも関係してくるだろう。

 この『Mirror』が、作詞は志村、作曲・ボーカルは山内氏という分担になった経緯について、CDの歌詞カードや公式HPの「ライナーノーツ」の「楽曲解説」では、一切触れられていない。おそらく、歌詞だけが遺されていたので、作曲とボーカルを山内氏が担当することになったのだろうが、この歌の成立過程が分からないのは、非常に残念である。(その経緯がどこかに書かれているのなら、ご教示していただきたい)

 この歌詞自体は、引用部第1行の「君が」の「が」以外はすべて「僕は」「君は」「僕は」というように「は」となっている。「が」と「は」の使い分けは難しいが、この歌詞の意味の流れからすれば、「が」と「は」は最終段階で何らかの調整や推敲が必要だったはずだ。このことからも、この歌詞は完成前の段階のものだということが推測される。 

 時間の軸から考えると、志村正彦が漫画『モテキ』最終話のこのシーンを読むことも、あるいはその逆に、久保ミツロウが『MUSIC』収録の『Mirror』の歌詞を読むことも、現実にはありえない。この類似は全くの偶然だろう。ただし、この言葉の典拠となるような作品(何かは分からないが)を、両者がたまたま読んでいて影響を受けたという可能性はあるかもしれない。

 そのどちらにせよ、事実の次元には関係なく、この『Mirror』の歌詞を読むと、漫画『モテキ』のラストシーンとの間の、言葉と言葉の響きあいを感じずにはいられない。
 『夜明けのBEAT』と共に『Mirror』にも、『モテキ』との「奇跡って感じ」(久保ミツロウ)「シンクロ具合」(大根仁)を想起させる、志村正彦の優れた言葉がある。

2013年5月9日木曜日

心の声 (志村正彦LN 26)

 久保ミツロウは、漫画『モテキ』最終話のラストシーンの直前で、ある種の「目覚め」を「俺(幸世)」に与える。

 「土井亜紀」から別れ話を告げられた「俺(幸世)」は彼女に会うために、フジロックフェスに出かける。だが、彼女が他の男と一緒にいるのを目撃すると、「もともとそんな俺のこと 好きじゃなかったんだ」と思い、再び現実から逃げ出そうとする。
 そのとき、「俺(幸世)」の心の中で、「林田尚子」が「土井亜紀に今の自分見せつけてこい」と、「中柴いつか」が「やっぱりすぐに逃げんだね 変わってないじゃん」と、「小宮山夏樹」が「”本当の本”の私を理解したなんて 思い込みだか思い上がりがいやなの」と語りかける声が聞こえてくる。「俺(幸世)」は、ある心の変化に気づいて、こう呟く。

心の中に ちゃんといる
皆に会えて

不安にさせたり 励ましてくれたり
心の声が増えている


 他者の声、「幸世」のモテキを巡る四人の女性たちの声、そして友人や両親の声が、「俺(幸世)」の内面で「心の中」としてしっかりと根づき始めている。そのような「心の声」が増えてくることによって、「幸世」は変わり始める。

 他者の声は、時に「不安」にさせたり、時に「励まし」てくれたりするという両値性を持つが、そのような両値性に揺れたり、引き裂かれたりするのではなく、その両方を、良いことも悪いことも、肯定したいことも否定したいことも、心に受けとめ、心の枠組の中で的確に位置づけること。そのような過程を通じて、他者の声が心の声に変化していく。その心の声に向き合い、丁寧に時間をかけて対話を重ねていくこと。そのような心の動き方が、人の成長と人間関係の形成にとってとても重要となる。
 
 漫画『モテキ』の描く「幸世」はやはり、女性作家久保ミツロウが自分の分身として描いたということもあって、男性からすると、時に「男性」の心の動き方とは異なるところが垣間見られる。それは否定的なことではなくて、それゆえに、「幸世」は男女の差異を超えた普遍的な人間として造形されているとも考えられる。この「心の声」に気づくシーンにはそのような普遍性がある。

 ドラマ&映画『モテキ』の方は男性監督大根仁の演出ということもあって、男のどうしようもなさ、優柔不断ぶりというか端的に駄目さを強調している。それゆえに逆に、ある種のぎこちなさや純粋さを「幸世」に与えている。特にドラマの最終話では、漫画の最終話のような「目覚め」を「幸世」にもたらすことはなく、まだまだ「幸世」を迷いの状態に置きざりにする。だから、ドラマ『モテキ』の「幸世」は、漫画『モテキ』とは異なり、成長への彷徨いの過程にある。そのあたりを比較して愉しむことができるのも、漫画、ドラマ、映画という三つの作品がある『モテキ』の豊かさであろう。

  志村正彦は漫画の最終話もドラマも映画も見ることがかなわなかった、という悲しい事実がある。もしも彼が作品の全体を知ることができたのなら、どんな感想を抱いただろうか。
 漫画、ドラマ、映画の『モテキ』を読み返したり、見直したりして、志村正彦が作詞作曲し歌った『夜明けのBEAT』を聴いてみること。そのことによって歌の新たな意味が生まれてくるような気がする。

2013年5月5日日曜日

可能性としてのコラボレーション (志村正彦LN 25)

 再びというか三度というか、志村正彦と『モテキ』というテーマに戻りたい。ずっと頭にあったのだが、志村正彦が漫画『モテキ』を読んでいたかもしれないという可能性のことである。

 彼は読書好きで知られるが、漫画の単行本もよく読んでいたことがいろいろな資料から分かる。漫画『モテキ』は、『イブニング』(講談社)の2008年23号から2010年9号まで連載された。単行本の発売日は、1巻2009年3月23日、2巻2009年8月21日、3巻2010年1月22日、4巻2010年5月21日、4.5巻2010年9月7日である。この発売日からすると、彼が単行本の1巻と2巻までは手にすることができた可能性がある。
 しかし、あらかじめ断っておきたいのだが、これはあくまで「可能性」にとどまる。彼がほんとうに読んでいたかどうかは事実として確認しようがない。事実の次元が問題なのではない。あくまで、作品という次元で、虚構という次元で、久保ミツロウ氏の言う「奇跡」が、『モテキ』と『夜明けのBEAT』そして志村正彦の作品群との間に見いだされることが重要なのだから。可能性としてのコラボレーションを想定できることが、作品というものの本質であろう。

 もともと『モテキ』は、「藤本幸世」と「林田尚子」の中学時代を描いた漫画「リンダリンダ」(『週刊ヤングマガジン』2003年35号、単行本1巻に収録)がプロトタイプになっている。この作品は、いろんな作家が曲をテーマにして描くという、『平成歌謡大全』という企画から生まれた。
 『モテキ』の各話の題名には、1話が大江千里の「格好悪いふられ方」、2話が「ボクラの海はクラゲの海」というムーンライダーズの『9月の海はクラゲの海』のもじりというように、日本のロックやJポップの歌から引用されている。また、フジロックが物語の重要な舞台にもなっているように、漫画『モテキ』は、漫画とロックのコラボレーションという発想から作られた作品だと言える。特に、ドラマや映画の方では実際に音源として使われ、効果的な演出となっていた。

 漫画『モテキ』のテーマや作者のモチーフはどこにあったのだろうか。
 その点については、真実一郎氏のブログ「インサイター」に掲載された久保ミツロウのロングインタビュー「話題の漫画『モテキ』作者・久保ミツロウ氏インタビュー」(前・後篇)」が非常に参考となる。この取材は単行本2巻の発売直前に行われているが、久保氏は率直にこの作品について語っている。

幸世君が不治の病に罹って、死を前提にしたら皆のことを愛してると言えるようになったとか、そんな話絶対描いちゃいけないなと思ってます。だって死とか強迫観念じゃないところで変われる要素を私が描いてあげないと、皆も変われないんじゃないかなと思って。でもどうやったら変われるのかといったら私もまだ分からないんですけど。
( 2009年07月30日、前篇、http://blog.livedoor.jp/insighter/archives/51638703.html  )

幸世君が誰かと付き合えるのかどうかはまだ分からないけど、でも「誰かと付き合うことだけが正解」みたいに捉えられるように描いちゃったら、『モテキ』を読んでくれている人が裏切られることも多いと思う。付き合わなくても人間関係って案外続いていく部分ってあるから、そのあたりを伝えることが読んでくれている皆に残せることかなって。
( 2009年08月02日、後篇、http://blog.livedoor.jp/insighter/archives/51640107.html  )

 久保氏は、まだ連載中ということもあり、「幸世」がどうしたら変われるのかというこの物語のテーマについて、この時点ではまだ分からないという発言をしている。「死とか強迫観念」というような、よくある話、定型的な物語ではないところで、「幸世」の変化を描くことに作者の強いモチーフがあることが伝わってくる。そして、「誰かと付き合うことだけが正解」ではなく、「付き合わなくても人間関係って案外続いていく」ことを読者に伝えることも、大きなモチーフとなっている。付き合っていても付き合っていなくても、モテキであってもなくても、自己と他者との間に人間関係を形成し、それを持続していくこと。そのようなテーマを追究している点で、すでに何度か書いたように、漫画『モテキ』は「藤本幸代」の成長、成長への可能性を探る物語である。

 作者久保ミツロウ氏が描きたかったのは、恋愛とか友情とかあるいは男女の差異を超えて、どのようにして人は他者と出会い、どのように関係を築いていくという、私たちの普遍的な問題である。特に青年期においては、恋愛という形で、そのような関係が、あるいは関係の不在が切迫してくる。このことは誰もがよく経験することであろう。志村正彦の名曲の名を借りて言えば、若者にとって、時にそのことが「若者のすべて」となることもある。

2013年5月3日金曜日

5月2日の「忌野清志郎ナイト」 (志村正彦LN 24)

 昨日5月2日の夜は、「忌野清志郎ナイト」と題して、ライブやドキュメンタリーの番組が、WOWOWで数本放送された。2009年という年の5月2日、忌野清志郎の58年の生涯が閉じられてしまった。この年の12月24日に、志村正彦は29歳という若さで亡くなっている。

 この二人は、生まれた年が30年近く違い、親子ほどの年の差がある。この二人の間に何らかの交流があったという記事、あるいは志村正彦が忌野清志郎やRCサクセションについて言及している記事の存在を、寡聞にして知らない。(もしも何かご存じの方がいらっしゃるなら、コメント欄でご教示ください。お願いいたします。)
 今のところ、曲の上でも歌詞の上でも、この二人には特別の「影響」関係があるようには見えない。ただし、日本語のロックの革新という歴史的な面では、何らかの「系譜」的なつながりがあるかもしれない。その問いに対しては、他の重要なアーティストと共に、いつか書いてみたい。志村正彦を「日本語のロック」の歴史の中に位置づけたいという構想が私にはある。まだまだ時間がかかるだろうが。

 忌野清志郎は「日本語のロック」の第一世代の後期に属するアーティストだ。自ら書いた「日本語のロック」の歌詞とロックのリズム、サウンドをそれまでにはない手法で完璧に融合させた。非常に優れたパフォーマーとして、東京だけではなく全国の地方都市でツアーを行い、2千人程度の、時にはそれ以上の規模のホールの聴き手に(フォークやニューミュージックではなく、ロックという枠の中で)、圧倒的な説得力で伝えることに初めて成功した、「日本語のロック」の「KING OF ROCK」であった。

 私事を書かせていただきたい。1980年のことだったと記憶する(不確かなので間違っているかもしれない。今回調べてみたが分からなかった。この年で正しいのなら、志村正彦が誕生した年にもあたる)。甲府の県民会館のホール(この建物は壊されて、今はもうない)でRCサクセションのコンサートが開かれた。20歳を少し超えたばかりの私も東京から帰省中だったので駆けつけることができた。当時は、「シングルマン」というLPレコード(ジャケットの絵がすばらしかった。棚に立てかけて見たものだった。LPの強みだ)の「甲州街道はもう秋なのさ」「スローバラード」等の名曲をよく聴いていた。
 会場に入ると、「甲府にも、山梨にも、こんなにファンがいたのか」と驚くほどの人と熱気があり、演奏中に女の子が通路でダンスを始めたりして(当時の盛り上がりは今と異なり、自然発生的なところが良かった)、その場は「ロックの祝祭の空間」と化していた。私も気がついたら最前列の方に進んでいたので、よほど興奮していたのだろう。日本のロック・コンサートで、後にも先にも、あんなに楽しんで騒ぐことができたものはなかった。あの頃の忌野清志郎、RCサクセションは、心と体に強く響く、最高のロックの創造者だった。

 すでに30年を超す月日がたつ。それなりの年齢となった私が今、あの頃の忌野清志郎、そして志村正彦をこのような形で書くこと自体が、とても不思議な感じがするが、書きのこしておきたいという強い想いがある。若い頃「ロック」の洗礼を受けたものは、年を重ねても、「ロック」なんだという、時に言われることでもあり、気恥ずかしいことでもある事実が、この「志村正彦ライナーノーツ」の原動力の一つとなっている。

 「忌野清志郎ナイト」のような企画があると、やはり、ファンとしては「志村正彦ナイト」「志村在籍時のフジファブリック・ナイト」のようなものを夢想してしまう。残念ながら、志村正彦は忌野清志郎ほどのメジャーな存在ではないので、「期待」と言えず「夢想」と言うしかないところが悲しいのだが。
 それでも、WOWOWでは昨年7月に、フジファブリックの「フェス・ヒストリー・スペシャル」があり、志村正彦の貴重なライブ映像も放送されていた。WOWOWには、<ROCK IN JAPAN FESTIVAL>や<COUNTDOWN JAPAN>の映像が残されているので、何とか、時間は短くてもいいので、「志村正彦ナイト」のようなものを企画していただけないかと思う。それだけの価値のあるアーティストだということは確かなことなのだから。

 付記 今回は直接、志村正彦の歌について書いてはいないので、別のシリーズにした方がよいかとも思ったが、異なるアーティストに触れることは、一見、志村正彦から離れるようではあるが、別の側面から近づくこともあると考えたので、同一のシリーズとさせていただいた。

2013年5月1日水曜日

「これから待ってる世界」 (志村正彦LN 23)

    前回は『モテキ』から少し離れて、『茜色の夕日』を媒介として、志村正彦の「聴き手中心の歌」という特質を論じてきた。今回は再び、漫画『モテキ』と『夜明けのBEAT』に戻りたい。
 漫画『モテキ』は、「藤本幸代」の成長の物語(正確に言うと、成長の端緒へと至る物語)である。最終話で、「俺(幸世)」は、2年前に「土井亜紀」とフジロックに出かけたことを思い出し、「世界」という言葉を使って、次のように考える。

     知らない方が 良かったかも しれない
  世界の片隅で 誰かに 手を繋いで もらえる なんて

    俺がぼんやり 世界に絶望してる間 
    すてきな事を 沢山見逃してきた なんてさ

 自分が「ぼんやり」と「世界」に絶望している間、「すてきな事」、例えば誰かとつながる可能性を数多く逃してきたという、痛切な悔恨と自分に対する問い直しが「俺(幸世)」に訪れる。

 人は「世界」に絶望することもある。「俺(幸世)」のように「ぼんやり」とにしろ、より深刻な形にしろ。そのような時に、人は「世界」を閉ざし、その結果、人とのつながりを失う。
 しかし、逆に、「世界」の方は人に対して絶望することがない、と考えられないだろうか。「世界」は、確かに、人が望むような形でいつも現れることはない。だが、人の想いや望みを超えて、「世界」は存在し、どのような形であれ、「世界」は人に関わろうとする。人は「世界」の中で生きている。ということは、「世界」は人の中で生きているとも言える。そのようにして、「世界」は人と共にあろうとして、いつでも人を待っている。「世界」が「俺」を「僕」を「私たち」を待っている。

 志村正彦が作り、歌った、ドラマ&映画『モテキ』主題歌の『夜明けのBEAT』には、次の一節がある。

  半分の事で良いから 君を教えておくれ
  些細な事で良いから まずはそこから始めよう

 
  バクバク鳴ってる鼓動 旅の始まりの合図さ
  これから待ってる世界 僕の胸は躍らされる
 
 

   「君」の「半分の事」から、「些細な事」から、「世界」への「旅」は始まり、「これから待ってる世界」が「僕」の胸を踊らす。「僕」そして「君」が「世界」を待っているのか、「世界」が「僕」と「君」を待っているのか。それとも「僕」と「君」が「世界」そのものとなるのか。「僕」と「君」は「世界」へと旅立つ。
 
 志村正彦が歌詞の中で「世界」という言葉を使うとき、その言葉は特別の意味を帯びる。

  どこかに行くならカメラを持って 
     まだ見ぬ世界の片隅へ飛び込め!(『Sunny Morning』)

  遠く彼方へ 鳴らしてみたい
   響け!世界が揺れる! (『虹』)

  羽ばたいて見える世界を 思い描いているよ
   幾重にも 幾重にも (『蒼い鳥』)

  志村正彦にとって、「世界」はいつも、駆けていったり、飛び込んでいったり、飛翔していったり、浮上していったりする、その先、その彼方にある、たどりつきがたい、しかしそれゆえに、たどりつきたい何かである。

  言わなくてもいいことを言いたい
  まわる!世界が笑う! (『虹』)

  この素晴らしき世界に僕は踊らされている
  消えてくものも生まれてくるものもみな踊ってる  (『蜃気楼』)

 「世界」がまわり、「世界」が笑う。その「素晴らしき世界」の中で、「僕」も「君」も、「消えてくもの」も「生まれてくるもの」も「みな踊っている」。このように、志村正彦は独創的で魅力的な「世界」のヴィジョンを描いた。これについては、稿をあらためて、いつか書くことにしたいが、彼が歌詞の中で「世界」という言葉を使うとき、この言葉の広がりや奥行きを、聴き手は繊細に丁寧に受けとめねばならないだろう。